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§ 揺蕩
一
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分厚いファイルの束を抱え、部署間を行ったり来たり。営業部とマーケティング部は、同じフロアだからまだいいけれど、経営企画室は上の階にある。
合同チームとはいいながらも仕事は各自細分化され、実体はバラバラだ。週一で開かれる全体会議を除く業務は、それぞれの部署で進められている。
スケジュール管理から企画書に、要件定義やプレゼン資料等々の作成補佐。さらには、未だ手離れしていない通常業務も重なって、亜弥は多忙を極めていた。
今朝は寝過ごして遅刻する夢を見て飛び起きたら五時半だった、と、経営企画室で新たなファイルの束を受け取りながら思い出し、和やかな仮面の裏側でため息をつく。
いつ来るともわからないエレベーターを待つ間も惜しく、亜弥は今日何度目かの階段を下りた。
人気の無いエレベーターホールを横切り、営業部へと廊下を進む。空気がざわついているように感じられるのは何故だろう。
部の斜向かい、給湯室の前の廊下で、亜弥を指差しながら何事かをコソコソ囁き嗤う女子たちが、視界の片隅に映った。
なにかあったのだろうか。
首を傾げながら、営業部のドアを開いた瞬間に、一斉に亜弥へと向けられた同僚たちの目は、さらに不可思議だ。
入室者がいれば、意識無意識にかかわらず、ほんの一瞬そこへ視線を向けるのは、なにも特別なことではない。
けれども亜弥に向けられ逸らされたそれは、憐れみであり、うち幾つかは嘲笑混じりでもあり。各自様々思うところをそのままが瞳に映っているように、亜弥には思えた。
「柏木さん、こちらの修正依頼、チェックお願いします。期限は明日朝一とのことで……」
「朝一か……わかった。なんとかなるだろう」
もう少し時間が稼げるかと思ったのにな、と、苦笑する上司に、亜弥は同意しつつ、なんともいえない表情をつくる。
「あ、そうだ」
自分に課せられた仕事を片付けようと踵を返したところで、呼び止められた。
「まだなにかありますか?」
「いや、まあ……ここ暫く周囲が騒がしいこともあるかもしれないが、なにか言われても気に病まずに流しておけよ?」
「はぁ……わかりました?」
わざわざ呼び止めて忠告をされるほどのなにかが起きているのだろうか。訝しげに首を傾げながら、亜弥はデスクに戻り、新に積み上がった書類の束を開いた。
周囲の妙な反応の答は、久々に顔を合わせた桃子によって、いともあっさりと齎された。
「延々焦らした挙げ句やっと付き合いだしたばっかりなのにこんどは別の女と見合だなんていったいなにがどうなってるのよぉまったくわけわかんない。しかもトップ会談で話が纏まってるから結婚は秒読みってなんなのよねぇ」
見合の相手は、合弁で新会社を設立する予定の関西大手の専門商社の社長令嬢だそうで。つまり、ここのところ立て続けに入っていた大阪への出張には、見合の予定も組まれていた、そういうことだ。
一応当事者でもある亜弥としては、深刻な顔をして頭を抱えている桃子の気持ちは嬉しいのだけれど、なんと言葉をかければいいのかわからなかった。
「まあねぇ、怪しい話ばっかり仕入れてくる浅井のおっちゃんネタだから、ガセかもしれないけどさぁ……でも火のないところに煙は立たないって言うし……ねえ、亜弥は部長からなにか聞いてないの?」
浅井課長の持ち込む話は信憑性のないものが多いのは本当だけれど、今回に限り根も葉もない噂話では片付けられないなにかがある、と、亜弥も思いはする。
「うん。これといって……なにも……」
合同チームとはいいながらも仕事は各自細分化され、実体はバラバラだ。週一で開かれる全体会議を除く業務は、それぞれの部署で進められている。
スケジュール管理から企画書に、要件定義やプレゼン資料等々の作成補佐。さらには、未だ手離れしていない通常業務も重なって、亜弥は多忙を極めていた。
今朝は寝過ごして遅刻する夢を見て飛び起きたら五時半だった、と、経営企画室で新たなファイルの束を受け取りながら思い出し、和やかな仮面の裏側でため息をつく。
いつ来るともわからないエレベーターを待つ間も惜しく、亜弥は今日何度目かの階段を下りた。
人気の無いエレベーターホールを横切り、営業部へと廊下を進む。空気がざわついているように感じられるのは何故だろう。
部の斜向かい、給湯室の前の廊下で、亜弥を指差しながら何事かをコソコソ囁き嗤う女子たちが、視界の片隅に映った。
なにかあったのだろうか。
首を傾げながら、営業部のドアを開いた瞬間に、一斉に亜弥へと向けられた同僚たちの目は、さらに不可思議だ。
入室者がいれば、意識無意識にかかわらず、ほんの一瞬そこへ視線を向けるのは、なにも特別なことではない。
けれども亜弥に向けられ逸らされたそれは、憐れみであり、うち幾つかは嘲笑混じりでもあり。各自様々思うところをそのままが瞳に映っているように、亜弥には思えた。
「柏木さん、こちらの修正依頼、チェックお願いします。期限は明日朝一とのことで……」
「朝一か……わかった。なんとかなるだろう」
もう少し時間が稼げるかと思ったのにな、と、苦笑する上司に、亜弥は同意しつつ、なんともいえない表情をつくる。
「あ、そうだ」
自分に課せられた仕事を片付けようと踵を返したところで、呼び止められた。
「まだなにかありますか?」
「いや、まあ……ここ暫く周囲が騒がしいこともあるかもしれないが、なにか言われても気に病まずに流しておけよ?」
「はぁ……わかりました?」
わざわざ呼び止めて忠告をされるほどのなにかが起きているのだろうか。訝しげに首を傾げながら、亜弥はデスクに戻り、新に積み上がった書類の束を開いた。
周囲の妙な反応の答は、久々に顔を合わせた桃子によって、いともあっさりと齎された。
「延々焦らした挙げ句やっと付き合いだしたばっかりなのにこんどは別の女と見合だなんていったいなにがどうなってるのよぉまったくわけわかんない。しかもトップ会談で話が纏まってるから結婚は秒読みってなんなのよねぇ」
見合の相手は、合弁で新会社を設立する予定の関西大手の専門商社の社長令嬢だそうで。つまり、ここのところ立て続けに入っていた大阪への出張には、見合の予定も組まれていた、そういうことだ。
一応当事者でもある亜弥としては、深刻な顔をして頭を抱えている桃子の気持ちは嬉しいのだけれど、なんと言葉をかければいいのかわからなかった。
「まあねぇ、怪しい話ばっかり仕入れてくる浅井のおっちゃんネタだから、ガセかもしれないけどさぁ……でも火のないところに煙は立たないって言うし……ねえ、亜弥は部長からなにか聞いてないの?」
浅井課長の持ち込む話は信憑性のないものが多いのは本当だけれど、今回に限り根も葉もない噂話では片付けられないなにかがある、と、亜弥も思いはする。
「うん。これといって……なにも……」
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