《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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25.満月の夜

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 日はすでに落ち、辺りは闇に包まれる時間帯だ。しかし今宵は満月で、月明かりが照らす中庭は昼間のように明るい。剣は没収されたので、ルーチェは手ごろな棒を拾ってきて振った。
 ごく当たり前のように、ソティラスもいつものように噴水の縁に腰掛け、静かにその姿を眺めていた。ルーチェの動きが精彩を欠く。

(……今まで全力で避けてたから、気まずいな……)

 しかしこの場から逃げだせば自分が負けたような気がする。注がれる視線に気が散り、思うように集中できない時間が続いた。

「……ルーチェよ」

 いつもなら静かに見ているはずだが、しかし、ソティラスは珍しく口を開いた。

「我々が嫌いか」

 それは以前、くしくも同じ場所で尋ねられたのと同じ問いだった。
 ルーチェは手を止める。が、ソティラスのほうは向けなかった。

「……嫌いだったよ」

 ようやく口から出た言葉は、今にも消えそうなか細い声だった。正直、自分でも自分の気持ちが分からなくなっている。
 
 ソティラスは弱々しく微笑み、
「こっちで少し休まないか」
 と、手招きをした。

(……俺は魔王の嫁なんだから、大人しく従わなきゃいけないよな)

 ルーチェは自分に言い聞かせ、ソティラスの隣に座った。
 並んで座ったとき、ふと、不思議な気持ちが芽生えた。

(?……この感覚を知ってるような……)

 なにかが記憶に引っかかる。しかし、その理由は思い出せない。大事な部分にモヤがかかったように。
 ふわりと、遠くからリンゴの甘い香りが漂ってきた気がした。

「どうした、ルーチェ」
「俺、お前とどこかで会ってないか?」
「……どこか、とは?」
「俺が魔王城に攻め入る前……いや、もっと前だ」

 ソティラスは笑う。

「前世で一緒だったということか。嬉しいことを言ってくれる」
「はぐらかすのはなしだ」

 真剣な表情でルーチェが言うと、ソティラスも表情を改めた。何かを諦めたような、すっきりしたような、嬉しそうな、複雑な表情だった。

「……昔の話でもしようか」
 と、ソティラスは静かに話し始めた。

「少し昔のことだ。私は人間と魔族の共存を目標に、ハイリヒ国を転々としていた。自らの目で見て現状を知り、改善方法を模索していた。しかし、どちらも互いを嫌っている。私だって人間のほうには嫌われていた、この見た目だからな。幻影魔法で姿を偽り続けることはできるが、目的の本質からは外れている。正体を隠したまま仲良くなった相手でさえ、魔族だと分かれば手のひらを返されて……そんなことを百年ほど繰り返していた。何年経ってもそれは変わらなかった」

 ルーチェは自分が悪いようで、思わず目を伏せる。

「……裏切られることは、つらいことだな」
「諦めかけていた。分かり合えることはないのだと」

 弱々しくソティラスは微笑む。ルーチェはソティラスが過去形で話していることに気付いた。

「『諦めかけていた』ってことは、今は違うんだよな?」

 優しげな笑みを浮かべて頷き、ソティラスは続ける。

「そのとき、私は人間に追われていた。だからといって魔法を使うわけにはいかない。反撃をすればそれこそ人間に仇なす魔族と同じになる。やられたらやり返すというのは間違っている」

 ルーチェはかつてシーナに同じことを言った。しかし分かってはいても、実行するのは難しい。やり返せば復讐の連鎖が生まれ、耐えていても事態が好転する保証は無い。

「逃げ回ってたどり着いたそこは一面のリンゴ畑で、私は木の下に身を潜めた。すると近くで声がした。私が人差し指を口に当てると、その子は何度も頷いた」

 突如、ルーチェの目の前に、村のリンゴ畑の光景が蘇った。地に落ちる暖かな木漏れ日、鼻をくすぐる甘い香り、小さく可憐な白い花、そこに不釣合いな黒い男の姿――

「……そうか、二十年ほど前になるのだな。私はある村で一人の幼子と出会った。その子は収穫の手伝いをしていたのだろう、両手には抱えきれないほどのリンゴを持っていた」

 ソティラスは優しくルーチェに微笑みかける。

「私に、リンゴをくれたのだ」

 そう言ってソティラスは、過去を思い返すように遠くを見つめた。



『かくれんぼ?』

 男の子がソティラスを見上げ、小声で尋ねる。悪意のかけらもない純粋なまなざしに、ふと緊張が緩んだ。

『そんなところだ』

 フードで頭を覆ったソティラスが微笑む。すると男の子は手に持っていたリンゴをひとつ差し出した。

『おひとつどうぞ』
『いや、貰えない』
『おいしいよ?』
『…………』
『おいしい、のに……』

 ソティラスは遠慮したが、引っ込める様子がなく、受け取らないとどんどん落ち込んでいくのが目に見えてわかったので貰うことにした。随分と頑固な性格のようだ。
 受け取ると、期待に輝く瞳でじっと見つめてくる。食べるまで見ているつもりなのだろう、仕方なく一口かじり、ソティラスは目を見開いた。

『おいしい?』
『……ああ。すごく美味しい』

 嘘ではなかった。みずみずしさ、甘さ、香り、今まで食べたどのリンゴよりも美味しかった。
 その言葉に、男の子は屈託のない純粋な笑顔を見せた。

『もっと食べてっ、いっぱいあるからね。食べると元気になるんだよっ』
『ありがとう』

 自然と頬が緩む。嬉しかった。人間に優しくされたのは久しぶりだった。が、しかし、とソティラスは考えを改める。本当の正体を知ってしまったらこの子にも避けられてしまうのだ。今までと、同じように。
 ずっと駄目だった。長年描いてきた壮大な夢はおぼろげな輪郭も見せないまま終わってしまう。今回も駄目なのだ。
 ならば。淡い期待を抱き、地に叩き落されるぐらいなら、その前に全て話してしまおう。
 この時は、心のどこかで共存の夢は諦めかけていた。投げやりになり、はなから期待を抱かないほうが遥かに楽であることを学び始めていた。

『……私が、怖くはないのか?』

 ソティラスの問いに、男の子は首を傾げる。瞳は美しく澄んでいる。何も知らないのだ。

『私は、魔王だ』

 散々両親に聞かされてきた恐ろしい名前を思い出し恐怖に震え、もう二度と助からないのかとむせび泣き、いち早くこの場から逃げねばと走り出す。もしくは動けなくなり絶望する。
 そう、ソティラスは想像していたが、

『まおー?』

 男の子は鼻にかかった声で繰り返し、顔を輝かせた。

『かっこいいね』

 耳を疑った。かっこいい、と言ったのか。人間の敵である魔王に対して。

『私はゲーティアという魔族の国から来た』
『まぞく?』

 男の子は、今度は反対の方向に首を傾げた。聞いたことあるかな、と言いたげな顔だ。
 この子は本当に何も知らないのか?
 ソティラスは男の子の無知に、僅かに希望の光を見た気がした。何も知らないのなら仲良くできるのではないか。
 しかしすぐに考えを改めた。知らないということは、今まで人間たちに正体を隠して過ごしていたのと結局は同じことだ。どうせ希望は打ち砕かれるのだから。
 純粋に向き合ってくれる小さき人間に、本心では嫌われたくはなかった。それでもソティラスは必死になって説明し始めた。

『私には人間にはない角がある。牙だってある。魔法だって使える。耳も君とは違う形だろう。……すまない、怖がらせてしまうが』

 フードを脱ぐと、男の子は目を丸くした。

『ほんとだ! 聞いたことがあるよ。悪い人なんだって、みんな言ってた』

 しかしその言葉とは裏腹に、男の子の顔は依然輝いている。面食らい、混乱した。

『そう、そうだ。悪い人なんだ。いや、人ではないか。私は人間を傷つけ、悪さをするのだ。私が、怖くはないのか?』

 本当はそんなことはしない。したくない。しかしそれが人間の認識で、実際やっているものもいるのだ。
 これで理解してくれると思ったが、

『ううん。まおーは悪い人じゃないよ』

 男の子は頬を緩めた。

『リンゴ、おいしいって言ってくれたし。ありがとうと、ごめんなさいができるのは、いい子なんだよ』

 何も知らない子どもが言っているだけだ。それでもなんの裏もない、真っ直ぐな笑顔に救われた気分になった。
 たったそれだけだ。それだけの言葉と、笑顔で、まだ希望は捨てなくていいのかもしれない、と思えた。
 男の子にもらったリンゴの美味しさは、本来の味だけではなかったはずだ。
 やがて遠くから声が聞こえてきた。名を呼ばれているのだろう、男の子が振り返る。『お母さんだよ』とソティラスに向き直った。姿が見えなくなった我が子を探しにきたのだろう。ここまでのようだ。

『リンゴね、もっと食べていいんだよ。おみやげにする? もっといっぱいもらってくるね』
『待て』

 背を向け、駆け出そうとする男の子を呼び止めた。

『……このことは、誰にも言うな』

 男の子はきょとんとし、首を傾げる。

『リンゴ食べたこと? ぼくも食べたことあるから大丈夫だよ。ないしょにするよ』
『違う。私と会ったことだ』

 この子と関わるべきではなかった。
 そう、この子のために。
 純粋で優しい彼が、魔王と会ったことなど知れたらどうなるだろう。魔王である自分と出会ったせいで、争う必要のない人間の中で迫害されるなど、耐えられないことだった。

『だめなの?』
『駄目だ』
『お父さんもお母さんも優しいよ。たまにものすごく怒るけど、優しいんだよ。まおーのことも怒らないし、いっしょに遊んでくれるよ。だってね、ほんとはひみつなんだけどねっ、お父さんは――』

 ソティラスはぱっと男の子の口を押さえた。声が大きくなっていたからだ。長い爪を持つ手が目の前に現れ、男の子は目を丸くしている。もう完全に恐怖を植えつけてしまっただろう。

『また会えたら……そのときは敵になってしまうのだろうな』

 男の子の名を呼ぶ声とは反対の方角から、怒号のような声も聞こえ始めた。追っ手が近くまで来たのだ。もうこの場から、この子から離れなければ。

『……忘れろ。何も知らなくていい。忘れると約束してくれ』

 このことは忘れて、もし、またいつかどこかで出会うことがあったならば、
 今度はこの子も敵になっているのだろう。
 それでもかまわない。
 こんなにも、救われたのだから――。

『頼む』
 
 ソティラスは男の子の頭に手を置き、魔法で記憶に蓋をした。



「……その子は、」
 と、ルーチェが口を開く。

「何も知らなかっただけだ。村の人たちは皆優しく、悪い人間なんかいないと思ってた。ましてや人を襲うような魔族なんか、魔王なんか詳しく知りもしなかったんだ」
「それでも、私は救われた」

 ソティラスはあの時と――初めて出会ったときと同じように、優しく微笑んだ。
 ルーチェは思い出した。

(その後、『まおー』と出会った記憶はなくなってたけど、母さんは連れてきた。でもそこには誰もいないし、何も思い出せないしで、だけど悲しいっていう気持ちだけはあって、それもわけがわからなくて、わんわん泣いてたから母さんが困ってたっけ)
「それから数年後だ。ネグロ=ヴァルトの中に魔族と人間が共存する村を見つけた。私が長年追い求めていた理想の姿、そのままだった」

 レイルが生まれたところか。ソティラスが目指す、人間と魔族が共存する場所。

「正直、人間に失望していたこともある。しかし、私が今こうしていられるのも、その子のおかげだ。あんなに小さかった男の子が、二十年後、私を倒しにやってきた」

 ソティラスは口元を緩め、ルーチェを見つめた。

「運命だとは思わないか?」
「……そうだな」

 なんとも皮肉な運命だ。魔王にとっての二十年はつい先日のように短いが、人間の二十年は人生を大きく変える。少年は青年へと成長し、幼き日に封じられた記憶は頭の片隅で埃をかぶり、魔族の暴挙を目の当たりにしてきた青年は、魔王討伐を掲げる勇者となった。
 そして、魔王にとって短いのは、人間の寿命である五十年も同じだ。

「最初からずっと好きだったともいえるし、一目惚れしたともいえる。同じ人間に、私は二度、恋をしたのだ」
「……子ども相手に、なに言ってんだよ」
「今はもう、こんなにも大きくなった」
 と、ソティラスはルーチェの頭に手を乗せた。あの時と変わっていない、落ち着く手の感触だった。

「私は共存を望む。争うなど悲しいことだ。……それでも私は一国の主、子どもを人間に殺された親の前で、人間は本当はいいやつだとは言えない。耐えていればいずれは、と無責任なことは言えないのだ」

 その気持ちは分かる。この地で魔族と共に過ごし、ソティラスと話した今ではそう思える。どちらが悪いかなんて分からないのだ。あるいはそのどちらでもない。

「あんたが黒幕じゃないんだろ」

 人間の間では、魔王が魔族に指示を出し、人間たちに危害を加えると言われている。しかし共存を望むソティラスが人間を襲う真似をするとは考えられない。
 案の定、ソティラスは頷いた。

「私自身は人間を苦しめるような真似はしない。しかし防げなかったのは魔族を統べる王である私に責任がある。結局は同じことだ」

 ソティラスはゆっくりと頭を振った。

「人間が悪いわけではない。もちろんこちらが一方的に悪いわけでもない。互いの生活を守るために異質なものを排除しようとする気持ちは分かる。だが、手を取り合う方法もあるのではないかと思うのだ」

 そう言うと、ソティラスは軽く肩をすくめた。

「これでも歩み寄る姿勢は見せたのだぞ。ただ、うまくはいかなかったがな」

 ソティラスに暗さは感じない。ルーチェは言う。

「ほんと、魔族と人間の共存なんて、子どもの夢みたいだ。子どもでも思わないかもな」
「全くだ。一国の王が望むにはあまりにも幼稚な夢物語だ」
「でも、やりたいんだろ。無茶でも幼稚な夢物語でも。わかったよ」

 刷り込まれた恐怖は簡単には拭えない。自分たちと外見の異なるものを排除しようとするのは、本能で危険を察知しているからなのかも知れない。
 自らの身だけでなく、大切な人を守るためなのだ。
 それは魔族も人間も同じだ。

「ルーチェ、お前が本当にハイリヒ国に帰りたいと思うのなら、帰ってもいいのだぞ」
「いまさらかよ」

 ルーチェはぶっきらぼうに言った。

「でも俺はまだ、あんたを倒すための弱点は見つけてないから帰れない。……それに今は、お前の嫁だろ。……不本意だけど」
「そうか。ありがとう」
「お礼言われることじゃねえよ。……そう、そうだ、俺が嫁じゃないとハイリヒが危ないからだ。仕方なくだ。嫁なんて不本意だって言っただろ。俺には責任があるから」
「そうであったな」

 ソティラスは優しく微笑んだ。

「……ありがとう」
「……話、聞けよ」

 ソティラスの微笑が月明かりに照らされる。
 愛している、という魔王の声だけが響く、静かな夜だった。
 夜空に浮かぶ大きな月は、今まで見ていた月と全く同じで、いつまでも眺めていたかった。噴水の水を月明かりが照らし、きらきらと輝いていた。
 月の綺麗な夜だった。
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