【本編完結】海辺の街のリバイアサン ~わたせなかったプロポーズリングの行方~

礼(ゆき)

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第三章 もういちどあなたと

21.

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「ご飯にしましょう」

 抱擁されていたソニアが、か細い声でささやき、タイラーは腕をはなす。
 すわって食べて片付けるのも面倒な気がした。このまま、立ち話しながらの食事でもいい気がした。

「立ったまま食べるか」
「それはダメ。ちゃんと座って食べましょう」

 ソニアが目をむく。
 押し返された勢いをもって、そばのテーブル席にタイラーは座らされる。ソニアはキッチンに回り込み、朝食の準備を始めた。

「朝ご飯なら立ったままでもかまわなかったのに……」
「だめよ。ちゃんと座って食べないと」
 告白してキスをしても、ソニアはソニアだった。いそいそと鍋からスープをよそい、スプーンをさし、運んでくる。一つはタイラーの前に置き、もう一つを隣に置いた。

「なによ」
 照れ隠しか、睨むように見下された。かわいいなあとタイラーは目を細める。
「ロビンもいないし、気を使わないでよ」
 二人きりだと思うと、おもむろに触れたくもなるが、我慢する。
「そんな気は使ってないわ」

 ソニアも座った。昨日まで斜めむかえにいた彼女が隣にいる。
「……むかえより隣の方が近いし……」
 ロビンがいないからこっちにいるのよ、それぐらいわかってよ。そんな無言の理解を求められているようだった。ソニアは、背を向け体を斜めにする。

 タイラーは肘をついて、ソニアの青い髪を見つめた。撫でるだけなら許される範疇だろう。
「こっちむいてよ」
 そうお願いしても、振りむいてくれないのは分かっていた。タイラーは手を伸ばし、髪を撫でる。

 びくんとソニアの体が反応し、強張った。戸惑いからソニアも髪をいじり、耳にかける。
 恥ずかしいがっているのが明らかで、いじらしい。
 露になった耳が紅色していた。

 タイラーは彼女の髪に触れていた手を引く。

 隣に、好きな人がいる。
 何年ぶりかなと思いをはせれば、口元がほころんだ。

 ソニアが用意してくれたスープを口にする。薄味だった。野菜はたくさん入っている。肉も少し。ロビンが食べやすいように作っているのだと分かる。素っ気ないように見えて、ちゃんと優しい味がする。彼女の思いやりが染みてくる。

「美味しいね」

 彼女と居る空間に充満する空気さえ甘く感じられた。




 朝食を終え、ソニアが片づけを始めると、タイラーは寝室へ戻った。財布をポケットに入れると部屋を出て、玄関へと向かう。靴を履いていると、後ろから足音が響いてきた。

「待って、タイラー。買い物袋がないと不便なの。持っていって」

 靴を履き終えて立ち上がったタイラーに、ソニアが手にしていた布袋を差し出してくる。受け取り、まじまじと見つめた。
 なぜと思うものの、都会のスーパーとは違うのだと、はたと気づく。

「昨日、ソニアも持ち歩いていたもんな」
「そう。ないと、きっと困るわ」

 気づいて追いかけてくれた些細な優しさにうれしくなる。

「ありがとう」

 礼を告げると、ソニアの笑顔が華やぐ。

 タイラーの手が伸びる。どこに触れようかと指先を震わせ惑う。スカイブルーの髪に触れたくて、前髪を手のひらでそっと上げた。彼女の瞳がふわっを浮き上がる。呆けた表情が幼げで可愛らしい。露になった額に唇を寄せた。感触も残らない、触れるようなぬくもりは、額にじわっと溶けたことだろう。

「行ってくるよ」

 ひらひらと手を振り、タイラーは出かける。
 ソニアが額を抑え、なんとも言えない戸惑った顔で首まで赤くして、見送った。

「……行って、らっしゃい」

 ソニアのか細い声を背に受けて、外に出る。

 空を見上げたら、彼女の髪色と同じように青かった。

 いいなあとタイラーはしみじみと感じいる。小さい娘(こ)に触れて返す反応がいちいち愛おしくて、癖になりそうだ。
  
 ソニアと歩いた道を進む。坂を下りる足取りは軽かった。昨日より疲労感が少ない。目的地への距離が分かった方が歩くのが楽になる。

 広場に出た。その一角にひしめき合う出店が並ぶ。どこかの地域にみられる、祭りの夜店の雰囲気に近い気がした。地産地消でまわっている大らかな商い。
 歩いているだけで、知らない街の一員になる錯覚はとても楽しい。

 ソニアのように見回しながら、目当ての店を探し歩く。昨日話しかけた恰幅の良い果物を売る女性の店はすぐに見つかった。

「こんにちは」
「いらっしゃい、あら、昨日の人だね」

 女性がまぶしそうに目を細める。

「覚えていてくれたんですね」
「まあねえ。見ない顔だし、あの子と一緒だったら、おぼえているよ」
「今日は、彼女に頼まれてお使いできました。果物を買いにきたんです」

 果物は五種類ほど積まれていた。それぞれの商品に値段もついていない。その場の言い値なのかもしれない。タイラーは財布を取り出し、紙幣一枚と袋を女性に差し出した。

「勝手分からず、すいません。見繕てもらえると助かります」

 そんな買い方をする人はいないのだろうか。女性は目を丸くして、笑いだした。

「ははは、そうだろうね。値段がない店も多い。なに、毎日来てたら分かるさ。だいたい相場ってもんがある。
 大丈夫、見繕ってあげるよ。おまけも入れてあげるさ」

 遠慮なく女性は紙幣と袋を受け取った。

 紙幣をポケットにしまい込むんだ女性は、袋の口をあけると、果物を手にしては仕分けを繰り返し、袋に詰めていく。鮮やかな手さばきを眺めがら、俺は女性に何げなく声をかけた。

「ところで、ソニアから聞いたんですけど、人魚島にお知り合いがいると……」
「ああ、人魚島には親戚がいるよ」

 女性は果物を見つめ、手を動かしながら答える。

「今度、人魚島に行こうと思っていまして、往復便が一日一便と聞いてます。
 その日のうちに戻るか、少し滞在するか決めかねているんです。仮に宿泊するなら、あそこには泊まれる宿はあるのでしょうか」
「島には漁師が漁のため一時滞在したり、魚貝を買い付けていくこともある。海によっては帰れないだろ。宿泊する部屋を用意してある家もちらほらある。島の者に聞けば、すぐに教えてくれるよ。
 旅行者も稀にいる。頼めば泊めてくれるさ」
「旅行者は稀ですか……」
「そうさね。こんな小さな海辺の街だ。そうそう旅行者は少ないよ。街の者が島へ、島の者が街へ、往復するなら、一日一往復で十分なのさ」

 女性が袋を差し出してくる。果物がいっぱい入っていた。買いすぎたろうか、と少し不安になる。ソニアが人魚島に出かけ、家を空けるなら、買い置きがあっても無駄はないかと思いなおした。

「三年前の海難事故から、物好きが少し訪れるようになった気がするよねえ」
「三年前ですか」

 シーザーもそんなことを言っていたとタイラーは思い出す。

「あの時、栗色の髪をしたお嬢さんと話したね。人魚島へ行くけど、宿泊施設があるか心配だと世間話になってね。気さくな印象のだったよ」

 唐突にアンリの話題が零れ落ちてきた。
 タイラーの背筋がぞくりと冷える。

 こんなところで、彼女の足跡に出会うとは思ってもいなかった。
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