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写真家

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 35年ほど前のことだと記憶しているが、「脱がせの写真術」という本が出版されたことがある。この中に、

 「女性というのは水着姿(ビキニのことだろう)と、トップレスの間には大きな差がある。女性にとって男性の前で胸を出すというのは命を掛けると言ってもいいくらいの覚悟が必要なことなのである」

 という記述が印象深かったのを覚えている。

 確か40年くらい前のことだったと思うが、某深夜番組の中で応募してきた女性のヌード写真を撮影するという物があった。自ら応募したとは言ってもさすがに羞恥心が湧いたのだろう。全裸になった女性が思わず手を胸に当てようとして、カメラマンに、

 「乳首隠しちゃ駄目だろ」

 と、怒鳴られているのを見た記憶がある。

 誰でもデジタル写真が簡単に撮れるようになった今は変わったのかもしれない。当時は自分で現像焼き付け設備を持っている人や借りることができる人を除けば撮る方も撮られる方も相当の覚悟を必要としたことだろう。当時ヌード写真のモデルをやったりするのは芸能人を除けばごく限られていただろうということは容易に想像できる。

 時代は移り変わる。

 今では多くの女性が裸に違和感を感じなくなったは確かだろう。女性誌にまでヌード写真が掲載される時代である。見る女性たちの多くはそれをエロではなく、「美しい」と言う。女性に人気のある女性ミュージシャンなどがヌードを撮影して公開し始めたこととも無縁ではあるまい。

 篠山紀信や七菜乃あたりになると、モデルを募集するだけで希望者が殺到するらしい。ブランド価値は大したものだと思う。

 先日テレビ番組を見ていたら女優の橋本マナミが、

 「篠山紀信氏に仕事で水着写真を撮ってもらったが、その後プライベイトで全裸写真を撮ってもらった」

 と嬉しそうに語っていた。

 篠山氏は芸能人の写真も多いが、素人女性の写真も少なくない。篠山氏に撮ってもらうということはそれだけで誇りになるくらいの価値があるということらしい。

 似たような例で青田典子がテレビ番組の企画でラッセンにヌード画を描いてもらった話も思い出した。彼女はラッセンのファンで、ラッセンにヌード画を描いてもらうことが夢だったのだそうだ。

 その先駆者になったのはやはり樋口可南子なのは間違いない。

 もちろん、それ以前にもヌード写真というものはあった。ただ、モデルになっているのは大半が無名タレントか「裸を売りにしている」女優、もしくは落ち目のタレントが「話題づくり」のために週刊誌などに乗せるというケースが多かった。言ってみれば「最終兵器」のようなものである。それでも売れなかったタレントはその多くが消えていったことだろう。

 ご存知の方も多いだろうが、この写真集はそれまでの常識を壊すきっかけにもなった。それまでは「陰毛が写っているものは猥褻である」という解釈の元に写らないようなポーズを取ったり、加工されている物ばかりだったからである。

 麻田奈美のヌード写真というのは元々母親が写真館で撮らせたものだというから、股間も隠すことなく映っていたはずである。有名な「りんごヌード」は、陰毛がタブー視されていた当時、一般向けに撮影しなおしたものであろうことは想像がつく。タブーが無ければ宮沢りえや菅野美穂同様、隠さない写真が発表されていたことだろう。

 篠山氏を始めとした有名写真家は「解禁」される前に陰毛が映っている写真をかなり撮影しており、解禁後にそれらを含めた写真集を多数発表している。

 その後、「性器が写っていなければ問題ない」ということになったらしい。男性のヌードの場合は陰毛だけ写して性器が写らないということはよほど無理なポーズや方角から撮影したのでない限り事実上不可能に近いので、女性の陰毛だけが解禁されているというおかしなことになっている。

 樋口可南子の後、多くの女性芸能人が競うようにヌード写真集を出すようになった。今では信じられないことだが、主役級の女優、アイドル、モデル、老いも若きも、である。その多くがヘアヌード写真集だったことは特筆することだろう。

 ある時期から急激に減ったのは、あまりに乱発され過ぎて話題性すら無くなったこと、出版する方も製作費がかかるため無名女優などの写真集は出さなくなったこと、何より「落ち目」の女優やアイドル、アダルトビデオ女優などの割合が増えて同一視されることのイメージダウンを嫌うようになったことが大きいだろう。
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