21 / 34
両親
しおりを挟む
「ありがとうございました」
婿さんにお礼を言う。
「じゃあ、ぼくはここで」
「そうですか」
両親は義妹夫婦にいい印象を持っていない。義妹が婿養子を迎えたことで慶子一家が戻ってこないことが確定してしまったからである。婿さんも分かっているのだろう。両親と顔を合わせたりしないほうがいいかもしれない。
「ガラガラッ」
「ただいまあ」
引き戸の玄関を開ける。この家にドアチャイムは無い。もっとも、昭和50年当時、そんなものはほとんどの家には無く、たいてい玄関先で声を上げて呼び出していた。
両親が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。保、大きくなったのねえ。歩と泰代は向こう?」
「ええ。こっちにいる間に一度くらいは顔を出すと思うけど」
どうやら、慶子が昨年顔を合わせた時より6年も歳を取ったことなどまるで気が付いていないらしい。当然だけど。
そう思っていたら、母が言った。
「あんた、疲れているんじゃないの?顔に出てるわよ」
ぎくりとする。疲れているのではなく、歳をとったのだが。本当はもう40代。
心の中で言いたくなる。
「あの後、娘が二人生まれたのよ」
違うか。生まれるのは今から22年以上も先の世界のことだから。父親のユウさんも今はまだ小学生。
きわめて異質な形には違いないけど、両親から見れば孫であることに変わりはない。だが、果たして両親はそれまで生きているのだろうか。1911年生まれの父は2001年では90歳、1918年生まれの母でも83歳になる。
その頃も生きていたとしても、メイとアオイを両親に会わせることはできないことは分かっている。
決して相性がいいとは言い難いけど、6年ぶりに顔を合わせたので懐かしいことは確か。夫の実家ほど居心地も悪くは無い。まだ築20年程度とはるかに新しいこともあり、少なくとも、あそこまで不潔ではない。
父は次男坊だった。そのため慶子が子供の頃には実家の居候、借家や長屋暮らしが続き、近隣を転々と引っ越した。安月給の役場職員だったこともあり、家を買ったのは慶子が中学生になってからである。
慶子が結婚して出ていってから、実家は増築されている。長男であるすぐ下の弟と同居するためだったが、弟は慶子と違って仕事先で知り合って仲が良くなった女性と結婚した。自分の気に入った女性と見合いをさせるつもりでいた父にして見れば寝耳に水だったらしい。文句を言いながらも仕方なしに認めたが、結局両親と義妹はうまくいかなかった。弟が仕事で留守の時に限界に達して義妹は出ていき、それに激怒した弟も追いかけるように出ていった。今は実家と500mほど離れた場所に家を建てて住んでいる。それから7年以上が経過した今では多少収まったらしいが、それでも内心は許していないのは間違いない。
あの両親では無理もないな、と慶子は思う。義妹に同情する。
夫や子供たちには話していない。慶子の両親は夫の実家とは今ではほぼ断絶状態にある。
家族間のトラブルなど一切無縁な平成の家族がいかに素晴らしいか、改めて感じずにはいられない。
父は元役場の職員だった。定年退職後、嘱託で市営保育園の園長をしている。保育士、いや、この時代はまだ保母の資格は無くてもできるらしい。
冷房が無いのはここも同じだが、河川敷がすぐ裏手にあるためか、他の所より涼しく感じる。寝るときは蚊帳を吊るため、中にはいられないように気をつければ蚊に悩まされることも無い。
ただ、ハエが多い。慶子の家もそうだが、この当時水洗トイレは少ない。あるのは学校など公共施設くらいのもの。慶子の家は引っ越してきてすぐベンチレーター(トイレ用換気扇)を取り付けたので、臭いだけはある程度ましになったが。食卓にハエが寄ってこないように、蠅帳を使うのが普通だ。
21世紀から戻って来た慶子からすれば、外国の未開の部族を訪問しているような気がする。やはり5年間の未来の生活とはいったん馴染むとその快適さにおいて比較にならない。
まあ、しばらくすれば慣れるだろう。元々慶子はこの時代の人間なのだし。
決していい両親だとは思っていないけど、年に一度のことだし、慶子からすれば6年ぶりのことなのだから、親孝行のつもりである。それ以上に相性の悪い小姑たちが頻繁に顔を出す夫の実家に比べればはるかにまし。小姑の一人が慶子の悪口を言っているのを耳にしたことも一度や二度ではない。そんなことは露程も知らないだろうけど。
婿さんにお礼を言う。
「じゃあ、ぼくはここで」
「そうですか」
両親は義妹夫婦にいい印象を持っていない。義妹が婿養子を迎えたことで慶子一家が戻ってこないことが確定してしまったからである。婿さんも分かっているのだろう。両親と顔を合わせたりしないほうがいいかもしれない。
「ガラガラッ」
「ただいまあ」
引き戸の玄関を開ける。この家にドアチャイムは無い。もっとも、昭和50年当時、そんなものはほとんどの家には無く、たいてい玄関先で声を上げて呼び出していた。
両親が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。保、大きくなったのねえ。歩と泰代は向こう?」
「ええ。こっちにいる間に一度くらいは顔を出すと思うけど」
どうやら、慶子が昨年顔を合わせた時より6年も歳を取ったことなどまるで気が付いていないらしい。当然だけど。
そう思っていたら、母が言った。
「あんた、疲れているんじゃないの?顔に出てるわよ」
ぎくりとする。疲れているのではなく、歳をとったのだが。本当はもう40代。
心の中で言いたくなる。
「あの後、娘が二人生まれたのよ」
違うか。生まれるのは今から22年以上も先の世界のことだから。父親のユウさんも今はまだ小学生。
きわめて異質な形には違いないけど、両親から見れば孫であることに変わりはない。だが、果たして両親はそれまで生きているのだろうか。1911年生まれの父は2001年では90歳、1918年生まれの母でも83歳になる。
その頃も生きていたとしても、メイとアオイを両親に会わせることはできないことは分かっている。
決して相性がいいとは言い難いけど、6年ぶりに顔を合わせたので懐かしいことは確か。夫の実家ほど居心地も悪くは無い。まだ築20年程度とはるかに新しいこともあり、少なくとも、あそこまで不潔ではない。
父は次男坊だった。そのため慶子が子供の頃には実家の居候、借家や長屋暮らしが続き、近隣を転々と引っ越した。安月給の役場職員だったこともあり、家を買ったのは慶子が中学生になってからである。
慶子が結婚して出ていってから、実家は増築されている。長男であるすぐ下の弟と同居するためだったが、弟は慶子と違って仕事先で知り合って仲が良くなった女性と結婚した。自分の気に入った女性と見合いをさせるつもりでいた父にして見れば寝耳に水だったらしい。文句を言いながらも仕方なしに認めたが、結局両親と義妹はうまくいかなかった。弟が仕事で留守の時に限界に達して義妹は出ていき、それに激怒した弟も追いかけるように出ていった。今は実家と500mほど離れた場所に家を建てて住んでいる。それから7年以上が経過した今では多少収まったらしいが、それでも内心は許していないのは間違いない。
あの両親では無理もないな、と慶子は思う。義妹に同情する。
夫や子供たちには話していない。慶子の両親は夫の実家とは今ではほぼ断絶状態にある。
家族間のトラブルなど一切無縁な平成の家族がいかに素晴らしいか、改めて感じずにはいられない。
父は元役場の職員だった。定年退職後、嘱託で市営保育園の園長をしている。保育士、いや、この時代はまだ保母の資格は無くてもできるらしい。
冷房が無いのはここも同じだが、河川敷がすぐ裏手にあるためか、他の所より涼しく感じる。寝るときは蚊帳を吊るため、中にはいられないように気をつければ蚊に悩まされることも無い。
ただ、ハエが多い。慶子の家もそうだが、この当時水洗トイレは少ない。あるのは学校など公共施設くらいのもの。慶子の家は引っ越してきてすぐベンチレーター(トイレ用換気扇)を取り付けたので、臭いだけはある程度ましになったが。食卓にハエが寄ってこないように、蠅帳を使うのが普通だ。
21世紀から戻って来た慶子からすれば、外国の未開の部族を訪問しているような気がする。やはり5年間の未来の生活とはいったん馴染むとその快適さにおいて比較にならない。
まあ、しばらくすれば慣れるだろう。元々慶子はこの時代の人間なのだし。
決していい両親だとは思っていないけど、年に一度のことだし、慶子からすれば6年ぶりのことなのだから、親孝行のつもりである。それ以上に相性の悪い小姑たちが頻繁に顔を出す夫の実家に比べればはるかにまし。小姑の一人が慶子の悪口を言っているのを耳にしたことも一度や二度ではない。そんなことは露程も知らないだろうけど。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる