幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 部下に任せる仕事はあっという間に片付いた。
組長不在の場において若頭の権威に勝るものはない。

 圧倒的な力に『クラブサレン』の中にいた者たちは動くことすら出来ないままであった。ただ一人を除いて。



 逃げたら勝ちだ。
何もかもを投げ捨てて、恥もプライドも捨ててしまえば例え向かう先が地獄でも今から味わうであろう苦しみに比べれば何万倍をも楽だと感じることができるだろう。

 マオは騒ぎに乗じて裏口から出た。
少なくとも重東が敵と対峙し騒ぎが大きい状態下でたった一人の人間探すことなど無理だろう。
裏口から出て派手な服を地味めにしてしまえば夜の街に溶け込める、溶け込めさえすれば追手とて気軽に見つけられまい。
裏口から外に繋がる階段をヒールのコツコツ音を響かせながらマオは一心不乱に駆け降りる。


『ここさえ越えればもう、自由だ』


 店を出て一分弱で見える店の裏手から見えるネオンの看板。
薄着ではあれど、風俗やキャバの多い歓楽街でこの程度…瞬間だけの恥じらいならばどうということはない。
あの角に見える『ソープランド』を左へ曲がればマオはこの地獄から抜け出せる。

 ヒールが剥がれてコツコツという足音にカツンカツンと異音が混ざりながら走り光が見え街の喧騒に飛び込んだ瞬間、マオは勝ったと安堵で口が緩んだ。
 けれど、その安堵が作られたものだと知った時のマオの顔は酷く滑稽であったことだろう。


「『意外と顔がイケるから今度しゃぶってあげてもいいよ』の今度を貰いに来たよ。ま、3Pは無理そうだけど」


 左へ曲がった先で待っていたのは叶真だった。
マオからすれば、既に会っている叶真の姿がなかったことに警戒するべきだった。
 先ほどはお互いに立場が違う、流石のマオにも先ほどまでの余裕はどこにもない。なんとかして叶真を説得してこの場から離れなければ。


「………えっと……その件なんですけど、失礼な事を言ってしまいごめんなさい。私のキャラクターを維持しないといけなくて……今はママに頼まれてここから近いコンビニで足りないものの補充をしに行くんです」


 言葉遣いや声色を変え、マオらしくない丁寧な言葉で叶真に謝罪と今急いでる旨を伝える。
ニコッと微笑めば叶真は応えるように小さく微笑む。
マオはそれを肯定と捉え、じゃあ私行きますね。と軽くお辞儀をして立ち去ろうとする。


「…厳道会の人間が例えバッジを外しわからない状態下であったとしても、クラブサレンは身元不明の一見さんはお断りだったはず。誰かの紹介なしで店には入れない。マオ程度の紹介でどうにかなるとは思っていない。となると、榊組事務所の誰かの紹介と考えるのが妥当。
 なぁ、若がまだパーティー終わってないってさ」


 立ち去ろうとするマオに叶真は子供に説教するような優しい声色でマオにとっての恐怖がまだ終わっていないことを告げた。
 その後振り上げられた叶真の手がどうなったのか、これからのマオの人生がどう変わるのか。
薄れゆく視界と思考は考えることを放棄せざるを得なかった。









 宏臣は窮地に追いやられていた。
重東からの連絡がない限り、これからの動きは一旦保留だなと言った豪我に従い待機にはなったのだが、組員でない宏臣からしたらこの場の空気はあまりにもピリつきすぎていた。
 そんな空気感を知ってか知らずか、豪我が宏臣を組長室へ招いた。一度入ったことあるだろうけど、ちょいと遊ぼうや。と腕を組みながら組長室の方へ歩いていく豪我に宏臣は断ることも出来ずについていくしかない。


「……そういえば、キミのことをなんて呼べばいい?重はキミを呼ぶことも許さねぇがそれじゃあ会話が出来ねぇ」

「あ、えっと…宏臣と呼んでください。組長さん」


 呼び名が決まったと少し声色が喜ぶ雰囲気が親子だからだろう、重東とそっくりで宏臣は緊張が緩み微笑む。
その姿を横目で見ながら、豪我はま、雰囲気が東に似てるな。好みが似るのは遺伝か…?と小さく呟いた。

 組長室に宏臣を招き先にいれた後に豪我は後ろから着いてきていた瀬戸瀬に何かを合図し少し話をした後に組長室に入ってくる。
二人きりの部屋は宏臣の想定外なくらい静かで、外の会話がすら聞こえない。


「……防音じゃねぇのに静かだろ、すまねぇな。立地なのか部屋の構造上なのか静かなんだよここ。誰かとじゃねぇとなんかゾワゾワしてくんだよなぁ」


 あまりの静かさにキョロキョロとした宏臣に豪我は的確に答えを与えた。
なるほど、確かに静かだと寂しいですもんね。と小さな声で喋る宏臣の声ですら豪我に届くほど。


「今更ではあるんだが、うちの馬鹿息子がキミの人生を壊したことを謝らせて欲しい。既にキミには『逃げる選択肢』を奪っているが、もう少し付き合ってやってくれたら嬉しい」


 豪我は宏臣に頭を下げた。
組長がを知らない宏臣は、そんなに謝ることじゃないのにとは思いながらも対応に困った。

 豪我はやることをやりきった!と清々しい顔でじゃやることやったし遊ぼうや、と宏臣の前に将棋の道具一式を出した。

 宏臣は強く思った。
将棋のルール知らないや…
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