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24.きっかけ
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徐々に深い水底から浮かび上がるように、意識が覚醒していく。
気だるげに瞼を開けると、
「…………」
ソティラスが隣に寝ころび、じっとルーチェの顔を眺めていた。
「…………」
「おはよう」
と、ソティラスは自然な動作でルーチェの額に唇を落とした。その場所がじんわりと熱くなる。じっと見つめ合うさまは、まさに甘い恋人同士のようだった。
「なっ!」
ようやく思考が追いつき目を見開くと、ルーチェは唇をわななかせた。
「な、なな、なんで」
「覚えていないか」
ソティラスが意味深に微笑み、ルーチェは慌てながらもそっとシーツの中をのぞく。もちろん服は着ていない。
「笑っていたぞ、ずいぶんと幸せな夢でも、」
「見てないっ!」
ルーチェは声を荒げると、自分でも驚く素早さと力でソティラスを部屋の外に追いやった。この場で発揮された力は、これも特訓の成果なのか。
(いやそんなことよりも!)
と、ルーチェは服を着ながらぐるぐる考えた。
(なにやってんだよ俺! 宿敵である魔王の横で安心しきって眠るなんて、どうかしてる。ってか、すでにどうにかなってるだろ! 昨晩はどうかしてた。慰められて抱き合って、どころかひとつのベッドで語らうまで甘い時間を過ごしてたなんて……いろんなことが起こりすぎて混乱してたんだ。雰囲気に流されただけだ……。いや、いやいやいや、それにしてもおかしい。理性はどこで落としてきた。勇者の俺はどこ行ったんだよ……これから、あいつの前でどんな顔すりゃいいんだよ……)
「ルーチェ様、おはようございます。さっそく朝ご飯行きますか――えっ、ルーチェ様、どこに、ルーチェ様っ?」
レイルが呼びに来ていた気がしたが視界に入らない。それどころではない。とにかくルーチェはさっさと部屋を出た。
悩みに悩んだ末、ルーチェは解決策として、ソティラスの姿を見かけたら全力で逃げた。いちいち廊下を全力疾走するのは迷惑なので、出会わないように気をつけた。曲がり角で周囲を確認し、安全ならば素早く移動する。辺りを必要以上に警戒するさまは挙動不審で、はたから見れば捕まらないのがおかしいほどの完全なる不審者だった。
ルーチェは悩んだ。
(魔王は倒すべき相手、それは変わらないはずなのに……俺が変わってしまったのか? あいつが恋人みたいに接してくるから意識してる、ってことなのか!?)
流され、染まってしまっている。異常な非常事態だ。
(いや違う。意識なんかしてないっ。……そうだ、なんらかの魔法か、魔王を意識するように操られてるのかもしれない。あああ、悩みすぎてあいつの姿が頭から離れないし、なんか胸が苦しくなってきた……)
なんで安心し切ったように身を任せてしまったんだ、と自らを責める。魔王は敵だ。人間たちの平和を脅かす敵のはず――。
(それなのに、あいつが、優しくなんかするから……)
散々自分に言い聞かせる言葉にも無理が生じていた。もうわけがわからない。オルトスやシーナのような頭脳が欲しいとさえ思う。
「……ルーチェ様、さっきから三つの頭で意思疎通出来ていないケルベロスみたいな動きになってますけど」
「なんだその例えは。ここじゃよくあることなのか」
「たまにご飯を取り合ってますよ」
と、レイル。魔王城の門番として戦ったときは恐ろしい怪物だったが、そういう話は普通の番犬のようだ。
あまりにもルーチェが奇怪な動きをしながら考え込んだり悶えたりしているものだから、レイルが気にかけている。
「襲われる心配をしてるんでしたら僕が守りますから、安心してくださいっ。どんな敵でもやっつけますよ」
レイルの言葉にルーチェはしばし考え、
「……魔王は倒せるか」
「懐にあるナイフとフォークでいけると思いますか?」
「無理だな」
即答した。そもそもレイルが王に刃向かうわけが無い。
「てか、他の相手にもその武器?で戦うつもりだったのか。無理だろ」
「いけますよ。僕、本気出したら凄いんですからね」
と、レイルがこぶしを握り、しゅっしゅっと殴る仕草をする。ナイフとフォークを使っている仕草ではない。
「ルーチェ様が悩んでるのって、もしかして、魔王様が原因なんじゃないですか」
図星だった。ビクッと跳ねた後に何も答えられずにいると、「やっぱり」とレイルは頷く。始めは襲われる心配がどうのこうのと言っていたのに、このしたり顔だ。
「僕でよかったら話してください」
真っ直ぐに見つめてくるレイルから目を逸らし、ルーチェは呟くように切り出した。
「……魔王を倒すにはどうしたらいい」
レイルが首を傾げるが、構わず続けた。
「魔王は敵だ。倒さなければならない存在だ。俺はそのためにここに来た。だけど、俺の力じゃまだ魔王を倒すことはできない。だから俺はあいつの弱点を探して、仲間たちに協力してもらって、ハイリヒ国の平和のために、何がなんでも倒さなきゃいけないのに……」
(そう、目的はこれだ。ハイリヒの平和のためだったはずだ。それが勇者の存在意義だ)
ルーチェは奥歯を噛んだ。
「……なのに、なんであいつは優しくするんだ。乱暴にされたほうがましだ。無理やり嫁にされたほうが諦めもつくし、憎しみだって沸く。それなのに……何で優しいんだよ。何で心地いいとか思うんだ。本当に魔王を倒して平和になるのか? 本当に魔王が悪いのか? それすらもう分かんねえよ。……あいつに会って、どういう顔をしていいか、分からないんだ……」
「ルーチェ様……」
「いや、本当は分かってる。憎めばいいんだ。始めは憎んでたはずなんだ。魔族が人間を傷つけていた事実に変わりはないんだから。でも……ここで過ごしてるうちに、俺は、平和と引き換えに嫁になるっていう、最初の契約すら忘れるほどで……その契約があるからって理由をつけて、ずっとこのままでいいとすら思い始めててて……俺自身が、何をしたいのか、もうわけが分からないんだよ」
頭をかきむしる。忙しいからと、知らなければいけないことがあるからと、何かしら理由をつけては、魔王の弱点を探すことなど後回しにしていた。
知れば知るほど魔族のことも魔王のことも知らないことばかりで、半端に知って関わって、余計に自分の立場もわからなくなっていた。
知りたいと思うのに、知ってしまおうとしたら邪魔をする。
勇者という、肩書きが。
人間たちの希望が。
託された使命があるのに。長くここに留まるべきではなかったのに。
このような悩みを抱いている時点で、すでに勇者失格なのだろう。それでも助けを求める人々の願いを叶えなければならない。
そして、自分のためにも。
「ルーチェ様は、」
レイルが口を開く。
「魔王様のこと、嫌いなんですか?」
ぐっと胸を掴まれるような感覚に、ルーチェはなんとか声を絞り出した。
「……嫌いだよ」
「僕は、ルーチェ様のこと好きですよ」
そう言うと、レイルはいきなりルーチェの手を引き、壁に押し付けた。
「なっ!」
突然のことにルーチェは目を見開いた。レイルは壁についた両腕の間にルーチェを囲んで捕らえると、ぐっとルーチェに顔を寄せた。人間と似た魔族の顔が目の前にある。
ルーチェは首を曲げて顔を背け、胸を手で押しのけ、激しく拒絶するが、思った以上にレイルの力が強い。
鼻の触れそうな距離にいるレイルはルーチェの戸惑いをよそに、笑みすら浮かべている。
「な、なにやってるんだ、離せっ!」
至近距離の怒声にレイルは少しだけ顔を離し、ルーチェの目を覗き込んだ。
「僕のこと嫌いじゃないって言ってくれたじゃないですか。魔王様のことが嫌いなら、僕にしてください」
そう言って再び顔を寄せる。唇に吐息がかかり、ルーチェは思い切り押し返した。
「その理屈おかしいだろうが! やめろレイル!」
大声を上げると、ぱっと、レイルは手を離した。あまりにも突然のことでルーチェはつんのめり、レイルに寄りかかる体勢になる。「大丈夫ですか」と抱えられながら、その潔いともいえる諦めぶりに、ルーチェは混乱し、拍子抜けすらした。
レイルはいつも通りの笑みを浮かべている。
「やっぱり僕とじゃ嫌でしょう?」
「……はあ?」
「僕が駄目で、魔王様とはいいのなら、やっぱり魔王様のこと特別だと思ってるんですよ」
ルーチェはぽかんとし、
「い、いいとか特別とか一言も言ってないだろうが!」
「え、そうでしたっけ」
と、レイルは苦笑しながら頭をかく。
(本当に俺の話、聞いてたのか?)
「……やむを得ずいるだけだ」
魔王を倒しに来なかったならば。嫁にならねば世界の平和が、と言われなければ。弱点を見つけようと思わなかったのならば。
こんなことはしていなかった。こんなことで悩まなかった。
始めは違和感だった。案外、居心地が良いことを知った。本当は優しいやつだと知った。
知ってしまった。それは事実だ。
(少なからず……いやほんの一つまみぐらいは、特別だと思ってるのも、正直ある……けど)
そう思っているのは自分だけ。
魔族にとって人間は憎い存在。
人間にとって魔王は敵となる存在。
それもまた、ゆるぎない事実なのだ。
「……レイルは、俺のことが好きだって言ったけど、人間を憎んではいないのか?」
「憎んでなんかないですよ。みんながみんな、憎んでるってわけじゃないです」
それはルーチェもよく分かっているつもりだ。人間も、全てが魔族を憎んでいるわけではない。夢で見た、ルーチェの父もそうであったように。
「それに、ネグロ=ヴァルトには魔族と人間が共存している村もあるじゃないですか」
「そんなの迷信だろ?」
人間界と魔界を分断する黒き森、ネグロ=ヴァルトの中にあるという村だ。強力な魔力の霧で覆われた土地は住める環境ではないし、その村を見たものなど誰もいないと言うが。
「僕はその村の生まれなんです」
あっけらかんとレイルは答える。
「僕、人間とエルフのハーフなんですよ。お父さんが人間で、お母さんがエルフ。ということは、魔王様の理想、ってことになるんですかね」
魔族でも人間でもどちらでもないレイルは、屈託なく笑う。どうりで見た目は人間に近かったのだ。魔族の特徴を持つ人間が生まれることはあっても、悪魔の子だと迫害され、ひどいときは母子共に殺されていると聞いたことがある。生きて生活している前例などルーチェは知らない。
「その……大丈夫、なのか?」
「二人ともすごく仲がいいですよ。でも僕の前でいちゃいちゃされるのは、ちょっと困りますけど」
レイルは笑う。嘘をついているようには見えない。
「だから、絶対に相容れないということはないと思うんです。僕がその証明になるんですよ。まあ、同じようなハーフの人には、まだ会ったことがないんですけど」
レイルの言葉は、まるでどこかに自分と同じ境遇のものがいるかのような口ぶりだった。信じられない。昨晩の魔王の問いを思い出す。
『人間と魔族は、共に生きることはできないだろうか』
無理だとルーチェは思っている。しかし目の前に理想の具現がいるのならば。
「魔族と人間、共存、できると思うか?」
「できたらいいなって思います」
あくまでも希望だった。魔族と人間が共存する村に生まれ、双方の両親を持つレイルでさえ、できるとは断言しなかった。
「レイルはさ、何でゲーティア国にいるんだ? その見た目ならハイリヒ国でも良かったんじゃないのか?」
(迫害されるからだろうか。こっちよりもハイリヒの方が差別意識は強いかもしれない。いや、俺への風当たりも強かったから、レイルもゲーティアで同じ思いをしたことあると思うんだけど)
レイルは迷わず答えた。
「ゲーティア生まれの、お母さんの作る料理が美味しかったんですよ」
ルーチェ様も食べたでしょう、とレイルは料理の名を上げた。肉にリンゴのソースがかかったものだ。ここに来てはじめてルーチェが口にした料理で、ソティラスが毒見した料理だった。
(確かに、美味くはあったが……)
「……それだけ?」
「はい」
と、レイルは頷いた。
「きっかけって、その程度の些細なものですよ。もちろん見た目は人間に近いですし、いじめられていた時もありましたけど、実際こっちにきて楽しいですし。きっかけとかって何でもいいんじゃないですかね」
魔王討伐に立ち上がったきっかけも、魔王の嫁となったきっかけも、魔王のことに思い悩むきっかけも、きっかけはほんの些細なことで、現状はそのきっかけの積み重ねなのだろう。
魔族でも人間でもどちらでもあるレイルは、屈託なく笑った。
「僕はお二人のこと応援してます。二人がきっと、魔族と人間が共に生きるための、きっかけになるんですよ」
気だるげに瞼を開けると、
「…………」
ソティラスが隣に寝ころび、じっとルーチェの顔を眺めていた。
「…………」
「おはよう」
と、ソティラスは自然な動作でルーチェの額に唇を落とした。その場所がじんわりと熱くなる。じっと見つめ合うさまは、まさに甘い恋人同士のようだった。
「なっ!」
ようやく思考が追いつき目を見開くと、ルーチェは唇をわななかせた。
「な、なな、なんで」
「覚えていないか」
ソティラスが意味深に微笑み、ルーチェは慌てながらもそっとシーツの中をのぞく。もちろん服は着ていない。
「笑っていたぞ、ずいぶんと幸せな夢でも、」
「見てないっ!」
ルーチェは声を荒げると、自分でも驚く素早さと力でソティラスを部屋の外に追いやった。この場で発揮された力は、これも特訓の成果なのか。
(いやそんなことよりも!)
と、ルーチェは服を着ながらぐるぐる考えた。
(なにやってんだよ俺! 宿敵である魔王の横で安心しきって眠るなんて、どうかしてる。ってか、すでにどうにかなってるだろ! 昨晩はどうかしてた。慰められて抱き合って、どころかひとつのベッドで語らうまで甘い時間を過ごしてたなんて……いろんなことが起こりすぎて混乱してたんだ。雰囲気に流されただけだ……。いや、いやいやいや、それにしてもおかしい。理性はどこで落としてきた。勇者の俺はどこ行ったんだよ……これから、あいつの前でどんな顔すりゃいいんだよ……)
「ルーチェ様、おはようございます。さっそく朝ご飯行きますか――えっ、ルーチェ様、どこに、ルーチェ様っ?」
レイルが呼びに来ていた気がしたが視界に入らない。それどころではない。とにかくルーチェはさっさと部屋を出た。
悩みに悩んだ末、ルーチェは解決策として、ソティラスの姿を見かけたら全力で逃げた。いちいち廊下を全力疾走するのは迷惑なので、出会わないように気をつけた。曲がり角で周囲を確認し、安全ならば素早く移動する。辺りを必要以上に警戒するさまは挙動不審で、はたから見れば捕まらないのがおかしいほどの完全なる不審者だった。
ルーチェは悩んだ。
(魔王は倒すべき相手、それは変わらないはずなのに……俺が変わってしまったのか? あいつが恋人みたいに接してくるから意識してる、ってことなのか!?)
流され、染まってしまっている。異常な非常事態だ。
(いや違う。意識なんかしてないっ。……そうだ、なんらかの魔法か、魔王を意識するように操られてるのかもしれない。あああ、悩みすぎてあいつの姿が頭から離れないし、なんか胸が苦しくなってきた……)
なんで安心し切ったように身を任せてしまったんだ、と自らを責める。魔王は敵だ。人間たちの平和を脅かす敵のはず――。
(それなのに、あいつが、優しくなんかするから……)
散々自分に言い聞かせる言葉にも無理が生じていた。もうわけがわからない。オルトスやシーナのような頭脳が欲しいとさえ思う。
「……ルーチェ様、さっきから三つの頭で意思疎通出来ていないケルベロスみたいな動きになってますけど」
「なんだその例えは。ここじゃよくあることなのか」
「たまにご飯を取り合ってますよ」
と、レイル。魔王城の門番として戦ったときは恐ろしい怪物だったが、そういう話は普通の番犬のようだ。
あまりにもルーチェが奇怪な動きをしながら考え込んだり悶えたりしているものだから、レイルが気にかけている。
「襲われる心配をしてるんでしたら僕が守りますから、安心してくださいっ。どんな敵でもやっつけますよ」
レイルの言葉にルーチェはしばし考え、
「……魔王は倒せるか」
「懐にあるナイフとフォークでいけると思いますか?」
「無理だな」
即答した。そもそもレイルが王に刃向かうわけが無い。
「てか、他の相手にもその武器?で戦うつもりだったのか。無理だろ」
「いけますよ。僕、本気出したら凄いんですからね」
と、レイルがこぶしを握り、しゅっしゅっと殴る仕草をする。ナイフとフォークを使っている仕草ではない。
「ルーチェ様が悩んでるのって、もしかして、魔王様が原因なんじゃないですか」
図星だった。ビクッと跳ねた後に何も答えられずにいると、「やっぱり」とレイルは頷く。始めは襲われる心配がどうのこうのと言っていたのに、このしたり顔だ。
「僕でよかったら話してください」
真っ直ぐに見つめてくるレイルから目を逸らし、ルーチェは呟くように切り出した。
「……魔王を倒すにはどうしたらいい」
レイルが首を傾げるが、構わず続けた。
「魔王は敵だ。倒さなければならない存在だ。俺はそのためにここに来た。だけど、俺の力じゃまだ魔王を倒すことはできない。だから俺はあいつの弱点を探して、仲間たちに協力してもらって、ハイリヒ国の平和のために、何がなんでも倒さなきゃいけないのに……」
(そう、目的はこれだ。ハイリヒの平和のためだったはずだ。それが勇者の存在意義だ)
ルーチェは奥歯を噛んだ。
「……なのに、なんであいつは優しくするんだ。乱暴にされたほうがましだ。無理やり嫁にされたほうが諦めもつくし、憎しみだって沸く。それなのに……何で優しいんだよ。何で心地いいとか思うんだ。本当に魔王を倒して平和になるのか? 本当に魔王が悪いのか? それすらもう分かんねえよ。……あいつに会って、どういう顔をしていいか、分からないんだ……」
「ルーチェ様……」
「いや、本当は分かってる。憎めばいいんだ。始めは憎んでたはずなんだ。魔族が人間を傷つけていた事実に変わりはないんだから。でも……ここで過ごしてるうちに、俺は、平和と引き換えに嫁になるっていう、最初の契約すら忘れるほどで……その契約があるからって理由をつけて、ずっとこのままでいいとすら思い始めててて……俺自身が、何をしたいのか、もうわけが分からないんだよ」
頭をかきむしる。忙しいからと、知らなければいけないことがあるからと、何かしら理由をつけては、魔王の弱点を探すことなど後回しにしていた。
知れば知るほど魔族のことも魔王のことも知らないことばかりで、半端に知って関わって、余計に自分の立場もわからなくなっていた。
知りたいと思うのに、知ってしまおうとしたら邪魔をする。
勇者という、肩書きが。
人間たちの希望が。
託された使命があるのに。長くここに留まるべきではなかったのに。
このような悩みを抱いている時点で、すでに勇者失格なのだろう。それでも助けを求める人々の願いを叶えなければならない。
そして、自分のためにも。
「ルーチェ様は、」
レイルが口を開く。
「魔王様のこと、嫌いなんですか?」
ぐっと胸を掴まれるような感覚に、ルーチェはなんとか声を絞り出した。
「……嫌いだよ」
「僕は、ルーチェ様のこと好きですよ」
そう言うと、レイルはいきなりルーチェの手を引き、壁に押し付けた。
「なっ!」
突然のことにルーチェは目を見開いた。レイルは壁についた両腕の間にルーチェを囲んで捕らえると、ぐっとルーチェに顔を寄せた。人間と似た魔族の顔が目の前にある。
ルーチェは首を曲げて顔を背け、胸を手で押しのけ、激しく拒絶するが、思った以上にレイルの力が強い。
鼻の触れそうな距離にいるレイルはルーチェの戸惑いをよそに、笑みすら浮かべている。
「な、なにやってるんだ、離せっ!」
至近距離の怒声にレイルは少しだけ顔を離し、ルーチェの目を覗き込んだ。
「僕のこと嫌いじゃないって言ってくれたじゃないですか。魔王様のことが嫌いなら、僕にしてください」
そう言って再び顔を寄せる。唇に吐息がかかり、ルーチェは思い切り押し返した。
「その理屈おかしいだろうが! やめろレイル!」
大声を上げると、ぱっと、レイルは手を離した。あまりにも突然のことでルーチェはつんのめり、レイルに寄りかかる体勢になる。「大丈夫ですか」と抱えられながら、その潔いともいえる諦めぶりに、ルーチェは混乱し、拍子抜けすらした。
レイルはいつも通りの笑みを浮かべている。
「やっぱり僕とじゃ嫌でしょう?」
「……はあ?」
「僕が駄目で、魔王様とはいいのなら、やっぱり魔王様のこと特別だと思ってるんですよ」
ルーチェはぽかんとし、
「い、いいとか特別とか一言も言ってないだろうが!」
「え、そうでしたっけ」
と、レイルは苦笑しながら頭をかく。
(本当に俺の話、聞いてたのか?)
「……やむを得ずいるだけだ」
魔王を倒しに来なかったならば。嫁にならねば世界の平和が、と言われなければ。弱点を見つけようと思わなかったのならば。
こんなことはしていなかった。こんなことで悩まなかった。
始めは違和感だった。案外、居心地が良いことを知った。本当は優しいやつだと知った。
知ってしまった。それは事実だ。
(少なからず……いやほんの一つまみぐらいは、特別だと思ってるのも、正直ある……けど)
そう思っているのは自分だけ。
魔族にとって人間は憎い存在。
人間にとって魔王は敵となる存在。
それもまた、ゆるぎない事実なのだ。
「……レイルは、俺のことが好きだって言ったけど、人間を憎んではいないのか?」
「憎んでなんかないですよ。みんながみんな、憎んでるってわけじゃないです」
それはルーチェもよく分かっているつもりだ。人間も、全てが魔族を憎んでいるわけではない。夢で見た、ルーチェの父もそうであったように。
「それに、ネグロ=ヴァルトには魔族と人間が共存している村もあるじゃないですか」
「そんなの迷信だろ?」
人間界と魔界を分断する黒き森、ネグロ=ヴァルトの中にあるという村だ。強力な魔力の霧で覆われた土地は住める環境ではないし、その村を見たものなど誰もいないと言うが。
「僕はその村の生まれなんです」
あっけらかんとレイルは答える。
「僕、人間とエルフのハーフなんですよ。お父さんが人間で、お母さんがエルフ。ということは、魔王様の理想、ってことになるんですかね」
魔族でも人間でもどちらでもないレイルは、屈託なく笑う。どうりで見た目は人間に近かったのだ。魔族の特徴を持つ人間が生まれることはあっても、悪魔の子だと迫害され、ひどいときは母子共に殺されていると聞いたことがある。生きて生活している前例などルーチェは知らない。
「その……大丈夫、なのか?」
「二人ともすごく仲がいいですよ。でも僕の前でいちゃいちゃされるのは、ちょっと困りますけど」
レイルは笑う。嘘をついているようには見えない。
「だから、絶対に相容れないということはないと思うんです。僕がその証明になるんですよ。まあ、同じようなハーフの人には、まだ会ったことがないんですけど」
レイルの言葉は、まるでどこかに自分と同じ境遇のものがいるかのような口ぶりだった。信じられない。昨晩の魔王の問いを思い出す。
『人間と魔族は、共に生きることはできないだろうか』
無理だとルーチェは思っている。しかし目の前に理想の具現がいるのならば。
「魔族と人間、共存、できると思うか?」
「できたらいいなって思います」
あくまでも希望だった。魔族と人間が共存する村に生まれ、双方の両親を持つレイルでさえ、できるとは断言しなかった。
「レイルはさ、何でゲーティア国にいるんだ? その見た目ならハイリヒ国でも良かったんじゃないのか?」
(迫害されるからだろうか。こっちよりもハイリヒの方が差別意識は強いかもしれない。いや、俺への風当たりも強かったから、レイルもゲーティアで同じ思いをしたことあると思うんだけど)
レイルは迷わず答えた。
「ゲーティア生まれの、お母さんの作る料理が美味しかったんですよ」
ルーチェ様も食べたでしょう、とレイルは料理の名を上げた。肉にリンゴのソースがかかったものだ。ここに来てはじめてルーチェが口にした料理で、ソティラスが毒見した料理だった。
(確かに、美味くはあったが……)
「……それだけ?」
「はい」
と、レイルは頷いた。
「きっかけって、その程度の些細なものですよ。もちろん見た目は人間に近いですし、いじめられていた時もありましたけど、実際こっちにきて楽しいですし。きっかけとかって何でもいいんじゃないですかね」
魔王討伐に立ち上がったきっかけも、魔王の嫁となったきっかけも、魔王のことに思い悩むきっかけも、きっかけはほんの些細なことで、現状はそのきっかけの積み重ねなのだろう。
魔族でも人間でもどちらでもあるレイルは、屈託なく笑った。
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