魔法使いたちへ

柏木みのり

文字の大きさ
12 / 15

〈12〉

しおりを挟む
 さっきの部屋と同じくらいの大きさの、天井の高い部屋だ。天井と壁の素材もさっきの部屋と同じ半透明のガラスのようなもので、部屋は心地良い光で満ちている。足元だけはさっきの部屋と違って、ふかふかした淡い水色の絨毯が敷き詰められている。そして、正面奥の壁の上の方には、壁の幅いっぱいの大きな絵が掛けられていた。
 不思議に光る小さな白い花が咲いている広い広い野原。その野原を背景に一本だけ立っている巨大な木。幹は白っぽくて少し銀色がかっているように見え、淡い緑色の小さなハート型の葉をたくさんつけている。これだけ巨大でありながら、歳をとってごつごつした感じはまるでなく、美しい姿で静かに立っているその木に由は見惚れた。
 なんて綺麗なんだろう。
 隣に立った雅代が、口の中で
「…hello again」
 と囁いたのが聞こえた。そっと横目で見ると、雅代は懐かしい友を見るように目を細めて木を見上げていた。
「これって、ユグドラシルか何か?」
 結花が訊く。
「いいえ。この木はね、『扉』が作られた木の双子の木なの。だから、『扉』のあるところには必ずこの木の絵がある。ふたりの…二本の木の魂がいつも共にいられるようにね」
 そう言われて初めて、由は絵の下に置かれている『扉』に気がついた。
 奥の壁から二メートルほど離れたところに立っている、どっしりと大きくて分厚いドア枠とドア。わずかに艶のある灰色がかった木材でできていて、上の部分はアーチ型になっている。
 上の絵の中から、微かな風のような、木の想いのようなものが溢れ出ているのが確かに感じられる、と由は思った。それが『扉』を優しく包んでいる。
 共にあるふたつの魂。
「雅代、結花、由」
 ロバートの、ひそひそ声よりはちょっと大きい声がして、由は我に返った。
 『扉』の前の短い列の後ろで、ロバートとダンがこちらを見ている。三人は急いで列に加わった。一行の前には六、七人の人達がいる。
 ロバートが囁く。
「『扉』はみんないっしょには通れない。一人ずつだ。怖がらなくて大丈夫。ダンがを持って先頭。通れなければ彼はここに残る。いいね」
 三人は頷いた。由は俄に緊張した。こういう時に「怖がらなくて大丈夫」なんて言われると、結構逆効果だ。
 『扉』から二、三歩程度離れたところに淡い水色の制服を着た男の人が立っている。見ていると、なるほど、二人連れらしい人達でも、一人一人、別々に『扉』を通っていく。
 係の人に促され、一人が係の人に近づく。係の人と何か囁きを交わす。『扉』が向こうに向かって開く。その人が『扉』に近づき、『扉』の向こうに踏み込んでその姿が消える。『扉』が閉まる。数秒置いて、係の人が次の人を促す。
 一度、係の人が静かに何か言って、次の人を止めるような仕草をした。何事かと思っていると、『扉』がこちら側にふわっと開いて、『扉』の向こう側から初老の男の人が現れた。
 なるほど、向こうからこっちに来る人もいるだもんな…。係の人にはわかるようになってるんだ。無線?いや魔法か。
 あと二人でダンの番だ。ああ、もし通れなかったら?そうしたら…そうしたら、とにかくできるだけ早くジャンの住所に行って、ジャンかジャンを捕らえてる悪党どもに事情を説明して、それで…それで…それでどうすればいいんだろう?

 「由さあ、そういうことはその時に考えればいいんだよ」
 初めて一緒に作った薬を飲む前日に、もし薬が失敗作ですぐに取り消し薬と解毒剤を飲まなければいけない場合、本当に間に合うタイミングで飲むことができるだろうか、間に合うタイミングでそれが「やばいもの」だと分からなかったらどうすればいいのか、それが本当に「やばいもの」なのかそれとも気のせいでそう感じるだけなのか、その違いがちゃんと分かるんだろうか、などと心配する由に、ジャンがのんびり笑って言った。
「そんなにいろいろ事前に考えたって仕方ないって。そういうことが起こった時に、さっと考えて、ぱっと行動すればいいんだよ」
「でも、事前に考えておけば、いざことが起こった時に、よりうまく反応できるだろ。だから防災訓練とかがあるんじゃないか」
「訓練が役に立つような場合は、そりゃやっときゃいいけどさ。そうじゃないことは、事前にいろいろ考えても、結局心配することにしかならない。心配なんて時間の無駄でしかないよ。やばいことになって、その時自分がうまく反応できるかどうか、なんてさ、そんなのその時にならなきゃわかんないんだから。うまく反応できればいいな、って思ってりゃいいんだよ」
「だって、じゃあ、うまく反応できなかったら?」
「できなかったら、そうだなあ、まあ惨事になるかもしれないなあ。でも、そんなことシミュレーションしてみたってなんにもならないだろ。のたうちまわって苦しむかもしれないけど、その時にどうするか、なんて、そうなってみなきゃわかんない。助けを呼べるかもしれないし、とてもじゃないけどそんなことできない状態かもしれない。昔の人がうまいこと言ってるだろ、『運を天に任せて』ってさ。それでいいって僕はいつも思ってるよ」 

 運を天に任せて。
 納屋の乾いた埃っぽい匂い。板の隙間から差し込んでくる午後の光。喋りながら二人で食べていた甘い胡桃の味。あたりに散らばった胡桃の殻。ジャンの声。ジャンの眼差し。
 ふわりと微風が吹いたような気がして、由は目を上げた。絵の中の野原から、薄緑の風が吹いてくるような感じがする。
 ダンの番になった。
 ダンがこちらを振り返ってちょっと頷いてみせ、『扉』に向かう。係の人と何か囁き合う。『扉』が開く。ここからだと、『扉』の向こうは暗闇にしか見えない。 
 ダンが踏み出す。
 ダンの姿が消える。
 『扉』が閉まった。
 息を詰めたまま見ていた由に、ロバートが囁いた。
「行けたようだね」
「…うん」
 係の人がこちらを見た。
「次の方」
「由、行って」
 え、僕?
 ロバートが次かと思っていたので、ぎょっとなる。
 心の準備が。いきなり言わないでほしい。
 一気に心拍数が上がった気がしながら、係の人を待たせてはいけないと、急いで『扉』の前へと向かう。係の人が由を見下ろしてにこりとする。
「『扉』は初めてですか」
「は、はい」
 呼吸が喉に引っかかって、しゃっくりのような音が出てしまった。
「何も危ないことはありません。向こうで係のものが待っていますので、指示に従ってください。魔法の力を持つ物をお持ちではありませんね」
「持っていません」
 どきりとして答えてから、自分でも驚いたことにこう訊ねていた。
「あの、持っていると、どうなるんですか」
「『扉』を通ると、その物の魔法は消えてしまいます」
 『扉』が開いた。
「どうぞ」
 今聞いた言葉と、目の前に待っている真っ暗闇への恐怖とで、頭と心と身体の連携が混線状態に陥ったような感じのまま、由の身体はとにかく前に進んだ。
 『扉』の向こうは本当に真っ暗だ。床が見えない。床なんかないようにしか見えない。崖っぷちから虚空に足を踏み出すような感覚でしかない。
 ちょっと待て、だめだ、落ちる…っ。
 頭が、身体が勝手にしたことにぎゃーっと悲鳴を上げかけた瞬間、スニーカーを履いた足がトンッと床につき、一瞬にも足りないくらいの暗闇を通り抜けた由の目は、明るい色の寄せ木の床を見ていた。
「あ…」
 押し寄せる安堵に身体全体がぞぞっと震えて鳥肌がたった。両膝に手をつき、深く息をつく。
「大丈夫ですか」
 女の人の囁くような声に顔を上げると、蜻蛉のような大きな眼鏡をかけた若い女の人がすぐ隣に立っていた。
「…はい」
「前にお進みください。ここにいると危ないですから」
 そうだった。例の絵の前に立ち尽くしてはいけないのと同じだ。急いで前に進む。
 小さな礼拝堂のような部屋だ。木のベンチがたくさん並んでいる。少し離れたところにダンが立ってにこにこしてこちらを見ていた。急いでそちらに歩み寄る。
「通れたね。よかった」
「でも、その物の魔法が消えちゃうって…」
「こっちにいる間だけだよ。魔法が封印されるんだ。向こうに戻ればまた元通りさ」
「なんだ、よかった……」
 ほっとして力が抜ける。
「係の人がそう言ったんですか」
「そう。魔法の力を持つ物を持ってないかって聞かれたから、持ってたらどうなるんだって訊いたら、『封印の魔法がかかるので向こうでは使えなくなりますが、こちらに戻られる時に封印が解かれます』って」 
「なるほど…」
 僕にもそう言ってくれればよかったのにな、あの係の人。それにしても、同じことを二人に続けて訊かれて、変だと思ったかもしれない。
 そんなことを考えているうちに、『扉』から結花が出てきた。その格好に由は思わず吹き出した。ああいうのを屁っ放り腰って言うんだきっと。僕もあんなだったのかな。
「ああ怖かった!」
 こちらにやってきた結花が息を切らして言った。
「ほんと、落ちるかと思った」
「僕もだよ。真っ暗闇だもんな」
 初心者三人でヒソヒソくすくす盛り上がっていると、雅代が現れた。こちらはさすがに落ち着いて、顔色も変えず、姿勢も崩さず、まるで自宅の玄関からでも出てきたようだ。
「よかった。通れたわね」
 そしてニヤリと笑って三人を見る。
「怖かったでしょ」
 結花がふくれてみせる。
「わかってたんだったら、教えてくれればよかったのに」
「そんなことしたらつまらないでしょ。初めての時のあのスリルが楽しいのに」
「絵に飛び込む時と全然感覚が違う。ほんっとに怖かった…」
 そこへロバートが現れた。こちらはちょっと青い顔をしている。
「やれやれ。忘れてたよ、あの感覚。もうちょっとなんとか改善できないものかね。心臓に悪い」
 初心者三人組は顔を見合わせてくすっと笑った。どうも雅代伯母さんの感覚は普通と違うらしい。
「さて、それじゃ行きましょうかね」
 雅代がショルダーバッグのポケットから畳んだ小さな紙を取り出して、確認するように目をやる。
「ここは駅の近くの美術館なのよ。駅までは歩いていけるわ。駅前のバスターミナルから、01又は02のバスに乗って五つ目くらいのバス停で降りるはずなんだけど、そこは一応ちゃんと誰かに訊いてみるほうがいいわね」
「…雅代伯母さん、フランス語できるの?」
「英語で十分よ」
 結花が疑わしそうな顔をする。
「でもフランス人って、たとえ英語がわかる人でも、フランス語喋れない外国人が英語で話しかけてくると、英語わからないふりして相手してくれないって聞いたことあるけど」
「それは昔っからそう言われてたけどね、全然そんなことないわよ。私だって大学卒業したばっかりの頃、英語しか喋れなかったし、フランス語なんてボンジュールとメルシーボクーしか知らないままで一人で旅したけど、みんなとーっても親切で、片言しか英語喋れないようなおじいさん達なんかも、一所懸命英語使って道を教えてくれたりしたわ」
「へえー」
「それに、ロバートとダンがいるから大丈夫」
「え?」
 由と結花がダンとロバートを交互に見る。ロバートがにこりとして、
「僕たちの世界の人間がこっちに来るとね、大抵はどこの国に行っても言葉が通じるんだよ」
「そうなの⁈」
「どうして⁈」
「まあ、魔法のお陰だろうって言われてるけど、でもはっきりとはわからないらしい」
「…僕たちがそっちの世界に行って言葉が通じるのも、魔法のお陰なんでしょ?でもそれはそっちの世界に魔法があるからだって聞いた。こっちの世界には魔法がないのに、なんで通じるの?」
「それは、僕たちが、向こうの世界の魔法を自分たちの周りにくっつけたまま持ち歩いてるからだとか、身体の中に持ち歩いてるからだとか、色々言われてるけどね。まあ、とにかくありがたいことではあるね」
「いいなあー」
 由と結花が異口同音に言ってため息をつき、雅代が笑った。
「まあまあ。他の言語を学ぶ楽しみってのもあるのよ。それが味わえてラッキー!と思えばいいわ。さ、行きましょ」
 『扉』とは反対側の、部屋の後方にあるドアに向かう。ドアの近くには白い小さな机と椅子があって、水色の制服こそ着ていないものの、どことなく係の人らしい雰囲気を漂わせている男の人が腰を下ろしていた。机の上には、ノートパソコンらしきものと、誰でも持っていかれるように、地図だのバスや電車の路線図だの時刻表だのが置いてある。
 五人が近づくと、男の人はひそひそ声で、
「こちらへは初めてですか」
 雅代が答える。
「ずうっと前ですが何度か来たことがあります。ここは今も美術館なんですよね?」
「そうですそうです。ずっと変わっていません。お帰りの際のドアはわかりますか?」
「二階の回廊の隅の、『関係者以外立ち入りお断り』のドアですよね?」
「そうです。建物に入るドアは、裏手の職員専用のドア。ロックの番号は1111です。ブレスレットはどうしますか」
 雅代がダンとロバートを見る。二人が首を振る。
「では二つだけお願いします」
「はい、どうぞ」
 机の引き出しから、細い銀色のバングルのような物を二つ出して雅代に手渡す。雅代がそれを由と結花に渡す。
「利き腕じゃないほうがいいわ」
「わあきれい」
 結花は嬉々として、由は渋々それを左手首にはめた。細かい模様の彫ってある細いバングル。それだけならまだよかったのだが、ワンポイントでアクアマリンのような透き通った水色の石がぶら下がっているのだ。女の子っぽい。
「何か困ったことがあったら、その石を握りしめてください。救援を送りますから」
 へえ、と思いながらもう一度バングルに目をやった由は驚いた。つけた時にはぶかぶかだったバングルが、手首にちょうどいいサイズに縮まっている。これなら抜け落ちる心配もないし、腕時計の陰になってあまり目立たない。ほっとする。 
 男の人はパソコンらしきものの画面をチェックして、
「…今なら近くに人はいません。大丈夫です。よいご滞在を」
「ありがとうございます」
 一同は口々にお礼を言い、部屋を出る雅代の後に続いた。部屋を出る前に、由はふと誰かに呼ばれたような気がして後ろを振り向いた。
 『扉』の後ろの壁の上の方に、やはり壁いっぱいの幅の同じ木の絵が掛かっていた。
 Good luck.
 そう言われたような気がして、由は思わず小さく微笑んだ。
 ありがとう。行ってくるよ。
 心の中で木に挨拶して、由は『扉』の部屋を後にした。

 そこは小ぢんまりとした明るい美術館だった。平日の朝なのに、ちらりほらりと人がいる。雅代はやはり絵を仕事にしている者らしく、あらナントカじゃないの、とか、あとで時間があったらゆっくり見たいわ、とか小声で言いながら、周囲に変に思われないくらいの早足で通り抜けていった。四人も後に続く。絵を見にきているというよりは、仕事できている一行のように見えただろう——子供二人がくっついているのが奇妙に見えたかもしれないけれど。 
 外は明るいグレイの曇り空。そう暑くもなく、空気も肌に柔らかく感じる程度に湿度がある。平日の朝ということもあり、辺りは、いかにも目的地があってそこへ急いでいる様子で足早に歩いていく人たちが多く、活気があった。
「わー…読めない」
 結花がつぶやく。
 その通りだった。看板に書いてある言葉や、店のショウウィンドウに貼ってある紙に書いてある言葉が読めない。喋りながら歩いている人たちの言っていることがわからない。
 外国に来ているんだ…。
 初めての経験だ。  
 向こうの世界では——少なくとも由が行ったことのある場所では——、確かに西洋系の容貌の人たちが圧倒的に多く、アジア系の容貌の人は少ない。でも自分の母国語を普通に使えるので、よその国に来ているとか、よその世界に来ているという感じがしない。
 目や耳に入ってくる言葉全てが理解不能って、なんだかすごい感覚だ。どきどきして、ちょっとビクビクして、そしてすごく…面白い。
 それにしても、違う世界では言葉がわかるのに、自分の世界の中にある違う国では言葉がわからないなんて…と、なんだかおかしくなって由は心の中でくすりと笑った。そもそも世界とはなんぞや、などと哲学的なことを考えだしそうになったところで、ハッと現実に引き戻される。
 そんなことを考えている場合じゃない。
 角を曲がって、広々とした歩道のある大きな通りに出る。
 由は思わず「うわお」と目を丸くした。道の向こうに広がっているのは高台の広場のような場所で、眺めが抜群だ。美しい緑の丘が続く向こうのほうに、ブルーグレイの山脈が見える。
「あれ、きっとピレネー山脈だよ」
 結花が小声で言う。
「へえーあれが!」
 本当にヨーロッパに来ているんだと思うと、なんだか妙な気がする。
 飛行機に乗っていないからだろうか、例えば大掛かりな映画のセットの中にいるような、ごっこ遊びをしているような、それとも夢の中にいるような感じで、現実味がまるでない。狐につままれたような気持ちだ。しかもロバートやダンが一緒にいるなんて。
 後ろを歩いているダンを振り向く。
「こっちは初めてなんですよね?第一印象はいかがです」
 ダンはちょっと考えるようにして、
「そうだね…、景色なんかは、向こうの市街地とあんまり変わらないね。ただ、随分…賑やかだし、煙くてちょっと驚いてる」
「ああ…」
 由は頷いた。
「車の排気音と排気ガスですね」
「うん、特に音。聞きしに勝る…って感じだ」
 確かに、向こうのあのたくさん車が走っているのに静かな市街地とは随分違う。
「最近では電気で動く車なんかもあるんですけど、わざと排気音を合成して作ったりしてるって読みました。排気音がないと物足りないとかつまらないとか思う人たちがいるみたいで…。それに歩行者の安全のためっていうのもあるみたいです」
「へえー」
 ダンが目を丸くした。
「所変わればだなあ」
 
 雅代は迷うことなくシャキシャキ歩いて案内役を務め、すぐに一同はバスターミナルに到着した。大きな半円形の広場で、真ん中には色とりどりの花が咲く美しい花壇があり、幾つもの屋根付きのバス停がぐるりと半円形に並んでいる。
「さて。01、02、って書いてあるバス停を探して」
 探して、と言っても、分かれてそれぞれが探しにいくわけではないので、一緒に歩いて見つけるわけである。
「訊く方が早いんじゃない。すみません、01番と02番のバスにはどこから乗れますか」
 ダンが近くのバス停に並んでいた中年のおじさんに話しかけた。おじさんはフランス語で何か言って、首をめぐらせ、後方を指差した。
「ありがとうございます」
 お礼を言って、一同に、
「あっちだって。多分端から二番目の停留所だけど、そこはちょっと定かじゃないって」
 おじさんはちょっと珍しそうな顔をしてこちらを見ていたけれど、由と目が合うと、ニコリと微笑んでくれた。こちらもニコリと微笑み返し、大人たちについていきながら考える。ダンが僕たちに話した時の言葉って、あのおじさんには何語に聞こえるんだろうな…。
 停留所はすぐにわかった。おじさんが言った通り、端から二番目の停留所の上のところに、大きく01、02、そして501、502と書いてある。近くにあったチケット販売機でチケットを買ってから、一同は停留所に並んだ。前には四人しか並んでいない。一行を合わせてもたったの九人だけれど、すぐに01と書いた大きなバスがやってきて止まった。
 ロバートが、人の良さそうな初老の運転手さんに、手帳に書き写した例の住所を見せ、
「ここへ行きたいのですが、何番目の停留所で降りたらいいでしょう」
 と訊いた。運転手さんはニコニコしてガラガラ声のフランス語で何か言い、ロバートがお礼を言った。雅代伯母さんも結花も乗る時に「Bonjour!」と運転手さんに言っていたので、由もなんだか照れくさいなあと思いながら、真似をしてみた。運転手さんも笑顔で「Bonjour!」と返してくれて、由は不思議に嬉しい感じがした。
 なるほど、こういうのも、普段自分が使わない、自分の母国語とは全く違う言葉だからこそ、こんなふうに嬉しく感じるのかもしれない。面白いもんだな…。
 前の方の席に座る。ロバートが小さな声で、
「降りる停留所に着いたら、運転手さんが教えてくれるって」
「よかった。じゃ、もうこれで安心ね」
 雅代のその言葉で、由は逆にどきどきしてきてしまった。
 本当に、本当に来たんだ。
 もう、ジャンがいるはずの住所のすぐそばまで来ているんだ。
 石も持って来れたし、何の問題もない。
 もうすぐジャンに…、ジャンに…、ジャンがいるはずのところに着くんだ。
 素直に真っ直ぐ、「もうすぐジャンに会えるんだ!」と思えない自分が情けなかった。どうしてそう思えないのか、わからなかった。
 どうしてなんだろう…。
 バスは、二、三分そのまま待っていたけれど、他には誰も乗ってこなかった。もう待たないよ、というように、プシューッ、がたがたん、とドアが閉まり、ぶおおおおっと唸り声を上げてバスは出発した。向こうの世界のバスに比べたら滅茶苦茶うるさい。静かな声で会話なんてとてもできない。
 由は、顔のすぐ横にある開いた窓から入ってくる風を顔全体で感じながら、外を眺めた。夏の曇り空の下、花壇の花たちの赤やピンクの彩りが鮮やかだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

9日間

柏木みのり
児童書・童話
 サマーキャンプから友達の健太と一緒に隣の世界に迷い込んだ竜(リョウ)は文武両道の11歳。魔法との出会い。人々との出会い。初めて経験する様々な気持ち。そして究極の選択——夢か友情か。   (also @ なろう)

はるのものがたり

柏木みのり
児童書・童話
春樹(はるき)が突然逝ってしまって一ヶ月。いつも自分を守ってくれていた最愛の兄を亡くした中学二年生の春花(はるか)と親友を亡くした中学三年生の俊(しゅん)は、隣の世界から春樹に来た招待状を受け取る。頼り切っていた兄がいなくなり少しずつ変わっていく春花とそれを見守る俊。学校の日常と『お隣』での様々な出来事の中、二人は気持ちを寄せ合い、春樹を失った悲しみを乗り越えようとする。 「9日間」「春の音が聴こえる」「魔法使いたちへ」と関連してくる物語。 (also @ なろう)

トウシューズにはキャラメルひとつぶ

白妙スイ@1/9新刊発売
児童書・童話
白鳥 莉瀬(しらとり りぜ)はバレエが大好きな中学一年生。 小学四年生からバレエを習いはじめたのでほかの子よりずいぶん遅いスタートであったが、持ち前の前向きさと努力で同い年の子たちより下のクラスであるものの、着実に実力をつけていっている。 あるとき、ひょんなことからバレエ教室の先生である、乙津(おつ)先生の息子で中学二年生の乙津 隼斗(おつ はやと)と知り合いになる。 隼斗は陸上部に所属しており、一位を取ることより自分の実力を磨くことのほうが好きな性格。 莉瀬は自分と似ている部分を見いだして、隼斗と仲良くなると共に、だんだん惹かれていく。 バレエと陸上、打ちこむことは違っても、頑張る姿が好きだから。

アリアさんの幽閉教室

柚月しずく
児童書・童話
この学校には、ある噂が広まっていた。 「黒い手紙が届いたら、それはアリアさんからの招待状」 招かれた人は、夜の学校に閉じ込められて「恐怖の時間」を過ごすことになる……と。 招待状を受け取った人は、アリアさんから絶対に逃れられないらしい。 『恋の以心伝心ゲーム』 私たちならこんなの楽勝! 夜の学校に閉じ込められた杏樹と星七くん。 アリアさんによって開催されたのは以心伝心ゲーム。 心が通じ合っていれば簡単なはずなのに、なぜかうまくいかなくて……?? 『呪いの人形』 この人形、何度捨てても戻ってくる 体調が悪くなった陽菜は、原因が突然現れた人形のせいではないかと疑いはじめる。 人形の存在が恐ろしくなって捨てることにするが、ソレはまた家に現れた。 陽菜にずっと付き纏う理由とは――。 『恐怖の鬼ごっこ』 アリアさんに招待されたのは、美亜、梨々花、優斗。小さい頃から一緒にいる幼馴染の3人。 突如アリアさんに捕まってはいけない鬼ごっこがはじまるが、美亜が置いて行かれてしまう。 仲良し3人組の幼馴染に一体何があったのか。生き残るのは一体誰――? 『招かれざる人』 新聞部の七緒は、アリアさんの記事を書こうと自ら夜の学校に忍び込む。 アリアさんが見つからず意気消沈する中、代わりに現れたのは同じ新聞部の萌香だった。 強がっていたが、夜の学校に一人でいるのが怖かった七緒はホッと安心する。 しかしそこで待ち受けていたのは、予想しない出来事だった――。 ゾクッと怖くて、ハラハラドキドキ。 最後には、ゾッとするどんでん返しがあなたを待っている。

黒地蔵

紫音みけ🐾書籍発売中
児童書・童話
友人と肝試しにやってきた中学一年生の少女・ましろは、誤って転倒した際に頭を打ち、人知れず幽体離脱してしまう。元に戻る方法もわからず孤独に怯える彼女のもとへ、たったひとり救いの手を差し伸べたのは、自らを『黒地蔵』と名乗る不思議な少年だった。黒地蔵というのは地元で有名な『呪いの地蔵』なのだが、果たしてこの少年を信じても良いのだろうか……。目には見えない真実をめぐる現代ファンタジー。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

星降る夜に落ちた子

千東風子
児童書・童話
 あたしは、いらなかった?  ねえ、お父さん、お母さん。  ずっと心で泣いている女の子がいました。  名前は世羅。  いつもいつも弟ばかり。  何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。  ハイキングなんて、来たくなかった!  世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。  世羅は滑るように落ち、気を失いました。  そして、目が覚めたらそこは。  住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。  気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。  二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。  全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。  苦手な方は回れ右をお願いいたします。  よろしくお願いいたします。  私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。  石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!  こちらは他サイトにも掲載しています。

ホントのキモチ!

望月くらげ
児童書・童話
中学二年生の凜の学校には人気者の双子、樹と蒼がいる。 樹は女子に、蒼は男子に大人気。凜も樹に片思いをしていた。 けれど、大人しい凜は樹に挨拶すら自分からはできずにいた。 放課後の教室で一人きりでいる樹と出会った凜は勢いから告白してしまう。 樹からの返事は「俺も好きだった」というものだった。 けれど、凜が樹だと思って告白したのは、蒼だった……! 今さら間違いだったと言えず蒼と付き合うことになるが――。 ホントのキモチを伝えることができないふたり(さんにん?)の ドキドキもだもだ学園ラブストーリー。

笑いの授業

ひろみ透夏
児童書・童話
大好きだった先先が別人のように変わってしまった。 文化祭前夜に突如始まった『笑いの授業』――。 それは身の毛もよだつほどに怖ろしく凄惨な課外授業だった。 伏線となる【神楽坂の章】から急展開する【高城の章】。 追い詰められた《神楽坂先生》が起こした教師としてありえない行動と、その真意とは……。

処理中です...