【本編完結】海辺の街のリバイアサン ~わたせなかったプロポーズリングの行方~

礼(ゆき)

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第二章 うちあげられた少女

13.

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「過去の清算にきたのね」
「その通りだ」

 ソニアが皿を運んできた。

「お話中、失礼するわ」

 料理が運ばれてくる。タイラーとロビンの会話が途切れる。

 海辺の街らしい赤身の魚と貝類に香草を載せてじっくりと焼いたメインの一皿。
 果物を混ぜた鮮やかなサラダ、きのこと根菜のコンソメスープに、温かいクロワッサンが用意された。
 ドリンクはハーブティー。ガラスのポットからカップに、ソニアが目の前で注ぎ入れる。透明なカップに透き通るオレンジ色がなみなみと注がれると、甘い香りが立つ。

 朝食の準備が整い、ソニアも席に着いた。
 ふわふわしていたロビンも、いつの間にかしゃんとしていた。
 静かな食事が始まる。

 食事中、ソニアが日常のあらましを説明してくれた。

 平日の午前中、週二回ほど庭師が来て庭を整える。
 掃除婦は毎日来て、部屋を順番に掃除していく。二人暮らしなので使用する部屋も少ない。使っていない部屋は週一回、見回りもかねて掃除をお願いしており、いつも、朝ごはんが終わり、くつろいでいる頃に来てくれるという。

「二人が来たら買い物に行くわね、ロビン」
「分かったわ。タイラーが一緒なら、いつもより長くお出かけしてもらってかまわないわよ」
「でも……」
「ソニア。ぜひ、案内してあげて」
「掃除婦の方もいるもの。大丈夫よ。私、あの方の昔話、とても好きなのよね」

 心配そうなソニアに、ロビンは気丈に微笑みかける。続いて、タイラーに視線を投げる。

「タイラーだって街へ出て、すぐに帰ってきては残念でしょう。港近くまで行きたいのではない?」

 海は見たいと思っていた。
 そこはアンリが消えた海だ。決別のためには、目を逸らすことはできない。
 とはいえ、自ら積極的に足を運ぶ気にはならなかった。一人でとなると、踏ん切りがつかないものだ。

(ソニアと一緒になら……)

 行ける気がした。

「それは、願ったりですね」

 タイラーはソニアの様子を伺う。
 断られる理由は一つだろう。案の定、ソニアはロビンを心配している。

「時間がかかるわ」
「私は大丈夫よ。買い物とお客様への案内が両方あるものだと思ってね」
「でも……」
「大事な事よ」
「……わかったわ」

 ゆったりとした口調であっても、ロビンが言い切ると、ソニアは萎れるように折れる。
 ロビンのお願いには弱いのかもしれない。

 食事の片づけと出かける準備が整うまでは一時間ほどかかる。
 ということで、時間がきたら玄関に来るようソニアに言われ、タイラーは了解した。

 一端、寝室へ引き返す。
 タイラーはベッドに転がった。

 仰向けになり、右を向き、体を横にすれば、また反対をむく。
 なんとも落ち着かない気持ちにかられる。
 胸元に潜ませているリングが体を動かすたびに、右へ左へと揺れた。

 ソニアはアンリとは違う。髪色も違う、年齢はさらに違う。十歳は年下だ。

 胸元にわく感情を言葉にすることはためらわれる。ましてや、出会った頃の亡くなった恋人に似ているなど、口が裂けても言うわけにはいかない。

(ソニアとアンリは別人だ。年齢も、色合いも、選ぶ服装も、佇まいもまったく違う)

 タイラーが二人の違いを考える。

 闊達なアンリなら、これだけ広い部屋であっても、掃除婦を入れずに、自ら掃除をするだろう。働きやすさを重視し、半そでのシャツにパンツ姿を選び、ワンピースに袖を通すことはない。

 ワンピースを着るソニアはどこか淑女のような雰囲気さえ漂わせている。ワンピースでは動きやすさも限界がある。
 病弱な主人の話し相手と食事作りという単調な日々にも慣れ親しんでいるようだ。アンリならそんな単調な生活は肌に合わないはずだ。

(わきまえないとな)

 おとぎの国の少女ようでいて、ソニアは実在する女の子だ。架空の登場人物ではない。
 依頼人の使用人と客人という一線は忘れてはいけない。





 朝食後小一時間経過し、タイラーは休んでいた寝室から出た。
 玄関に向かって歩く途中の廊下で、ソニアが天井を見上げて、難しそうな顔をしているところに出くわす。

「どうした」

 タイラーが声をかけると、はたと気づいて振り向いた。横に立ち、彼女の見上げていた天井に目をむける。中央に丸い電球が見えた。

「この電球、昨日の夜見た時、切れていたのよ。取り替えないといけないと思ってたんだけど、忘れてたわ」
「この電球を天井から外せばいいのかい」
「そう。だけど、これからタイラーと買い物へ行くでしょ。やっぱり帰ってからにした方がいいと思うのよね。手が届かないもの、これから踏み台を用意していたら時間がなくなるわ」

 掃除婦が帰宅する時間を気にしているのだろう。
 廊下の天井はそれほど高くはない。この高さなら手を伸ばせば届くだろう。

「たぶん、とれると思うよ」 

 タイラーは壁に手をかけ、つま先立ちをする。
 天井に伸ばした指先で電球の底に触れた。
 指先を底をつまんでひねると、くるくると電球が回転し、カタリと外れた。

「これでいい」

 取れた電球をソニアに差し出す。
 きょとんとしていた彼女の顔が明るくなり、電球を受け取った。

「ありがとう」

 華やぐ笑顔こそ何よりの報酬だ。

「替えの電球はあるかい」
「あるけど……、戻ってからにするわ」

 時間が惜しい。
 ソニアの意向を、タイラーは尊重する。

「わかった。では先に玄関で待っているよ」
「男の人がいるって助かるのね」

 誉め言葉を残し、笑顔のソニアが奥へ消えていく。
 タイラーは首に手をそえ、玄関へと向かった。
 ソニアから受け取った笑顔のありがとうが、なんとも言えずむずがゆかった。




 靴を履いて待っていると、少し遅れてソニアがやってきた。
 ライトグレーのワンピースに、小さなカバンを斜めがけして「待たせてごめんなさい」と、急ぎ靴をはく。
 ヒールが少しばかり高めの線の細い印象の靴だ。
 やはりアンリとは趣味も違い、別人だなとタイラーはしみじみと感じいる。

 ソニアと一緒に別荘を出た。背後には山がそびえ、なだらかな坂が下へ下へと続いている。

 線路とかわいらしい駅舎もある。線路が入りこむ大きな倉庫のような建物は車庫だろう。
 列車用の車庫の後ろに回り込むような道があり、そこが別荘地と海辺の街への出入り口になっていた。

「駅の前にも商店がいくつかあったが、あれは」
「駅舎の迎えにある店は、貨物列車で運ばれてくる品を取り扱う店よ。生鮮品などは海辺の街へ買いに行くのが一般的なの」

 線路より下へくだると途端に道が狭くなった。

「これだけ狭いとさすがに列車で運んできた荷物類を運ぶのが難儀なのよ」
「車も走りそうにないほど、狭いね」

 不揃いな石が敷き詰められている道はがたがただった。とても車はまっとうに進めない。二車線確保できない幅のうえに、歩行者もいる。これでは歩道用にしかならない。

「道路の舗装や拡張は考えなかったのか」

 観光地として歩くだけならば問題ないかもしれない。街の印象的な特徴になる可能性はある。そうだとしても、生活上は不便ではないか。

「そこは住民が反対なのよ」
「なぜ。不便だろう」

 本音がもれた。

「景観を重視しているの。
 今でこそ、閑古鳥が鳴いているけど、古くは王族や貴族の別荘地でもあったの。
 その時期に建築家や芸術家もやってきて、今の街の原型ができているのよ」

(観光地にしたいというよりは、返り咲きたいということか)
 なるほどとタイラーは合点がいく。

「街並みがとても綺麗でしょう。この街の装いには住民の自意識が込められているのよ」

 高くても三階建てまでの建物が続く。色あいも似ており、形状も大きさの違いや若干のデザインの違いはあっても似通っていた。

「この家々は、昔からのままなのかな」
「そう。建てられたそのままを維持しているの」

(歴史的な建造物に住んでいると言えるのか)

 連綿と人々の暮らしが続いているのはなかなか魅力的だ。

「すごいな。やはり住んでいる人に聞くと早い」
「私の知っていることなんてほんの少しよ」
「いや。俺一人でそこまで調べるのにかかる労力を考えたら、二日分は楽させてもらったよ」
「それは褒めすぎじゃないの」
「そんなことないさ」

(狭い道をソニアと肩寄せ合って歩くのが一番楽しいけどね)
 余計な一言は口にしない。

 縫うように曲がりくねる道の幅は車二台分あるかないか。住宅と住宅の間を通る道はさらに狭く、車一台ギリギリ通れるかどうかだろう。傾斜があることを物語るように、ところどころ階段もあり、ロビンが荷物を運ぶのは難儀と評したことが身に染みて理解できた。

「なかなかな道だね」

 苦笑いしてそう評価するしかなかった。

 地図があればたいていの道は歩けると思っていたが、ここまでゆるく細く曲がる道なら、途中で不安になりそうだ。誰かいてくれた方がありがたい。

「やっぱり、ソニアと一緒で良かったよ」

 タイラーは心底、そう思った。

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