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4巻
4-1
しおりを挟むかみさま。たすけて。それは祈りだった。それは縋る思いだった。助けは来ないと知りながらも、そう縋った。
それなのにどうしてだろう、脳内に浮かぶのは――縋る相手の姿は、赤い髪を翻す人間で。
金剛石のように、乱反射する虹色の光を宿す、銀の眼をしたあの子で。
猩々緋の髪の毛をかき上げたあの子は、振り返って手を伸ばしてくれるのだ。
彼女はここに来ないと、わかっている。だというのに、その幻に縋ったのは、いつも本当の危機に、なりふり構わず駆けつけてくれるからだ。
かみさま。かみさま。
たすけて。こんなのはいや、まだしにたくないの、どうしてここでしななくてはならないの。
涙がこぼれ落ちていく。祈りも望みもこれとはちがう――ただ思う。
たすけて。
「さようなら、バスチアの直系。闇の娘」
男が笑う。あの子の護衛だった、あの子の唯一無二だった男が、どうしてか。
剣が振り下ろされる。もう間に合わない、誰も助けは来ない。
かみさま、かみさま。
「てめえなんぞの好きにさせてたまるかよ!」
眼を閉じた途端に、誰かの咆哮が炸裂し、世界を震撼させた。同時に、天井を貫く落雷。
強烈な青をまとう雷光がひらめく。鮮烈な光、不吉な雨雲と共に現れる苛烈な一閃。一瞬で男をひるませた信じがたい一撃。石造りの床が砕け散る。
「あ……」
声は出てこなかった。落雷と共に現れた青年が、どうやってここに来たのかわからない。
まるで落雷に飛び乗ってきたかのようだ。
猩々緋の髪と、雷がもたらした炎が、風を受けてびょうと翻る。ひらひらとひらめいている絹糸のような細い髪の毛。それを不作法に長々と垂らして、現れたその人は大胆不敵に笑う。
戦意の塊と言ってもいいその人は、にいいと唇を吊り上げた。
その人は乗っていたものから降り立った。それは剣で、つばの部分に足をかけて乗っていたらしい。
それを見た途端、鳥肌が立った。
それは圧倒的な力を宿した剣だった。雨雲を呼ぶ水の力と、稲妻を光らせる光の力に満ち溢れていた。
そして、それらが招き寄せる闇を含んだ剣だった。
その人は剣を片手に収めると、皮肉な顔をして笑う。
「いつまでも来ないから追いかけさせてもらった。やっと追いついたのに何、その顔」
「水に光に闇ですかい。これはまた厄介な力をお持ちだ」
「そう。人魚の水と希望の光。光の傍らにあるという虚無の闇」
彼らの会話は意味がわからない。二人は意味のわからない言葉を投げ合っている。
「あなたに対抗するだけの力は併せ持っているの。終わらせましょう、イリアス」
その言葉は妹の言葉そのものだった。
けれどその人はあまりにも男性的だった。かっちりとした直線的な体。鋭い双眸。冬の厳しさを思わせる唇。強固な意志を示す眉。
それらを持ち合わせたその人は、妹にどこか似ていたけれど、あまりにも違っていた。
それでもわかった。双子のつながりが知らせているのかもしれない。
この人は妹だ。……なぜか、男の姿に変わり果てているけれど。
「真なる剣をお持ちとは。あんたはつくづく災厄に恵まれている」
「その筆頭があなただってご存知?」
「まったくで。そうですねぇ、終わらせましょうか。あんたを倒せば六つの力が揃う」
「倒されはしない。倒すのはあたし」
互いの剣が不気味にカタカタと揺れ始める。膨大な力をため込んでいるかのように。
剣が明滅を始める。猩々緋の髪を揺らして、その人が構える。
剣が求めているものは、戦うという意思だとどうしてかわかった。
「いざ、参る」
何かにけじめをつけるようにその人は言って、イリアスと呼びかけた男に剣をぶつけていった。
* * *
雨の音で目が覚めた。宿の二階で寝ていたあたしは起きて、窓の外の何日もやまない雨を見る。
イリアスさんを追いかけると決めたあの日の翌日から、砂漠は雨に包まれた。
人の話を聞く限り、およそ二年ぶりの雨季が訪れたそうだ。
それもただの雨じゃない。叩きつけるような大雨である。バスチアで見たことのある雨なんて、この雨の前ではただの霧と思えるほどだ。
……死にかけて、前世を思い出してここが乙女ゲームの世界だと気付いてから、本当に色々ありすぎたわ。思い出してすぐに、隣国の皇太子エンデール様にさらわれた。さらわれた理由はあたしが化け物退治に必要な古代文字を読むことができたから。
化け物を退治できた後、エンデール様との婚約が決まったと思ったら、誰かの策略によってお姉様と中身が入れ替わってしまったり。
中身が入れ替わったのは邪悪な力のせいだから、とケガレを取り払うべく聖なる島に向かえば、今度は海賊にさらわれたり。別件でさらわれていたお姉様を助けるために、彼らの仲間になったり。
ケガレを浄化するために向かった島で、お姉様が生贄になることを阻止するために奔走したり。そして最終的にはあたし自身に邪悪な力が宿っているとされて、罪人として遠い遠い西の大陸まで飛ばされてしまったり。
そんな波乱万丈、一代記でも作ったらベストセラーになりそうな人生を、あたしはたどっている。
そして今は、イリアスさん……死にかけていたあたしを助けてくれて、そして見事なほど私利私欲で裏切ってくれた人に引導を渡すために、あたしは生きている。
砂漠の多いこの地方で、この時期に旅を始める愚か者はいないらしい。
砂漠は雨水を大量に含むけれど、木とか森とかそういう雨をため込む装置が何もないから、水は一気に流れていく。つまり簡単に大洪水が起きるのだ。
雨がやみ、水がどうにかなってからじゃないと、ただの人間には何もできない。
この宿で出会ったソヘイル……隣国の処刑されたはずの皇子様で、乙女ゲームでは幻の隠しキャラという設定だった人……は人じゃないらしいけれど、それでもこの雨の中わざわざ外に出ようとはしなかった。
つまりそういうものなのだ。
追いつけなかったらと思うと不安でしょうがない。ソヘイルの予想が外れたら、イリアスさんがどこに行くかなんてもうわからないのだ。手掛かりは何もなくなる。
前世の記憶なんてなんの役にも立ちはしない。こういうことはゲームの中では起こらなかったからだ。
もし間に合わなかったら。イリアスさんを止めることができなかったら。
ぐるぐると取り留めもなく考えてしまう。
それともう一つ、あたしは気になっていることがあった。
夢を見るのだ。あたしが人を捨ててイリアスさんを追いかけ、そして最後には討ち果たす夢だ。
その夢の中のあたしは、男かも女かもわからなくなっていて、ただ圧倒的な力を使う存在として立っている。そして恐ろしいことに、イリアスさんを倒してから人間らしい感情までもが徐々になくなっていくのだ。
死なない体と人の道から外れた倫理観。渇望するのは剣をふるう場所。
あたしはそんな、生き物かどうかもわからないものになっていく。
誰にも心を開かないで、一人大地を彷徨うのだ。永遠の孤独を抱えながら。
その夢を繰り返し見る。何度も何度も見ているから、夢の内容を詳細に思い出せるくらいだ。
片手の数を超えたあたりで、普通の夢じゃないことに気付いた。
なんとなく……察しているんだけれど、これはたぶん。
あたしが人を捨てることを選び、それを全うした後の未来だ。
イリアスさんを失って、自分を殺して選んだその先の未来だ。
正直に言えば怖い。
誰からも化け物とののしられて、戦場に赴いて体を血で濡らして、自分の欲しい戦いだけを求めて生きていくのは、今のあたしには怖いものでしかない。
それともそういう感情さえも、人を捨てた時点でどこかに行ってしまうのかしら。
わからない。
――――人を捨ててでもイリアスさんを止める。
そう決めたはずの思いは、最近になって揺らぎ始めてしまった。
こんなこと誰にも言えないから、あたしは一人この不安を抱えている。
「バーティ」
一階の食堂から戻ってきたらしいソヘイルが声をかけてくる。
「何」
「やめるなら今のうちだぞ」
顔を見るなりそう言われた。あたしは顔に出るほど不安がっているのか。
「やめるって何を?」
「迷いがあるのならば、あの男を追うのはやめておけと言っている。あの男はこの身に任せろ。お前ほどの人間ならば、平凡な幸せはいくらでも手に入る。それ以上のものも手に入れられるだろう」
あたしは一瞬黙った。
迷っているのは事実だけれど。
「いや。あたしはイリアスを止めるの」
揺らいだ意思をねじ伏せるために、そう口に出した。
「一体何がお前をそこまで縛る? ただの親しい男というだけだろう」
「あたしは何度もあの人に助けられたわ。だからあたしはあの人を止めるの。このままじゃいけないのはソヘイルだってわかっているでしょう? あたしは助けられたから止めたいの」
あの人が、イリアスさんがこのまま何かを続けて、取り返しがつかなくなる前に止める。それも救いの一つだと信じたかった。
「あたしはあの人の最後になるの」
ソヘイルが黙って外を見る。そして目を心持ち開いた。
「どうしたの……?」
あたしも窓の外を見て驚いた。
この西の大陸の衣装とは違う衣装を身にまとった誰かが、視界を遮るほどの大雨の中に立っていた。
土砂降りの雨の中に立っていたのは――
「うそ」
あたしは立ち上がって階段を駆け下りて、外に出た。途端に雨が体を濡らしていく。
相手の顔がちゃんとわかるくらいまで近付くと、あたしの勘違いじゃないことが証明された。
「よぉ、久しぶり」
にかっと笑ったその人を見てあたしは言った。
「どうしてここにいるの、ニィジー・ジン」
あたしが一時的に仲間になった海賊船の頭で、王魚の孫だと自称する彼が、立っていた。
「元気そうな面してて安心したぜ」
あたしの疑問をまるで無視して、彼はいつも通りの明朗な声でそう言った。
「なんでここにいるの、ここは海から遠いのに」
「雨がこれだけ降ってりゃ来れるぜ? 水の力がかなり強いからな」
「意味がわからないわ」
「この土砂降りの雨があれば、王魚の血族はその場所へ飛ぶことができるって言ってるんだ。瞬間移動ってやつに近い」
「噛み砕いた説明ありがとう。それで、ここに来た理由は何?」
「そうそう、お前にじいさまからの伝言」
「王魚から……?」
「おぅ。あの神魚は湖から動けないんだぜ、だから人使いの荒いこと荒いこと。まあ愚痴はさておいてさ」
ニィジー・ジンが半分笑っていた顔を真面目なものに変えた。
「今からオレが言うことは王魚が知る真実だ。嘘か真かお前が決めろ」
「聞いて信じなくてもいいの」
「伝言係にとってはそんなのどうでもいいんだよ。伝えるのだけちゃんとすれば」
「なら聞くだけ聞くわ」
「そんじゃ行くぞ」
一呼吸して、彼が語り始める。
「お前がイリアスだと思っている人格は、イリアスじゃない」
「え……?」
「その人格は聴禍の風。七ツの瞳の一部だ」
イリアスサンガ ナナツノヒトミノ イチブ?
「じゃあイリアスって誰なの」
聴禍の風に体を乗っ取られた人は誰なの。
「荒野のイリアス。世界を渡り歩く傭兵で戦場狂い」
あたしはふとソヘイルとイリアスさんの出会いを思い出した。
ソヘイルもイリアスさんの名乗りを聞いて言った。戦場狂いと。
「それで剣の主。王魚が封じられた真なる剣の対の剣、かがみの剣の主。剣の求めるままに戦場を渡った、剣と相思相愛の男。生半可な男じゃなかったぜ。乗っ取られる前に会ったことあるけどすげえおっかなかった。敵に回したくなかったぜ。顔見て逃げることにした」
オレの評価なんてどうでもいいかと笑って、ニィジー・ジンは続ける。
「それは七年前のこと。荒野のイリアスは剣以上の力を求めた。なんでかは、じいさまどうでもいいらしくて気にしてなかったし教えてくれなかったけどな。まあ求めたんだよ。かがみの剣だけでも非常識な力を持っていたんだけどさ。人間ってなんで手に入れた力だけで満足しないのかね、そんなのどうでもいいか」
「待ってよ、イリアスさんは『十八年前に一回壊れた』って言っていたわ。七年前まで荒野のイリアスという人格を保てていたなら計算が合わない」
「順番に話すから聞いておけって」
あたしの疑問をそうやって一回脇に置いて、ニィジー・ジンが続ける。
「んで、その強欲が、体をなくして彷徨っていた聴禍の風と共鳴した。そして荒野のイリアスは、それを宿してしまったんだ。結果どうなったか? 聴禍の風に体を乗っ取られた。そして本来の魂は奥底まで追いやられた」
「共存はできなかったの? ソヘイルのように」
「ソヘイル? ああ、七つの一つ、災厄の炎とつがいの皇子様か。あいつとイリアスの違いはなんて言ったらいいんだ? うう……ソヘイルは炎に全部くれてやってもいいと思った。だから炎は共存の道を選んだ。でもイリアスは聴禍の風に全てをくれてやろうと思わないで、自分に寄生しようとする風を拒否した。そんな感じだな」
災厄の炎と共に生きようとしたソヘイル。
聴禍の風と生きることを選ばなかったイリアスさん。
二人の違いはそこらしい。
「話戻すぜ。風は七年かけて体のほとんどを乗っ取った。ここで十八年前のことが出てくる。十八年前、聴禍の風は別の人間の体を乗っ取ったんだ。だが、その時は乗っ取った体をオレの親父に完膚なきまでに破壊されたんだよ。だから今回は慎重に七年もかけたんだ。王魚の血族に邪魔されないようにな」
王魚は七ツの瞳の再生を望まないという、前に夢の中で聞いた言葉をここで思い出した。
『十八年前に一回壊れた』っていうのはイリアスさんじゃなくて風の言葉だったのね。
「風はそうして常に表に出るようになった。乗っ取られた体を取り戻そうとする元の魂を何度も殺してな」
「魂を殺すって……」
「魂が体とつながっているのは理解できるだろう? 体が致命傷を負ったら魂も同じだけ衝撃を受けるんだ。風は普通なら死ぬはずの傷を何度も負った」
「それなのになんで生きていられるの」
「七ツの瞳の力を一つでも手に入れると、致命傷でも治るんだ。でも魂はそうじゃない。衝撃をちゃんと受ける。死にそうになって、でも体が生きているからかろうじて生きる。それを繰り返すと、魂の自我が崩壊する。三回もやればほとんど崩壊して、体を生かすためだけのものになるんだ」
ニィジー・ジンがそこで一息ついた。
「オレが見た感じ、あいつ十回はそれやってるぜ。そりゃ体も腐るわけだ」
体の崩壊が進む。夢の中でそんなことも聞いた気がした。
「だから聴禍の風は完全体になろうとしている。完全体ってのは七ツの瞳だ。完全体になれば、体が腐るなんて喜劇は起こりっこないからな」
「……」
その時だった。すさまじい音があたりに響いた。あたしは音のした方を見て、目を見張る。
一瞬だったけれど、遠くで炎の柱が立ち上ったのだ。
「今あいつは三つ目の力を完全に手に入れた。災厄の炎をな」
災厄の炎は、この西の大陸の地下迷宮に封じられてたんだ、とニィジー・ジンが語る。
「一部はそのくびきを逃れて、あちこち彷徨って封印を解く手段を探してたみたいだけどな」
ちらりと彼が見やるのは、軒先にいるソヘイルだ。あたしを追ったらしい。
……ソヘイルに憑りついていたウルムが、災厄の炎の一部だったということなのだろう。
炎の力であり、ちょっと女の人が苦手な存在。
大斧を軽々と操る、大酒飲みの蟒蛇。
ただとても、ソヘイルを大事にしていたらしい、彼の相棒。
「……」
「王魚は七ツの瞳を許さない。あれはあってはならなかった禁断の力だ」
ここまで言うのなら、何かしら、あたしにさせたいことがあるのだろう。
「あたしに何をさせようというの」
「お、話が早くて助かるぜ。一緒に来てほしいんだよ。王魚の封じられた神域まで」
なんてことはないように、ニィジー・ジンがそう言った。
「行ってどうなるの」
「それはじいさまが話すことだ。オレはただの伝言係と案内係」
「待て」
その声を聞いて、ソヘイルが脇に来ていたことに気が付いた。
「ソヘイル」
「バーティが行くならば、この身も連れていけ」
「ああダメダメ、あんた炎だろう。神域は水の力が強すぎる。あんた消えちまうぜ」
あっさりとニィジー・ジンが言った。
「行ってみなければ」
「人を捨てて炎の一部になった男が何言ってんだよ、この雨の中に立っているだけでも瀕死状態のやつを連れてくほど残酷にはなれないぜ」
あたしはソヘイルをよく見た。
ソヘイルは青褪めていた。見るからに血の気が引いていて、いつもよりずっと倒れそうで、頼りなさそうだった。
雨に濡れれば濡れるほど、ソヘイルの顔色は悪くなっていく。
「ソヘイル」
「なんだ」
「あたしは行くわ、でもあなたは来ないで」
「なぜだ」
「あなたに消えてほしくないからよ、あたしの恩人に」
「……それを言うのか」
「言うわ」
ソヘイルはじっとあたしを見て、それから言った。
「この先どうなってしまっても、一つ忘れないでほしい」
「何?」
「お前を愛する者がいるということをだ。お前が何になっても、どうなっても、寄り添っていたいと思う相手がいることを忘れてはならない」
「……ソヘイル?」
「この身の弟がそうだからな。エンデールはお前がどうなろうとも愛するだろう。それを忘れるな」
ソヘイルはそう言って少し微笑んだ。
「弟の思い人をさらっていってしまうほど、この身は弟が嫌いではないのだ。だから行け。もしこの身が先にあの男を見つけたら、炎に伝言を託す。だから安心しろ」
「炎にどうやって託すのよ」
「お前がこの身のことを知ろうと思った時は、火を熾せばそれだけで伝言が伝わる」
そう言ってから、ソヘイルは軒下に入った。そして大きく息を吐き出し、しゃがみ込む。
かなりつらいらしい。
あたしはそんな彼を放っておきたくなかったけれど。
「行くぞ」
ニィジー・ジンに手を取られて、あたしは跳んだ。
着いたのは見覚えのある場所だった。静かな湖は水面が鏡のように凪いでいて、空の青さをどこまでも映し取っている。
そうだ、ここは間違いなく。
「ソフィアヤの神域……」
ラジャラウトスの夏の首都ソフィアヤにある、王城の奥深くの神域だ。あたしが化け物退治の手掛かりを探していた時、〝まれなる満月〟というランプのありかを聞きに来た場所。
「そうだ。じいさまが封じられている場所さ」
ニィジー・ジンがこともなげにそう告げた。
「待っていたぞ、わが女孫にして跡継ぎよ」
じょうじょうと響く不思議な声。人とは全く違う気配をまとったその魚は、人にはできない笑みを浮かべてあたしを見やった。
鱗の肌を持った美丈夫。でも乳房の膨らんだ、とても不思議な神代の魚。
その目も何もかもが人間らしくない。それも当然だった。だって王魚は人のような姿をとっているだけ。
人智を超えた、神代の存在だもの。
「へえ、跡継ぎ跡継ぎって言ってたのバーティのことなんだな」
感心した様子で言うニィジー・ジン。それに頷く王魚は、どことなく親愛の情というものを感じさせた。あたしの目の錯覚かもしれないけれど。
「お前はあまりにも父親の血を引かなかった。母親の血が濃い」
「ああ、七つの民の血だろうじいさま。しょうがないじゃないか。どっちの血を濃く受け継ぐかなんて子供にはわからないんだから」
「さよう、まあお前はそれでもかわいいわが孫だ」
ニィジー・ジンの言葉に王魚が微笑み返す。
ニィジー・ジンはくすぐったそうな顔をした。
「さて、茶番劇は終わりにしよう」
王魚はそう言うと、あたしの方を見た。
色のわからない瞳がじっとあたしを眺める。
「聴禍の風を止めたいと望んでいるらしいな?」
あたしは背筋を伸ばした。まっすぐに王魚を見返す。
「あの人を止める手段はどこにあるのでしょう」
「あれはもう人間には、どうしようもないところまで行ってしまった」
「そんな」
そう言いつつもあたしは納得していた。あの火柱は人が生み出せるものじゃない。人にどうにかできるものでもない。
「あれを止めるならば、王魚が知る手段は一つきりだ」
「それを聞いてもよろしいかしら」
一体どんなことを言うつもりなのか。身構えたあたしに王魚は告げた。
「吾を継げ。王魚となれば止める力を手に入れられる」
吾を継げ。夢の中のあたしを思い出した。人を捨てたあたし。どういう方法で捨てたのかは思い出せないけれど、あたしは人を捨てていた。
王魚を継ぐのが人を捨てる手段だというのならば。
あたしは……
「わかった。どうすればいいかしら?」
口から自然と言葉が出てきた。人を捨てる。その結末と言える、あの夢を知っている。
あの夢が誰かからの忠告なのかどうかも知らないあたしだけれど、もうそれしか方法がないならその方法を選ぶ。
「この剣を抜き放て」
あたしの答えを聞いて、その答えすら知っていたように笑って、王魚は自分の後ろを指さした。
そこには一体いつからあったのか、彼の下半身……魚の胴体が長々と寝そべっていた。
そこに突き刺さる一振りの剣。
夢の中の剣と酷似したものだった。とても古めかしい、時代遅れの形の剣だ。直刀で、蕨手の柄を持った古い古い形の剣。
夢であたしがふるった剣に。イリアスさんにとどめを刺した剣にそっくりだ。
「これが吾の代替わりを封じている。これが抜ければ代替わりも行えるだろう」
「あなたを封じられるものがこの世に存在していたの?」
「是。これは神代の剣、真なる剣。生半な神は突き立てられただけで致死の傷を負う、神殺しの剣。抜き放てる者は今まで一人としていなかった」
「あたしに抜けるという確証はあるの?」
「吾は先見の力を持つ。その力が見せた。お前が剣を抜く様を」
「未来なんて不確定なものでしょう?」
「それはそうだ。吾が見る未来は分岐する道の一つ。真実かどうかは誰もわからない」
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