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第2部3章

02 アインザームside

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 ――コロコロと変わる表情は、見ていて飽きない。


「フッ……」
「ちょっと怖いですよ。アインザーム様」
「ああ、済まない。思い出し笑いだ」
「どうせまた、ロルベーア様のことを考えていたのでしょう? 私にはお見通しですからね」
「誰が見てもそうだろう。お前だけじゃない」


 番契約を切る方法が見つかったと知らせを受け、公女には悪いと思いながら何も知らせず飛び出してきた。今頃怒っている顔が容易に想像がつき、笑いがこみあげてきてしまう。それを、聖女に指摘され、俺は当たり前だろう、と返し、肩をすくめた。


「ここにきて、何度も思い出し笑いしないでください。気味が悪いです」
「いいだろう。俺の番はとても素敵なのだから」
「はあ……もう、その番ではなくなるんですけどね」
「……それで? ほんとに、その方法で、番契約が切れるんだな?」
「はい。間違いないかと。ロルベーア様を置いてきたのは、方法だけ聞いて、嘘を教えるつもりだからですか?」


と、不安と怒りが入り混じったような瞳に、少し不快感を覚えた。何も知らない人間に、知ったような口を利かれるのが一番嫌いだ。正義感がにじむその瞳には、俺ではなく、公女を心配するような色がうかがえ、聖女と皇太子が恋仲であるという噂を流した奴の目は節穴だな、と鼻で笑いたくなった。聖女に気があるなら、この場合、俺に向けて嫉妬を飛ばすのだろうが、そんなことは一切なく、どちらかと言えば、公女の方を気遣っているようだった。まあ、それも、俺にとっては不快で、俺の方が公女のことを知っているとマウントを取りたいくらいだった。


(また、公女に怒られるな……幼稚な癖を辞めろと)


 俺には完璧でいてほしいのか。それとも、そういうタイプの男が嫌いなのか知らないが、俺が嫉妬を飛ばすのも、癇癪を起すのも幼稚だという一言で彼女はまとめてしまう。実際、マルティンにも言われ、多くの部下がそれで恐怖で震えあがったと聞くため、俺の癇癪は相当なものなのだろう。自覚していないわけではないが、人間だれしも、腹が立つことはあるだろうに。


「いいや? そういうわけじゃない。もし、嘘なら、今すぐにお前の首を切り落としていたところだ。公女に、嘘を教えるなんて、とんでもない。むしろ、お前が嘘を教えているんじゃないかと、公女がそれで傷ついたらどうしてくれると……責任もっての発言か、俺直々に確かめに来たというわけだ」
「はあ……やり方が、相変わらずだとは思いますが、私のほうも自信もって断言します。間違いありません」


 聖女はそういって、資料や、実験器具の産卵するテーブルの上から、この間の魔法石を持ってき、俺の手に渡した。それは、少し加工がされており、また、磨かれたのか表面の傷がきれいになっていた。


「儀式にはこの魔法石を使います。この間、儀式の手順については資料を送りましたので、後ほどそちらを確認してください」
「せっかちだな。俺をここから追い出したいと?」
「私も、私で、他にも研究したいことが山積みなので」
「研究馬鹿だな。聖女という肩書があるだけの、研究馬鹿だ」
「もし、ロルベーア様がそうなったら、どうするんですか?」
「……それは別だ。公女が好きなことをさせてあげたい。それが、公女の幸せならなおさら……」
「本当に、ロルベーア様のことを愛しているんですね」
「愛……そうだな」


 人から、愛などという物を説かれたことはこれが初めてではない。愛しているのとか、愛していないのとか、ばかばかしい話だと思っていたが、俺は公女に出会って変わった。愛を知った。
 あの何にも興味がない瞳に、俺を映したくなった。だが、それと同時に、彼女を知っていくうちに、その興味のない瞳に、生へのあきらめが見えて腹立たしくも思った。俺という番がいながら、呪いのせいか、生きるのをあきらめているその目に、生きたいと言わせたかった。俺という生きる目的を作らせたかった。これがいわゆる、独占欲というやつなのだと気付いたのは、公女が呪いによって昏睡状態になる前だったか。
 とにかく、公女はいろんな顔を見せてくれて、そのたび、俺の心を搔き乱して。そのアメジストの瞳に一瞬でも俺がうつることが嬉しくて。つい意地悪をしたくなってしまって。俺の手で乱れる彼女は、これまで抱いてきた女の誰よりも、美しくて、なまめかしくて……公女のすべてが俺の心を搔き乱す。
 初めて名前を、愛称を呼んでもらったときのことなんて忘れもしない。あんな顔、誰にも見せたくないと思ってしまった。俺だけに見せる顔、俺が公女に引き出させた顔。温かい幸せと同時にやってきた、誰にも渡さないという黒い独占欲。それを、全て受け止めてくれるのだろうかと、不安にさえなる。そして何よりも、彼女が俺の元から去ってしまいそうなそんな不安に、俺は眠れぬ夜を過ごす。
 こんなこと一度もなかった。
 孤独であることは慣れていた。それが普通だと、俺の中の普通になっていた。誰にも理解されない、誰も俺の中に入ってこない。俺が拒絶していたのもあるが、その素振りさえ見せなかった他者が。他者は他者でしかないと外界とのつながりを切って、一人の道を歩んでいた時に現れた俺の番が、公女だった。


(……また、だな。ゲベート聖王国での、あの一件も)


 朝起きたら、腕の中に公女がいなかった時の喪失感。すぐにあたりを見わたせば、公女がいて、昨日の無茶に怒っているのだろうと思ったが、様子がおかしく、どこかに行ってしまいそうなそんな感覚に――本能的に彼女の手を掴んでいた。その瞬間、ふわりと公女の身体が軽くなり、まるで魔法でも溶けたのではないかという感じで、彼女は俺を見た。彼女の顔は怯え青くなっていた。彼女自身が、自主的にどこかに行こうとしたわけではなく、第三者の介入により、俺の元から去ろうとしていたのではないか。そんな感じだった。


『あ、アイン』
『どこに行くつもりだったんだ。ロルベーア。俺を置いて』
『ち、違うんです。身体か勝手に……っ、ほ、ほら、あっちに』
『あっち? 何もないが?』
『え、嘘……っ』


(俺はいつも不安だ。ロルベーア……お前がどこかに行ってしまいそうな気がして)


 初めての拒絶、そして、喪失……その二つを、短い期間で体験した俺にとって、もう二度と味わいたくない絶望だった。公女が俺のもとを去ろうというのなら、俺は我を忘れ、公女を監禁するだろう。四肢をベッドにでも括り付けて、俺がいなければ生きていけないそんな体に――


「泣かせたいわけじゃないんだ……本当に」
「アインザーム様何か言いましたか?」
「いや。お前には到底理解できないことだ」


と、聖女にいってやれば、ジトッとした目で見られた後、あっそうですか、と興味なさげにため息をつかれた。全く、この女もよく分からないが、俺には関係ないことだ。


「というか、早く帰ってあげたらどうですか? ロルベーア様に黙って出てきたというのなら、早く帰ってあげるべきです」
「お前に言われなくても、そうする。そうだ、イーリス。最近妙な魔導士の噂を聞いたが、何か知らないか?」
「魔導士の噂ですか?」
「ああ、白い魔導士……ドロップ伯爵令嬢が口にした魔導士だ。どうやら、貴族の男らしいが……」
「知りませんが。私よりも、そういうのは、貴族の方に聞いた方がいいのでは? 私が知っているのは、魔法とか、歴史とか、そういう知識だけですし、社交に関してはどうも……」
「そうか。まあ、礼はいう」
「ロルベーア様と末永くお幸せに」


 そう、聖女は俺を追い出すように言うと、また研究室の奥へと戻っていった。見送りをしないとは、無礼な、と思ったが、それもまたどうでもいい。


「……本当に、番契約を切るんだな」


 実感がない。俺と公女を結ぶ唯一のもの。公女が鎖であると言った、足枷であると言ったものは、俺からしてみれば、たいそうなものではない。いや、その鎖があるからこそ、つなぎ留められているものだと思っている。鳥かごに入れているようなものだ。だが、そのカギを、扉を開いたら? 公女がどこかに行ってしまいそうで、また不安になる。

 だから、切りたくない――俺のわがままだった。
 不安なんて、これまで一度も抱いたことがない感情なのに。どうも、公女に出会ってからは弱くなった。だが、この弱さを、公女に見せるわけにはいかない。見せたら、きっと嫌われる……公女自身を不安にさせる。
 俺は公女にとって、完璧な人間でなければならないのだ。帝国の未来の皇帝としてのその責任も、重みも。俺は完璧で、余裕であり続けることで、信頼を勝ち取ることが出来るのだから。


「……ロルベーアは、どんな俺でも受け止めてくれるか?」


 まだ怖い。だから、すべてをさらけ出せない。でも、きっと俺の孤独に気づき、触れてくれた公女なら――
 そう思いながら、俺は魔法石を手に、皇宮に向かい、馬を走らせた。

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