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本編

27,帰路に就く

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 王宮を出て、道を歩き始めたデュレクが、セシルを見て、にっと笑った。

「やっぱり、中枢は緊張するな」

 その明るい笑顔に、セシルは、目を丸くする。

「ただ、緊張してて、黙っていただけなのか」
「そりゃそうだろ。兄貴からは、色々止められている。無駄口を叩いているうちに、ぽろっと肝心なことをしゃべってしまうかもしれないだろ」

 デュレクは笑う。

(よく笑う男だな)

 昨日から一番見ている表情が笑顔なのではないかとセシルは思い至る。

 二人は王宮前を横切る大通りを歩く。道に沿って店が並んでいる。店の上階は、様々な民間が営む事務所が入る。

 道の中央を馬車が行きかう。
 店沿いの脇を人が前に後ろに歩いてゆく。

 ちらちらと眼帯をつけているデュレクを見る者がいる。眼帯だけでなく、貴族の眼をした女性騎士と連れ立って歩いているため、否応なく人目を引いていた。
 大人の貴族が道を歩くことも少なくないため、じきに街の人混みに二人は紛れていく。

 周囲を気にせず、二人は言葉を交わしていた。

「今日、明日はどうする。デュレク」
「出歩いても仕方ないしな。家の片づけと、食べて、寝る……って、味気ないか」
「いや、いいんじゃないか。英気を養うことも大切だ」

「家に荷物置いて、少し寛いだら、夕飯の買い出しに行こうか」
「買い出し?」
「材料買ってきて、家で作るんだ」
「料理を作れるのか」
「そりゃあねえ、前線にしたし。その前から平民に紛れて暮らしてきてたから、それぐらいできないとな」
「そうか、それはすごいな」

 セシルは素直に感心する。

「セシルだって、一人で暮らそうと思っていたんだろ」
「もちろん、暮らそうとは思っている。ただ、屋敷暮らしが長いので、暮らすということがつかめない」
「使用人がいる貴族の普通のお家なんだな」
「まあな」
「そこからの一人暮らしは大変だな」
「仕事をしているから先立つものがあるだけで、それ以外は後で考えるつもりだった。台所に立つ経験もない。変な行動を事前にとって、勘繰られたくなかった」
「家を出るのは、家には秘密にしてたんだ」
「きっかけが、きっかけだからな」
「まあ、どこの家も色々あるよな」

 しみじみとデュレクは相槌を打つ。

 わかるよなんて軽い言葉を発することはない。
 デュレクの境遇も、セシルの境遇も、唯一無二の経験だ。生まれ得た理不尽を呪うことなく、毒杯をあおって生きている。
 そういうじくじくとした痛みを抱える者と、触れ合う機会などそうそうない。

(ただの正当な血統書付きって、わけでもないお嬢さんか……)

 貴族の子どもは大なり小なり、言えない過去を持っている。非嫡出子が認知されずに隠匿されるように、嫡出子にまつわることも隠匿されている。

 デュレクのことも、侯爵家の内々に処理されたに過ぎない。

(魔眼が開眼したって、所詮、兄の道具程度にしか実家は見ない)

 実家にいると、人間であることを否定されてゆく。魔眼という道具に成り下がるようだった。その空気を肌で感じた瞬間の拒否感はおぞましい。

(兄が俺を人として扱おうとしても、あの中にいると、俺は卑屈にしかなれない)

 デュレクにとって、兄は特別だ。かばう兄がいて、やっと生きてきた時期は長かった。それこそ、前線に赴くまで、デュレクは兄の支えを頼りに生きてきた。前線に行ったのも、兄にこれ以上迷惑はかけれないということと、もう生きることが嫌になった。色々あるが、そんな心持ちが強かったように思い出される。
 
 死ぬために前線に立ち、死を前に、生きぎたなくも開眼した。
 
 紅の瞳を持つ侯爵家の魔眼がデュレクを助け、何人かの仲間と部下の命を救った。助けきれなかったものも多い。
 手のひらの臭いを嗅げば、今も腐臭と生臭い血の香りが漂ってきそうだ。

 肚が腐るような家。
 デュレクにとっての実家はそんなものだ。
 
 後頭部にまとめたアッシュブラウンの髪を左右に揺らす女性騎士を、デュレクは上から眺め見る。
 視線に気づいたかのように、セシルが見上げてきた。
 デュレクの心音が一瞬跳ねる。

「私の背景を考えると、デュレクとの同居はいい案だったかもな」
「なんで?」
「一人でどうやって暮らせばいいか、教えてもらえる」

 強かなセシルがにやっと口角をあげた。
 耳奥でどくどくと鳴った心音を悟られないように、デュレクは平静を装って笑む。
 
「ちがいない。居心地が良いなら、居着いてもかまわないよ」

 半分本気で言っていた。

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