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4、何も起こらない
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話し終えると、エミリアはうつむいて深いため息をついた。何年も一人で抱えていた秘密。誰にも打ち明けることが出来なかったそれを、初めて口にした。
思い出すのもつらい出来事で、言葉にしても苦しかったが、吐き出せたからかほんの少し心が軽くなったような、不思議な心地がした。
ルイスは少しの間沈黙していたが、「そうでしたか」と呟いた。
「おつらかったでしょう。大変でしたね」
エミリアは顔を上げた。
身内以外で、そうやって気遣うような言葉をかけてくれる人はいなかった。エミリアは王太子のわがままな婚約者。恐れて誰も近づいてなど来ないのだ。
「もう大丈夫ですよ。あなたは一人ではありませんから」
ルイスが柔らかく微笑む。
その笑顔を見た瞬間、エミリアの頬にかっと熱がのぼった。
それがエミリア自身を大いに動揺させた。
顔が熱くなった理由がわからない。
ルイスは自分と同じようにウォーレンに虐げられている存在で、エミリアが初めて打ち明け話が出来た人間で。浮気相手になる予定の人で。笑顔がとても――優しそうで。
いろんな情報が頭で処理しきれなくなったエミリアは混乱して慌てふためいた。相変わらずルイスは穏やかな目でこちらを見ているが、多分自分はかなり赤面していることだろう。
それが恥ずかしくて、すぐにでも顔を隠したくなった。
手をあげようとした途端、カップと当たって中身がこぼれてしまう。それが手袋にかかってしまい、驚いたエミリアは立ち上がった。
「た、大変……!」
白いテーブルクロスに染みが広がっていき、手袋も汚してしまった。エミリアは手袋を脱いだ。
「エミリア様、火傷はしませんでしたか」
いつの間にかルイスが席を立ち、エミリアに近寄っている。
その手がエミリアのむき出しになった手に触れようとしているので、エミリアは声をあげた。
「駄目!」
――あの時の光景が、頭によみがえる。
エミリアがウォーレンの婚約者になると約束した直後。
にやつくウォーレンは、座り込むエミリアを立たせようと手をのばした。
その手がエミリアに触れようとした瞬間。
――バチンッ!!
「?!」
白い火花が散って、ウォーレンの手が弾き飛ばされた。エミリアは呆気にとられてウォーレンを見つめていたが、驚いていたのは向こうも同じようだった。
ウォーレンは弾かれた手を見つめてしばし黙り込んでいる。それから睨みつけられたので、エミリアは狼狽して「私は何もしておりません!」と声をあげた。
「……手を出せ」
命令されたエミリアは、おずおずと言われた通り手をのばした。その手に、再度ウォーレンが触れようとする。
――バチッ!
やはりだ。先ほどと同じように火花が散って、ウォーレンの手は弾かれた。
「呪いの一部がお前にもかかったらしいな」
「え?」
「俺がミレーネに呪いをかけた時、お前が邪魔に入ろうとしただろう。その時にお前も影響を受けたらしい」
「つまり……どういうことなのですか?」
ウォーレンの説明によると、エミリアがあの時感じた恐怖と呪いが結びついたようだ。異性に対する恐れと不信感が呪いとなってエミリアに定着し、異性が触れるのを拒絶しているらしい。
ウォーレンは忌々しげに舌打ちをしたが、この呪いのためにエミリアを諦めるつもりはないと言い置いて去っていった。
残されたエミリアは呆然とするしかない。異性が触れられない呪いだなんて、そんなものがあるだろうか。
半信半疑でいたのだが、屋敷に戻ってしばらくした後、執事と手がぶつかりそうになったことがあり、その際例の火花が散ったので仰天した。
王子の言ったことは本当だったのだ。女性の方は触れても平気だったのだが、やはり男性に反応するらしい。呪いが暴走して誰かを傷つけては大変だと、エミリアはそれ以来手袋をつけて日常を過ごすようになったのだった。
「駄目!」
悲鳴じみた声はしかし、ルイスの動きを制止できなかった。エミリアを心配したルイスは、もう手をとってしまっていた。
――が。
何も、起こらない。
ルイスは軽く支えるように下からエミリアの手をとって、指先を眺めていた。
「よかった。何でもなさそうですね。……どうかされましたか?」
エミリアがあまりにも驚いた表情で固まっていたからだろう。ルイスはきょとんと不思議そうな顔をしている。
「私……男性に触れられないはずなのです……。接触すると火花が……。殿下が、それを呪いだと言って……、だから、今までずっと、手袋を……」
ウォーレンの大きな手は、エミリアのものよりややひんやりしていた。
目を見開いて硬直しているエミリアに、ルイスは首を傾げて微笑んだ。
「大丈夫そうですけどね。ほら」
と言って、軽く、本当に軽くだが、ルイスはエミリアの指先を包むように握った。
確認のための動きであり、他意などないとわかっているのに、エミリアの頬に再び熱が戻ってくる。
「エミリア様っ!!」
リーナがスカートの裾をからげてこちらへと走ってきた。どうも先ほどのエミリアの悲鳴を耳にして、何事か起きたと思ったようだ。
ルイスはすぐにエミリアの手を離したのだが、リーナはそれを見逃さない。エミリアの両手をぎゅっと握り、ルイスに鋭い視線を向けた。
「ハルステラ様! エミリア様に何をなさろうとしたのですか!」
「誤解よ、リーナ。私、カップを倒してしまって、それでハルステラ様は火傷をしていないかと心配してくださって……」
「火傷ですって?!」
聞き捨てならなかったらしく、リーナは子細にエミリアの両手を調べ始めた。卓上は別の侍従が片づけを始めてくれている。
今日の面会はこの辺にしておこうかとルイスが言った。
「あなたもお疲れでしょうから、今回の話についてはまた後日。いろいろと打ち合わせることもありますし」
エミリアが頷くと、ルイスは「私のことは気軽にルイスとお呼びください」と笑った。するとリーナがあんまり気安いと思ったのか、牽制するようにルイスを睨みつける。
本当にリーナは肝が据わっているというか、エミリアのことになると極端に怖いもの知らずになってしまってこちらが冷や冷やする。
「ご心配なく。君の主に失礼なことはしないよ。嫌がることも、絶対にしない。約束する」
ルイスは苦笑すると両手をあげた。
侍女の過剰反応を詫びつつ、エミリアはリーナを連れてその場を離れた。
「エミリア様、本当に何でもありませんでしたか。何か言いにくいことをされたのでしたら、このリーナにそっと耳打ちしていただいてもいいのですよ」
「大丈夫だったら。何もないのよ。相談事があって、真摯な態度で聞いていただいたわ。まだ会ったばかりだから言い切ることもできないけど、悪い人ではなさそうよ……」
歩きながら、エミリアは自分のてのひらへ視線を落とした。いつも手袋で隠されていた、真っ白な手。
――触れない呪いがかかっているはずなのに、どうして?
先ほどのルイスの手の感触を思い出しそうになり、慌ててぷるぷるとかぶりを振った。
ルイスは疲れているだろうからとさっさと帰してくれたが、話しただけで別に疲労など感じないだろうと思っていた。だが、部屋に戻るなりどっと疲れを感じ、まだ陽が高い時間ではあるが寝台で休みたいとエミリアはリーナに訴えた。
自覚していなかったが、何年もの間背負い続けた秘密を誰かに打ち明けるのは、それだけでかなりの心労を覚えるらしい。
エミリアはその後寝入ったが、いつもよりは重苦しい眠りではなく、目が覚めるとなんとなく、心も体も軽やかだった。
問題が何一つ解決したわけでもないのに不思議だ。
話を聞いてもらっただけだ。それでも、数年ぶりに、自分の人生の中で光というものを見た気がしたのだった。
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