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§ 目に見えるものがすべて、ではない。

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「彼の方……お知り合いなんですか?」
「ああ、あいつ? あいつはね、竹中って言って、今でこそこの店のシェフやってるけど、僕が知り合ったのは学生の頃で、まだバイトだったんだよ。ここは、もう何年になるかな? その頃からずっと通ってる店なんだ。美味い安い量が多いで、金欠の学生には最高の店」
「はは。なるほど……」

 こんなふうにククっと笑う山内さんは、初めて見た。言葉も声色も、仕事のときとは違い幾分柔らかい気がする。きっとこれが本来の彼の姿なのだろう。

「なんにする? なんでも美味いけど、特に美味いのはドライカレー。オススメだよ」
「じゃあ、そのオススメいただきます」

 山内さんは閉じたメニューを受け取りテーブルの隅に片付けると、私の食べられる量を考慮してライスを少なめにと一言付け加え、ドライカレーと食後のコーヒーを注文してくれた。彼のこういう何気ない気遣いが嬉しい。

 やってきたドライカレーは、どこからどう見ても普通盛りと特大盛り。その特大盛りの山を、山内さんは涼しい顔で崩しながら、黙々と一定速度で口に運んでいく。

 その上、私に向かって残すのは惜しいから多かったら食べるのを手伝ってあげるよなんて言ってしまうからすごい。この人と何度も一緒にランチをしたけれど、ちょっと食べるのが早いかなと思う程度で、こんなにたくさん食べる人だなんて今まで知らなかった。

 結局、三分の一ほどを手伝ってもらい、私も完食できた。はじめは量の多さばかりに目がいってしまったが、お味もなかなか本格的。スパイシーで後を引く美味しさ。満腹になっても、また次のひと口を頬張りたいと思えるほどだ。

 手伝ってもらったおかげで、彼が食べ終わる頃に私も一緒に食事を終えることができた。よかった。これで今日は焦らなくて済む。そう安堵しながら食後に運ばれてきたコーヒーをひと口、口に含んだ途端、無意識に微笑んでしまった。

「どう? 美味しいでしょう? ここ、コーヒー拘ってるんだよね」

 山内さんの言葉に、食器を片付けていた竹中さんが、『は』は無いだろうと、ボソッと呟いた。

「美味しい。好きです。この味」

 甘い香りのダークロースト。苦味と酸味のバランスが絶妙で、喉を通る直前にふわっと特有の甘みが広がり、食事の名残をスッキリ消してくれる後味。豆の個性が際立っているわけではないので、多分、食後のコーヒーに最適な味と香りになるよう厳選されたブレンドなのだろう。

 料理の味といい、このコーヒーといい、竹中さんの拘りが見て取れる。

「ほら。彼女『は』ちゃんと分かってくれてるぞ」

 竹中さんは私に向けてニッコリ笑いかけた後、山内さんを斜めに一瞥している。このふたりの遠慮のなさ。相当に仲が良さそうだ。

「用が済んだらさっさと引っ込め」

 言葉は乱暴だが、その声音には親愛の情を感じる。男同士の戯れ合いってなんだか可愛い。


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