クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

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第一部:第4章(グーサノイド城内)

17.魔術講義

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 クロエ・モーリアがグーサノイドに居ついて以来、月の満ち欠けは一巡半。その間に、客間から正式な居室に移動し、遠慮なく私物を増やした。ポーもすっかり受け入れられ、少なくとも城内では、しゃべる狐を誰も疑問視しない。不気味なほどの適応能力の高さだが、文句などあろうはずもない。むしろとても快適だ。

 仕事もできた。魔術についての講義だ。教え子は、国王ノア・バルティルスと、その従弟であるアラン・バルティルスという豪勢な顔ぶれ。
 講義とはいうものの、実態は単なるお茶会に近い。緊張感など欠片もなく、横道にそれることも多い。クロエの興が乗り、専門性が高い話がとうとうと続くこともある。逆に、あまりに基礎的なこととなると、上の空になることもざらだった。

 そんなあれこれを思えば、今日は比較的まともな勉強会だった。
 ふとした思い付きで、こんなことを言い出すまでは。

「魔術に無知な人って、魔術師はなんでもできると思い込んでるけど、実際はそんなに便利なものじゃないんだよ」

 首をかしげながら、甲斐甲斐しく菓子をとりわけるノア――すっかりクロエ専属の給仕係と化している。茶葉のブレンドから、茶請けの吟味、茶器の選定、給仕のタイミングまで…彼の采配は常に完璧だ。

「そうなんですか? 僕もてっきり、なんでもできるのだと思っていました」
「実際に魔術を使えるアラン君のご意見は?」

 こちらは生ニンジンを丸かじり中だ。ボリボリと景気のいい咀嚼音の後、音を立てて飲み込まれていく。甘いものが苦手だという答えの先は、誰ひとり追及をしない。クロエもそれに倣うことにしていた。

「そもそも魔術なんテ滅多に使わないんだよ。ああでも、魔術師協会の教本の魔術…アレは扱いづらくて腹が立ったよ」
「そういうことだよ」

 話は終わりとでも言わんばかりだ。二人は顔を見合わせる。互いの戸惑いに力を得、代表してノアが手をあげた。「どういうことです?」

 本気で驚いた様子を見せ、少し黙ってから、深くうなずく。

「そっか。それじゃあもっと基礎からいこう。――魔術と呼ばれる現象は、精霊の力が引き起こしている。魔術師の役割は、精霊の力をこと、これは大丈夫?」

 二人は素直に理解を示す。

「よし。精霊は精霊界にいる。精霊界っていうのは別の位相に存在してる。精霊界と、この世界――魔術用語でいうところの現象界――をつなげる扉が精霊石。その扉を通じて、精霊に干渉する能力が魔力」クロエは二人の顔を交互に見、注意深く続ける。「魔力の発現の仕方として、最も一般的なのが精霊言語の詠唱だね。さて、精霊言語ってなんだと思う? はい、ノア君」
「え? あの、精霊様を讃える祈りの言葉、だと」

 模範解答だ。魔術師協会でも、表向きはそのように定義づけられている。魔術に関わりのない一般的な人間ならばなおのことだ。精霊という語は精霊教会を連想させ、精霊教会における精霊言語とは、祭祀に用いる祝詞なのだから。
 だが、クロエは否定する。

「はずれ。これはあくあで、ただの言葉だよ。精霊と人間がコミュニケーションを取るための、手段のひとつにすぎない」即刻破門されかねない発言に、ノアは声にならない悲鳴をあげる。「さて、では実践的に考えてみよう。この間ノア君が失敗した、簡単な水魔術を例にしてみる。《水の恵みを、鋭き刃に》…アラン君、この魔術も扱いづらいと思う?」
「ウン」
「なんで」
「水の刃を出すのハ簡単だけど、威力も、方向も、全然制御できナイから」

 それだよ、と指さしで褒められ、アランは胸を張る。ノアは少し寂しそうだ。

「ほら、精霊側になって考えみて。突然、水の刃を出せ、だよ。意味わかんなすぎて困惑でしょう?」
「精霊様の側に立つ…?」ノアも心底困惑した。
「なるほど、詳細な指示が必要ってわけだね」アランはあまりに物分りが良い。
「その通り。――魔術師協会に魔術師として認定される最低条件は、術の制御ができること。言い換えれば、詳細な指定に習熟すること、だよ」

 ノアは恐ろしそうに精霊に赦しを求めているが、相手にされない。

「とにかく細かく指示スれば良いってこと?」
「その通り。魔術師の詠唱が長いのはこのせいだね。でも、あんまり長い詠唱は役立たずなんだよ。まず実戦で使い物にならない」
「威力が出ルなら、詠唱中は後方で守ればイイんじゃない?」
「そう気軽に言えるのが、アラン君が優秀な魔術師である証拠だよ。…確かに、規模の大きい魔術を生み出すこと自体は、そんなに難しいことじゃない。質の良い精霊石を大量に使うなり、魔術師を集めて詠唱を重ねるなり、やりようはある。…ただし、現象が大きくなると、制御の難しさが跳ね上がる。制御するには、発現の倍の力が必要だって言えばイメージしやすいかな」
「無茶をすれバ敵の前に味方を殲滅する?」
「あり得るね。それに、あんまり長い詠唱は破綻すると思っていい」
「なんデ?」
「精霊が飽きるから」

 どうやら許容量を超えたらしく、ノアは蒼白な顔をして穏やかな笑みを浮かべた。大変優雅にお茶を注ぐ。スコーンにクリームを塗って並べる。その間ずっと、手が震えていた。

「精霊言語には、文法だけじゃなくて韻律があるでしょう。それが美しいから、精霊は耳を傾けるんだよ。ようは娯楽だね。退屈しているから、嬉々として現象界に介入するの。ノア君並みの詠唱ができるならともかく、一般人がだらだら喋っててもうんざりするだけ。下手したら魔力だけ吸われて術が暴走する」
 名前が出たのでとっさに身を正す。「お、お褒めいただいて光栄です…?」
「だから、一般の魔術師にできることは、シンプルかつ大雑把なことだけだと思っていい。私が言うべきことじゃないけど、ほとんどの魔術師は日常生活ではなんの使い道もない」お菓子とお茶で一服。「でもアラン君は、この理屈がピンとこないはずだよ」

 勢いよく身を乗り出す。「そう。最初に教本カラ学んだ魔術に関しては、今の説明で納得ガいく。でもボクが使う魔術は…それに、モーリア嬢が使う魔術も、それとは別物じゃない? 一番疑問なのは、僕も君も長々詠唱なんテしないし、それでいておそラく、言語で指定するよりも的確な結果を出してるっテこと」
「その通り、別物なんだよ」
「同じ魔術なノに?」
「さっき言ったように、一般的な魔術は、まず魔術師が精霊に働きかけ、精霊が現象を起こす。…アラン君が使う魔術では、精霊に働きかけ、精霊の権限を委譲される。発現は、その権限に基づいてアラン君自身が行ってる」
「権限の、委譲?」さすがのアランも目を丸くする。「ご大層な響きだね」
「実際、ご大層なことなんだよ。これができれば高位魔術師になれる。史上最年少は私が貰っちゃったけど、アラン君も十分に業界騒然の逸材だよ」
「聞いたノア君、褒められちゃったよ!」
「精霊様の力を…移譲…?」実に良い笑顔を見せる。「…すいませんね、アラン。どうやら僕は体調が優れないようです。心根も穢れているのでしょう。どうも先ほどから、精霊様は気まぐれな隣人にすぎないような幻想に囚われていて、心身の修養の必要を痛感しているところです」
「わあお、さすがノア君。ズバリと核心をついてくるね。まさしくその通りなんだよ」

 どの部分が核心なのか、確かめたりはしなかった。とても聞いていられなかったので、顔を背けて無理やり話題を切り上げる。

「ところでクロエさん。今さらですが、クロエさんの歓迎会をしようと思うのです。いかがでしょう?」
「それは本当に今さらだね」
「ノア君、ハリきってご馳走作るっテ」
「わかった。今すぐ始めよう」
「今すぐはちょっと…」
 やれやれと首を振る。「ならいつなの?」

 あーやら、うーやら、言語能力を乳児並みに退化させたノアは、袖の端を弄びながら苦悶している。埒が明かないので、隣でにやにやする通訳を促した。

「ノア君、モーリア嬢に喜んで貰うためにちゃんと準備しタいんだって。でも、その喜ばせたい相手の要求が『早くしろ』だったモンだから、質とスピードの兼ね合いデ悩んでるんだよ」
「なるほど」

 なんて馬鹿らしくて平和なんだろと、興味を失いあくびをする。お茶を飲んでいると、ほっそりと長い指が伸びて、躊躇いがちにカップを押し下げた。求められた通りにソーサーに戻す。宙をさ迷った手が、無意味に砂糖をかき混ぜ始めた。その手の主を見れば、赤い顔をして、唇を引き結んでいる。

 それだけではなくて、とノアは言った。黙って続きを待つと、決死の形相でこう叫ぶ。

「クロエさんが歓迎会を受け入れてくれて、とても嬉しかったんです!!」
「プロポーズみたいな勢いデいうのがそれなの?」
「ぷ、ぷぷろぽーずだなんて…!」

 しどろもどろで、目を回している。
 アランは呆れた様子で首を振る。

「…まあ、ありがとね」

 苦笑とともに、囁いた。
 どうやら、耳には入らなかったようだ。
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