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1巻
1-3
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「ご準備はよろしいでしょうか」
大広間に着いたところで、女官長のスミレさんが言った。イリアスさんから離れたあたしを見て、周りの皆がほっとしていた。
先に扉の前で待っていたクリスティアーナ姫があたしに話しかけてくる。
「緊張してる? バーティミウス。わたくし、どきどきして……」
クリスティアーナ姫は胸に手を当てて、緊張を隠しきれない様子だ。初めての夜会だし、自分たちの誕生日のお祝いとくれば緊張しないわけがない。
「お姉様なら大丈夫ですよ。胸を張ってください」
そう言いつつあたしも手汗がやばい。
もうすぐ正面の扉が開き、たくさんの貴族が集まっている場に、あたしたちはゆったりと登場するのだ。
……完全にさらし者じゃないかしら。
まあ、ヒロインが皆に注目されるのはわかるわ。
事実、目の前のクリスティアーナ姫はとてもきれいだ。萌黄色が下にいくにつれてだんだん白藍に変わっていく優美なドレスを着ている。裾の蔓草模様は濃い緑の宝石で形作られていて、見るからに着る人を選ぶデザインだ。
あたしなんかが着たら、ドレスに負けてしまうだろう。
髪の毛も、夜会にふさわしい華やかな流行の髪型にしていた。結い上げた髪の毛につけられた緑の髪飾りがきらきらと揺れている。
「お姉様は堂々としていればいいんです」
あたしがそう言って笑いかけたら、この世で一番麗しいお姫様はぎこちなく微笑んだ。ぎこちなくたって、本当に美人である。
そんな彼女が、背筋を伸ばして瞼を一回閉じた。それから微笑んでゆっくりと目を開ける。
もう、そこにはさっきまでの緊張している乙女はいなかった。
「クリスティアーナ・ディアーヌ・ルラ・バスチア殿下、バーティミウス・アリアノーラ・ルラ・バスチア殿下の、おなーりー!」
目の前の扉が徐々に開かれる。
王女らしく気品に満ちあふれた笑みを湛えたクリスティアーナ姫が、あたしより先に前へと進み出た。
「行きましょう、バーティミウス」
あたしも覚悟を決めて大きく息を吐き出す。
今から、乙女ゲーム「スティルの花冠」の本編が幕を開ける。
あたしはヒロインの邪魔をする、嫌われ者の双子の妹。
……死にたくないし、牢獄にも入りたくない。修道院で一生を終えるのも嫌だし、島流しも遠慮したかった。
だからそういうルートに進むフラグは全部へし折るつもりだけど、それ以外でヒロインの邪魔はしない。前世で好きだった登場人物の幸せくらい、祈ったっていいでしょう。
それに考えようによっては、ゲームの登場人物たちの恋愛模様を間近で見られるのだ。そんな役得他にあるかしら。いいえ、ないわ。あたしがこの世界に転生したのも何かの縁なのよ。きっと意味があるはず。
そう思いながら、クリスティアーナ姫の後について歩き出す。杖の音をこつこつと響かせて大広間の中へ入ると、それはもうきれいな世界が広がっていた。
天井に描かれているのは宗教画だろうか。中国の龍みたいな生き物と、西洋のひれのある竜みたいな生き物が噛みつき合っている。その周りにいろんな人間たちが集まっているさまが描かれていた。
床は色とりどりの大理石が、複雑な幾何学模様を作り上げている。まるで大きなキルティングみたいだった。
真紅の絨毯の上をゆっくりと進むクリスティアーナ姫。その女神みたいな姿を見て、称賛の声があちこちから上がっていた。
「なんと麗しい……」
「王妃様もお美しいが、一の姫はそれ以上ですね」
「この世のものとは思えない」
「世界中から光が集まっているようだわ」
うん、べた褒めしたくなるのもわかる。それくらいきれいだと、あたしも思ってるから。
それに引きかえ、あたしは完全に無視されている。周りの人たちが腹の中で何を考えているかは知らないけど、どうせろくな事じゃない。
この十五年間の記憶を顧みれば、あたしはものすごい嫌な王女様だったから。
そんな事を思いつつ、クリスティアーナ姫の二歩後ろを歩く。杖の先が大理石を叩くたびに、無機質な音が大広間に響いた。
やがてお父様とお母様の前に着いた。お姉様が貴族の人たちの方に向き直るのに合わせて、あたしも向き直る。
お姉様は優雅に一礼をして、誕生日の挨拶をした。これは毎年恒例となっている。ただ一つ違うのは、今年はあたしたち二人の社交界デビューだという事。
あたしも挨拶しようとしたら、途端に貴族たちが姦しくしゃべり出した。
これがヒロインとの待遇の違いなのか……ものすごい差がある。姉妹でこれだけ差をつけられたら、グレずに成長できる気がしない。もしゲームのバーティミウスも幼少期からこんな感じだったのなら、ひねくれるしかなかったんじゃないだろうか。
前世の記憶が戻って本当によかったなんて思いながら、おしゃべりな貴族たちを眺めていると、お父様が咳払いをした。
会場がしんと静まった中、お父様が言う。
「今日は私のかわいい娘たちのために集まってくれて、本当にありがとう。どうか夢のような時間を楽しんでくれ」
その言葉をきっかけにして、音楽が鳴り始める。ダンスのための音楽だ。
足が悪くて踊れないあたしにはまったく関係ない音楽を聞いて、つい笑い出しそうになる。だって音楽が始まった途端、男の人たちがクリスティアーナ姫にわっと群がったからだ。
彼女の最初の相手になるために、互いを牽制し合っている。
貴族だから大声で罵り合ったりはしない。もみ合いの喧嘩にもならない。ただ長々としゃべって、相手の邪魔をしているのだ。
あたしは近くの椅子に座って、クリスティアーナ姫がどの攻略対象とダンスを踊るのかを、チェックする事にした。
「スティルの花冠」では、一番初めに踊った相手が格段に落としやすくなる。誰と踊るか見ていれば、どのルートをたどるのか大体想像がつくってわけ。
そんな事を考えているうちに、クリスティアーナ姫の相手が決まったらしい。
あの髪と目の色は……公爵様だ。
シュヴァンシュタイン公爵。彼は銀の髪と透き通るような青い目をしていて、歳は二十代前半。白地に青の差し色が入った夜会服がとっても似合う。物腰も優雅で、まさに女の子の誰もが憧れる王子様って感じのキャラクターだ。
ゲームでは一番わかりやすくて攻略しやすいキャラだから、あたしも一番初めにクリアしたっけ。
ちなみに、バーティミウスは彼を知っていたけど、彼はバーティミウスなんて聞いた事すらないという設定だった。無論、あたしもこの夜会で初めて接触する。貴族と接触する機会というものが、これまでほとんどなかったからだ。
あれ? 公爵様がヒロインと踊るのって、バーティミウスが序盤で死んだ場合だけじゃなかったかしら? 妹を失くして悲しむ王女様を公爵様が励まして、距離を縮めていくんだったはず。何を隠そう、彼も弟を不慮の事故で亡くしているのだ。
その公爵様が、美しいクリスティアーナ姫とダンスをしている。
しかし妖精みたいに踊るのね、クリスティアーナ姫って。ひらひらふわふわと舞うような動きは、なめらかで優雅でとっても気品がある。
あれに勝てる女子がいたらお目にかかりたい。いや、そんな女子はいないって断言できる。
見てるだけで目の保養になるわ。やっぱり前世でもお気に入りのキャラクターだったからかしら。どうしても、嫉妬とかの悪い感情が湧いてこない。
……もっと早く前世を思い出せればよかったのに。そうすれば七歳の時、クリスティアーナ姫に向かってジュースの入ったグラスを投げつけたりしなかったはず。
思い出せるだけでも、彼女に対して本当にひどい事をしてきた。地面に穴を掘って埋まりたいくらいだわ。
ここで改めて実感したのだけれど、あたしの中には二つの記憶があるらしい。
バーティミウスとしてこの世界で生きてきた記憶と、今のあたしの人格を形成する前世の日本人の記憶。
その二つは決して混ざらない。でもどちらもあたしの記憶という、少し変な感覚だ。
そこで、ふと目の前に人が立っている事に気づいた。
笑顔を作って顔を上げたあたしは、どうしてあなたがそこに立っているのよとツッコみたくなる。
さっきまでクリスティアーナ姫と踊っていたはずの、公爵様がそこにいた。
「シ、シュヴァンシュタイン公爵様……」
あたしが裏返りそうな声で言うと、彼はにこりと微笑む。まさに貴公子の鑑といった感じの、優美な微笑みだった。
「王女殿下に名前を知っていただけていたとは、光栄です」
「あなたの噂はよく聞くわ」
「おや。恥ずかしい噂でなければいいのですが」
彼はあたしと話をするつもりらしい。一体なぜだろう。あなたの相手役はあっちで……あ、踊ってる。
気づけばクリスティアーナ姫は別の男性と踊っていた。今度の相手は侯爵令息だ。
栗色の髪に、健康的な象牙色の肌をしたその人は、計ったように正確なステップを踏んでいて、内面の几帳面さがにじみ出ていた。彼もまた、攻略対象の一人のはずである。
クリスティアーナ姫って、今回は誰と結ばれるんだろう……気にしても仕方のない事かもしれないけど、気になった。でも、いつまでも見ているわけにはいかない。
目の前にいる公爵様を、無視する事はできないからだ。
「剣がとてもお上手だと聞いていますわ。近衛兵が軒並み倒されてしまうとか」
あたしがあたりさわりのない事を言うと、公爵様は微笑んだまま答えた。
「そんなに腕の立つ人間ではありませんよ。まだまだ修業が必要な身の上です」
「ご謙遜を」
あたしは貼りつけたような笑顔で応対する。
公爵様があたしと親しくして、一体何になるというのか。あたしは彼とどうこうなりたいとは思わないし、彼もクリスティアーナ姫に恋をしているはずなのに。
幼い頃から、公爵様は彼女の遊び相手をしていた。その中で恋心が芽生えたというのがゲームでの設定だった。それを彼は、この舞踏会で自覚するのだ。
「あなたの事は覚えていますよ」
不意に公爵様がそんな事を言ったので、あたしは目を丸くする。
「わたくしを?」
「ええ。私がディア……失礼、クリスティアーナ姫と遊んでいると、いつもじっと見ていたでしょう?」
ああ、そういう事か。確かにそんな事もあったかもしれない。よくクリスティアーナ姫が外で遊ぶさまを窓から見ていた。公爵様が視線に敏感だったら、気づくかもしれない。
子供の頃から足が悪かったあたしは外に出してもらえなくて、庭で遊ぶ二人を睨んでいた。うらやましくてたまらなかったのだ。
「懐かしい思い出ですわ」
ここでもあたりさわりのない返事をする。だって、それ以外にどうしろって言うの。
皮肉の一つでも口にしてみろって言うなら、それは自虐にしかならないから却下。
「ええ。……彼女のそばにいられた、懐かしい思い出です」
そう言いながら、公爵様は懐かしそうな目をしていた。いとおしいという感情が透けて見えて、思わずどきりとする。
やっぱりシュヴァンシュタイン公爵は、クリスティアーナ姫の事を憎からず思ってるんじゃないかしら。彼女と遊んだ事を思い出して、こんな目をするくらいには。
「失礼、少々感傷的になってしまいましたね」
彼は苦笑しつつ、細いグラスに入った飲み物をくれた。匂いから判断するにお酒だろう。あたし、まだ未成年よ?
例のゲームにお酒を飲む場面は出てこなかったけど、この国の法律はどうなっているのだろう。
前世では酔っぱらうといろいろ失敗してしまう方だったから、お酒は苦手だ。
「わたくし、お酒はあまり好きではないの」
「そうですか、残念です」
彼はそう言って、近くを通ったウェイターみたいな人にグラスを渡した。積極的に呑ませたかったわけじゃないらしい。
「ねえ、わたくしに一体なんの用事かしら」
あたしは単刀直入に聞いてみた。すると、彼は言いにくそうに口にする。
「……あなたが、死んだ弟によく似ているので」
予想外の事を言われて、口をあんぐりと開けそうになった。でもそんなはしたない事をしていい立場じゃないから、目だけを大きく見開く。
「王女殿下に弟を重ねるのは無礼だと思いますが、その、目の色が弟によく似ていまして。つい……」
シュヴァンシュタイン公爵は、さみしそうに笑った。
「弟はまだ幼かったんですよ。たった九歳で盗賊にさらわれて……見つかった時にはもう死んでいたんです。それはひどい有様で……すみません。うら若い姫君にするような話ではありませんね」
「弟君と、仲がよろしかったんですね」
「いえ、どちらかというと険悪でしたよ。何しろ弟は叔父によく似ていましたから」
公爵様の叔父といえば、公爵家に嫁いだあたしの大叔母様の次男で、ろくな噂がなかった人だ。ひどい飲んだくれで、しょっちゅう事件を起こして捕まっていた気がする。
そんな人に似ていたなんて、この人の弟もろくな人間じゃなかったのね。
「でも豪胆というか……無謀なほど勇敢でした。この子が成長したら、どれだけ素晴らしい男になるのか。幼いながらにそう思ってしまったほど、将来有望な子でしたから」
彼の声からは死んだ人を悼む感情と、隠し切れない好意が感じられた。
「そういう部分も、叔父によく似ていましたね」
そう言って微笑む彼からは、嫌な感情が読み取れない。
叔父君もお酒を飲んでいない時は尊敬できる人物みたいね。少し印象がよくなったわ。
「剣の腕も年上の私が歯が立たないほどだったんですよ。悔しかったですね。……嫉妬にかられて喧嘩ばかりしていましたが、もっと自分から歩み寄っていればよかった」
「どうして、そんなお話をわたくしにするのかしら」
「ご気分を害されましたか?」
「死んだ人間に似ていると言われても嬉しくないわ。それも男の人に」
シュヴァンシュタイン公爵はそうですね、とあっさり同意する。そして彼は人に呼ばれてどこかへ行き、あたしが暇つぶしに話せる相手は一人もいなくなってしまった。
そりゃ誰からも嫌われているような女の子と、積極的に話したい人なんていないわよね。
あたしは足が悪い事とクリスティアーナ姫に決して勝てない事が原因で、厄介な癇癪持ちになってしまっていた。クリスティアーナ姫の前では素直な妹を演じていたけれど、それ以外の人の前ではヒステリックで被害妄想の激しい女の子。二面性ありまくり。
しかし暇だわ。話しかけてくれる人がいないと、夜会ってこんなにつまらないのね。
「イリアスがいればいいのに」
そんな独り言を呟く。……でもまあ、しょうがない。いくら命の恩人でも、どこの馬の骨とも知れない彼を公式な場所に連れてくるわけにはいかないもの。
それにしても退屈。何か面白いものはないかしら。
ダンスフロアを見れば、クリスティアーナ姫が何人目かわからない相手と踊っていた。
桃色がかった金髪がふわりふわりと揺れている。あの人はノーゼンクレス公だわ。
彼はこのバスチア王国の中で唯一の自治区、ノーゼンクレス地域を統治している有力者。少年のような見た目をしているけど攻略対象の中では一番年上で、確か二十八歳だったはずだ。
甘い顔立ちと柔らかな瞳をした彼には桜色が似合う。ゲームではこの人がさりげなく口にした言葉で落とされるご令嬢が多数いた。まるっきり自覚のない女ったらしだったのだ。
にこりと笑えば、周りに花が飛んで見える。そんな彼とも、あたしは接触した事がない。向こうがこっちを知っているなんて事も絶対にない。
……もしかして、クリスティアーナ姫はこの夜会で攻略対象全員とダンスを踊るのかしら。ゲームにはそんな展開はなかったはず。隠しルートにもなかったわよね……おかしいな。
そう考えつつダンスフロアを眺めていたら、視界の上の方で何かが動いた。
すっと視線を上げてみれば、シャンデリアがふらりふらりと揺れている。
豪華なクリスタルがこれでもかと使われていて、めったに消えない魔法の焔によって燦然と煌めくシャンデリア。それが奇妙に揺れていた。
風のせいではないとすぐにわかる。風はそよとも吹いていないし、他のシャンデリアも揺れていない。
じゃあどうして……?
何気なくシャンデリアの下を見ると、そこではクリスティアーナ姫が踊っていた。
もう一回天井を見上げてみたら――揺れているのとは別のシャンデリアの上に、誰かが座っている。真っ黒な外套を着て、フードを深く被っていた。顔は見えないけれど、細身で身軽そうな人物だ。
ものすごく嫌な予感がする。
クリスティアーナ姫を、あそこから遠ざけなくちゃ。そんな風に思った時だ。
フードを被った人が、何かを投げた。それはシャンデリアをぶら下げている鎖に貼りつく。
まさか……シャンデリアを落とす気?
血の気が引く。クリスティアーナ姫が危ない。近衛兵を呼んでも間に合わない。彼らが駆けつける前にシャンデリアは落下するだろう。その下敷きになればクリスティアーナ姫は即死だ。
どうしたらいいかわからない。でも、どうにかして彼女をあそこから遠ざけなくちゃ。
焦った頭に、ある考えがひらめいた。
あたしは被害妄想の激しい、ヒステリックな王女様。そのイメージを利用すれば、クリスティアーナ姫をシャンデリアから遠ざけられる。
目立つのは十分わかっているのだ。でもやらなくちゃいけない。
あたしは目を見開いて椅子から立ち上がり、杖を片手に足を引きずりながら彼女に近寄った。
「お姉様!」
なるべくヒステリックに聞こえるように、裏返った声で叫ぶ。
「どういう事です!? どうしてその方と踊っているんですか!」
そう言いながら勢いよく彼らに詰め寄った。踊っていた二人は気圧され、自然と後ろに下がる。
「わたくしから、何から何まで奪うのですか!」
「バーティミウス? 何を言っているの?」
「クリスティアーナ姫、彼女は一体……?」
怪訝そうなクリスティアーナ姫と、いきなり現れた無粋な女に眉をひそめるノーゼンクレス公。
よし、いい感じだわ。そのままそこから離れて。
また一歩近寄れば、彼らも下がる。そうやって、二人をシャンデリアから遠ざけていく。
がっしゃんと、何かが上から落ちてきた。それはシャンデリアに使われているクリスタルのうちの一つだった。
――まさか。
反射的に見上げたら、さっきと同じところに座っているフードの人が、にやりと笑った。
ぱちん、とその人が指を鳴らすと、軽い爆発音がした。
そのクラッカーみたいな音は、オーケストラの音にかき消されるくらい小さかったけど、効果はてきめんだった。
シャンデリアの鎖の一部が砕け散る。重さで言えば百キロを超えそうなシャンデリアが、斜めに傾いた。
「落ちないでよ!!」
思わず悲鳴のような声を上げる。シャンデリアはかろうじて落ちなかったけれど、ふらふらぶらぶら危なっかしく揺れている。
その光景に、絹を裂くような悲鳴があちこちから上がった。
「姫君、こちらに!」
ノーゼンクレス公が、クリスティアーナ姫をシャンデリアから遠ざける。
一方、あたしは恐怖のあまり固まってしまった。足が棒になったように動かない。
不安定に揺れていたシャンデリアが、自重に耐えきれなくなって落ちてくる。直撃はまぬがれたものの、砕けたクリスタルの破片なんかが飛んできた。とっさに腕で顔を庇う。
「姫さん!」
ぐいと誰かに腰を抱えられて後ろに引きずられる。
その直後、あたしが立っていた場所に、ひときわ大きいクリスタルの破片が飛んできた。当たっていたら確実に怪我をしていたと思う。
助かった。あたしは腰をひねって、助けてくれた人を振り返る。
「いりあす……」
「ああ、間に合ってよかった……」
髭面の大男が、ほっとしたように唇を緩めた。
ざわめきとどよめきが大広間を満たす中、あたしはもう一回天井を見上げる。
あの黒い外套を着た誰かは、もう姿を消していた。
大広間に着いたところで、女官長のスミレさんが言った。イリアスさんから離れたあたしを見て、周りの皆がほっとしていた。
先に扉の前で待っていたクリスティアーナ姫があたしに話しかけてくる。
「緊張してる? バーティミウス。わたくし、どきどきして……」
クリスティアーナ姫は胸に手を当てて、緊張を隠しきれない様子だ。初めての夜会だし、自分たちの誕生日のお祝いとくれば緊張しないわけがない。
「お姉様なら大丈夫ですよ。胸を張ってください」
そう言いつつあたしも手汗がやばい。
もうすぐ正面の扉が開き、たくさんの貴族が集まっている場に、あたしたちはゆったりと登場するのだ。
……完全にさらし者じゃないかしら。
まあ、ヒロインが皆に注目されるのはわかるわ。
事実、目の前のクリスティアーナ姫はとてもきれいだ。萌黄色が下にいくにつれてだんだん白藍に変わっていく優美なドレスを着ている。裾の蔓草模様は濃い緑の宝石で形作られていて、見るからに着る人を選ぶデザインだ。
あたしなんかが着たら、ドレスに負けてしまうだろう。
髪の毛も、夜会にふさわしい華やかな流行の髪型にしていた。結い上げた髪の毛につけられた緑の髪飾りがきらきらと揺れている。
「お姉様は堂々としていればいいんです」
あたしがそう言って笑いかけたら、この世で一番麗しいお姫様はぎこちなく微笑んだ。ぎこちなくたって、本当に美人である。
そんな彼女が、背筋を伸ばして瞼を一回閉じた。それから微笑んでゆっくりと目を開ける。
もう、そこにはさっきまでの緊張している乙女はいなかった。
「クリスティアーナ・ディアーヌ・ルラ・バスチア殿下、バーティミウス・アリアノーラ・ルラ・バスチア殿下の、おなーりー!」
目の前の扉が徐々に開かれる。
王女らしく気品に満ちあふれた笑みを湛えたクリスティアーナ姫が、あたしより先に前へと進み出た。
「行きましょう、バーティミウス」
あたしも覚悟を決めて大きく息を吐き出す。
今から、乙女ゲーム「スティルの花冠」の本編が幕を開ける。
あたしはヒロインの邪魔をする、嫌われ者の双子の妹。
……死にたくないし、牢獄にも入りたくない。修道院で一生を終えるのも嫌だし、島流しも遠慮したかった。
だからそういうルートに進むフラグは全部へし折るつもりだけど、それ以外でヒロインの邪魔はしない。前世で好きだった登場人物の幸せくらい、祈ったっていいでしょう。
それに考えようによっては、ゲームの登場人物たちの恋愛模様を間近で見られるのだ。そんな役得他にあるかしら。いいえ、ないわ。あたしがこの世界に転生したのも何かの縁なのよ。きっと意味があるはず。
そう思いながら、クリスティアーナ姫の後について歩き出す。杖の音をこつこつと響かせて大広間の中へ入ると、それはもうきれいな世界が広がっていた。
天井に描かれているのは宗教画だろうか。中国の龍みたいな生き物と、西洋のひれのある竜みたいな生き物が噛みつき合っている。その周りにいろんな人間たちが集まっているさまが描かれていた。
床は色とりどりの大理石が、複雑な幾何学模様を作り上げている。まるで大きなキルティングみたいだった。
真紅の絨毯の上をゆっくりと進むクリスティアーナ姫。その女神みたいな姿を見て、称賛の声があちこちから上がっていた。
「なんと麗しい……」
「王妃様もお美しいが、一の姫はそれ以上ですね」
「この世のものとは思えない」
「世界中から光が集まっているようだわ」
うん、べた褒めしたくなるのもわかる。それくらいきれいだと、あたしも思ってるから。
それに引きかえ、あたしは完全に無視されている。周りの人たちが腹の中で何を考えているかは知らないけど、どうせろくな事じゃない。
この十五年間の記憶を顧みれば、あたしはものすごい嫌な王女様だったから。
そんな事を思いつつ、クリスティアーナ姫の二歩後ろを歩く。杖の先が大理石を叩くたびに、無機質な音が大広間に響いた。
やがてお父様とお母様の前に着いた。お姉様が貴族の人たちの方に向き直るのに合わせて、あたしも向き直る。
お姉様は優雅に一礼をして、誕生日の挨拶をした。これは毎年恒例となっている。ただ一つ違うのは、今年はあたしたち二人の社交界デビューだという事。
あたしも挨拶しようとしたら、途端に貴族たちが姦しくしゃべり出した。
これがヒロインとの待遇の違いなのか……ものすごい差がある。姉妹でこれだけ差をつけられたら、グレずに成長できる気がしない。もしゲームのバーティミウスも幼少期からこんな感じだったのなら、ひねくれるしかなかったんじゃないだろうか。
前世の記憶が戻って本当によかったなんて思いながら、おしゃべりな貴族たちを眺めていると、お父様が咳払いをした。
会場がしんと静まった中、お父様が言う。
「今日は私のかわいい娘たちのために集まってくれて、本当にありがとう。どうか夢のような時間を楽しんでくれ」
その言葉をきっかけにして、音楽が鳴り始める。ダンスのための音楽だ。
足が悪くて踊れないあたしにはまったく関係ない音楽を聞いて、つい笑い出しそうになる。だって音楽が始まった途端、男の人たちがクリスティアーナ姫にわっと群がったからだ。
彼女の最初の相手になるために、互いを牽制し合っている。
貴族だから大声で罵り合ったりはしない。もみ合いの喧嘩にもならない。ただ長々としゃべって、相手の邪魔をしているのだ。
あたしは近くの椅子に座って、クリスティアーナ姫がどの攻略対象とダンスを踊るのかを、チェックする事にした。
「スティルの花冠」では、一番初めに踊った相手が格段に落としやすくなる。誰と踊るか見ていれば、どのルートをたどるのか大体想像がつくってわけ。
そんな事を考えているうちに、クリスティアーナ姫の相手が決まったらしい。
あの髪と目の色は……公爵様だ。
シュヴァンシュタイン公爵。彼は銀の髪と透き通るような青い目をしていて、歳は二十代前半。白地に青の差し色が入った夜会服がとっても似合う。物腰も優雅で、まさに女の子の誰もが憧れる王子様って感じのキャラクターだ。
ゲームでは一番わかりやすくて攻略しやすいキャラだから、あたしも一番初めにクリアしたっけ。
ちなみに、バーティミウスは彼を知っていたけど、彼はバーティミウスなんて聞いた事すらないという設定だった。無論、あたしもこの夜会で初めて接触する。貴族と接触する機会というものが、これまでほとんどなかったからだ。
あれ? 公爵様がヒロインと踊るのって、バーティミウスが序盤で死んだ場合だけじゃなかったかしら? 妹を失くして悲しむ王女様を公爵様が励まして、距離を縮めていくんだったはず。何を隠そう、彼も弟を不慮の事故で亡くしているのだ。
その公爵様が、美しいクリスティアーナ姫とダンスをしている。
しかし妖精みたいに踊るのね、クリスティアーナ姫って。ひらひらふわふわと舞うような動きは、なめらかで優雅でとっても気品がある。
あれに勝てる女子がいたらお目にかかりたい。いや、そんな女子はいないって断言できる。
見てるだけで目の保養になるわ。やっぱり前世でもお気に入りのキャラクターだったからかしら。どうしても、嫉妬とかの悪い感情が湧いてこない。
……もっと早く前世を思い出せればよかったのに。そうすれば七歳の時、クリスティアーナ姫に向かってジュースの入ったグラスを投げつけたりしなかったはず。
思い出せるだけでも、彼女に対して本当にひどい事をしてきた。地面に穴を掘って埋まりたいくらいだわ。
ここで改めて実感したのだけれど、あたしの中には二つの記憶があるらしい。
バーティミウスとしてこの世界で生きてきた記憶と、今のあたしの人格を形成する前世の日本人の記憶。
その二つは決して混ざらない。でもどちらもあたしの記憶という、少し変な感覚だ。
そこで、ふと目の前に人が立っている事に気づいた。
笑顔を作って顔を上げたあたしは、どうしてあなたがそこに立っているのよとツッコみたくなる。
さっきまでクリスティアーナ姫と踊っていたはずの、公爵様がそこにいた。
「シ、シュヴァンシュタイン公爵様……」
あたしが裏返りそうな声で言うと、彼はにこりと微笑む。まさに貴公子の鑑といった感じの、優美な微笑みだった。
「王女殿下に名前を知っていただけていたとは、光栄です」
「あなたの噂はよく聞くわ」
「おや。恥ずかしい噂でなければいいのですが」
彼はあたしと話をするつもりらしい。一体なぜだろう。あなたの相手役はあっちで……あ、踊ってる。
気づけばクリスティアーナ姫は別の男性と踊っていた。今度の相手は侯爵令息だ。
栗色の髪に、健康的な象牙色の肌をしたその人は、計ったように正確なステップを踏んでいて、内面の几帳面さがにじみ出ていた。彼もまた、攻略対象の一人のはずである。
クリスティアーナ姫って、今回は誰と結ばれるんだろう……気にしても仕方のない事かもしれないけど、気になった。でも、いつまでも見ているわけにはいかない。
目の前にいる公爵様を、無視する事はできないからだ。
「剣がとてもお上手だと聞いていますわ。近衛兵が軒並み倒されてしまうとか」
あたしがあたりさわりのない事を言うと、公爵様は微笑んだまま答えた。
「そんなに腕の立つ人間ではありませんよ。まだまだ修業が必要な身の上です」
「ご謙遜を」
あたしは貼りつけたような笑顔で応対する。
公爵様があたしと親しくして、一体何になるというのか。あたしは彼とどうこうなりたいとは思わないし、彼もクリスティアーナ姫に恋をしているはずなのに。
幼い頃から、公爵様は彼女の遊び相手をしていた。その中で恋心が芽生えたというのがゲームでの設定だった。それを彼は、この舞踏会で自覚するのだ。
「あなたの事は覚えていますよ」
不意に公爵様がそんな事を言ったので、あたしは目を丸くする。
「わたくしを?」
「ええ。私がディア……失礼、クリスティアーナ姫と遊んでいると、いつもじっと見ていたでしょう?」
ああ、そういう事か。確かにそんな事もあったかもしれない。よくクリスティアーナ姫が外で遊ぶさまを窓から見ていた。公爵様が視線に敏感だったら、気づくかもしれない。
子供の頃から足が悪かったあたしは外に出してもらえなくて、庭で遊ぶ二人を睨んでいた。うらやましくてたまらなかったのだ。
「懐かしい思い出ですわ」
ここでもあたりさわりのない返事をする。だって、それ以外にどうしろって言うの。
皮肉の一つでも口にしてみろって言うなら、それは自虐にしかならないから却下。
「ええ。……彼女のそばにいられた、懐かしい思い出です」
そう言いながら、公爵様は懐かしそうな目をしていた。いとおしいという感情が透けて見えて、思わずどきりとする。
やっぱりシュヴァンシュタイン公爵は、クリスティアーナ姫の事を憎からず思ってるんじゃないかしら。彼女と遊んだ事を思い出して、こんな目をするくらいには。
「失礼、少々感傷的になってしまいましたね」
彼は苦笑しつつ、細いグラスに入った飲み物をくれた。匂いから判断するにお酒だろう。あたし、まだ未成年よ?
例のゲームにお酒を飲む場面は出てこなかったけど、この国の法律はどうなっているのだろう。
前世では酔っぱらうといろいろ失敗してしまう方だったから、お酒は苦手だ。
「わたくし、お酒はあまり好きではないの」
「そうですか、残念です」
彼はそう言って、近くを通ったウェイターみたいな人にグラスを渡した。積極的に呑ませたかったわけじゃないらしい。
「ねえ、わたくしに一体なんの用事かしら」
あたしは単刀直入に聞いてみた。すると、彼は言いにくそうに口にする。
「……あなたが、死んだ弟によく似ているので」
予想外の事を言われて、口をあんぐりと開けそうになった。でもそんなはしたない事をしていい立場じゃないから、目だけを大きく見開く。
「王女殿下に弟を重ねるのは無礼だと思いますが、その、目の色が弟によく似ていまして。つい……」
シュヴァンシュタイン公爵は、さみしそうに笑った。
「弟はまだ幼かったんですよ。たった九歳で盗賊にさらわれて……見つかった時にはもう死んでいたんです。それはひどい有様で……すみません。うら若い姫君にするような話ではありませんね」
「弟君と、仲がよろしかったんですね」
「いえ、どちらかというと険悪でしたよ。何しろ弟は叔父によく似ていましたから」
公爵様の叔父といえば、公爵家に嫁いだあたしの大叔母様の次男で、ろくな噂がなかった人だ。ひどい飲んだくれで、しょっちゅう事件を起こして捕まっていた気がする。
そんな人に似ていたなんて、この人の弟もろくな人間じゃなかったのね。
「でも豪胆というか……無謀なほど勇敢でした。この子が成長したら、どれだけ素晴らしい男になるのか。幼いながらにそう思ってしまったほど、将来有望な子でしたから」
彼の声からは死んだ人を悼む感情と、隠し切れない好意が感じられた。
「そういう部分も、叔父によく似ていましたね」
そう言って微笑む彼からは、嫌な感情が読み取れない。
叔父君もお酒を飲んでいない時は尊敬できる人物みたいね。少し印象がよくなったわ。
「剣の腕も年上の私が歯が立たないほどだったんですよ。悔しかったですね。……嫉妬にかられて喧嘩ばかりしていましたが、もっと自分から歩み寄っていればよかった」
「どうして、そんなお話をわたくしにするのかしら」
「ご気分を害されましたか?」
「死んだ人間に似ていると言われても嬉しくないわ。それも男の人に」
シュヴァンシュタイン公爵はそうですね、とあっさり同意する。そして彼は人に呼ばれてどこかへ行き、あたしが暇つぶしに話せる相手は一人もいなくなってしまった。
そりゃ誰からも嫌われているような女の子と、積極的に話したい人なんていないわよね。
あたしは足が悪い事とクリスティアーナ姫に決して勝てない事が原因で、厄介な癇癪持ちになってしまっていた。クリスティアーナ姫の前では素直な妹を演じていたけれど、それ以外の人の前ではヒステリックで被害妄想の激しい女の子。二面性ありまくり。
しかし暇だわ。話しかけてくれる人がいないと、夜会ってこんなにつまらないのね。
「イリアスがいればいいのに」
そんな独り言を呟く。……でもまあ、しょうがない。いくら命の恩人でも、どこの馬の骨とも知れない彼を公式な場所に連れてくるわけにはいかないもの。
それにしても退屈。何か面白いものはないかしら。
ダンスフロアを見れば、クリスティアーナ姫が何人目かわからない相手と踊っていた。
桃色がかった金髪がふわりふわりと揺れている。あの人はノーゼンクレス公だわ。
彼はこのバスチア王国の中で唯一の自治区、ノーゼンクレス地域を統治している有力者。少年のような見た目をしているけど攻略対象の中では一番年上で、確か二十八歳だったはずだ。
甘い顔立ちと柔らかな瞳をした彼には桜色が似合う。ゲームではこの人がさりげなく口にした言葉で落とされるご令嬢が多数いた。まるっきり自覚のない女ったらしだったのだ。
にこりと笑えば、周りに花が飛んで見える。そんな彼とも、あたしは接触した事がない。向こうがこっちを知っているなんて事も絶対にない。
……もしかして、クリスティアーナ姫はこの夜会で攻略対象全員とダンスを踊るのかしら。ゲームにはそんな展開はなかったはず。隠しルートにもなかったわよね……おかしいな。
そう考えつつダンスフロアを眺めていたら、視界の上の方で何かが動いた。
すっと視線を上げてみれば、シャンデリアがふらりふらりと揺れている。
豪華なクリスタルがこれでもかと使われていて、めったに消えない魔法の焔によって燦然と煌めくシャンデリア。それが奇妙に揺れていた。
風のせいではないとすぐにわかる。風はそよとも吹いていないし、他のシャンデリアも揺れていない。
じゃあどうして……?
何気なくシャンデリアの下を見ると、そこではクリスティアーナ姫が踊っていた。
もう一回天井を見上げてみたら――揺れているのとは別のシャンデリアの上に、誰かが座っている。真っ黒な外套を着て、フードを深く被っていた。顔は見えないけれど、細身で身軽そうな人物だ。
ものすごく嫌な予感がする。
クリスティアーナ姫を、あそこから遠ざけなくちゃ。そんな風に思った時だ。
フードを被った人が、何かを投げた。それはシャンデリアをぶら下げている鎖に貼りつく。
まさか……シャンデリアを落とす気?
血の気が引く。クリスティアーナ姫が危ない。近衛兵を呼んでも間に合わない。彼らが駆けつける前にシャンデリアは落下するだろう。その下敷きになればクリスティアーナ姫は即死だ。
どうしたらいいかわからない。でも、どうにかして彼女をあそこから遠ざけなくちゃ。
焦った頭に、ある考えがひらめいた。
あたしは被害妄想の激しい、ヒステリックな王女様。そのイメージを利用すれば、クリスティアーナ姫をシャンデリアから遠ざけられる。
目立つのは十分わかっているのだ。でもやらなくちゃいけない。
あたしは目を見開いて椅子から立ち上がり、杖を片手に足を引きずりながら彼女に近寄った。
「お姉様!」
なるべくヒステリックに聞こえるように、裏返った声で叫ぶ。
「どういう事です!? どうしてその方と踊っているんですか!」
そう言いながら勢いよく彼らに詰め寄った。踊っていた二人は気圧され、自然と後ろに下がる。
「わたくしから、何から何まで奪うのですか!」
「バーティミウス? 何を言っているの?」
「クリスティアーナ姫、彼女は一体……?」
怪訝そうなクリスティアーナ姫と、いきなり現れた無粋な女に眉をひそめるノーゼンクレス公。
よし、いい感じだわ。そのままそこから離れて。
また一歩近寄れば、彼らも下がる。そうやって、二人をシャンデリアから遠ざけていく。
がっしゃんと、何かが上から落ちてきた。それはシャンデリアに使われているクリスタルのうちの一つだった。
――まさか。
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ぱちん、とその人が指を鳴らすと、軽い爆発音がした。
そのクラッカーみたいな音は、オーケストラの音にかき消されるくらい小さかったけど、効果はてきめんだった。
シャンデリアの鎖の一部が砕け散る。重さで言えば百キロを超えそうなシャンデリアが、斜めに傾いた。
「落ちないでよ!!」
思わず悲鳴のような声を上げる。シャンデリアはかろうじて落ちなかったけれど、ふらふらぶらぶら危なっかしく揺れている。
その光景に、絹を裂くような悲鳴があちこちから上がった。
「姫君、こちらに!」
ノーゼンクレス公が、クリスティアーナ姫をシャンデリアから遠ざける。
一方、あたしは恐怖のあまり固まってしまった。足が棒になったように動かない。
不安定に揺れていたシャンデリアが、自重に耐えきれなくなって落ちてくる。直撃はまぬがれたものの、砕けたクリスタルの破片なんかが飛んできた。とっさに腕で顔を庇う。
「姫さん!」
ぐいと誰かに腰を抱えられて後ろに引きずられる。
その直後、あたしが立っていた場所に、ひときわ大きいクリスタルの破片が飛んできた。当たっていたら確実に怪我をしていたと思う。
助かった。あたしは腰をひねって、助けてくれた人を振り返る。
「いりあす……」
「ああ、間に合ってよかった……」
髭面の大男が、ほっとしたように唇を緩めた。
ざわめきとどよめきが大広間を満たす中、あたしはもう一回天井を見上げる。
あの黒い外套を着た誰かは、もう姿を消していた。
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