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1 寝室の取引
じわりと影がにじむ。
暗闇の中でもなおわかる、濃い人影が。
私がそれに気付けたのは、ここのところ不眠が続いていたせいだった。
イベリス・グラジオラス、十五歳。
グラジオラス王国の第二王女。
それが今の私の肩書だった。
今のということは前があるわけで。
というのも、私はもともとはただの女子高生だった。
いつものように学校に行こうとしていただけだったのに、気付けばこの王女様の姿になっていたのだ。
現実のものか疑いたくなるような甘いピンクブロンドに、それよりも深い色合いのスカーレットの瞳。
目鼻立ちははっきりしていて、人形のように可愛らしい美少女。
そしてこの王女様が暮らす世界といえば、ファンタジー感全開の世界観だ。
スマホはないし漫画も無い。
コンビニも通販も無いしスナック菓子も無い。
甘いお菓子はあるけど、ちょっと日本のものとは味が違う。
日本のお菓子が恋しい。
家族も友達も、この世界にはいない。
既にこの状態になってから三日。
もう嫌だ、早く戻りたい。
慣れない生活のストレスも相まってか夢見が悪く、すっかり不眠症になっている。
今夜もこうしてベッドで悶々としながら朝が来るのを待つんだろうと思っていた。
思っていたのに……不意にその姿が視界に入った。
音もなく現れたその人影は、ベッドの足元側のすぐ傍に立っていた。
長身だ。
顔は全く見えないが、細身の男だろう。
「……誰?」
真っ暗な寝室に、私の声が落ちる。
こちらの問いかけに、人影は何も答えない。
暗殺者、という言葉が頭をよぎった。
今の私にはイベリス王女としての記憶がある。
彼女が暗殺者を差し向けられるのは、初めてのことではない。
しかし寝室にまで侵入を許したのは初めてのことだった。
睡眠に神経質になってしまっていたこともあり、部屋には私一人。
侍女が待機しているのは隣の部屋だ。
こんなところまで入り込めるような腕の暗殺者なのだから、叫んだところで誰かが駆け付けるより先に殺されるだろう。
「……私は、殺されるわけにはいかないのよ」
元の世界に帰りたい。
それだけが今の私の望みだ。
こんなわけのわからない世界で死ぬなんて冗談じゃない。
暗殺者と思われる人影は微動だにしない。
じっとこちらを観察しているかのようだ。
ひょっとして見惚れているのだろうか。
イベリスは驚くほどの美少女だ。
確かに王家の人間はみんな顔立ちが整っているけれど、それにしてもずば抜けていると思う。
私と入れ替わる前のイベリスはそんなこと思っていなかったみたいだけれど、客観視できていなかっただけだろう。
それなら……
ぐっと唾を飲み込み、意を決して口を開く。
「見逃してくれるなら……わ、私の体を好きにしていいわ!」
まだここで死ぬわけにはいかない!
その為にならこの体の操を捨てたってかまわない。
そう口にしておきながら、気持ち悪さがこみ上げるのを抑えられなかった。
そんなことしたくないというかのように頭が痛むのは、イベリスの意思だろうか。
イベリスには悪いと思うけれど、今は私なんだから仕方ない。
命の方が大切なはずだ。
……その、はずだ。
それに抗議するかのように、頭がズキズキ痛むけど。
私の言葉に驚いたのか、人影が初めて揺らいだ。
「ふむ?貴女の口からそんな言葉が出るとは意外でした。それにずいぶんご自分に自信があるようだ」
思ったより高い声で、人影がそう言った。
ひょっとして女性だっただろうか。
「わ、私のことをじっと見ていたじゃない」
「ああなるほど。勘違いさせて申し訳ありません。僕は死を間際にした人間の姿を観察するのが趣味でして」
なんて悪趣味な。
怖気がするけれど、ここで罵ったところで事態は好転すまい。
そして人影はうーん、と唸った。
「僕は今のところ貴女に関心は無いんですが……そうですね。そこまでの決意を固めてくださった女性を一刀両断して恥をかかせるのも忍びない。賭けをしましょうか。僕が貴女の乙女を奪う事があれば、殺すのをやめて差し上げましょう。猶予は一か月。クライアントから提示された期限がそこまでですので、その間に僕をその気にさせてください」
ぼんやり明るくなってきた外の明かりがカーテンの隙間から漏れ、その姿をあらわにする。
それなりに上背のある男だと思っていたけれど、それは影の悪戯だった。
彼はベッドの淵に足をかけて佇んでいたのだ。
だけど、女性というわけでもなかった。
「もっとも、あまりお勧めはしませんが」
そう言って微笑んだのは、青白い肌の美少年だった。
射干玉の黒髪、サファイアのような青の瞳。
たれ目がちの大きな目は柔和に見えるのに、その奥に宿る光はぞっとするほど冷たい。
年は十歳くらいだろうか。
少なくとも十五歳である私よりはいくつも年下だろう。
まさか、こんな子供が……
これまでのイベリスの経験から、暗殺者は大人の男だと思い込んでいた。
想像より十歳は若い闖入者の姿に、私は絶句するしかない。
「では今日のところはこれで、王女殿下」
そう言って、少年は手にしていたナイフをこちらに投げる。
「うぇあ!?」
我ながら珍獣じみた悲鳴が出た。
ぎゅっと身を縮めたけれど、当てるつもりのなかったらしいナイフは、私の体から十センチほど離れたところにある枕に突き刺さっている。
……突き刺さるということは、殺傷能力があるということで。
おそるおそる視線を戻すも、そこにもはや少年の姿は無い。
視線を逸らしていたのはほんの数秒のはずだ。
足音一つ、衣擦れの音一つ聞こえなかった。
侵入したときもそうだ。
目を開けていたから気付けただけで、眠っていればおそらく何の自覚も無いまま、イベリスの命は刈り取られていただろう。
鳥肌の立つ腕を抱き、膝を抱えた。
とりあえず……見逃してもらえたんだよね?
暗殺者を差し向けられる心当たりはある。
第三王女である、妹のカトレアだ。
イベリスは過去に二度、暗殺未遂事件にあっているが、そのいずれもカトレアによるものと思われた。
しかし決定的な証拠がなく、ずっと責任を問えないままだったのだ。
「誰か!誰か来て!」
足が震えて上手く立てない。
自分では動けないのを確認して、私はすぐにそう叫んだ。
「王女様、どうなさいました!」
すぐに駆け込んできたのは、幼いころから仕えてくれている侍女と、最近私専属に着任したばかりの兵士だった。
侍女のマーヤは四十代。
しっかり者のおばさんだ。
兵士のタイラントは五十代のおじさんだけど、がっしりした体格で頼もしい。
「侵入者が!警備を強化してっ……」
すがりつく私の言葉を聞いて、マーヤはサッと顔色を悪くした。
「王女様、声を抑えてくださいませ。侵入者があったなどと……王女様の不純を疑われかねないお言葉ですわ」
「は……」
「御身に触れられたりはしていませんか?」
真っ先に気にするのがそこなのかと頭に血が上りそうだった。
ぐっとこらえる。
そうだ、今の私は王女。
この身は政略結婚にも使われる。
侍女が気にするのは当然のことだ。
その清らかさを守ることも彼女の職務の一端だし、私に大きな怪我がないことは見て明らか。
次に確認すべきことがそれなのは理解できる。
もうちょっと聞き方ってもんがあるだろとは思うけど、マーヤはそのへんハッキリした人だと、この数日でも分かっていた。
「……何もされてないわ。ナイフは投げられたけど」
ちらりと枕を見ながらそう言うと、その視線を追いかけたマーヤとタイラントは息を呑んだ。
「当たらなかったのですね?」
「当たってないわ」
「それはようございました。侵入者はどちらへ逃げました?」
「分からないのよ……ナイフに驚いている間に居なくなっていたから」
「その間に逃げおおせるとは相当腕の立つ暗殺者のようですが……姫様に見られたことで諦めたのでしょうか」
タイラントが断りを入れてから寝室に足を踏み入れ、枕からナイフを抜き取った。
ふわりと舞う羽が落ちていく様を見て、これが血しぶきじゃなくて良かったなんて改めて体を震わせる。
「どこにでもあるナイフですね。これでは何の証拠も掴めないでしょう」
そう言ってから、タイラントが気遣わし気に私を見つめる。
「お可哀想に。恐ろしかったでしょう」
「タイラント……」
ようやく私自身を気遣ってもらえた気がして、瞳が潤む。
タイラントはそう声をかけても決して私に触れない。
王女の体に気安く触れないと言うのもあるんだろうけど、きっと襲撃の後で気が立っている私を刺激しないようにしてくれているんだろう。
マーヤが代わりに私の手を取ってさすってくれる。
「タイラント、貴方はそれを持ってトライン様へご報告を。目立たぬようにね」
「承知した」
トラインというのは私の身の周りを世話する使用人達のまとめ役、使用人頭の男だ。
おそらく彼から国王陛下……イベリスの父にも報告が行くだろう。
私が自ら国王に泣きつくことはない。
実の娘と言えども気軽に会えないのが国王という存在だった。
……ああ、やっぱり王女様なんてなるものじゃない。
早く帰りたい。
◆
あの後、トラインや数人の騎士が駆け付けて周囲を調べてくれたけれど、不審者は見つからなかった。
私の名誉のこともあってか、暗殺者のことはほとんど騒ぎになっていない。
辺りを調べる時も、通常の巡回を装って行われていたし、おそらく末端の使用人たちは何も知らないままだろう。
侵入を許したとあっては王家の威信にも関わるらしく、私も口外しないよう厳しく言われた。
そんな捜査じゃ見つかる犯人も見つからないだろうと思うけれど、不満を言ったところで窘められるだけ。
王女と言っても無力だなぁ。
日が傾き、また夜が来るのかと恐ろしく感じ出した頃。
トラインが兵士のタイラントと共に部屋に入ってきた。
マーヤがお茶を入れてくれてから、サッと壁際に控える。
トラインは眼鏡をかけた老紳士だ。
眉間に深く皺の入った鷲鼻の頑固そうなおじいさん。
いや、頑固そうというか、イベリスの記憶の限りではとっても頑固だ。
頭が良くていつもきびきびしている働き者だけど、取っ付きづらい。
イベリスも苦手としていたようだ。
「第二王女殿下。昨晩の件を受けまして、護衛を雇うことにしました」
「護衛?」
「はい。しかし、いかにも武勇に秀でた男が急に傍に控えては、今回のことが明るみに出てしまいます。そこで傭兵ギルドに相談したところ、ある程度の教養があり、魔力や体術も高水準の能力を持つ少年を紹介されました」
少年、という単語を聞いて一気に嫌な予感が脳裏を走った。
「国王陛下の許可もいただいております。アルベルト、ここへ!」
嫌な予感、的中。
ほんの半日前に見たばかりの少年が、小間使いの服を着て微笑んでいる。
確かに、彼は言っていた。
猶予をやると。
その間にその気にさせてみろと。
会わずしてその気にさせるなど不可能だ。
だけど私はもう二度と会わずに済むことだけを考えていたので、これは想定していなかった。
「お初にお目にかかります、王女殿下。アルベルトと申します。よろしくお願いいたします」
暗殺者から身を守るために雇った護衛がその暗殺者でした。
……ラノベかな?
暗闇の中でもなおわかる、濃い人影が。
私がそれに気付けたのは、ここのところ不眠が続いていたせいだった。
イベリス・グラジオラス、十五歳。
グラジオラス王国の第二王女。
それが今の私の肩書だった。
今のということは前があるわけで。
というのも、私はもともとはただの女子高生だった。
いつものように学校に行こうとしていただけだったのに、気付けばこの王女様の姿になっていたのだ。
現実のものか疑いたくなるような甘いピンクブロンドに、それよりも深い色合いのスカーレットの瞳。
目鼻立ちははっきりしていて、人形のように可愛らしい美少女。
そしてこの王女様が暮らす世界といえば、ファンタジー感全開の世界観だ。
スマホはないし漫画も無い。
コンビニも通販も無いしスナック菓子も無い。
甘いお菓子はあるけど、ちょっと日本のものとは味が違う。
日本のお菓子が恋しい。
家族も友達も、この世界にはいない。
既にこの状態になってから三日。
もう嫌だ、早く戻りたい。
慣れない生活のストレスも相まってか夢見が悪く、すっかり不眠症になっている。
今夜もこうしてベッドで悶々としながら朝が来るのを待つんだろうと思っていた。
思っていたのに……不意にその姿が視界に入った。
音もなく現れたその人影は、ベッドの足元側のすぐ傍に立っていた。
長身だ。
顔は全く見えないが、細身の男だろう。
「……誰?」
真っ暗な寝室に、私の声が落ちる。
こちらの問いかけに、人影は何も答えない。
暗殺者、という言葉が頭をよぎった。
今の私にはイベリス王女としての記憶がある。
彼女が暗殺者を差し向けられるのは、初めてのことではない。
しかし寝室にまで侵入を許したのは初めてのことだった。
睡眠に神経質になってしまっていたこともあり、部屋には私一人。
侍女が待機しているのは隣の部屋だ。
こんなところまで入り込めるような腕の暗殺者なのだから、叫んだところで誰かが駆け付けるより先に殺されるだろう。
「……私は、殺されるわけにはいかないのよ」
元の世界に帰りたい。
それだけが今の私の望みだ。
こんなわけのわからない世界で死ぬなんて冗談じゃない。
暗殺者と思われる人影は微動だにしない。
じっとこちらを観察しているかのようだ。
ひょっとして見惚れているのだろうか。
イベリスは驚くほどの美少女だ。
確かに王家の人間はみんな顔立ちが整っているけれど、それにしてもずば抜けていると思う。
私と入れ替わる前のイベリスはそんなこと思っていなかったみたいだけれど、客観視できていなかっただけだろう。
それなら……
ぐっと唾を飲み込み、意を決して口を開く。
「見逃してくれるなら……わ、私の体を好きにしていいわ!」
まだここで死ぬわけにはいかない!
その為にならこの体の操を捨てたってかまわない。
そう口にしておきながら、気持ち悪さがこみ上げるのを抑えられなかった。
そんなことしたくないというかのように頭が痛むのは、イベリスの意思だろうか。
イベリスには悪いと思うけれど、今は私なんだから仕方ない。
命の方が大切なはずだ。
……その、はずだ。
それに抗議するかのように、頭がズキズキ痛むけど。
私の言葉に驚いたのか、人影が初めて揺らいだ。
「ふむ?貴女の口からそんな言葉が出るとは意外でした。それにずいぶんご自分に自信があるようだ」
思ったより高い声で、人影がそう言った。
ひょっとして女性だっただろうか。
「わ、私のことをじっと見ていたじゃない」
「ああなるほど。勘違いさせて申し訳ありません。僕は死を間際にした人間の姿を観察するのが趣味でして」
なんて悪趣味な。
怖気がするけれど、ここで罵ったところで事態は好転すまい。
そして人影はうーん、と唸った。
「僕は今のところ貴女に関心は無いんですが……そうですね。そこまでの決意を固めてくださった女性を一刀両断して恥をかかせるのも忍びない。賭けをしましょうか。僕が貴女の乙女を奪う事があれば、殺すのをやめて差し上げましょう。猶予は一か月。クライアントから提示された期限がそこまでですので、その間に僕をその気にさせてください」
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それなりに上背のある男だと思っていたけれど、それは影の悪戯だった。
彼はベッドの淵に足をかけて佇んでいたのだ。
だけど、女性というわけでもなかった。
「もっとも、あまりお勧めはしませんが」
そう言って微笑んだのは、青白い肌の美少年だった。
射干玉の黒髪、サファイアのような青の瞳。
たれ目がちの大きな目は柔和に見えるのに、その奥に宿る光はぞっとするほど冷たい。
年は十歳くらいだろうか。
少なくとも十五歳である私よりはいくつも年下だろう。
まさか、こんな子供が……
これまでのイベリスの経験から、暗殺者は大人の男だと思い込んでいた。
想像より十歳は若い闖入者の姿に、私は絶句するしかない。
「では今日のところはこれで、王女殿下」
そう言って、少年は手にしていたナイフをこちらに投げる。
「うぇあ!?」
我ながら珍獣じみた悲鳴が出た。
ぎゅっと身を縮めたけれど、当てるつもりのなかったらしいナイフは、私の体から十センチほど離れたところにある枕に突き刺さっている。
……突き刺さるということは、殺傷能力があるということで。
おそるおそる視線を戻すも、そこにもはや少年の姿は無い。
視線を逸らしていたのはほんの数秒のはずだ。
足音一つ、衣擦れの音一つ聞こえなかった。
侵入したときもそうだ。
目を開けていたから気付けただけで、眠っていればおそらく何の自覚も無いまま、イベリスの命は刈り取られていただろう。
鳥肌の立つ腕を抱き、膝を抱えた。
とりあえず……見逃してもらえたんだよね?
暗殺者を差し向けられる心当たりはある。
第三王女である、妹のカトレアだ。
イベリスは過去に二度、暗殺未遂事件にあっているが、そのいずれもカトレアによるものと思われた。
しかし決定的な証拠がなく、ずっと責任を問えないままだったのだ。
「誰か!誰か来て!」
足が震えて上手く立てない。
自分では動けないのを確認して、私はすぐにそう叫んだ。
「王女様、どうなさいました!」
すぐに駆け込んできたのは、幼いころから仕えてくれている侍女と、最近私専属に着任したばかりの兵士だった。
侍女のマーヤは四十代。
しっかり者のおばさんだ。
兵士のタイラントは五十代のおじさんだけど、がっしりした体格で頼もしい。
「侵入者が!警備を強化してっ……」
すがりつく私の言葉を聞いて、マーヤはサッと顔色を悪くした。
「王女様、声を抑えてくださいませ。侵入者があったなどと……王女様の不純を疑われかねないお言葉ですわ」
「は……」
「御身に触れられたりはしていませんか?」
真っ先に気にするのがそこなのかと頭に血が上りそうだった。
ぐっとこらえる。
そうだ、今の私は王女。
この身は政略結婚にも使われる。
侍女が気にするのは当然のことだ。
その清らかさを守ることも彼女の職務の一端だし、私に大きな怪我がないことは見て明らか。
次に確認すべきことがそれなのは理解できる。
もうちょっと聞き方ってもんがあるだろとは思うけど、マーヤはそのへんハッキリした人だと、この数日でも分かっていた。
「……何もされてないわ。ナイフは投げられたけど」
ちらりと枕を見ながらそう言うと、その視線を追いかけたマーヤとタイラントは息を呑んだ。
「当たらなかったのですね?」
「当たってないわ」
「それはようございました。侵入者はどちらへ逃げました?」
「分からないのよ……ナイフに驚いている間に居なくなっていたから」
「その間に逃げおおせるとは相当腕の立つ暗殺者のようですが……姫様に見られたことで諦めたのでしょうか」
タイラントが断りを入れてから寝室に足を踏み入れ、枕からナイフを抜き取った。
ふわりと舞う羽が落ちていく様を見て、これが血しぶきじゃなくて良かったなんて改めて体を震わせる。
「どこにでもあるナイフですね。これでは何の証拠も掴めないでしょう」
そう言ってから、タイラントが気遣わし気に私を見つめる。
「お可哀想に。恐ろしかったでしょう」
「タイラント……」
ようやく私自身を気遣ってもらえた気がして、瞳が潤む。
タイラントはそう声をかけても決して私に触れない。
王女の体に気安く触れないと言うのもあるんだろうけど、きっと襲撃の後で気が立っている私を刺激しないようにしてくれているんだろう。
マーヤが代わりに私の手を取ってさすってくれる。
「タイラント、貴方はそれを持ってトライン様へご報告を。目立たぬようにね」
「承知した」
トラインというのは私の身の周りを世話する使用人達のまとめ役、使用人頭の男だ。
おそらく彼から国王陛下……イベリスの父にも報告が行くだろう。
私が自ら国王に泣きつくことはない。
実の娘と言えども気軽に会えないのが国王という存在だった。
……ああ、やっぱり王女様なんてなるものじゃない。
早く帰りたい。
◆
あの後、トラインや数人の騎士が駆け付けて周囲を調べてくれたけれど、不審者は見つからなかった。
私の名誉のこともあってか、暗殺者のことはほとんど騒ぎになっていない。
辺りを調べる時も、通常の巡回を装って行われていたし、おそらく末端の使用人たちは何も知らないままだろう。
侵入を許したとあっては王家の威信にも関わるらしく、私も口外しないよう厳しく言われた。
そんな捜査じゃ見つかる犯人も見つからないだろうと思うけれど、不満を言ったところで窘められるだけ。
王女と言っても無力だなぁ。
日が傾き、また夜が来るのかと恐ろしく感じ出した頃。
トラインが兵士のタイラントと共に部屋に入ってきた。
マーヤがお茶を入れてくれてから、サッと壁際に控える。
トラインは眼鏡をかけた老紳士だ。
眉間に深く皺の入った鷲鼻の頑固そうなおじいさん。
いや、頑固そうというか、イベリスの記憶の限りではとっても頑固だ。
頭が良くていつもきびきびしている働き者だけど、取っ付きづらい。
イベリスも苦手としていたようだ。
「第二王女殿下。昨晩の件を受けまして、護衛を雇うことにしました」
「護衛?」
「はい。しかし、いかにも武勇に秀でた男が急に傍に控えては、今回のことが明るみに出てしまいます。そこで傭兵ギルドに相談したところ、ある程度の教養があり、魔力や体術も高水準の能力を持つ少年を紹介されました」
少年、という単語を聞いて一気に嫌な予感が脳裏を走った。
「国王陛下の許可もいただいております。アルベルト、ここへ!」
嫌な予感、的中。
ほんの半日前に見たばかりの少年が、小間使いの服を着て微笑んでいる。
確かに、彼は言っていた。
猶予をやると。
その間にその気にさせてみろと。
会わずしてその気にさせるなど不可能だ。
だけど私はもう二度と会わずに済むことだけを考えていたので、これは想定していなかった。
「お初にお目にかかります、王女殿下。アルベルトと申します。よろしくお願いいたします」
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……ラノベかな?
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