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本編

22,誰もいない、石畳で

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 太子御所の門をくぐったセシルとデュレクは、階段を降りきり、灯篭が並ぶ石畳におり立った。

「緊張した~」

 人心地ついたとばかりに、胸に一杯に吸い込んだ空気を吐きながら、デュレクは解放感を込めて叫ぶ。
 立ち止まったセシルが振り向き、デュレクと向き合う。

「よくできていたじゃないか」
「セシルの真似をしたんだよ。俺、一人だったら、殿下どころじゃない。閣下にだって、まともに対応できなかったよ」
「そうか?」
「さすがだよ、セシル。セシルがいなきゃ、駄目だった。俺、もう、セシルの部下でいいよ。部下ね、部下」
「侯爵家の人間が、冗談を」

 さすがのセシルも鼻で笑う。

「冗談じゃないさ。俺は、前線はそれなりにやってきたけど、こういう公の場はてんでダメなんだよ」
「侯爵家の者が何を言う。まるで、礼儀作法は習っていないとでも言いたげだな」
「その通りだよ。俺は、貴族としての教育は受けていない」
「なぜだ。団長の弟だろ」

 デュレクが切なそうに眉をひそめる。
 その顔色の変化に、セシルはしまったと内心焦る。

「ブラッドレイ、という苗字。ということは……、非嫡出子なのか」

 デュレクは静かに頭を振った。

「違う。兄貴と俺は、同じ両親から生まれている」
「ならば苗字の違いは、眼帯と同じように今回の抜擢のためのカモフラージュ……」
「かっこよく、そうだと言えればいいんだけどな。セシル。歩きながら、話そう」

 数歩進み、セシルの横でデュレクは悲し気な視線を一瞬送り、前を向く。
 意味深な視線に息をのみ、セシルはデュレクの横につき歩みだす。

「侯爵家は瞳の色を重視する血統主義の家だ」
「よくある家だな」
「そんな家に、片方だけ紅の瞳の子どもが生まれた。家は騒然となったそうだよ。母の不貞が疑われた。証拠はなくとも、母は肩身の狭い思いをした。俺が生まれて後、父と母は仲たがいしたままだ。といっても、まったく交流はないんだよ。聞いた話ってやつだ。
 おそらく、俺みたいな異端が生まれたのは、数代前に分家が平民との混血で子を成して、その血縁を受け入れた結果の可能性が高い」

 セシルは前を向くデュレクの横顔を見つめる。歩調は、いつもの半分以下まで落ちていた。

「片目だけ紅の俺は、家で異端者のような、平民のような扱いを受けて育った。子息として扱っていいのか判断しかねる使用人は余所余所しく、厄介事のように俺を避けた。
 子どもの頃は、とかく孤独だったよ。
 
 相手をしてくれるのは兄貴だけだった。兄貴が話しかけてくれて、笑いかけてくれなければ、俺はまともに言葉さえ話せない、動物で終ったかもしれないと、今でも思うよ。
 生涯、屋敷の奥座敷に閉じ込められるんだ」

「嫡出子なのに……」
「嫡出子だからこそ、こんな片目だけの半端物を許せなかったんだろう」
「酷いな……」

「思想に毒されるって、そういうことだよ。侯爵家は、今もそんなに俺の扱いは変わっていない。
 子どもの頃に話を戻すと、兄貴が文字と計算を教えてくれた。剣術は、兄貴の相手をして覚えた。幼い兄貴にとっては、俺を通して、習ったことを復習していたんだろうな。
 それだけじゃない。病気になれば看病をしてくれたのも兄だった。本当に、屋敷で俺は人間として見られていなかったと思うよ。兄貴がいなければ、俺はとうに壊れていただろうな」

 涼しい声音でも、とんでもないことを話しているとセシルは思う。
 
「そこそこ読み書きができるようになって、俺は学校に行くことになった。親は、とことん俺が侯爵家の人間だと知られたくなかったんだ。
 貴族の子が行く、貴族向けの学校ではなく、最低限の読み書きを学ぶ平民向けの学校に、俺は放り込まれた」
「兄と弟の待遇が違いすぎるだろ。少なくとも、デュレクは片目は紅だろうに……」

 憤るセシルにも、デュレクは切なげに笑むだけだ。

「俺が、眼帯をしているのも、その時からなんだ。苗字をブラッドレイと名乗っているのもね」
「そんな昔から……」
「片目の色が違う。それだけで、生まれた時から俺はそんな扱いだ。もし、両目が褐色だったら、きっと俺は平民の養子に出されるか、孤児院にでもほうりこまれていたかもしれないな。
 宰相閣下や王太子殿下に会えるようになるまで、出世していることが異例なんだ。俺自身が信じられないよ」

「団長曰く、デュレクは魔眼の力を有しているんだろ。それでも、ダメなのか。片目しか貴族の象徴がないことが、そんなにいけなことなのか」

「今となっては、どうだろうね。俺からしてみたら、家はもうごめんだ。近寄りたくもないね」

 さもありなんという返答に、セシルは自身の境遇を重ね見てしまう。 
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