クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

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第一部:第3章(グーサノイド城下)

14.暗殺者

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 攻撃魔術を使えない、というノアの戯言を、クロエは全く信用していなかった。
 治癒魔術も魔術だ。それも、クロエにすら扱えない高等技能だ。果実は花を経ねば生らない、登らずに山頂には至れない…到達の成果を得る者が、どうして道程を知らずにいられよう。
 もちろん、気質や訓練のもたらす得手不得手はあるだろう。だが、イチかゼロかなどという極端な事態はあり得ない。だから、ノアの言葉は、人を傷つけることはできない、という倫理的な意味での拒否だと受け取っていた。ところが――。

「本当に使えないんだ」直前までの剣吞は、一瞬で反転する。「へえへえ、なんでなの?」
「うっうう…ほんとうに、情けないところを…お見せしまして…」
「魔力がめぐってないからだろう。あれじゃあ精霊には聞こえねえよ」
「精霊石があればいける?」
「精霊石以前の問題だ。乱暴に言えば、精霊石は精霊界への扉、魔力は精霊への干渉するわけだが…魔力の方がてんでダメ。扉だけ開けてもしょうがねえだろ」
「それ、ただの適性がない人じゃん」
「そうだな」

 しかし二人は、ノアが治癒魔術を使うことを知っている。このとんでもない芸当を、本人の言を信じるならば、独学で修めたというのだ。しかも、20人以上に術をかけ、多少の休憩を取っただけで、平然と自らの足で帰り、帰ればまた仕事をしている。ノアの魔力は、質、量ともに尋常ではないはずだ。それなのに、現実に、使えていない。

「なんで?」
「知るかよ」
「役立たず」
「なんだと!?」

 成人男性が泣き崩れ、少女と狐が口喧嘩をしている。意味も分からない上に、収集もつかない状況だ。チンピラたちは痺れを切らす。

「お前らいい加減にしろよ!」とリーダー格が叫ぶ。「そうだぞ。無視されるってのは悲しいんだからな!」痩せ型の二番目だ。「ぼっこぼこにしてやるぜ」小柄な三人目は元気いっぱいである。

 ノアが飛び起きた。「クロエさん、ぼっこぼこにされてしまいます!」
「そう。ところで、戦えないのにどうやって助ける気だったの?」
「そういえば被害者は無事なのかよ」

 見ると、チンピラ三人衆に忘れ去られ、所在なげに立ち尽くしている。彼女は、食い入るようにノアを見つめていた。目が合うと、驚愕も露わに、ぎこちなくお辞儀をする。

「まままさかノア様が助けてくれるなんて。面倒をかけてすいませんありがとうございますすいません!!」
「さすがノア君、抜群の知名度」
「こいつらは分かってないみたいだぜ」
「この辺りは不慣れだと仰っていましたからね」
「あれ本当なんだ」
「くっ、性懲りもなくまた無視しやがって」
「おじさんたち、この人のこと知ってる?」

 急に視線が集まり、ノアは恥ずかしそうに微笑んだ。

「知るかこんな優男」「頼りがいがねえ」「弱そうだ」

 のも束の間、再び膝を抱えた。見かねたポーが慰めた。クロエはもはや見向きもしない。

「おじさんたちもね、ここに長居したいなら覚えといた方が良いよ。というか、普通の国ならもはやこの世に長居できないけど」

 クロエの口ぶりと、ノアの育ちのよさそうな物腰に、さすがのチンピラも不安を覚えたらしい。幾分か語気を弱めて「…誰だってんだよ」

 クロエは大仰な仕草でノアを示した。

「嘘みたいな本当の話。こちらにあらせられますのは、グーサノイドの最高権力者、ノア・バルティルス国王陛下にございます。はい、拍手」

「あの、ご紹介にあずかりました。ノア・バルティルスです」

 拍手するクロエと、女性、三番めのチンピラ。思わずという風に姿勢を正し、どうもどうもと会釈するノア。深いため気をつくポー。驚愕する残り二名――蒼白になり、腰を抜かした。

「大丈夫ですか?」眉をくもらせ、手を差し出す。悲鳴をあげられ、とても悲しそうだ。それも、平伏するチンピラに見えるはずはない。

「慈悲をかけてくださるなら、せめて楽に死なせてくだせえ…」
「僕は自殺幇助を頼まれているのでしょうか…?」
「ひいい! 我が手にかけなけりゃ気が済まねえほどお怒りだと!?」
「あの…殺したりしないので落ち着いて――」
「死ぬなんざ生ぬるいと!!!」

 ポーが狭い額を押さえて首を振っている。「お前ら、もう行っていいぞ」

 三人の絶望の眼差しは、そのままポーに滑り、混乱が深みをました。その間にノアの首に飛び乗って、面倒そうに尋ねる。

「良いだろう、もう行かせても」
「もちろんです」

 解放だけは理解できたらしい。まさしく脱兎の勢いで駆け出した。

「助かった!」「しゃべるお狐様だ」「ありがとうお狐様!」
「あんまり人の迷惑になるなよ」

 後ろ姿に叫ぶが、瞬きの間に消え去ったので、届いたかどうかは微妙なところだ。無傷の女性もポカンと見送っている。その後、戸惑いがちに礼を言い、帰っていった。
 クロエは難しい顔をしてノアを見上げる。

「もう一回普通の魔術をためしてみない?」
「もういいです!」

 ――と、うなじがぞくりと震えた。

「ちょっとごめん」クロエはノアを突き飛ばす。

 ノアはきょとんとして、地面に――今の今まで自分が立っていた場所に――突き刺さる矢を見つめた。それから、申し訳なさそうに困った微笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、クロエさん」
「ノア君の代わりに、誰かが見せてくれたね、攻撃魔術」
 ノアは珍しそうに矢をつつきながら「暗殺ですねえ」

 常と変わりなく、良いお天気ですねえとでもいうようだ。暗い路地裏で、正体不明の敵に襲撃される者の態度として、いかがなものだろうか。ポーは気味が悪そうにしている。

「ノア君、慣れてるね」
「珍しいことなんですか?」

 至って真剣なことを確認し、クロエは妙に優しく微笑んだ。「ノア君って、変だよね」
「変!?」今度こそ動揺する。「どのあたりがでしょうか。どうか仰ってください。全身全霊で直します!」
「直さないでも良いけど、よく生き延びてきたね」
「お、お陰様で…?」脈絡をつかめず困惑する。「え、と。とりあえず、通りまで戻りましょうか。わざわざ人込みで手出ししてきませんから」
「そうなのかもしれないけど、ものすごく襲ってきてるよ。普段はどうしてるの?」

 クロエが張った障壁には、容赦のない連射攻撃がなされていた。魔力を練り上げて作られた、氷の矢だ。薄い日差しに反射して、きらきらと輝いている。ぶつかつ度に砕け散り、鈴の音のような響きを聞かせた。場違いなまでに幻想的な光景だ。

 ノアも見惚れつつ「魔術師が来たのは初めてです。普段はもっと普通の暗殺だから、簡単なのですが」
「普通の暗殺ってなんだよ」
「魔術師ではない暗殺でしょうか」
「今回も魔術師ってわけじゃないよ。そういう道具を使ってるってだけ。割とポピュラーな魔道具。さっきからおんなじ攻撃しかしてこないでしょう」ふっと表情が抜けた。「だから、いい加減飽きちゃったよね。――《一番いやなことしちゃえ》」

 攻撃が止んだ。最後の一矢が砕けてしまうと、現実感のない平穏が満ちた。夢と現の狭間に落とされ、半々に混ざり合うような、おぼつかない心持ち。そこに、天を割く悲鳴が轟く。見上げた煙突の陰に、腰を抜かした人影がある。距離もある上、全身をマントで覆っており、背格好はわからない。声は女性のようだった。取り落としたらしき弓が屋根を越え、からんと音を立てる。その上を這う丸々太った芋虫を見て、クロエも若干たじろいだ。言い訳がましく、

「本物じゃないよ。ただの幻」手を打つと、綺麗さっぱり消えてしまう。「あれ? あの人も消えちゃった」一帯に目を凝らすが、なんの成果もなかった。
 ノアは気にした風もなく、深々と頭を下げている。「助けて頂いてありがとうございます」
「うん。でも、逃がしちゃったよ」
「それで結構です。捕まえたら国費で養わないといけませんし、余計な仕事も増えますから」
 断定を込めて繰り返す。「ノア君って変だよ」

 クロエは弓を拾った。変ですかと眉を曇らせるノアに、ポーが深くうなずいている。その姿を見ているうちに、むくむくと欲求が高まり、誘われるままに弓を引いた。

「…おいクロエ!」

 狙われたポーは、とっさにノアの頭上に退避した。ノアは驚いて地面を見る。クロエの手で放たれた矢…それはもはや槍であった。地面をえぐり取り、人ひとり埋められそうな空隙を見せている。そこから氷があふれ出し、あっという間に一面を凍りづけた。

「なかなか面白いね!」
「場所をわきまえろ! あと俺を狙うんじゃねえ!」
「あの…靴が地面にくっついてしまったのですが…」

 気が付くと、クロエも同様の運命をたどっていた。
 澄んだ冷気に、くしゃみが高く響いた。
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