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第三章 裏の儀式

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殿下と間違えられて焦った俺は、湖で頭を下げるゾーラに向かって叫んだ。

「違う。俺は、マー……、ルーガロ・スピアではない」

ゾーラは顔をあげて、怪訝な表情を浮かべた。

「殿下じゃない?」

彼女の呟きが耳に届くものの、俺は気にしていられず、袖で顔の雫を払い、袖口で仮面の内側を拭うと、そのまま仮面を身につけた。
その面をつけた姿を見て、ゾーラもはっと気づいた。

「伯爵家の……」
「そうだ、俺は伯爵家の魔導士オーウェンだ。偶然、魔法の鍛錬のために人気のない場所にいたのであって、断じて……」

のぞき見などやましいことはないと、口が滑りそうになり、言葉を押しとどめる。
余計なことを言って墓穴を掘りたくなかった。

「待て」

ゾーラはすぐさま水から出てくる。
水につかって重たいであろう衣類を物ともせずに、ずんずん湖の周りをめぐり歩いてくる。

俺は逃げるわけにもいかずに、待ち続けた。
悪意がないのだと言うなら、逃げることもおかしいだろう。

驚くことに、ゾーラは歩いてくる間にすっかり足先から毛先まで体が渇いていた。
さらには、俺の濡れそぼった姿を見て、憐れみさえ浮かべるしまつ。

いや、乾かそうと思えばできた、できたんだ。
やっていない以上、それも言い訳にしかならないか……。

あらためて見たゾーラは化粧っけのない顔だか、肌は白く美しい。若々しさが溢れている。面立ちも整っていて、後世まで美貌が轟く理由が分かる気がした。

あくまで、俺を暗殺してからの話だが……。

「濡れたままだと風を引く。乾かす方法を知らないのか」
「乾かす方法?」

そんなことがこの時代にできるのか?
温度調節した風を操るなど。
いやしかし、今しがた彼女は利き手だけでなく両手から魔法を駆使していた。そうでなければ、身体を中心に弧を描くように水しぶきはあがらない。
俺に放水した時はさすがに利き手だったか、微弱なら、ゾーラは両手で魔法を使えると言うことだ。

「もしかして、貴女はここまで歩いてくる間に、衣服を乾かしてしまったのか」
「もちろん」

これには驚いた。
この時代はまだ両手で魔法を扱う時代ではないと思って俺の仮説が覆される。

「どうやってやったんだ。教えてほしい」
「濡れたままだと衣服は重いからな、乾かしてほしいのか」

理由はどうあれ、俺はうんうんと頷いた。

すると、ゾーラは両手を合わせ、少し空間を開く。そのなかに、風の渦を作りだした。風は見た目で変化は分からない。両手で起こした風に彼女は今、熱を込めているのか。その風に煽られてみれば分かるだろう。

「両手を使うなど、戦いの場では無作法な真似はしない」

両手を使うことは無作法なのか?
戦うのなら、問答無用でいいと思っていたが違うのか?

「卑怯な真似を当日はするつもりはない」

ゾーラはそう呟くと、俺に向かって両手をかざした。

熱風が吹き、俺をぐるぐると包む。適度に温度調節させた熱風だ。

温度調節。
両手で風を起こす。

なんていうことだ。
過去の知識がなくても、ゾーラはこの域まで自ら達していたということか。

風が収まった時、俺の衣類はすっかり乾いていた。

一仕事をして、ほっとした表情を浮かべるゾーラの肩を俺は掴んだ。

「どこでこんな魔法をつかえるようになったんだ」

俺に肩を掴まれたゾーラが両目を瞬く。

「……無作法とは思わないのですか」
「無作法? どこが。両手で魔法を使えるなんてすごいことじゃないか」

伯爵家の師でさえ、片手が当たり前で、両手の話は一つもしていなかった。

「えっと。これは、髪を乾かすため……」
「髪?」
「ええ。洗い終えた髪の根本をしっかり乾かして、香油をつけて、それから乾かした方が艶がでるんで……」
「あっ……、髪を乾かすため、だけに……」
「ええ。髪は綺麗な方がいいでしょ」

その答えに俺は呆気にとられた。

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