病名「幸せ」の貴方へ

兎束作哉

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第2章 幸せな恋人

01 私の家族

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 物心ついた時からだっただろうか。


「お母さん? お父さん?」
「俺は忙しいんだ。なのに、仕事を理由に子育てをしないなど」
「それは、こっちも同じよ。明日大事な会議があるから、じゃあ」


 私のお父さんとお母さんは仲が悪かった。今になって分かったことだけど、お母さんがお父さんに子育てを押し付けていたらしい。確かに、記憶にはお父さんの方が強く残っていて、お母さんに何かをしてもらった記憶はない。そんな感じで、顔を合わせれば毎日のように喧嘩をしていた。
 狭い部屋に響く怒声と罵倒。幼いながらにお互いに一歩も譲らない自分の意見を押し通そうとしているのが分かった。それでぶつかって、互いをけなしあっていた。
 お母さんは大企業に勤めるエリート社会人だった。所謂キャリアウーマンで、家にいる時間よりも会社にいる時間の方が長かった。その為、家に帰ってくるとすぐに最低限の食事とお風呂をすませて寝てしまった。

 お父さんは、お母さんと違って中小企業に勤める一般的な会社員で、融通が利くのか定時に帰ってくることが多かった。会社側が子供がいるからと配慮してくれるようないい会社だった。だが、長く働いていても全く給料が上がらず、昇進もできない。お母さんはそれに比べて、給料もお父さんより高くて、重役を任されることが多かった。お父さんはそれに嫉妬していた。結婚する前から分かっていたことだろうに、自分よりもできるお母さんが微笑ましかったのだろう。
 また、お母さんもお母さんで、お父さんに家のことをすべて押し付けていた。自分が抜ければ会社の不利益になるという言葉を振りかざして、お父さんを圧制していた。お父さんははじめこそ、不満げながらに家事をこなし、私の料理を作って、熱を出したら迎えに来てくれていたが、だんだんと顔がやつれて行っていた。繁忙期になり、それが加速し、家のことはおろか会社でもミスをするようになったらしい。お父さんのすごかったところは、それを子供のせいにせず、家事を分担しないお母さんのせいにしたことだ。一見すれば同じに聞こえるだろうけど、お父さんは忙しくても私に当たることはなかった。自分の情けなさや、お母さんに対する強い劣等感の中で戦っていた。

 でも、それは長く続かなかった。


「もう、いい加減にしてくれ」


 小学生三年生に上がったころだろうか、リビングで珍しくお父さんがお母さんに対して意見をしていた。いつもは、押されてばかりで話を聞いてもらえないお父さんは、その日だけはもう我慢できないといったように、机を思いっきり叩いていた。私はおなかがすいたからご飯を、とリビングに向かったがとても言えるような雰囲気じゃなかった。
 スーツ姿のお母さんに、エプロンを付けたお父さん。


「お前は、仕事、仕事と言って俺にすべて押し付けてきた。もう耐えられない。家事の分担をしてくれ、頼む」


 お父さんはそうやってお母さんに頭を下げた。お父さんには強いプライドがあった。会社の上司でもない、家族に夫婦に頭を下げること、それはきっとお父さんにとって屈辱だったと思う。夫婦の問題は夫婦で分担し、分かち合うのが正解だと信じてやまなかったから。
 そんなお父さんの覚悟を、必死の頼みを踏みにじるようにお母さんはスマホで明日の予定をチェックしていた。


「用はそれだけ?」
「お前には、人の心がないのか」
「あるわよ。でもね、こっちも忙しいのよ。前にも言ったわよね」
「限度というものがあるだろう、限度が! お前は、母親としての自覚がないのか」


 お父さんはそう必死に叫んでいた。
 こんな時でも自分を守ってくれるお父さんに、私は何か言えただろうか。お父さんの見方をしてあげられればもっと変わっていたのかもしれないのに。


「そう、なら離婚しましょう」
「お前!」
「そんなに家事が嫌だというのなら離婚するしかないでしょ。それが互いのためよ」
「何を言っているのかわかっているのか。幸は、幸はどうするんだ」


 いきなり告げられた離婚の言葉に、お父さんは動揺していた。そのころ、学校でも同級生の子がお父さんとお母さんが離れ離れになったよ、と鳴いていたのを見て、自分の家も同じ状況なのじゃないかと子供ながらに察してしまった。
 お父さんはわなわなと震え、正気か? とお母さんを見る。お母さんはひどく冷静に、冷たくお父さんを見つめていた。


「貴方が幸がいるのがお荷物っていうなら、私が引き取るわ」
「お前、幸に聞かれたらどうするんだ。それに、俺はそんなこと言っていない」
「どっちも同じよ。どうするの? 離婚するの?」
「……」


 お父さんは迷ったのちにうつむいた。
 きっと限界なんてとっくに超えていて、憔悴しきっていたのだろう。お父さんはいつの日のためにと用意していた緑色の線が引かれた、離婚届をもってそれを力なく机の上に置いた。


「……離婚、しよう」


 そう言ってお父さんは、白い顔になりながらお母さんにそう言い放ち、お父さんとお母さんの離婚は成立した。



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