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逃げおおせるあたし。

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「ここからは俺にしっかり掴まっていな」
「え?」
「俺ぁ片手しか使えねぇ。んでもってお嬢さんを抱えてらんねぇんだ」
「どういう……」
あたしの疑問に、アズは答えてくれない。
「みりゃぁわかるさ」
「見ればわかるって、もう追いつかれてしまうじゃない!」
あたしは焦りに焦った声で、もう目前まで迫ってきた追手たちを見た。目鼻立ちまではっきりとわかるのよ、あたし怖くてしょうがないんだけど。
「お嬢さんが俺を信じてくれさえすれば、いいだけさ」
だというのにアズは、まだ余裕がある。そしてあたしを手招きした。
「俺の首にしっかり掴まっているんだぞ」
あたしは一瞬も迷わないで、アズの首にしがみついた。アズはこの状況から逃げ出せるという自信がある。
あたしはそんなアズを信じてみるだけよ。
あたしだって捕まりたくないわけなんだから。
アズは天を眺めて。また手をかざす。
「一……」
「お前たち、抵抗をするな!!」
追手の怒号が響いてくる。散々逃げまくったものね、あたしたち。
そんな事をちらっと考えている間に、アズが二言目を呟く。
「二……」
アズの眼は天空を見つめている。何かが来ると言いたげに。
追手たちはあたしたちを取り囲んで、剣を抜き放っている。
「もう逃げられないぞ!」
「手こずらせて……!!」
そういっている彼らをまるで無視して、アズが最後に呟いた。
「三」
次の瞬間、あたしと、あたしがしがみついているアズの体が、いきなり宙に浮いた。それも相当な速度で宙に浮いたわ。
まるで釣り竿にひっかけられた魚みたいに、あたしたちは上空へと引っ張られていった。あと一歩のところであたしたちを取り逃がしたらしい追手たちの何か言う声も、全然聞こえないほどの速さよ。
「っ!!」
あたしはその一瞬の事に言葉も出ない。ただ力いっぱいアズの体にしがみつくので精いっぱいだ。
だというのにまだそれは続く。急激に引っ張られたときによく起きる現象のように、あたしたちを引っ張っている何かがしなやかにたわんで、あたしたちは容赦なく振り回される。
「っ!!!」
声なんて出ない。声を出す暇があったら、アズから離れないようにしがみつくわ。あたしは全力で、アズの首にかじりつく。アズが痛いかどうかも、この際は関係ないわ。
振り回されて、振り落とされるのはたぶんあたしなのだ。アズは振り落とされない確信があるみたいだったもの。
あたしの両眼から涙がにじむのは、きっと急激に空気が乾いていくからね。
そうしてあたしたちをしばらく振り回した後、その何かはあたしたちを急速に引き上げて行った。
そこであたしはアズの掲げられた腕を見て、唖然とした。だってそうじゃない、アズの腕には頑丈そうな太い鎖が巻き付いていて、それは上へ上へと続いているのよ。
呼べば来るって……これが来るって事だったのかしら。
「大丈夫か?」
アズの笑うような声に、あたしはまだ震えている声で返した。
「これって……」
「ティルナ・ログの鎖さ。住人たちはいつもこれを使って、故郷に帰る」
それじゃあお土産なんて何も持って帰れないのね。あたしは一周回ってそんなずれた事を思ってしまった。
鎖はあたしたちを引っ張り上げていく。どんどんどんどん、上へ上へと昇っていくあたしたち。
どれくらい上ったかわからなくなって、あたしの手が凍り付いたように動かなくなった辺りで、やっとそれが見えてきたわ。
それは遥か雲の上にある、岩のようなものだった。それもとても大きくて、……面積一体どれくらいなのかしら。
そこにはいくつかの穴が開いていて、あたしたちもその穴の一つに引っ張り上げられているみたいなのよね。
そこがはっきりと目視できるようになった辺りで、あたしはその穴からこちらをのぞき込んでいる人たちを確認する事ができるようになった。
「……ねえ、アズ」
「なんだ?」
「ティルナ・ログの人たちって、いわゆる人間じゃないのかしら」
「あー、そだな」
あたしの指摘にアズがそれを肯定する。だって。狗の耳が生えていたり、しっぽが見えたりするのよ。あれはドワーフじゃないかしら。それに見える中にもエルフがいるわ。
人間以外のオンパレード状態になっている穴だった。
あたしたちはそこに吸い込まれていって、あたしたちを引っ張り上げ終わると、穴はドワーフたちの手作業で閉められた。
穴の中だから結構暗いのだけれど、あたしはあたりがよく視えるわ。なんていえばいいのかしら。日本の地下鉄のプラットフォームみたいな造りをしているわ。
そこを人外が行きかっている。本当の意味での人間はまったくと言っていいほどいないわね。
「おかえりなさいませ」
老年に達しているらしい、犬耳のご老人が、アズを見てそう言った。
「ああ、えらい目に合ったぜ。それとこちらは俺の命の恩人だ」
アズは手に巻き付いていた鎖をほどいて、あたしを抱えなおしてご老人に言う。
「そうですか。あなた様のご帰還を、我々は首を長くしてお待ちしておりました。亀族の気の長さが、この時ばかりはうらやましいのなんのと」
「あー、悪かったな、こっちも面倒くせぇ事情があってな」
アズ、あたしを下してちょうだいよ。あたしさっきから手が凍えて凍えて、動かないのよ。引きはがしてよ。
あたしはがたがたと震えている体が落ち着けばそれを言おうと、思った。
「では……?!」
ご老人がそう言いながら、やがてアズの体の欠損に気が付いた。そして目を見開き、あえぐように言葉を探す。
「あなた様の、腕が、脚が……?!」
「見ての通りさ、これのおかげで逃げだすのに手間取った」
アズはそれがどうかしたのかと言いたげな笑い方をして、ご老人を見やる。
「誰がそのような事をなさったのですか?! あなた様ほどのお方を、なぜ?!」
「ちょっと色々あってな」
「ちょっと色々で手足を無くされるわけがありませんでしょうが! ……しょうがないですね、ご恩人様ともども、手足は凍えているのでしょう、温泉の手配をいたしましょう」
本当に? やったわ、あたしさっきから体がガタガタ震えてて寒かったのよね。



温泉と聞いて内心でものすごく喜んだあたしがばかだったわ。あたしはかなり日本風の絶景な温泉につかっているんだけど、一緒に浸かっている相手が大問題だった。
「あー」
かすれた嗄れ声、もう聞き間違いようのない、アズの声である。
「……古傷とかが痛んだりしないの」
あたしは彼に背中を向けつつ問いかけた。だって手足の傷は治療したと言っても、完治には至っていなかったはずだもの。
サブナクさんもそれに関しては苦く笑っていたわ。
『生き物の治癒再生能力には限界があるからね……この人が短期間でこれだけ治っている方が奇跡なんだよ』
相棒の驚嘆に値する力を失った彼は、前だったら治せたんだけどね、なんて苦笑いをしていたわ。
「傷は痛まねぇな。あのサブナクっていう医者はえらくしっかりした医者だな、なんであんな森の奥に引っ込んでんだか」
「そうね」
あたしもそれには同意見だわ。あたしを一番初めに引き合わせてくれた将軍に、そういえばサブナクさんの話を聞いた事がなかったわね。
あたしはそう考えながら、何とか思考回路を切り替えようと頑張ってみる。そうしなかったら、背中に感じる視線をやり過ごせないんだもの。
そう。
あたしとアズは、混浴状態なのよ。なんでかって言ったら、普通に更衣室を出たらアズまで浸かっていたのよ。あたしは場所を間違えたのかと思って、背中を向けようとした。
そんなあたしを止めたのはアズで、この国のお風呂は大体混浴なんだって教えてもらったわ。
何それって思ったんだけど、地方によって風習や考えが変わるのは珍しくない事。
このティルナ・ログが混浴文化でもおかしくはないのだ。
知らなかったあたしの情報不足以外の何でもないわけよ。
それに、寒いから結局、一緒に入っちゃうあたしもあたしか。
それでもいい温泉だわ。青みがかった乳白色のお湯はなんだかとっても肌にしみ込む感じ。
「いい湯だ」
アズがそう言って首まで温泉に浸かる。ここに来るまでに、アズもあたしも大変な目に合ってばかりだったから、この温泉のほっとする感じはとてもいいものだわ。
「にしても、お嬢さん。お嬢さんはいい背中してんなぁ……」
アズが不意に言いだす。あたしの顔にかっと血が上りそうになる。
「な、何言って」
「背中の曲線が俺の理想なんだよ。こう……すらっとしてて、形がいいっていうのか? 俺ぁ言葉知らずだからうまく言えないんだが……とにかくめちゃくちゃいい背中だ」
あたしはとっさに、首まで温泉に浸かってしまった。
アズ、あなたは背中フェチなのかしら。大体理想の背中ってどんな背中よ……
クリスティアーナ姫の背中を視たら、あなた失神しちゃうんじゃないかしらね。
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