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第一部:第2章(グーサノイド)
9.魔術師協会グーサノイド支部
しおりを挟む「革命前夜の気配」
麗らかな青空の下、柔らかな日差しをまとい、風のたわむれに身を任せつつ、放り出された一言だ。広場には快い活気があり、まどろみをぬくぬくと温めてくれる。クロエはベンチに寝転がり、胸いっぱいに息を吸った。むしろ『平和』とでも表題を付けるべき一幕だ。
隣で丸くなっているポーも、大きなあくびをしている。
「もう少し穏便に寝ぼけろよ」
「お爺さまが言ってたんだよ」ポーを枕にしようと狙うも叶わず、仕方ないので鞄を引き寄せる。「十年くらい前の協会の調査報告だって。グーサノイドの状況は『革命前夜の気配』」
「十年? そんな状態から、たかだか十年でここまで落ち着くか…?」
「さあ。革命前夜の経験なんてないし、普通ってどんな?」
「順当にいけば革命が起るし、そこから内戦に突入で、下手したら十年後も続行だろう」
クロエは気のない相槌を打ち、出かけに持たされたパンをかじった。欠片をまくと、ハトやスズメが集まってくる。行儀が悪いと叱られるが、クロエは意にも介さない。
「革命ってさ、権力者を狙うんだよね。この場合なら、王様ってことになるの?」
「あのダ王だろうな。あいつなら無条件降伏しそうだが。…いや、十年前なら一代前か」
「ちょうど十年くらい前じゃなかったっけ。ノア君が王様になったの」
二人は眉を上げさえしなかったし、互いを目やりすらしなかった。クロエは横向きの広場を眺めていたし、ポーは端においやられて窮屈そうにしていた。
「最近の調査報告はどうなんだよ」
「聞いてない。たぶん、ないんじゃないかな」
「ない?」
「お爺さま、その『十年近く前の報告』を元にして、グーサノイドに行ったみたいだった。それ以外、手に入る情報がなかったってことだと思う」
「…マティアスは、つい最近グーサノイドに来ている。それも、かなりの長期滞在だった」
「分かってる。わざわざ私にグーサノイドの話をしたのも、無関係のはずがない。どこからどこまでが意図したことで、目的がなんなのかは分からないけれど、少なくとも、私がここにいるのはお爺さまの意思だと思う」
「分かってんなら、なんであの二人にマティアスのこと聞かなかったんだ?」
クロエはふんと鼻を鳴らす。あまりにもバカバカしい問いだった。
「だって、お爺さまは二人のことを一切話してくれなかった。私は知る必要がないのか、知らない方が良いのか…どちらにしても、そういうことでしょう」
「…そのマティアスへの絶対的な信頼はどこから来るんだよ」
「ポー、もしお爺さまを馬鹿にする気なら…」声が鋭く冷気を帯び、ハトたちが慌てて飛び去った。「はぐよ」
「はぐ!?」
暴れる子狐を羽交い絞めにし、身を起こす。正面にはこじんまりと佇む商店があり、タバコ屋の看板が出ている。そのすぐ下には、交差した二本の杖とアザミからなる図案がかかり、顧みられることもなく色あせていた。紛れもなく、魔術師協会の紋章だ。
二人は何度か、店主の姿を目撃していた。一分の隙も無い愛想の良さで、客を見送っていた。明らかにタバコ屋の客であった。
「バレたら相当やばいだろう…」
「協会魔術師の資格、剥奪されるかも。こんな僻地の支部に飛ばされて、これ以上はお茶を濁す方法なんてないし」
「現時点で、飛ばされるようなことをやらかしてるってことか…?」
「おそらく」再び店先に現れる、整った顔つきの男。「アラン君によると、名前はニコ・キヴィサロ。27歳にして第八位魔術師…相当有能だね。グーサノイドに着任したのは3年前。半年経った頃、突然商売を始める。今では商工会でも精力的に活動。自ら地域活性化の企画を立案、先陣を切って地域の為に尽くしている」
いかにも理知的で冷め切った目鼻立ちを観察し、ポーは興味深げにうなった。「顔に似合わぬ社交家で良い奴」
クロエはようやく、ベンチの呪縛から逃れた。既に見飽きた観察対象を追い、引っ込もうとしているところを呼び止める。「こんにちは。はじめまして。お兄さんは、商業国あたりの生まれかな」
愛想のよい笑顔が固まり、まったく憚りのない舌打ちが響いた。「ナンパですか。もう5年待って出直してきなさい」
元より表情はなかったが、そこからさらに、色が消えた。少なくともポーにはそう見えたし、叩いても引っ張っても効果はなかった。
「お、おい。うっかり殺すなよ!」
「ご指導ご鞭撻は上位魔術師の義務なんだよポー」
「ものには限度があるんだよ!」
無色なままで、かすかに笑みがにじんだ。クロエは何かを言った。けれど、その場の人間には、そよぐほどの音さえ聞かれなかった。
ゆっくり目をそらした先には、相変わらず穏やかな街の様子。ポーは細めた目を遠くに据え、妙に平坦な声を出した。「いい天気だなあ」
「大変申し訳ありませんでした。どうか平に、平にご容赦を…!」
と、椅子がくっついたままひれ伏しているのは、不幸なる協会職員ニコ・キヴィサロだ。散々酷い目に遭った末、今度は座った椅子が離れなくなった。もはやなりふり構ってはいられない。とにかく必死で言い募る。「釈明の場を頂けるならですね、私が当地に赴任して以来、魔術師協会に用がある人間なんてただの一度も訪ねてこなかったんです。ここが協会支部だってことも、すっかり頭から抜け落ちていまして。まさかそっちのお客様とは思わず…。本当に…本当の本当のほんっとうに申し訳ありませんでした。失礼でご迷惑でご不快でしょうけれどもお願いですからもう勘弁して…」
「うーん」カウンターに腰かけたクロエは、不思議そうに首をかしげた。「そっちとかこっちとかある時点で、私に謝って済む話じゃないかも?」
「もちろん、もちろんです。除籍でもなんでも仰せのままに。だからどうか、これ、取ってもらえません…?」
やつれた物悲しい風情での訴えに、クロエも可哀そうになってきた。よいせと椅子を持ち上げると、すぐ横に下ろして、今度はそちらに休む。ニコはおずおずと身を起こしたが、逡巡の末、その場に正座をした。折り悪く入ってきた客が、一瞬驚いて、その後やれやれと首を振った。
「動く前に一回深呼吸しなって、いつも言ってんだろう」と言うと、代金をおいて何事もなかったかのように出て行った。
「ニコ君、常習犯…? そういえばマントは?」
「あなただってマント着てないじゃないですか…せめて着ていてくれれば…」ぼそぼそつぶやき、ため息をついた。「魔術師としての仕事は特にないですし、そんなもの着てたって意味ないじゃないですか」
「へえ」
珍しい価値観だった。魔術師は憧憬の的だ。協会からマントを支給され、葉の刺繍の一つもあれば、将来は約束されたと言って良い。それを一生の目標にする者だっている。若くして成し遂げたというのなら、特別と言って差し支えない。見せびらかしたくなるのが道理であり、それだけの価値がある。クロエは少し態度を変えた。「ちょっと面白いかも」
「なんです?」
「あっさり除籍してくれって言ってたし、マントにも拘らないし、ニコ君って魔術師やりたくないの? タバコ屋さんの方が良い?」
いじけた顔をして床をにらんでいたが、しばらくすると長々深々うなずいた。
「…正直、そうですね。いっそ協会から追い出してほしいんですけど、なかなか上手くいかなくて」
「まあその歳で第八位認定されるような有望株、そう簡単には手放さないだろうね」
「…ところで、どうして私のことにやたら詳しいんですか。というか何をしに来たんですか」
はっとして手を叩く。「そうだった! マントの再支給を頼みにきたんだよ」
「なるほど。グーサノイドに着任して、記念すべき一件目の通常業務です」
「定期報告はどうしたの」
「催促されたことはありませんよ」と堂々と言ってのけるニコは、大物なのかもしれない。
ニコは奥に入って行く。クロエもついていく。封緘がなされたままの木箱がぎっしり詰まり、一部屋を占領していた。
「書類とか、見つけられる?」
「…努力はしますけれど、2,3日かかると思います。…そういえばお名前は?」
「クロエ。クロエ・モーリア」
「ああ、モーリア家の方。道理で異様な魔術をお使いに…」
クロエはゆっくりと瞬いた。これほど淡泊な反応を返されたのは、随分と久しぶりだった。
魔術師認定試験の最低受験年齢は12歳。その年に、第五位魔術師となり、『特異者」認定を受けたクロエは、大陸中の魔術師の話題をさらった。顔は知らずとも、その名を知らぬ魔術師などあり得ない。――彼はこの5年、いったいどこで生きていたんだ。
「…赴任して3年だっけ。その前は何をしてたの?」
「前ですか? 15歳の頃から問題を起こす度に移動していたもので…グーサノイドの直前は…孤島だったかな。いや、山麓の方? いやいや、住民の訛りが酷すぎて仕事にならなかった漁村ですかね…」
「うん、なるほど」クロエは勝手に納得した。「しばらく滞在するつもりだから、書類はゆっくりでいいよ。見つかったら適当に手続きしておいて」
「しばらく滞在しやがるんですか…ああ、いえ。涙が出るほど嬉しいです。もちろん、ご記入させてもらって、持てる手段、使えるネタはすべて駆使し、大至急ご用意させていただきます」
「うん、倫理的に問題のない範囲でよろしく」
クロエは手近な紙切れに必要な情報を書きだすと、花の形に折って手渡した。
「…なんですか、これ」
「時限装置…? 時間を稼ごうと思って。じゃあねニコ君、また来るよ」
「…次は靴の裏に無限オイルを発生させたり、私の頭をいがぐりにするのはやめてくださいね…」
「いい子にしてたらね」
クロエは手を振り、足早に去った。玄関で待機していたポーを回収し、ベンチの辺りまで退避する。と、その時。「んな馬鹿な!!!」という叫びが轟き、後にしたばかりの建物を揺らした。
「我ながらナイス判断」
「…何をしでかしたんだ」
「失礼な、私は何もしてないよ。ただ…あの人、本当に魔術に興味ないんだね」クロエは微笑し、城への道をたどり始めた。「知らなかったんだよ、クロエ・モーリアが高位魔術師だって」
扉を弾き飛ばしたニコが、肩で息をついている。目が合った。クロエは笑い出し、走り始めた。
意味なんてない。なんとなく、その方が面白いと思ったのだ。
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