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第十七話 朝ぼらけのふたり会議
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翌朝。あまりよく眠れず、夜から朝に変わろうとしている空を、寝室の窓からぼんやりと眺める。ふと視線を感じて下を見ると、ミカが中庭からこちらを見上げていた。驚いた表情のミカに(待ってて、すぐ行くから!)と口パクと身振りで伝え、急いで下に降りる。
「朝の空気が吸いたくなってこちらの庭を歩いていたのですが、ちょうど顔を上げたところに女神の姿が見えて……。もしかして、足音が響いていましたか」
「ううん! 元々起きてたの、何だか眠れなくて……」
「僕のせいですね、申し訳ありません」
「違う、私が……」
「待ってください、女神。本当は、皆と顔を合わせる前に、女神にきちんと謝りたいと思っていたのです。でも、早朝に女神を起こすのは忍びなく……。だから、こうして今女神との時間があるのは、きっと天が授けた僕へのチャンスだと思うんです。女神、僕だけに謝らせてください」
ミカはそう言うと、立ち話では疲れてしまうだろうからと昨日話した東屋まで向かい、私が座ったのを確認してから話し始めた。
「僕は昨日の女神の話を聞いたとき、頭を殴られたような衝撃がありました。女神と比べると人生経験もまだまだ浅く、見てきた世界も聖ロマネス王国のさらに一部に過ぎない。僕は、聖ロマネス王国第一王子として、将来王国を背負う者として、頑張り続けるということが当たり前でした。常に己を律し、良き生徒、良き人間で居続けることが正義だと、信じて疑いませんでした。だからこそ、見上げた先にいる女神が、いつも熱心に僕たちの世界を見ていてくれることに、シンパシーを感じていたのかもしれません。でも……身勝手でした。僕にはこの世界を見ているときの女神しか見えていなかったのに、それが全てだと思ってしまっていた。……何なら、この世界を見ているときの女神が、本当は何を考えていたのかも分かりません。僕は自分に都合よく、僕のフィルターを通して女神を見ていたに過ぎません。それで女神をさも分かっているかのような顔をして……」
「それは仕方のないことだよ……! 本当はそのひとが何を考えているかなんて、そのひと自身ですら分からないときだってあるもの。私も、人間いつかは死ぬんだからなんて、元の世界での私の価値観をミカに押しつけてしまった。私自身、人間いつかは死ぬんだから今を楽しんだ方がいいんだなんて言いながら、将来のために試験でいい成績を取ったりしてるんだもん。矛盾してるよね。再来年には全部、なかったことになるかもしれないのに」
「女神、それは違いますよ。全部なかったことにはなりません。仮に女神が僕のことを全て忘れてしまったとき、今こうして話した時間は嘘になりますか?」
「……ならない」
「再来年以降もこの世界は続くと僕は信じていますが、もし全てが巻き戻ったとしても、この世界線でアマリリスの皆で過ごした時間は存在し続けます。たとえ僕がアマリリスの花言葉を思い出せなくなってもね」
「……」
「それに、本来人間は、矛盾をはらむものなのだと、女神と過ごして知りましたよ」
「……?」
「僕が、頑張り続けるべきだと無意識のうちに思い込んでいたのは、僕自身が未熟なのもあるとは思いますが、物語の登場人物である以上、つくられた性格から離れた発想はしないようになっているのかな、と……。でも女神は色々な表情を魅せてくださる。これが本来の人間の在り方なのかなと考えていました」
「……ごめ」
「女神、謝らないで。謝られたら僕は、どうすればいいのか分かりません」
眉をハの字にしながら笑うミカに、私は何も言えなかった。
「でも、僕は女神に恋をした。これは物語の筋書きにはなかったでしょう? だから僕だって、僕自身がしたいと思ったように動くこともできるんです。それに女神? 僕は貴女の一生懸命な姿を見て貴女に惹かれた。でも、頑張りすぎないでほしいと思っていたんです。辛い思いをするくらいなら頑張らなくてもいい、僕が貴女の止まり木になれたら……そう思っていたんです」
ミカは私に跪き、私の目を見て続ける。
「女神……。僕は昨晩、貴女との出会いから今日までを思い返していました。女神としてではなく、学園の後輩として出会っていたら、どう思っていたのだろうと。……やっぱり女神は頑張り屋です。ロマネス史も近隣王国史も、知らないことだらけのはずなのに、用語や年号もばっちり暗記してテストに臨んでいた。舞踏だって、舞踏会に備えて夏休みから練習して、昨日も、指導内容を手帳にしっかり書き込んでいた。でも、それだけじゃない。カトリーヌやナディアと楽しそうにしている貴女も、カイトや僕たちをあしらう貴女も、サマエル公爵にアマリリスのことを手紙で報告してくれている貴女も、どんな貴女も愛おしい。何度考えても僕には、貴女の嫌なところがひとつも見つからないのです。」
「ミカ……」
「女神、改めて誓わせてください。僕はこれから先何があろうと、貴女の笑顔のために全力を尽くします。どんな瞬間も貴女は、僕にとって女神です」
ミカは私の右手をそっと取り、手の甲に優しく口づけをした。……初めて女神と呼んでくれたあの日と同じように。
「貴女の幸せを思うあまり、昨日のように出過ぎた真似をすることがあるかもしれません。そのときはまた、女神がどう思っているのかを教えていただけませんか……?」
「ありがとう、ミカ。……うん、ちゃんと話すね。そのときはミカも、私に気を遣わずに、本音で話してくれたら嬉しいな」
「はい! もちろんです! ……そろそろ朝食の時間でしょうか? 朝早くから活動していましたから、今朝はいっぱい食べますよ~!」
以前過去を打ち明けてくれたとき、ミカは記憶が失われるのが怖いと話していた。でも今日は、過ごした時間は嘘にはならないと勇気づけてくれた。本当は怖いと思っているけれど私の不安を払拭するためにそう言ってくれたのか、それとも考えを変えることができたのか……。どちらにせよ私は、今日ミカと話したことは忘れたくないと強く思った。
「朝の空気が吸いたくなってこちらの庭を歩いていたのですが、ちょうど顔を上げたところに女神の姿が見えて……。もしかして、足音が響いていましたか」
「ううん! 元々起きてたの、何だか眠れなくて……」
「僕のせいですね、申し訳ありません」
「違う、私が……」
「待ってください、女神。本当は、皆と顔を合わせる前に、女神にきちんと謝りたいと思っていたのです。でも、早朝に女神を起こすのは忍びなく……。だから、こうして今女神との時間があるのは、きっと天が授けた僕へのチャンスだと思うんです。女神、僕だけに謝らせてください」
ミカはそう言うと、立ち話では疲れてしまうだろうからと昨日話した東屋まで向かい、私が座ったのを確認してから話し始めた。
「僕は昨日の女神の話を聞いたとき、頭を殴られたような衝撃がありました。女神と比べると人生経験もまだまだ浅く、見てきた世界も聖ロマネス王国のさらに一部に過ぎない。僕は、聖ロマネス王国第一王子として、将来王国を背負う者として、頑張り続けるということが当たり前でした。常に己を律し、良き生徒、良き人間で居続けることが正義だと、信じて疑いませんでした。だからこそ、見上げた先にいる女神が、いつも熱心に僕たちの世界を見ていてくれることに、シンパシーを感じていたのかもしれません。でも……身勝手でした。僕にはこの世界を見ているときの女神しか見えていなかったのに、それが全てだと思ってしまっていた。……何なら、この世界を見ているときの女神が、本当は何を考えていたのかも分かりません。僕は自分に都合よく、僕のフィルターを通して女神を見ていたに過ぎません。それで女神をさも分かっているかのような顔をして……」
「それは仕方のないことだよ……! 本当はそのひとが何を考えているかなんて、そのひと自身ですら分からないときだってあるもの。私も、人間いつかは死ぬんだからなんて、元の世界での私の価値観をミカに押しつけてしまった。私自身、人間いつかは死ぬんだから今を楽しんだ方がいいんだなんて言いながら、将来のために試験でいい成績を取ったりしてるんだもん。矛盾してるよね。再来年には全部、なかったことになるかもしれないのに」
「女神、それは違いますよ。全部なかったことにはなりません。仮に女神が僕のことを全て忘れてしまったとき、今こうして話した時間は嘘になりますか?」
「……ならない」
「再来年以降もこの世界は続くと僕は信じていますが、もし全てが巻き戻ったとしても、この世界線でアマリリスの皆で過ごした時間は存在し続けます。たとえ僕がアマリリスの花言葉を思い出せなくなってもね」
「……」
「それに、本来人間は、矛盾をはらむものなのだと、女神と過ごして知りましたよ」
「……?」
「僕が、頑張り続けるべきだと無意識のうちに思い込んでいたのは、僕自身が未熟なのもあるとは思いますが、物語の登場人物である以上、つくられた性格から離れた発想はしないようになっているのかな、と……。でも女神は色々な表情を魅せてくださる。これが本来の人間の在り方なのかなと考えていました」
「……ごめ」
「女神、謝らないで。謝られたら僕は、どうすればいいのか分かりません」
眉をハの字にしながら笑うミカに、私は何も言えなかった。
「でも、僕は女神に恋をした。これは物語の筋書きにはなかったでしょう? だから僕だって、僕自身がしたいと思ったように動くこともできるんです。それに女神? 僕は貴女の一生懸命な姿を見て貴女に惹かれた。でも、頑張りすぎないでほしいと思っていたんです。辛い思いをするくらいなら頑張らなくてもいい、僕が貴女の止まり木になれたら……そう思っていたんです」
ミカは私に跪き、私の目を見て続ける。
「女神……。僕は昨晩、貴女との出会いから今日までを思い返していました。女神としてではなく、学園の後輩として出会っていたら、どう思っていたのだろうと。……やっぱり女神は頑張り屋です。ロマネス史も近隣王国史も、知らないことだらけのはずなのに、用語や年号もばっちり暗記してテストに臨んでいた。舞踏だって、舞踏会に備えて夏休みから練習して、昨日も、指導内容を手帳にしっかり書き込んでいた。でも、それだけじゃない。カトリーヌやナディアと楽しそうにしている貴女も、カイトや僕たちをあしらう貴女も、サマエル公爵にアマリリスのことを手紙で報告してくれている貴女も、どんな貴女も愛おしい。何度考えても僕には、貴女の嫌なところがひとつも見つからないのです。」
「ミカ……」
「女神、改めて誓わせてください。僕はこれから先何があろうと、貴女の笑顔のために全力を尽くします。どんな瞬間も貴女は、僕にとって女神です」
ミカは私の右手をそっと取り、手の甲に優しく口づけをした。……初めて女神と呼んでくれたあの日と同じように。
「貴女の幸せを思うあまり、昨日のように出過ぎた真似をすることがあるかもしれません。そのときはまた、女神がどう思っているのかを教えていただけませんか……?」
「ありがとう、ミカ。……うん、ちゃんと話すね。そのときはミカも、私に気を遣わずに、本音で話してくれたら嬉しいな」
「はい! もちろんです! ……そろそろ朝食の時間でしょうか? 朝早くから活動していましたから、今朝はいっぱい食べますよ~!」
以前過去を打ち明けてくれたとき、ミカは記憶が失われるのが怖いと話していた。でも今日は、過ごした時間は嘘にはならないと勇気づけてくれた。本当は怖いと思っているけれど私の不安を払拭するためにそう言ってくれたのか、それとも考えを変えることができたのか……。どちらにせよ私は、今日ミカと話したことは忘れたくないと強く思った。
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