クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

文字の大きさ
13 / 46
第一部:第3章(グーサノイド城下)

13.街の小悪党

しおりを挟む

「こんにちはクロエちゃん」

 国王陛下の肝いり医療施設である『精霊の木箱』。その運営は、回復した患者や、患者の身内の善意に恃むところが大きく、労働力の出入りが激しい。その厄介な条件の下で仕事を采配し、実質的に施設を管理しているのは、この気負いも特徴もない女性――アンナ・マルトーであった。

 勤勉なる国王陛下は、二三日ごとに魔力中毒の治療に訪れていた。その度に張り付いているものだから、クロエもすっかり顔が知れている。気やすい挨拶を交わしながら、アンナの元まで進む。

「ノア君、忙しいからもう少し後になるって」
「そう、ありがとう。わざわざ伝えにきてくれたの?」
「それもあるけど、せっかく知り合ったアンナと親睦を深めようかなって」
「あら嬉しい」

 そう話しつつ、全く手が止まらないのがアンナである。クロエを荷物持ち兼助手にして、傷の手当やら包帯替えやら、慣れた手つきでこなしていく。

「アンナはお医者さんなの?」
「まさかまさか! 怪我の手当に慣れてるってだけ。病気の人は医者に丸投げよ」

 元教会の礼拝堂部分…この巨大な空間にいるのは、素人でも手当ができる比較的軽傷の人々らしい。アンナたちでは手に負えない、生死に関わるような容体の患者は、奥の房室に収容されている。

「ここってお金取ってるの?」
「払える人からはね。そんな人は滅多にいないけど」
「へえ、じゃあ国がお金を出してるの?」
「たぶん、そう。それかノア様が個人的に出してるのかも。その辺はあたしも知らない」

 ノアの人畜無害な微笑みを思い浮かべる。「ノア君なら、出してるかも」
「俺は出してる方に賭けるぞ」黙っていられなかったポーである。

「でもさ、いくらお金を出してるからって、平民…それも貧困の平民を、医者が快く助けるものかな」
「快いかは分からんだろう。国王に言われれば断れない」
「そうかも? でも、医者だけじゃないよ。そもそも、こんな街中に病人を集めて、反感はないの? 街の人たちはどう思ってるんだろう」

 アンナは手を止め、振り向き、じっと相手を見下ろした。クロエも見返した。ああばれたなと、即座に分かった。先日ニコと話し、住人がノアに関して口が重いことを知った。鵜呑みにする気はなかったので、検証をしてみようと搦め手を試みたのだが…何分、初めての経験だった。慣れないことをするものではない。
 どこにも力みのないしなやかな立ち姿を見、彼女の瞳の厳格なことを、改めて確信する。その顔に、ふっと微笑がよぎった。

「クロエちゃん、ここにきてしばらくになるわね」
「そうだね。十日と少しかな」
「あたしたちはね。何十年も住んでる」
 クロエは両手をあげた。「喧嘩がしたいわけじゃない。踏み込みすぎたなら謝るよ」
「かわいい子ね」という言葉の通りに、優しく頭をなでる。「本当に踏み込まれたくないのなら、こんなにあからさまな牽制はしないわよ」
「…どういう意味?」
「期待してるってこと」

 そのあとは、他愛のない会話をした。アンナがそう促したのだと、クロエにも分かった。なるほど、ニコが言っていたこと――彼らには踏み込ませない一線があるという話は、真実らしい。では、アンナの言動はどういう意味なのか。

 ポーはふんと息をつき、首をかしげるクロエを見上げていた。「人間ってのは七面倒な生き物だもんな」



 そう時を置かず、ノアはやってきた。ノアに付きまとい、治療を恍惚と眺めるクロエだが、もはや好奇の目も枯れ果てている。抜かりのないアンナに手ぬぐいを渡され、追いながら患者の体をぬぐう。クロエにしてみれば夢のような時間で、それを提供してくれるノアのことを、少なからず見直し始めていた。

 ――のだが。

 それでは済まないのが、ノア・バルティルスである。治療が終わり、二人は帰路についていた。呼び止められたり、店先を覗いたりして、のんびりと歩く。八百屋の品物を例に、甘いオレンジの見分け方について話した。女性の困惑した声が聞こえ、路地裏に連れ込まれるのを目撃したのは、その時であった。ノアは躊躇なく後を追った。クロエはなんとなく続いた。

 少し行くと、壁に囲まれた薄暗い空き地に出た。買い物かごを手にした女性が、男三人に詰め寄られている。その三人がまた、絵に描いたようなチンピラだものでクロエは感心してしまった。

「俺たちこの辺に不慣れでよ」「いろいろ教えて欲しいのさ」「仲良くなろうぜ」などと口々に言い募り、下卑た笑声をあげている。
「小物にもほどがあるだろう」とは狐から人間への批評である。

 クロエは心底どうでも良かった。それよりもと、興奮ではちきれそうになりながらノアの腕を揺する。「さあ行け! ノア君の攻撃魔術で叩きのめしちゃえ!」

 ノアは叱られた忠犬のごとく、居たたまれないほどにうなだれた。期待に満ち満ちた瞳から、申し訳なさそうに目をそらす。

「いえ…あの…なんといいますか。僕、攻撃魔術は使えなくて…」
「…ん?」本気で理解が及ばなかったので、都合よく話を進めることにする。「木造建築もあるから火はダメだよ。まずは水魔術をおみまいだ!」

 ノアはわっと泣き出した。「すいませんすいません。ぼく、本当に、できないんです…」
 クロエは腕を組み、困惑をにじませた。「本気で言ってるの?」
「もちろんです!」
「意味の分からない謙遜をしているのではなく?」
「信じてください…」

 膝をついて懇願し始めたので、とりあえずは受け入れてみることにする。しかし、それはそれで難問であった。クロエは腕を組んでうなる。

「つまり、治癒魔術なんて頭のおかしい魔術が使えるのに、水を勢いよく出すだけの魔術が使えない、と」自分で言いながら馬鹿馬鹿しくなってくる。「なにそれ。ポーは意味わかる?」
「ダ王が世界の理に喧嘩を売っていることはわかるぞ」
「違います! 本当に、ただ出来ないだけなんですよう…」

 哀れにうなだれているが、先ほどの分で慈悲は在庫切れだ。クロエの視線は冷たい。

「それって、綱渡りしながらスキップしてる人間が、実は立ち上がれないんだ! って言ってるようなものなんだよ?」

 言外に、アホか、と罵る圧を感じ、ノアは悲鳴を上げて後ずさった。

「試してみれば良いだろう」
「た、ためすって、何をするんです…?」
「なるほど」クロエはバッグの中身をぶちまけた。「――ない。ノア君、精霊石って持ってる? 普通は使うって聞いてるんだけど」
「え…? いえ。すいません。持っていません」
「まじかよ。お前、治癒魔術使ってたじゃん…」

 精霊石は、人間の精霊への干渉力――つまり、魔力を使用するのに不可欠な媒体だ。杖に埋め込む形が伝統的だが、近年はアクセサリー型に加工されることも多い。大部分の魔術師は、精霊石がなければ無力だ。

 クロエは実に残念そうにしていたが、思いついて声を張った。

「そこのおじさんたち、精霊石もってない?」
「ねえよ」「てか誰だよ」「邪魔する気か」と、小物たちはいきり立った。

 クロエの肩に飛び乗ったポーが、ため息をついて額をはたく。「そもそも治癒魔術にも精霊石を使わないやつだぞ。なくても問題ないだろうが」
「…たしかに」納得したので気を取り直す。「よし、出番だノア君! 一番簡単な水の攻撃魔術を詠唱してみて」
「あの…あの方たち怒っているんですが…」逡巡していたが、結局は従うのがノアである。

「…《精霊様のお力を乞います。水の恵みを、鋭き刃に》」

「あいつ魔術師か!」「あぶねえぞ伏せろ」「また来世で会おうな…」

 三人は頭を抱えて地面に伏せたが、衝撃は一向に訪れない。しばらくして、恐る恐る顔をあげると、膝を抱えて伏せるノアと、驚いているクロエがいた。

 ノアが静かにすすり泣く声が響き、気まずい沈黙が落ちた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

冴えない建築家いずれ巨匠へと至る

木工槍鉋
ファンタジー
「建築とは、単なる箱を作ることではない。そこに流れる『時』を設計することだ――」 かつてそう語り、伝説の巨匠と呼ばれることになる男も、かつては己の名前に怯えるだけの冴えない二級建築士だった。 安藤研吾、40代。独立したものの仕事はなく、下請けとして「情緒のない真四角な箱」の図面を引き続ける日々。そんな彼が恩師に教えられた座標の先で迷い込んだのは、昭和初期を彷彿とさせる、魔法のない異世界だった。 現代の建築知識、そして一釘一釘を大切にする頑固大工との出会い。 「便利さ」ではなく「住む人の幸せ」を求めて、研吾は廃村に時計台を建て、水路を拓き、人々の暮らしを再生していく。 異世界で「百年の計」を学んだ研吾が現実世界に戻ったとき、その設計は現代の建築界をも揺るがし始める。 これは、一人の男が仕事への誇りを取り戻し、本物の「巨匠」へと駆け上がるまでの、ひたむきな再建の記録。

いつか優しく終わらせてあげるために。

イチイ アキラ
恋愛
 初夜の最中。王子は死んだ。  犯人は誰なのか。  妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。  12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

短編)どうぞ、勝手に滅んでください。

黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。 あらすじ) 大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。 政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。 けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。 やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。 ーーー ※カクヨム、なろうにも掲載しています

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

処理中です...