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第三章 裏の儀式

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面の内側にうっすらと汗をかいた。
蒸してきたため、周囲に誰もいないことを確かめて、俺はそっと面を外した。

外気に触れた顔はすっと冷えて、気持ちがいい。
袖で額を拭う。

氷と雷はまだお目見えしていない時代なので、目立つ形では使いたくないが、手札として鍛錬は行っておく。不意を突くにはきっと役立つだろう。

近くに水場はないかと探すことにした俺はふらふらと森のなかに入りこむ。
顔の汗を流したい。

湖があった。木々に隠れるように広がる湖面はエメラルドグリーン。
深い輝く緑が美しく、湖面の中央にはぽこぽこと泡が絶え間なく浮いている。湖底から地下水が湧いてきているのだろう。

俺は湖の縁に座ると、片手で水を救い、軽く顔を拭った。最後の一すくいを口に含み、喉を潤す。

湖の反対側にある縁に生える草が揺らいだ。
俺は一歩引き、草に身を隠す、現れる人物を息を潜めて待った。

するとそこに現れたのは女だった。
さっぱりとした男装姿だが、胸のふくらみや腰から臀部にかけての造りは男のそれではない。

見覚えがある赤い髪が、緑の湖面に映える。
彼女は躊躇なく衣服を身につけたまま、水に入り込んだ。

「ゾーラか」

夜会で会った公爵家の魔導士だ。
俺を暗殺すると言われている未来の妻でもある。
もとより、暗殺される気は無いので、そんな婚約話が舞い込んできても断るつもりだが。

水につけられているゾーラの両手付近の水がざわざわと動き始める。
水滴が上に飛ぶように跳ねる。彼女の中心に、周囲の湖面に水滴が弧を描き跳ね飛び続ける。

彼女は水を操るのが得意で、大量の水を操作する練習でもしているのかもしれない。

俺の命にかかわるあまり接触したくない相手だ。
水の扱いが上手いという予備知識を得れたところで、俺は去ろうと後ろに後退したところで、謝って小枝を踏んでしまった。それだけならいいが、バランスを崩し、踏ん張った足元が若干ぬかるんでいて、俺は隣にあった木に体をぶつけてしまった。

転ばなかったのだけは幸いだ。

枝にもたれて前を見ると、ゾーラがこちらを見ていた。

草や枝が僅かに動いたことで隠れていたことがばれたのだ。

「そこにいるのは誰!」

ゾーラが水をかきあげる。
水は彼女の思いのままに波立ち、津波のように俺に襲い掛かった。

逃げきれない!

気づいた時には、俺は頭からびっしょりと水を被り、濡れそぼっていた。

逃げることも、仮面を外し、手にしていることも忘れ、俺はびしょぬれのまま草地を分け出た。

「突然、なにをするんだ!」

俺の顔を見た途端、ゾーラは蒼白になる。

すぐさま、湖面につきそうなほど体を屈曲させ、頭をさげる。
ゾーラは叫ぶ。

「もうしわけございません、殿下」

殿下?
俺はなにを言っているんだと、足元の湖面を見た。

そこには、俺の自意識を粉砕する端整な顔立ちの美青年がいる。
相変わらず、俺は俺の顔に違和感を感じ、かきむしるほどの気持ち悪さを感じた。

如月 悠真は皺くちゃの高齢者として死んでいる。さらにここまでほりはふかくなく、平べったい顔だった。
若いだけならまだしも、そんな自意識では、受け入れがたい顔が湖面に浮いている。

しかし、よく見れば、どこか見たことがある。

俺ははたと気づく。

その顔がどことなく、夜会で見た未来のマーギラ・スピアによく似ていると。

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