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第五章 海の泡
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ずぶ濡れになり一人で宿に戻ってきたタイラーを見ても、老女は驚かなかった。
海水と砂にまみれたタイラーにシャワーを浴びるようにすすめる。
熱い湯に打たれながら、こびりついた砂を流した。
さっぱりし、着替え終え、水場を出ると、老女に声をかけられた。
「熱いお茶、飲むか?」
ふぉふぉふぉと声をあげず、口元のみ動かし老女は笑う。
「いただきます」
聞きたいことが山ほどあった。居間へ導かれて、ローテーブルに向かいあって座る。
差し出されたカップを両手で包む。注がれているお茶は熱かった。
立ち上る湯気を吸いこめば、肺があたたかくなり安らいだ。
「海に行ったな。帰ったんだなあ。迎えにいかなあ、いけんなぁ」
「明日、ロビン。一人の女の子を連れて、海の上に来てほしいと言われました」
(この人は、なにもかもお見通しなのか)
老女が熱い茶をすする。
「あなたに聞きたいことがあります。教えていただけますか」
老女は目を細め、しわくちゃの顔にさらに深いしわを刻みこんだ。
タイラーは老女のペースに合わせて、教えを乞うた。
たどたどしい老女の物語を脳内でタイラーは要約する。
リバイアサンと同化した娘を人魚姫と呼び、海へ近づけない風習は、海水に沈むと竜に戻ってしまう現象に由来する。せっかく生き残るため同化したのに死んでは意味がない。水中では有利な水生物に戻り、存生を優先させていると島では理解されている。
海でリバイアサンへ変容すると陸へはほぼ戻ってはこない。竜としての生きる道を選んだに等しく、古くは貴族から逃げ出した娘達がよく海に身を投げていたそうだ。
リバイアサンと人間の共生には限りがある。
竜が癒され人間と分離する時、大量の泡が発生する。
海中で放出された泡から竜が逃れ、巨大な泡玉が残る。その泡玉が海水へと溶けだしてしまえば、泡に残された人間は姿形戻ることなく泡のまま消えてしまう。
貴族から逃れた娘たちは、そのように泡と消える道を選んだと言われている。
島では、時期が来るまで娘たちは各家で大事にかくまわれる。髪が常時濡れそぼるようになると、リバイアサンとの分離が近いことを示す。天候が良い日を選び、娘を沖へ船で連れて行く。
その時、必ず家族や恋人が船にのる。
泡玉のまま海で漂い溶けてしまう前に、愛する者が手を伸ばし分離した娘を泡の中から引き上げるのだ。誰でもいいわけではない。人間の姿を知る、娘を想う者がいてこそ人間に戻れるのだという。
「俺が彼女をその泡の中から救い出せばいいんだな」
覚悟を込めて噛みしめる。
「わしは、母が迎えてくれたぁ」
「母親でもいいのですか」
老女は震える指を二本折り曲げて、三という数字を示す。
「わしゃ、三回だ」
「三回……同化したということですか」
ゆっくりと首を縦に振る。
「二度目はぁ、夫。三度目は子どもだ。人によっては兄妹が迎えにいくこともあるなあ」
詳しいわけだとタイラーは合点する。
「三年前に髪が栗色のアンリという女性がきたと思います。覚えていますか」
「ああ」
「あなたは、俺と連れ立ってきた青い髪の少女が、三年前にきた女性と同一人物だと見抜かれていましたね」
老女はにぃっと顔をほころばせる。目と皺の区別がつかない笑みだ。
「ああ。あんたと似てるよ」
「俺と……」
「よく話をきくなあ。似合いだなあ」
だしぬけに言われた一言に虚を突かれ、じわっと似合いという言葉の意味が浸透するなり、少年のようにタイラーは照れてしまう。
そんなタイラーを見つめて、老女は茶をすすった。
老女に礼を告げ、タイラーは部屋へ戻った。そのまま電気もつけず、ベッドへと身を投げる。
明日は長い一日になるかもしれないと腹をくくった。
「まさか一人で泊まることになるとはなあ……」
つぶやくうちに意識がすううと眠りの世界へ溶けていった。
タイラーは夢を見ることなく朝を迎えた。
窓辺に立つと太陽はすでに高く、陽光に照らされた海がキラキラと輝いていた。太陽が高い。昼近くまで寝入っていたのだ。
着替え部屋を出ると、廊下や各部屋を掃除している老女に鉢合わせる。
朝とも昼とも言える挨拶を交わし、朝ご飯はローテーブルに用意していると言われ、ありがたく頂戴する。昼ごはんと兼用だなと思いながら頬張った。
海辺の街への定期船は昼過ぎに出港する。食べ終え、食器をシンクへ片づけて部屋に戻った。アンリの荷物も含めて荷造りする。二人分の荷物を持ち宿を出た。
「色々教えていただき、ありがとうございます」
「また、二人でおいでぇ」
玄関先で、目を細めて老女はタイラーを送り出した。
離れてからもう一度振り向くと、まだタイラーを見つめいる。もう一度会釈し、定期船へと向かった。
乗りこんだ船で出発を待つ。一人で戻る侘しさに押しつぶされそうであった。
片割れがいないことが寂しくて、ならない。
帰りに捨てようと思っていたリングが、事情も推し量らず密やかに、胸で揺れている。タイラーは船内に籠り、衣服の上からリングを握りしめた。
船が出港し、波を漕いで進む。
白い小さな泡が船横を流れ消える。
空を飛びまわる海鳥が、甲高い声で鳴く。
この街にきた時は今この瞬間にリングを捨てようと考えていたと、タイラーは追想する。
思い出をリングとともに海の藻屑とし、人生の門出にする予定だった。愛した少女と一緒に人魚島へと旅立てば、奇しくも彼女こそ焦がれていた女性自身だったとは……。
寂しくはあるが、心は穏やかだった。奇妙なほどに冷静である。
穏やかに現状を受け止めていることが不思議だ。迎えに行くと決意すれば、後は彼女が望む行動を選択するだけだ。もう一度迎えに行く。愛していると告げる。
甘えたかったというアンリの望みを叶えてあげれるほど、この三年で成長したのだと思えば、感慨深い。苦しんだ三年が報われたようでもある。
おなじ女性に二度恋をする。贅沢な気さえしてきた。
捨てるはずのリングの行方は決まった。
必ずアンリに渡そう。
タイラーは胸にさげたリングに誓いを立てる。
海水と砂にまみれたタイラーにシャワーを浴びるようにすすめる。
熱い湯に打たれながら、こびりついた砂を流した。
さっぱりし、着替え終え、水場を出ると、老女に声をかけられた。
「熱いお茶、飲むか?」
ふぉふぉふぉと声をあげず、口元のみ動かし老女は笑う。
「いただきます」
聞きたいことが山ほどあった。居間へ導かれて、ローテーブルに向かいあって座る。
差し出されたカップを両手で包む。注がれているお茶は熱かった。
立ち上る湯気を吸いこめば、肺があたたかくなり安らいだ。
「海に行ったな。帰ったんだなあ。迎えにいかなあ、いけんなぁ」
「明日、ロビン。一人の女の子を連れて、海の上に来てほしいと言われました」
(この人は、なにもかもお見通しなのか)
老女が熱い茶をすする。
「あなたに聞きたいことがあります。教えていただけますか」
老女は目を細め、しわくちゃの顔にさらに深いしわを刻みこんだ。
タイラーは老女のペースに合わせて、教えを乞うた。
たどたどしい老女の物語を脳内でタイラーは要約する。
リバイアサンと同化した娘を人魚姫と呼び、海へ近づけない風習は、海水に沈むと竜に戻ってしまう現象に由来する。せっかく生き残るため同化したのに死んでは意味がない。水中では有利な水生物に戻り、存生を優先させていると島では理解されている。
海でリバイアサンへ変容すると陸へはほぼ戻ってはこない。竜としての生きる道を選んだに等しく、古くは貴族から逃げ出した娘達がよく海に身を投げていたそうだ。
リバイアサンと人間の共生には限りがある。
竜が癒され人間と分離する時、大量の泡が発生する。
海中で放出された泡から竜が逃れ、巨大な泡玉が残る。その泡玉が海水へと溶けだしてしまえば、泡に残された人間は姿形戻ることなく泡のまま消えてしまう。
貴族から逃れた娘たちは、そのように泡と消える道を選んだと言われている。
島では、時期が来るまで娘たちは各家で大事にかくまわれる。髪が常時濡れそぼるようになると、リバイアサンとの分離が近いことを示す。天候が良い日を選び、娘を沖へ船で連れて行く。
その時、必ず家族や恋人が船にのる。
泡玉のまま海で漂い溶けてしまう前に、愛する者が手を伸ばし分離した娘を泡の中から引き上げるのだ。誰でもいいわけではない。人間の姿を知る、娘を想う者がいてこそ人間に戻れるのだという。
「俺が彼女をその泡の中から救い出せばいいんだな」
覚悟を込めて噛みしめる。
「わしは、母が迎えてくれたぁ」
「母親でもいいのですか」
老女は震える指を二本折り曲げて、三という数字を示す。
「わしゃ、三回だ」
「三回……同化したということですか」
ゆっくりと首を縦に振る。
「二度目はぁ、夫。三度目は子どもだ。人によっては兄妹が迎えにいくこともあるなあ」
詳しいわけだとタイラーは合点する。
「三年前に髪が栗色のアンリという女性がきたと思います。覚えていますか」
「ああ」
「あなたは、俺と連れ立ってきた青い髪の少女が、三年前にきた女性と同一人物だと見抜かれていましたね」
老女はにぃっと顔をほころばせる。目と皺の区別がつかない笑みだ。
「ああ。あんたと似てるよ」
「俺と……」
「よく話をきくなあ。似合いだなあ」
だしぬけに言われた一言に虚を突かれ、じわっと似合いという言葉の意味が浸透するなり、少年のようにタイラーは照れてしまう。
そんなタイラーを見つめて、老女は茶をすすった。
老女に礼を告げ、タイラーは部屋へ戻った。そのまま電気もつけず、ベッドへと身を投げる。
明日は長い一日になるかもしれないと腹をくくった。
「まさか一人で泊まることになるとはなあ……」
つぶやくうちに意識がすううと眠りの世界へ溶けていった。
タイラーは夢を見ることなく朝を迎えた。
窓辺に立つと太陽はすでに高く、陽光に照らされた海がキラキラと輝いていた。太陽が高い。昼近くまで寝入っていたのだ。
着替え部屋を出ると、廊下や各部屋を掃除している老女に鉢合わせる。
朝とも昼とも言える挨拶を交わし、朝ご飯はローテーブルに用意していると言われ、ありがたく頂戴する。昼ごはんと兼用だなと思いながら頬張った。
海辺の街への定期船は昼過ぎに出港する。食べ終え、食器をシンクへ片づけて部屋に戻った。アンリの荷物も含めて荷造りする。二人分の荷物を持ち宿を出た。
「色々教えていただき、ありがとうございます」
「また、二人でおいでぇ」
玄関先で、目を細めて老女はタイラーを送り出した。
離れてからもう一度振り向くと、まだタイラーを見つめいる。もう一度会釈し、定期船へと向かった。
乗りこんだ船で出発を待つ。一人で戻る侘しさに押しつぶされそうであった。
片割れがいないことが寂しくて、ならない。
帰りに捨てようと思っていたリングが、事情も推し量らず密やかに、胸で揺れている。タイラーは船内に籠り、衣服の上からリングを握りしめた。
船が出港し、波を漕いで進む。
白い小さな泡が船横を流れ消える。
空を飛びまわる海鳥が、甲高い声で鳴く。
この街にきた時は今この瞬間にリングを捨てようと考えていたと、タイラーは追想する。
思い出をリングとともに海の藻屑とし、人生の門出にする予定だった。愛した少女と一緒に人魚島へと旅立てば、奇しくも彼女こそ焦がれていた女性自身だったとは……。
寂しくはあるが、心は穏やかだった。奇妙なほどに冷静である。
穏やかに現状を受け止めていることが不思議だ。迎えに行くと決意すれば、後は彼女が望む行動を選択するだけだ。もう一度迎えに行く。愛していると告げる。
甘えたかったというアンリの望みを叶えてあげれるほど、この三年で成長したのだと思えば、感慨深い。苦しんだ三年が報われたようでもある。
おなじ女性に二度恋をする。贅沢な気さえしてきた。
捨てるはずのリングの行方は決まった。
必ずアンリに渡そう。
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