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§ 気色
二
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勢いを殺さず亜弥の目の前にどっかりと腰を下ろした彼女は、テーブルにある亜弥が飲みかけた水のグラスをむんずとつかむと、ごくごく喉を鳴らして飲み干し、唇を手の甲で拭った。
額には玉の汗。ものの数分とはいえ、この炎天下を走れば、汗を掻くのは当たり前だ。
「ぷはーっ! 生き返った。ごめんねぇ、ミーティング押しちゃって抜けられなくてさ」
「べつに大して待ってたわけじゃないからそれはいいけど、なにも走ってこなくたって……」
「いやだってさ、今日も残業決定だよ? ランチ食べそびれた定時終わり前に死ぬ自信あるもん」
「本当だぞ、いいトシしてみっともない。亜弥ちゃん見習ってちょっとは落ち着いたらどうなんだ? ほれ、おまえのメシっ」
「おーイケメン兄ちゃん! さんきゅっ!」
「ったく……こいつ、ホントに俺の妹か? 何処かで取り違えられたんじゃないの?」
「あー、おにいっ。アイスティー! ジョッキでよろしく」
「……あいよ」
マスターは「ダメだこいつ」と呆れ混じりにため息をつき、カウンターへと消えていった。
この店は、ふたりがけのテーブル席が五つとカウンター席のみの小さな喫茶店。午前十一時から午後二時までの昼食時にだけ、一日限定十食のおまかせランチセットのメニューがある。
質量価格の三拍子揃ったプレートランチは大人気で、ファンの間では、幻のメニューとまで呼ばれているほどの代物。
ちなみに、亜弥と桃子のメニューはその更に上をいく、特別親しい常連客でも滅多にお目にかかれない幻も兆幻、賄い裏メニューだったりする。
「あのさ、訊きたいことたんまりあるし、まあ、とりあえず食べよう。うん。そうしよう」
「……そうだね」
亜弥の向かいで、貴重な料理をものすごい勢いで掻き込んでいるのは、高校時代アルバイト先のコンビニで仲良くなった通称桃ちゃん、中島桃子。
アルバイト先を退職して以来、音信不通となっていたのだが、亜弥が入社した商社の新入社員研修で、驚きの再会を果たした。まさに、縁は異なもの味なもの、である。
また、この喫茶店の主は、桃子の兄。勤務地が隣のビルに決まって以降、亜弥はランチタイムに日参する勢いで通う、立派な常連客だ。
「おつかれさま」
「ふぅ。やぁっと人心地ついたわ。なんかさ、どっかの御偉いさん主導で商品開発やるって噂があるらしくてさ。浅井のおっちゃん、うちが絶対取るって張り切っちゃってるのよ。やれあの資料はどこだ企画書纏めろだ、って、振り回されて大変なの。こっちだって自分の仕事あるし、みんなギリギリで回してるってのに、わかってるんだかわかってないんだか知らないけど迷惑極まりないっていうかぁ。上から目線で命令してくるから腹立つったら。ったく。あんたナニサマよって、課長サマだし偉いんだけどさあのハゲ万年課長、ってまあ、そんな話はどうでもいいんだわ。それで?」
ひと息で捲し立てる桃ちゃん。職場は、かなり腹立たしい状況のよう。
「それで、って? なによ?」
「とぼけないでよ。佐々木部長と誕生日デートしたんでしょう? 進展は? あり? なし? いや、いくらなんでもなしはないわよね? それじゃあんまり部長が気の毒すぎるわ」
二週間も前の話を今頃になって蒸し返されるとは。尤も、お互い忙しく、桃子とこうしてランチを取れるのも久々なのだけれど。
亜弥の頭の中を探るように、顔を寄せて瞳を覗き込む桃子の瞳を、正視できずに亜弥の視線がぶれる。
「……まさか? まさかホントになしなの? ええっ? そりゃないわぁ」
まるでこの世の終わりのような派手なリアクションを見せて、桃子は頭を抱えた。
いくらなんでも大袈裟じゃない? たかが他人の色恋で。
「桃ちゃん、声、大きい」
入り口付近に陣取るおばさまふたりが、何事か、と、こちらの様子を窺っている。恥ずかしい。
「う、ごめん。で? いったいどうなってるのよ? マジでいよいよ交際宣言だと思ってたのに」
「交際宣言って……そんなの、期待されても……」
あれだけ仲良くしていながら、コンビニエンスストア退職後にいきなり音信不通なんて不義理をしてしまったのだ。もし再び会えたとしても、以前のように仲良くはしてくれないだろうな、亜弥は思っていたのだけれど。
再会し、あの頃の事情を訊きだした桃子は、平謝りする亜弥に、めちゃくちゃ心配したんだからね、と、恨み言を一齣吐き出し泣いた。そして、その後は元通りどころか、以前以上に親しい友人関係が続いている。
額には玉の汗。ものの数分とはいえ、この炎天下を走れば、汗を掻くのは当たり前だ。
「ぷはーっ! 生き返った。ごめんねぇ、ミーティング押しちゃって抜けられなくてさ」
「べつに大して待ってたわけじゃないからそれはいいけど、なにも走ってこなくたって……」
「いやだってさ、今日も残業決定だよ? ランチ食べそびれた定時終わり前に死ぬ自信あるもん」
「本当だぞ、いいトシしてみっともない。亜弥ちゃん見習ってちょっとは落ち着いたらどうなんだ? ほれ、おまえのメシっ」
「おーイケメン兄ちゃん! さんきゅっ!」
「ったく……こいつ、ホントに俺の妹か? 何処かで取り違えられたんじゃないの?」
「あー、おにいっ。アイスティー! ジョッキでよろしく」
「……あいよ」
マスターは「ダメだこいつ」と呆れ混じりにため息をつき、カウンターへと消えていった。
この店は、ふたりがけのテーブル席が五つとカウンター席のみの小さな喫茶店。午前十一時から午後二時までの昼食時にだけ、一日限定十食のおまかせランチセットのメニューがある。
質量価格の三拍子揃ったプレートランチは大人気で、ファンの間では、幻のメニューとまで呼ばれているほどの代物。
ちなみに、亜弥と桃子のメニューはその更に上をいく、特別親しい常連客でも滅多にお目にかかれない幻も兆幻、賄い裏メニューだったりする。
「あのさ、訊きたいことたんまりあるし、まあ、とりあえず食べよう。うん。そうしよう」
「……そうだね」
亜弥の向かいで、貴重な料理をものすごい勢いで掻き込んでいるのは、高校時代アルバイト先のコンビニで仲良くなった通称桃ちゃん、中島桃子。
アルバイト先を退職して以来、音信不通となっていたのだが、亜弥が入社した商社の新入社員研修で、驚きの再会を果たした。まさに、縁は異なもの味なもの、である。
また、この喫茶店の主は、桃子の兄。勤務地が隣のビルに決まって以降、亜弥はランチタイムに日参する勢いで通う、立派な常連客だ。
「おつかれさま」
「ふぅ。やぁっと人心地ついたわ。なんかさ、どっかの御偉いさん主導で商品開発やるって噂があるらしくてさ。浅井のおっちゃん、うちが絶対取るって張り切っちゃってるのよ。やれあの資料はどこだ企画書纏めろだ、って、振り回されて大変なの。こっちだって自分の仕事あるし、みんなギリギリで回してるってのに、わかってるんだかわかってないんだか知らないけど迷惑極まりないっていうかぁ。上から目線で命令してくるから腹立つったら。ったく。あんたナニサマよって、課長サマだし偉いんだけどさあのハゲ万年課長、ってまあ、そんな話はどうでもいいんだわ。それで?」
ひと息で捲し立てる桃ちゃん。職場は、かなり腹立たしい状況のよう。
「それで、って? なによ?」
「とぼけないでよ。佐々木部長と誕生日デートしたんでしょう? 進展は? あり? なし? いや、いくらなんでもなしはないわよね? それじゃあんまり部長が気の毒すぎるわ」
二週間も前の話を今頃になって蒸し返されるとは。尤も、お互い忙しく、桃子とこうしてランチを取れるのも久々なのだけれど。
亜弥の頭の中を探るように、顔を寄せて瞳を覗き込む桃子の瞳を、正視できずに亜弥の視線がぶれる。
「……まさか? まさかホントになしなの? ええっ? そりゃないわぁ」
まるでこの世の終わりのような派手なリアクションを見せて、桃子は頭を抱えた。
いくらなんでも大袈裟じゃない? たかが他人の色恋で。
「桃ちゃん、声、大きい」
入り口付近に陣取るおばさまふたりが、何事か、と、こちらの様子を窺っている。恥ずかしい。
「う、ごめん。で? いったいどうなってるのよ? マジでいよいよ交際宣言だと思ってたのに」
「交際宣言って……そんなの、期待されても……」
あれだけ仲良くしていながら、コンビニエンスストア退職後にいきなり音信不通なんて不義理をしてしまったのだ。もし再び会えたとしても、以前のように仲良くはしてくれないだろうな、亜弥は思っていたのだけれど。
再会し、あの頃の事情を訊きだした桃子は、平謝りする亜弥に、めちゃくちゃ心配したんだからね、と、恨み言を一齣吐き出し泣いた。そして、その後は元通りどころか、以前以上に親しい友人関係が続いている。
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