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火の章

第35話 世の不条理に憤る事、志士の如し

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 ――天文四年、真夏。

「ひどいな……川に水が流れていない……」

 俺は板垣さんと内政担当の駒井高白斎と護衛の連中を引き連れて領内の村に干ばつの状況視察を行っている。

 甲斐国は雨が一滴も降らずに真夏を迎えてしまった。
 川からは水が消え、完全に干からび無残に川底をさらしている。
 山からの湧き水はあるにはあるが、川に辿り着く前に地面に吸われてしまうか、強い日差しで蒸発してしまう。

 領内の溜池に溜めた水もそろそろ底をつきそうだ。
 救いは井戸の水が枯れていない事で、領民の生活用水は何とか確保できている。

「なんて暑さだ……」

 護衛の若い侍がつぶやいたのが聞こえた。

 気温は32度か33度か、それ位だと思う。
 ヒートアイランド現象と酷暑で鍛えられた元現代人の俺は大丈夫だが、この時代の人には殺人的な暑さらしい。

 内政担当の駒井高白斎が領内の食糧事情を報告して来た。

「領内のあわの収穫が終わりました。粟は例年通りの収穫量です」

「ご苦労様です。ソバの方は?」

「そろそろ収穫を始めるようです。実り具合は良く、かなりの収穫量が期待できます」

 ソバはネット通販『風林火山』で仕入れた『しなの夏そば』と言う現代日本の品種だ。
 収穫量の多い品種だと説明が書いてあったが、本当にその通りなんだな。
 さすが現代日本の農業!

「食料の方は何とかなりそうか?」

「左様でございますね。米以外の作物の比率を高くしておいたのが幸いしております」

「この日照りでは米はダメかもしれないですね。作物を分散して作らせておいて良かった」

「御屋形様のご指導の賜物でございます!」

 褒めて貰えるのは嬉しいが、畑の様子を見ると状況は深刻だ。

 ここは収穫が終わったジャガイモを植えていた畑だろうか。
 むき出しの土が大きくひび割れている。
 座り込み土を手にしてみるとカラカラに干乾びていて、土がボロボロと手から崩れ落ちて行く。

「この土の状態はひどいな……」

 ジャガイモなら夏に植え付けて晩秋に収穫する栽培サイクルもあるのだが、この土の状態ではダメだろう。
 今年はジャガイモの二回り目はあきらめた方が良さそうだ。

 畑の状態はどこも似た様な物で、雑草すら枯れてしまっている。
 米とサツマイモの収穫は、まだ先だけれど、これは厳しいかもしれない……。

「板垣さん。干ばつとは、これほど厳しい物なのですか? しょっちゅう起こるのですか?」

「毎年と言う訳では……そうですね……十年に一度あるかないかです。それでも我ら武田家領内は対策をしておりましたから、随分とマシです」

「じゃあ、他の領地は?」

「もっとひどい事になっておりますでしょう……人死も出ておりましょう……」

 何てこった!
 干ばつを甘く見ていたな……。
 ちょっと水不足になり作物が育ちづらくなる位のイメージだったが、雑草すら枯れ果ててしまうし、人も死ぬのかよ!

 現代日本では水道が完備されて、貯水池やダムが整備されている。
 そのお陰で水不足になっても、ここまでひどい状態にはならない。
 水のコントロール……水資源の管理がもの凄く行き届いているのだ。

 だがこの戦国時代では、お天気任せ……。
 もうちょっと治水に力を入れないとダメだな。

 村の畑をぐるりと回り、小まめに村人たちに声をかける。

『食料は武田家にもあるから安心するように』
『水争いなどしないように、武田家が掘った井戸を仲良く使うように』
『困った事があったら武田家に申し出るように』

 武田家をPRしながら、何かあったら武田家がなんとかすると話して安心をさせて行く。
 中には『雨ごいはいつやるのか?』と聞いて来た領民もいた。

 雨ごい何てまったく考えていなかったが、戦国時代では雨ごいも立派な渇水対策なのだろう。
 科学的な根拠はゼロだが、それで住民の気が紛れるなら雨ごいをやるのも良い。
 武田家の菩提寺『恵林寺』に相談してみよう。

 村の中ほどまで来たところで怒鳴り声が聞こえて来た。
 急いで声の方へ向かうと村長と子供を二人連れた若い女性が見えた。
 若い女性は村長に土下座して何か頼みごとをしている。

「ダメだ! ダメだ! よそ者に分けてやる食い物はない!」

「お願いします! もう三日も食べてないのです。せめて子供の分だけでも……」

「ダメだと言っているだろう! この日照りで作物の出来が悪い! よそ者に分けられん!」

「そこを何とか……お願いします! お願いします!」

 若い女性の身なりは正直あまり良くない。
 農民かな?
 やせ細って髪も乱れている。
 連れている子供二人もやせ細っていて、目に光が無い。
 三人とも明らかな栄養不足だ。

 ちょっと放っておけないな。
 俺は介入する事にした。
 胸を反らし、精一杯偉い人風の声を出す。
 声変わりはまだなのだよ。

「村長。ちょっと良いか?」

「こ、これは! 武田家の……ご領主様……へへー!」

 村長と若い女性が地面に頭を擦り付け礼をした。

「苦しゅうない。おもてを上げよ。直答じきとうを許すゆえ事情を説明せよ」

 村長が頭を上げ、説明を始めた。
 村長の説明によると、この女性と子供は流れ者らしい。

 他所の領地で生活をしていたが、折からの干ばつで水も食料も乏しくなり、自分の住んでいた村を追い出されたらしい。
 いわゆる『口減らし』だ。

 女性と子供二人は、他領からこの村に流れて来た。
 それで村長に何か食べ物を分けてくれと頼んだが、村長としてもよそ者に分けてやれるほど食料の在庫は村には無い。

 それで押し問答になったそうだ。

「うーむ、なるほど……事情は分かった……そこの女。これを子供達と分けて食べよ」

 俺は自分のおやつ用にとネット通販『風林火山』で買ったクリームパンを懐から取り出した。
 おやつにこっそり食べようと思っていたのだが……この若い女性と子供たちが可哀そうすぎる。

「あ、ありがとうございます!」

 女性はクリームパンを受け取ると三等分して子供達と食べ始めた。
 見た事のない食べ物に最初は警戒していたが、一口食べたら表情が緩んだ。

「あまーい!」
「おいしー!」

 子供ガリガリに痩せている。
 三人はゆっくりと噛みしめるようにクリームパンを食べている。

 横に控える板垣さんに小声で聞く。

「板垣さん。口減らしって良くあるんですか?」

「ございます。食料がないと労働力にならない年寄りや子供が口減らしの対象になります」

「じゃあ、彼女たちは?」

「恐らくですが、父親に先立たれたのでしょう。それで食料が無くなり母親と子供が村から追い出されたのかと」

「ひどいな……」

 姥捨て山とか、身売りとか、現代日本で生活していた時に、聞いた事はあったけど……こうして目の前で現実を突きつけられると……。

 クソッ!

「板垣さん。村長さんが言っていた『流れ者』と言うのは、多いのですか?」

「いえ、それ程多くはありませんが、常に一定数はおります」

「わかりました」

 俺は何か言いようのない気持ち……そう、怒りを感じていた。
 何に対する怒りなのかは、俺にもわからない。

 ただ、この状況は間違っている!
 それだけはハッキリとわかる。

 戦国時代だから……。
 異世界だから……。
 そんな理由で放置出来るか!

「板垣さん。武田家の当主として命じます。彼女と同じような境遇の人を保護して下さい」

「はっ?」

「よそ者でも、流れ者でも、俺の領地では一人たりとも飢え死にさせません。躑躅ヶ崎館に彼女と同じような境遇の人を集めて下さい労働力にならない、女、子供、年寄りでもです」

 俺はフツフツと湧き上がる怒りを必死に抑えていた。
 冷静に話すようにしたが……言葉の下の熱量を隠せなかったのだろう。
 板垣さんが驚いて言葉を詰まらせた。

「し、しかし、御屋形様……」

「これは当主としての命令です。それから駒井高白斎は、領内各村にマウンテンバイクの伝令隊を出して下さい。『流れ者が来た場合は、武田家で面倒を見るので躑躅ヶ崎館に来させるように』と」

「か、かしこまりました……」

 二人とも俺が珍しく強い口調で命令するので、驚いたのだ。
 俺はクリームパンを食べ終えた若い女性と子供達に命じた。

「お前たちはついて参れ。躑躅ヶ崎館に来るのだ。食事と、寝る所と、仕事を与える。行くぞ!」

 俺が歩き出すと板垣さんと駒井高白斎が続いた。
 少し間を開けて、若い女性と子供二人がついて来る。

 この戦国時代風の異世界に来て最悪な思いをした。
 けれど、このままでは終わらせないぞ。

 俺が何とかしてやるんだ!
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