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§ 追いかけてきた過去
06
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席へ戻ると、帰り支度を始めた小夜と関根さんの漫談のような掛け合いが続いていた。小夜は相も変わらず二言目にはハゲハゲと関根さんを揶揄している。耳を傾けながら背後で亮が広げてくれたコートに袖を通し、頭の中でずっと引っかかっていたモヤモヤを口にした。
「そういえばさ、小夜はいつから関根さんがスキンヘッドだって知っていたの?」
「え? いつから、って……」
きょとんとした小夜は次の瞬間、お腹を抱えて大笑い。ツボにハマったらしく、ひいひいと涙を流して笑い続ける。関根さんも笑いを噛みしめ、顔が真っ赤だ。ついには堪えきれないとばかりに頭を抱え、くくくっ、と、肩を震わせはじめた。
「あははは、はぁ、あーくるし。こほっ、あの、さ、あんた、カフェバーで一緒に飲んだとき、ハゲの鬘ひん剝いて『この頭は詐欺』って言ったの覚えてないのね?」
「…………」
うそだろ。私はいったいなにをやらかしたんだ? もしかして、他にもまだいろいろやっているのかも知れない。酔った自分が恐ろしい。
このときはじめて私は、関根さんが私を褒める言葉の前に必ず『やっぱり』と前置きする真の意味を理解した。
よほど楽しかったのか、今日の小夜は足元が覚束ないほどの酔いっぷりだった。帰り道を心配した関根さんが余計なことするなと文句を言う小夜を抱えて歩くのを後ろから眺め、私と亮は手を繋いで駅までの道をのんびりと歩く。
「あ! ねえねえ、あれ、啓司さんじゃない?」
突然大声を上げた小夜が指差す方向へ目を向けると、薄暗がりの中、誰かと親しげに話しながら歩く啓らしき人の後ろ姿がある。
「啓司さん!」
関根さんを振りほどき、小夜が啓の元へと走り寄った。
呼ばれて振り返った啓の隣にいる男性の横顔が目に入る。その瞬間、私の足は地面に縫い付けられたようにその場から動けなくなった。
小刻みに震える体。高鳴る心臓の音が耳に響き、冷や汗が背を伝う。呼吸が荒く、浅くなっていくのを自覚するが止められない。衝撃で震える唇だけが、その名を紡ぐように緩慢に動いた。
「…………」
「……瑞稀」
「啓司さん? どうしたの?」
小夜が不思議そうに首を傾げ、私を凝視したまま表情を強ばらせる啓の顔を見上げた。真っ直ぐ立てない小夜の背が、ふらふらと左右に揺れている。
「青木、おまえ大丈夫か? 相当酔ってるだろう?」
へらへら笑う小夜を支えながらも、啓の怯えたようなその目は、私を見据えたままだ。
「瑞稀? まさか……本当に、瑞稀なのか?」
私の正面で、驚愕に目を見開くその男性は間違いなく、五年前、突然私の前から消え、その後も消息不明だったはずの智史だった。
智史がゆっくりと私に近づいてくる。その手が私に向かって伸び頬に触れようとした。なにか言おうとするとき、先に私の頬を撫でるのは、昔となにも変わらない彼の癖。咄嗟に身を躱した私は向きを変え、亮へと駆け寄り彼の手に手を滑り込ませた。
「行こう」
痺れるほどにきつく握られた手。
亮に促され、私は頷く。彼らを残して私たちはその場をあとにした。
亮の部屋へと帰り着いた頃には、体の震えもほぼ治まっていた。ふたり並んでソファに腰を下ろし、亮の膝に頭を乗せて目を閉じる。まるで怯える子どもをあやすように肩や髪を撫でる亮の優しい手が、私を温め心に巣くう痼りを溶かしていく。
繰り返される携帯電話の着信を示すバイブの音だけが、静かな部屋に響いていた。
「泊まってもいい?」
「はなからそのつもりだろう?」
「うん。ありがとう」
肩から伝い下りてきた亮の手が私の手の甲をいたずらに撫でる。その手に指を絡めて引き寄せて唇を押し付け抱き締めた。
亮は、なにも訊かず、なにも言わない。ただ温めてくれるその優しさが嬉しかった。
「亮」
「ん?」
膝の上で身じろぎをして仰向けになり、亮を見上げる。
「愛してる」
はじめて私の口から溢れた言葉に、亮が目を細めた。
「……愛してるよ」
合わせられた柔らかい唇が、滑り込む甘い舌が、すべての憂いを取り払ってくれる。
この人と一緒ならきっと——大丈夫。私はもうひとりじゃない。
「そういえばさ、小夜はいつから関根さんがスキンヘッドだって知っていたの?」
「え? いつから、って……」
きょとんとした小夜は次の瞬間、お腹を抱えて大笑い。ツボにハマったらしく、ひいひいと涙を流して笑い続ける。関根さんも笑いを噛みしめ、顔が真っ赤だ。ついには堪えきれないとばかりに頭を抱え、くくくっ、と、肩を震わせはじめた。
「あははは、はぁ、あーくるし。こほっ、あの、さ、あんた、カフェバーで一緒に飲んだとき、ハゲの鬘ひん剝いて『この頭は詐欺』って言ったの覚えてないのね?」
「…………」
うそだろ。私はいったいなにをやらかしたんだ? もしかして、他にもまだいろいろやっているのかも知れない。酔った自分が恐ろしい。
このときはじめて私は、関根さんが私を褒める言葉の前に必ず『やっぱり』と前置きする真の意味を理解した。
よほど楽しかったのか、今日の小夜は足元が覚束ないほどの酔いっぷりだった。帰り道を心配した関根さんが余計なことするなと文句を言う小夜を抱えて歩くのを後ろから眺め、私と亮は手を繋いで駅までの道をのんびりと歩く。
「あ! ねえねえ、あれ、啓司さんじゃない?」
突然大声を上げた小夜が指差す方向へ目を向けると、薄暗がりの中、誰かと親しげに話しながら歩く啓らしき人の後ろ姿がある。
「啓司さん!」
関根さんを振りほどき、小夜が啓の元へと走り寄った。
呼ばれて振り返った啓の隣にいる男性の横顔が目に入る。その瞬間、私の足は地面に縫い付けられたようにその場から動けなくなった。
小刻みに震える体。高鳴る心臓の音が耳に響き、冷や汗が背を伝う。呼吸が荒く、浅くなっていくのを自覚するが止められない。衝撃で震える唇だけが、その名を紡ぐように緩慢に動いた。
「…………」
「……瑞稀」
「啓司さん? どうしたの?」
小夜が不思議そうに首を傾げ、私を凝視したまま表情を強ばらせる啓の顔を見上げた。真っ直ぐ立てない小夜の背が、ふらふらと左右に揺れている。
「青木、おまえ大丈夫か? 相当酔ってるだろう?」
へらへら笑う小夜を支えながらも、啓の怯えたようなその目は、私を見据えたままだ。
「瑞稀? まさか……本当に、瑞稀なのか?」
私の正面で、驚愕に目を見開くその男性は間違いなく、五年前、突然私の前から消え、その後も消息不明だったはずの智史だった。
智史がゆっくりと私に近づいてくる。その手が私に向かって伸び頬に触れようとした。なにか言おうとするとき、先に私の頬を撫でるのは、昔となにも変わらない彼の癖。咄嗟に身を躱した私は向きを変え、亮へと駆け寄り彼の手に手を滑り込ませた。
「行こう」
痺れるほどにきつく握られた手。
亮に促され、私は頷く。彼らを残して私たちはその場をあとにした。
亮の部屋へと帰り着いた頃には、体の震えもほぼ治まっていた。ふたり並んでソファに腰を下ろし、亮の膝に頭を乗せて目を閉じる。まるで怯える子どもをあやすように肩や髪を撫でる亮の優しい手が、私を温め心に巣くう痼りを溶かしていく。
繰り返される携帯電話の着信を示すバイブの音だけが、静かな部屋に響いていた。
「泊まってもいい?」
「はなからそのつもりだろう?」
「うん。ありがとう」
肩から伝い下りてきた亮の手が私の手の甲をいたずらに撫でる。その手に指を絡めて引き寄せて唇を押し付け抱き締めた。
亮は、なにも訊かず、なにも言わない。ただ温めてくれるその優しさが嬉しかった。
「亮」
「ん?」
膝の上で身じろぎをして仰向けになり、亮を見上げる。
「愛してる」
はじめて私の口から溢れた言葉に、亮が目を細めた。
「……愛してるよ」
合わせられた柔らかい唇が、滑り込む甘い舌が、すべての憂いを取り払ってくれる。
この人と一緒ならきっと——大丈夫。私はもうひとりじゃない。
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