クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

文字の大きさ
10 / 46
第一部:第2章(グーサノイド)

10.精霊の木箱

しおりを挟む

「言ってくだされば、僕がご案内しましたのに!」

 とは、若き国王陛下の言である。

「ご案内って、街中だよ?」
「はい!」
「いや、はいって…」
「ノア君は城下詳しイよ!」

 と補足をしてくれたのは、国王陛下の従弟様だ。クロエは深く考えることを止めた。「そうなんだね」

「ちょうど明日、城下に下りる用がありますので、あの…ご迷惑でなければ…」
「デートのお誘い? 出会ってものの数日で? やだ、ノア君ってばダイタン!」
「そ、そそそそんな違います! 違うんですよクロエさん!」
「違うノ?」
「あ、いえ、違いませんけど、違って、ちが…ちが…え? あの…」

 ノアは俯いてしまった。アランはケラケラ笑っていた。クロエは夕飯のことを考えていた。
 気が付けば、翌日の外出予定がまとまっていた。



 魔術師協会職員、ニコ・キヴィサロの震撼から一昼夜。クロエは再び広場に降り立った。本日も晴天。空は高く澄み渡り、鳥のさえずりも伸びやか。絶好のお昼寝日和だ。歩き回るなんて、考えただけで億劫だ。クロエは早々にベンチに収まり、重たい瞼で、元気いっぱいの案内役を見上げた。

「ここが町の中心広場です。大きな商店が集まっているので、大抵のものをそろえることができますよ! クロエさんは何かご入用のものがありますか?」
「ノア君は王様なんだから、大抵のものは椅子に座ったまま手に入るでしょう?」
「そうかもしれませんが、皆さん忙しそうにしてらっしゃるから気が引けるといいますか…」

「向こうの気が引けてるだろうよ…」と呟いているのは、白い子狐だ。本日はショルダーバッグに押し込まれ、お人形よろしく顔を出している。

「それはそうと」などと言いかけた傍から、ノアに声をかける者がある。ここに至るまでにも、そうして幾度も足を止めた。

「…ノア君ってそんなにしょっちゅう街に来てるの?」
「ええ、ここ最近は2,3日おきに」
「それはどういう――」

 言いかけたところを、大きな籠を持った女性が遮る。「ノア様、ほら! これ持ってってくださいよ!」勢い余って、オレンジが飛び跳ねる。いくつかは景気よく転がり出し、律儀なポーが追いかけていった。

「ありがとうございます。おいしそうですね。よろしければ『精霊の木箱』に持っていきたいのですが…」
「もちろんですよ! でもノア様も食べてくださいよ。今日のは特に良い味なんですから!」ふと、クロエと目が合う。「あれ、ノア様が女の子連れ? 婚約者様です?」

「こっ――!」と鳴いたなり絶句している鳥陛下には目もくれず、クロエはあっさり首を振る。
「まさか。私はただの被害者で、あっちは誘拐犯」
「ゆうかい…?」
「あう、ちが! あの、違って!」

 しどろもどろで目を回すノアと、眉一つ動かさないクロエを見比べて、ご婦人は力の限り拳を握った。「ノア様、あたし応援してます!」

 引き留める言葉も出ないうちに、彼女は去っていった。ノアは籠の陰に隠れて、しばらく出てこなかった。退屈したクロエが、オレンジでお手玉を試み始めてようやく、「そこの子にあげてください」と人間の言語を使った。

 見ると、確かにこちらをじっと見つめる子供の姿がある。あるのだが、路地の陰に、豆粒のように見えるだけである。クロエが手招くと、素直に従った。持てるだけのオレンジを受け取り、ぺこりと頭を下げて走り去った。

「顔見知り?」
「いえ、全ての住人の顔を覚えているわけではありませんので…なんて不甲斐ない。お恥ずかしい限りです」
「覚えようとすんなよ…?」
「あの子がいるの、いつから気づいてたの?」
「え? あの、広場に来た時からずっと。悪意はないようなので咎めなかったのですが…ご不快でした…?」
「いや、そういうことじゃないんだけど…まあいいや。それで『精霊の木箱』っていうのは」

「はい!」実に嬉しそうに顔をほころばせる。「聖典には記載のない、民間信仰の類です。ある時、龍が暴れ狂い、大地が焼け野原になってしまいました。哀れんだ精霊様は、人間に木箱をくださります。その木箱には魔法がかかっていて、大地を癒し、暗き呪いを飲み込んだのです。こうしてこの地に平穏が訪れたのだとか」

「なるほど。仕組みはシンプルだけど、発動させるには相当なエネルギーが必要になるね。人間には無理かも?」
「ふつうはな。だがそもそも、精霊は物理的な媒介を必要とはしないし、作ったりもしない。実在したとすれば、使ったのは人間で、作ったのは神だろう」
「ぶっ飛んだ人間がいたってこと?」
「お前が言うなよ…たぶんお前もできるだろう」
「どうかな。可能性はあるけど。――それより、龍を倒したのはグーサノイドの初代ってことになってたよね。別の龍ってこともあり得る? 初代が純粋な人間でなかった可能性は? それともここって龍の一大産地なの? ノア君的にはどう?」

 ノアは何か問いた気にしていたが、結局あいまいな笑みの内に飲み込んだ。「少なくとも現在は、産地とはいえませんよ」
「そっか」応える響きは、心なしかため息に似ていた。ノアは少し怯えた。
「あの、それでですね。このあたりでは『精霊の木箱』といえば、精霊の加護であり、恵みの象徴なんです。なので、大変僭越ですが、医療施設として名をお借りしています。先ほど言っていたのは、この施設のことです」
「そっか」潔いほど気のない相槌である。哀れんだポーが慈悲を差し伸べた。

「で、今はそこに向かっているのか?」
「そう、ですね。本当はクロエさんとポーさんをご案内した後、改めて僕一人で行くつもりだったのですが…。長居はしませんので、これを届けに行ってもよろしいでしょうか…?」
「俺たちは構わないぞ。用があるならついでに済ませればいいだろう。なあクロエ」
「うん。龍がいないって意味ではどこでも同じだし」

 二対の視線は生温かいが、もちろん気に留めるクロエではない。



「なあダ王。これ作ったのってお前なのか?」
「はい…あの、ダ王って、できればもう少し…」
「なんだよ」
「あ、いえ。なんでもありません」
「で?」

 三者の前にそびえるのは、まごうことなき教会だった。頂点に掲げられるべき円環装飾もなく、門扉の教会名すら消失しているが、堂々たる尖塔建築はそれ以外の何物でもありえない。

「…ノア君、あれだけ精霊を誉めそやしといて、教会を接収しちゃったの…?」心なしか距離を取るクロエである。
「違います!」
「違うっていってもお前…」
「本当にちがうんです…」抗議が弱弱しくなってきたので、二人はからかうのをやめた。「…実は、こちらの教会の司教様が、通りの魚屋のおかみさんと駆け落ちをしたんです。慌てた精霊教会は、どうやら教会ごと司教様の存在を抹消したようで…ある朝気が付くと、教会はもぬけの殻。問い合わせても、そんな教会も司教も記録にないと。記録がないということは、権利がないということですからね。…つまり、街の一等地に、強度も設備も申し分のない無料の物件が突如現れたわけで……それで」
「司教?」「そいつ、なかなかやるな」「教会の雑なやり口もすごいね」「ダ王もダ王のくせにやるな」

 ノアがわっと泣き出した。「私は欲におぼれた、卑しくて惨めな人間です。哀れな救いがたき罪人です。精霊様に仇なす愚か者です。どんな責め苦も、私には甘すぎるでしょう。どんな業火も、私には生ぬるいでしょう!」
「うん。一回落ち着こうね」

 クロエが適当に慰めて、ノアが子供のように素直にうなずいているところに、エプロン姿の女性が現れた。特徴のない人物だが、よくよく見れば、強い目と、規律の行き届いた口元に気が付くかもしれない。薄いしわの様子を見るに、四十をこえたあたりだろうか。彼女は感慨深そうに目を潤ませていた。

「ついにノア様を御せる方が現れたんですね!」
「わたし?」
「お前しかいないだろう」
「歓迎しますよ! さあさあ、中へどうぞ!」
「それじゃあ遠慮なく」
「いや、あいつ置いてくなよ」

 ポーが呼びかけるが、どうも聴覚が世俗と縁を切っているらしい。土に縋って祝詞をとなえ出す様を確認し、ポーも説得を諦めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

冴えない建築家いずれ巨匠へと至る

木工槍鉋
ファンタジー
「建築とは、単なる箱を作ることではない。そこに流れる『時』を設計することだ――」 かつてそう語り、伝説の巨匠と呼ばれることになる男も、かつては己の名前に怯えるだけの冴えない二級建築士だった。 安藤研吾、40代。独立したものの仕事はなく、下請けとして「情緒のない真四角な箱」の図面を引き続ける日々。そんな彼が恩師に教えられた座標の先で迷い込んだのは、昭和初期を彷彿とさせる、魔法のない異世界だった。 現代の建築知識、そして一釘一釘を大切にする頑固大工との出会い。 「便利さ」ではなく「住む人の幸せ」を求めて、研吾は廃村に時計台を建て、水路を拓き、人々の暮らしを再生していく。 異世界で「百年の計」を学んだ研吾が現実世界に戻ったとき、その設計は現代の建築界をも揺るがし始める。 これは、一人の男が仕事への誇りを取り戻し、本物の「巨匠」へと駆け上がるまでの、ひたむきな再建の記録。

いつか優しく終わらせてあげるために。

イチイ アキラ
恋愛
 初夜の最中。王子は死んだ。  犯人は誰なのか。  妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。  12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

短編)どうぞ、勝手に滅んでください。

黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。 あらすじ) 大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。 政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。 けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。 やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。 ーーー ※カクヨム、なろうにも掲載しています

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

処理中です...