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§ 追いかけてきた過去
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私に奇異な目線を向ける輩はそれなりに存在したが、なりすましメールの醜聞は、思いのほか広まらなかった。しかし、予想外にセンセーショナルなニュースが社内を駆け巡る。それはなんと——。
第一開発グループ松本亮、婚約!
「知ってる? 松本さんの相手、モデルらしいよ?」
「うわぁ、さすが……御三家筆頭」
噂の出所は、女性技術者有志が運営する裏SNS。白石さんが白状したところによると、全女性社員と一部の男性社員が登録しており、噂話はその大小を問わず、社内外秘ギリギリの情報までをもが共有されているのだそう。
スクープされた亮と私の写真は、新婚旅行代わりに出かけた先で立ち寄った山中湖湖畔の洋風庭園で、社内結婚のカップルが撮影したものの中に偶然写り込んでいるのを、発見したらしい。
もちろん、本田さんが口を割ったわけではけっしてないから、婚約だのモデルだのは尾鰭の域でしかないけれど。ノーメイクだったおかげで、松本亮のお相手も私だと特定されなかったのも、不幸中の幸いというべきか。
普段の行動にはあれだけ気を付けていたのに、まさか浮かれまくった温泉旅行がこんな結果を生むなんて。壁に耳あり障子に目あり、だ。
「あの、すみません……」
呼びかけられた声に振り向くと、事務の女の子が私を確認して言葉を飲み込み、声をかける相手を間違えたとばかりに顰めた顔を一瞬のうちに取り繕った。
「なにか?」
「あ、すみません。三浦さん、三浦理恵さんはこちらにいらっしゃいますか?」
書類を届けに来たという彼女と一緒に、三浦理恵のいる島の辺りを覗き込むが彼女の姿はない。
「三浦さん? 今日はお休みみたいですよ?」
私に追いついた白石さんが彼女に答えた。言われてみれば私も昨日から三浦理恵の姿を見ていない。あのメールの一件は調査を進めているはずだけれど、あれからなにかしらの進展があったのだろうか。
昨夜、電源を切って放置した携帯電話は、他に連絡手段がないためいつまでも放置するわけにもいかず、出勤前に電源を入れた。予想どおり、並んでいたのは啓からの着信履歴ばかり。メッセージも多数あり、その内容はすべて、会って話がしたい、話を聞いて欲しいというものだった。
いまの私は到底、話をする気にもいいわけを聞く気にもならない。暫くの間は放っておいて欲しいとの思いを込め、話すことはなにも無いとメッセージをひとつだけ送り、彼の電話番号をブラックリストに入れた。
啓がなぜ智史と会っていたのかは知らない。ここのところ、啓がなにかを言いたそうにそわそわして見えたのは、智史のことを話したかったのかも知れない。
けれども、もしかしたらずっと以前から、智史の動向を知っていたのかも知れないと思い至れば、平静でいられる自身がない。
プロジェクトはリリース間近で、尋常ではない忙しさになっている。しかし、モニタに向かい作業をしていても、昔と変わらない智史と怯えた啓が頭の中でぐるぐる回るばかりでまったく集中できない。残業を三時間で打ち切り、オフィスを出たが、なんとなく真っ直ぐ家に帰りたくなくて、駅前のスーパーマーケットに立ち寄った。
特に目的があるわけではなかったが、ぶらぶらと店内を歩くうち、卵を切らしているのを思い出しカゴへ放り込む。朝食用の食パンに、最近叱られていないな、と、亮の怒った顔を思い浮かべ苦笑いして、ハーゲンダッツのパイントサイズ、バニラとクッキークリームのふたつも購入する。
いけないことをしているのは、わかっている。ストレス発散を口実にちょっと欲張ってみただけだ。
少し混んだレジへ並び会計を済ませ、ポリ袋をぶら下げてとぼとぼ歩く。やはりダッツは叱られるよなぁ、と立ち止まり、亮のマンションを見上げた。自宅マンションへ到着し、オートロックを解除する。自動ドアを通り抜けようとしたところで、入り口脇の少し奥まった所に佇む背に気づいた。
それが誰かなんて、言わずもがな。啓だ。
一瞬足を止めてしまったが迷いを振り切り、なにも見なかったふうを装い足を進めた。けれどもその躊躇いを啓が気づかないはずもなく。
駆け寄ってきた啓が摑んだ私の腕から、ビニール袋が滑り落ちガシャッと悲しい音を立てる。はずみで卵がわれてしまったのだ。
「ごめん、俺……」
私の腕を離した啓が、腰を屈めて地面に落ちた袋を拾う。その隙に逃げ出したい衝動に駆られたが、竦んだ足が自由にならなかった。
啓はポリ袋を手に持ち、俯いたままその場を動かない。いまここで、聞きたくないと拒絶したところで、この人は受け入れないだろう。私はひと言も話さずポリ袋だけを啓の手から奪い返し、閉じてしまったオートロックをふたたび解除した。
第一開発グループ松本亮、婚約!
「知ってる? 松本さんの相手、モデルらしいよ?」
「うわぁ、さすが……御三家筆頭」
噂の出所は、女性技術者有志が運営する裏SNS。白石さんが白状したところによると、全女性社員と一部の男性社員が登録しており、噂話はその大小を問わず、社内外秘ギリギリの情報までをもが共有されているのだそう。
スクープされた亮と私の写真は、新婚旅行代わりに出かけた先で立ち寄った山中湖湖畔の洋風庭園で、社内結婚のカップルが撮影したものの中に偶然写り込んでいるのを、発見したらしい。
もちろん、本田さんが口を割ったわけではけっしてないから、婚約だのモデルだのは尾鰭の域でしかないけれど。ノーメイクだったおかげで、松本亮のお相手も私だと特定されなかったのも、不幸中の幸いというべきか。
普段の行動にはあれだけ気を付けていたのに、まさか浮かれまくった温泉旅行がこんな結果を生むなんて。壁に耳あり障子に目あり、だ。
「あの、すみません……」
呼びかけられた声に振り向くと、事務の女の子が私を確認して言葉を飲み込み、声をかける相手を間違えたとばかりに顰めた顔を一瞬のうちに取り繕った。
「なにか?」
「あ、すみません。三浦さん、三浦理恵さんはこちらにいらっしゃいますか?」
書類を届けに来たという彼女と一緒に、三浦理恵のいる島の辺りを覗き込むが彼女の姿はない。
「三浦さん? 今日はお休みみたいですよ?」
私に追いついた白石さんが彼女に答えた。言われてみれば私も昨日から三浦理恵の姿を見ていない。あのメールの一件は調査を進めているはずだけれど、あれからなにかしらの進展があったのだろうか。
昨夜、電源を切って放置した携帯電話は、他に連絡手段がないためいつまでも放置するわけにもいかず、出勤前に電源を入れた。予想どおり、並んでいたのは啓からの着信履歴ばかり。メッセージも多数あり、その内容はすべて、会って話がしたい、話を聞いて欲しいというものだった。
いまの私は到底、話をする気にもいいわけを聞く気にもならない。暫くの間は放っておいて欲しいとの思いを込め、話すことはなにも無いとメッセージをひとつだけ送り、彼の電話番号をブラックリストに入れた。
啓がなぜ智史と会っていたのかは知らない。ここのところ、啓がなにかを言いたそうにそわそわして見えたのは、智史のことを話したかったのかも知れない。
けれども、もしかしたらずっと以前から、智史の動向を知っていたのかも知れないと思い至れば、平静でいられる自身がない。
プロジェクトはリリース間近で、尋常ではない忙しさになっている。しかし、モニタに向かい作業をしていても、昔と変わらない智史と怯えた啓が頭の中でぐるぐる回るばかりでまったく集中できない。残業を三時間で打ち切り、オフィスを出たが、なんとなく真っ直ぐ家に帰りたくなくて、駅前のスーパーマーケットに立ち寄った。
特に目的があるわけではなかったが、ぶらぶらと店内を歩くうち、卵を切らしているのを思い出しカゴへ放り込む。朝食用の食パンに、最近叱られていないな、と、亮の怒った顔を思い浮かべ苦笑いして、ハーゲンダッツのパイントサイズ、バニラとクッキークリームのふたつも購入する。
いけないことをしているのは、わかっている。ストレス発散を口実にちょっと欲張ってみただけだ。
少し混んだレジへ並び会計を済ませ、ポリ袋をぶら下げてとぼとぼ歩く。やはりダッツは叱られるよなぁ、と立ち止まり、亮のマンションを見上げた。自宅マンションへ到着し、オートロックを解除する。自動ドアを通り抜けようとしたところで、入り口脇の少し奥まった所に佇む背に気づいた。
それが誰かなんて、言わずもがな。啓だ。
一瞬足を止めてしまったが迷いを振り切り、なにも見なかったふうを装い足を進めた。けれどもその躊躇いを啓が気づかないはずもなく。
駆け寄ってきた啓が摑んだ私の腕から、ビニール袋が滑り落ちガシャッと悲しい音を立てる。はずみで卵がわれてしまったのだ。
「ごめん、俺……」
私の腕を離した啓が、腰を屈めて地面に落ちた袋を拾う。その隙に逃げ出したい衝動に駆られたが、竦んだ足が自由にならなかった。
啓はポリ袋を手に持ち、俯いたままその場を動かない。いまここで、聞きたくないと拒絶したところで、この人は受け入れないだろう。私はひと言も話さずポリ袋だけを啓の手から奪い返し、閉じてしまったオートロックをふたたび解除した。
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