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二章 ミコのお仕事

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 まぁね……そうじゃないかとは思ってたよね。
 嫌な予感ってのは当たるモンだよね。

 ヒタオは可哀想なぐらい、低く小さく丸まって平伏したまま、動かない。私が顔を上げてって言わなきゃ絶対に上げないだろう。その影でどんな表情をしているのかも、私には想像がつく。この身体には、ヒタオとの思い出とヒタオに対する感情が詰まっている。
 とっても大事で大好きで、大嫌いで憎らしい年上の義妹。
 やるなぁ、タバナ。めっちゃ年上女房じゃん。でもゲットして正解の物件だもんね、ヒタオは。
 タバナも、私の出方を見守るかのように平伏している。
 居心地悪いってーの。

 でも、まぁ傷が浅いうちで良かったし。
 ファーストキスだから勘違いしたんだろうし。
 頼る人が誰もいない、心細い状態で優しくされたから好きと思ったんだろうし。吊り橋効果ってヤツよね。
 タバナに関しては、そう思っておこう。掘り下げて考えても、仕方がない話だ。
 それに、少なくとも「私」にとってのヒタオも、ただの親切な良い人だ。

 なんて、ひとしきり脳内会話を繰り広げてから、私は大きく息をついた。
 これはもう、もし信じてもらえないとしても、二人には本当のことを話しておくべきだ。少なくともタバナはすでに、私が元の私じゃないと知っている。だいたい私が「私」か元の私かって言い方が、もう面倒くさい。
「ヒタオ。タバナ」
 二人に顔を上げさせる。
 私は壇上から降りて、二人の前で横座りした。

 ここではどうだか知らないけど、現代じゃこんな板の間、横座りのほうが楽。今までに、こうやって座った人っていなかったのかな、この世界。
 二人が、私が板の間に降りてきたことにか、そんな座り方をしたことにか、目を丸くしたのが分かった。
「タバナは分かってると思うから、二人を信用して言うよ?」
 いったん、息を吐いた。
 代わりに二人が息を吸って、止めた。
「私は、この中にいる私は、ミコ様って子じゃない」
 別の世界から来たのだと言って通じるかは、分からない。そうは言わない方が良さそうだと思って、言葉を選ぶ。
「遠い、違う場所から意識だけが飛んできて、この身体の中に入ってしまったようなの。言ってることの意味、分かる?」
「……」
 即答がない。
 でも、ヒタオの表情は信じられないものを見る目だ。まさか、と、口が動いたのが分かった。
 タバナは苦い表情を平伏の下に隠している。どうやってか分からないけど、分かっていたのだろう。
「この子の名前すら知らないの」
 多分だけど、ミコって名前じゃなかろう。
 そう思って、自分の胸を押さえて見せた。
 もしミコが名前なんだったら、そう教えてくれるだろう。

「カラナ」

 ヒタオが、応えてくれた。
 何かを決意したような、もしくは、解放されたような? ある意味、清々しい顔をして、ヒタオはその名を口にした。
「あなたの名前は、カラナです。12歳の時にツウリキを使いだし、先代が亡くなられるのと入れ替わりに、ミコ様となられました」
「……そう。カラナっていうのね……」
 信じてもらえた安堵と、名前を手に入れた安心感があるのか、私は肩から力が抜けるのを感じた。ってか、肩はってたんだね、私。まぁ疲れてるよね。
 さらにヒタオが、少し目を伏せて続ける。
「今はもう、誰からも呼ばれない名前です」
「ミコになったから?」
「はい」
「そう……」
 どこか悔しそうな、寂しそうな声。この子の名前を惜しんでくれてるのだ。やっぱり良い人だ、ヒタオ。

「じゃあ今度から、周りに誰もいない時は、二人だけは私をカラナと呼んで。中の、カラナじゃない私のことを、そう呼ぶのは嫌かも知れないけど」
 でも、外見がカラナなのに、そうじゃない名前を呼んだり、中身がミコじゃないくせにミコ様と呼ぶ方が抵抗があるんじゃないか? と思って、そう提案してみた。
「もしくは、中の私の名前」
「いえ。それは……」
 遮られた。
「見知らぬ土地の名前なら、聞かぬ方が良かろうと考えます。言葉には魂が宿ります。その名を聞いてしまったら、我らにも何かしらの……影響があるやも知れませぬ」
 何かしらの影響……って言葉を、本当は何かしらの災いって言いかけたんだろうなと、ピンと来てしまった。
 言葉に重きを置く国。
「それなら余計、この子をカラナと呼ぶべきだね」
 私は気付かなかったふりをして、二人に笑いかけてみた。

「そんな訳で私は記憶喪失なんじゃなくて、本当に何も知らないの。だからこれから、色んなことを教えて欲しい。ここがヤマタイという村で、あの男がオサなんだとは分かった。でも、オサがどれぐらい偉い人なのか、どんな人なのか知らないし、ここには何人ぐらいの人が住んでるんだろうとか、周囲にはもっと他に村があるのか、私みたいなミコが他にもいるのか? 私は何も知らない」
 本当に一番知りたいことは、現代に帰る方法ではあるけれど。
 でも、もしタバナがそれを知ってたら、さっさと帰してくれてたんじゃないかなって思う。助け出してくれた時や看病してくれてた時。チャンスはいくつか、あったはずだ。
 雨乞いの儀式に素人を出すより、私を現代に戻しちゃってカラナに帰ってきてもらう方が、よっぽどスムーズに行ったはず。
 そう出来なかったってことは、それが出来る人がいないってことだ。
 もしくは、その条件が整ってないからとか何とか。

 だとしたら今は、カラナとして、ここで生きるしかない。
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