幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 人肌の温かみと、脈拍を聞いていれば安心してしまうのが人間の性で。どうしようにもならないのだと重東は知ることが出来た。

 宏臣の優しさに包まれ、その場で抱き潰したくなる気持ちを抑えながらもいつの間にかうとうとと微睡み、気づけば瞬間的に意識が落ちた。
 次に意識が覚醒したのは記憶にある場面から一時間が経過していた頃。危機察知が働いたのだろう、急激な圧でもかかったかのようにドクンと脈拍に変化が起きたことで目が醒めた。


 ソファで重東を抱き締めていた宏臣も眠り、強く抱き締めていた腕も力が抜け、柔らかな寝息が立っている。
 そういえば、服も着替えずお風呂にだって入っていないのに寝てしまうなんてと普段ならば絶対にしないことをしてしまった失態に対する絶望と、そんなイレギュラーを生んだのが愛しい子である喜びに複雑な心境を隠せずにいた。



 ゆっくりと起こさないように身体を起こし宏臣を抱き抱えれば歩いて寝室へと向かう。着替えは後で良いかと、ベッドに寝かせる。
こういう時の宏臣の無防備さにどうしても心が揺れてしまうのは惚れた弱みなのだろう。


 宏臣をおいて寝室から出れば、携帯を取り出し叶真へと電話をかける。
叶真は数コール目にして電話に出るが。


『…はい、若。何かありましたか』

「叶真、どうせ親父のことだ。叶真を明日でも呼び出して話を聞こうとするだろうから先に釘だけさしておこうと思って」

『怖いですよね、組長も若も』


 叶真は呼び出されたことは確かに事実であるということを認めた上で、ただ自分から宏臣のことをベラベラ喋れるほど彼のことを知りませんから安心してほしいと重東に伝えた。
事実、叶真が初めて宏臣を見たとき叶真は宏臣を重東に言い寄り慈悲を貰うために廃人になった実験体の一つだと思い処理について問うたくらいだ。

 最愛ができたことで見たことのない重東の姿を見せられて叶真もこの一定期間驚きと謎の胃の痛みで苦しんではいる。
電話越しの声が数時間前の不意打ちを食らい、組長に先手を打たれ続けた敗北の悔しさに支配されたものではなく淡々としているなかにも冷酷さと気を許した人間にだけ見聞きさせる穏やかな声色が垣間見得るいつもの重東の声になっていたことに安心感を覚えた。


『…不躾かつ愚問な気がしますが、宏臣さんですか』

「立ち直った原因は、ってことならそうだよ。想定外の事をしてきてね、俺はもう離してあげられないのにそれを受け入れ始めてるヒロに戸惑いが生まれてならない。

 ………演技でないと頭では理解してるし、クスリももうとっくに効果は弱まり今は微々たるものだろうけれど、誤って追加で打ち込んでないかとすら思うほど都合が俺にとってこよなく良い。だから不快」



 重東の言葉に叶真は乾いた笑いを溢し、若がまだ人間で居てくれているようで安心しました。と言った。
重東はその言葉を無視した上で、宏臣に自由を与えたこと叶真と二人ならば一定時間外に出ることも許すことにしたと告げた。

 叶真としては、俺?という考えが出たが人間らしく色々考えた上で重東が決めたことならばと、あえて深く追求することなくわかりました。希望の日などあれば相談してください。と続けた。


『組長の言葉を若は深く考えすぎなこともあると思うんで、宏臣さんが無事だったのだから今回はそれで良かったにして終わらせることをオススメします』


 電話越しでもわかる、内部で戦争を起こすことがないようにと遠回しの牽制。豪我と重東の意思ではなく周りを囲む舎弟たちの総意。
よほど重東にとって言葉の重さは実の父よりも重い。
肝に銘じるよ、と言葉を伝え電話を切れば、本来拷問時に使う家で複数人で使うことが常で音に囲まれ、何かの気配が常に動いて狭くすら感じていた広い家が、宏臣の気配が寝ているため薄く、二人の空間となった状態では形容しがたいほどに広く虚無感に包まれる場所になる。


 宏臣に与えた自由によって、もし宏臣が重東の元を去ろうとしたらならば。重東が今感じている不快感も少しは拭えるのだろうか。

 叶真に話した通り、最初は薬を打ったことで記憶の混濁が見られ此方に都合の良い捏造した記憶を埋め込んだ。その捏造の記憶が捏造したものだとある程度気付ける程正気を取り戻した上で、逃げない、逃げようとする意思や目の動きをしない宏臣は重東にとって想定外なことではあった。


 宏臣の本心が知りたい。
豪我に言われた言葉を口の中で噛み砕きながら、重東は何故か寒くて仕方がなかった。

 翌日、宏臣が起きた時に広い家で朝食の準備をしていたのは叶真であった。
重東は豪我の元に昨日の一件で話があるみたいなので、と苦笑いで教えてくれた叶真に宏臣は少し寂しさを覚えた。
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