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1.復讐するまでは

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 ふたりはそっと、西日の橙色が差す公園でキスをした。

 冷たい唇――それでも甘く蕩けるようだった。身体はすぐに燃えるように熱くなる。この熱も、この動悸も、この宙に浮くような幸福感も、今ここにいる自分をつくっているのは、間違いなく、目の前にいる大好きな先輩だ。
 永遠のように思えた二人だけの世界は、囃し立てる口笛と拍手の音で終わった。慌てて唇を離す。真っ赤になった顔でうつむくと、先輩は長い指を髪に絡ませ、思い切りかき混ぜた。
 その左手の薬指には光るものがある。おそろいのリングを右手でなぞると、周りの人たちは祝福の言葉を投げかけた。
 幸せそうに笑う先輩は、いつの間にか白いタキシード姿に変わっている。隣に立っているのは、先輩と同じように幸せそうに笑い、同じように白いドレスに身を包んだ女性。
 周りに祝福されながら、ふたりは誓いのキスを交わす。光の差す明るい道を、先輩と手を繋ぎながら歩いていく。それをどこか遠くで見つめている自分の姿。
 それから一人、自分は教室に戻される。誰もいない、人の気配もない静まりかえった教室。帰り支度をして廊下に出ると、先輩の後ろ姿を見かけた。角を曲がった先輩を追いかける。一緒に帰りませんか、と声をかけようとした。が、先輩は誰かと一緒にいる。

(聞くな!)

 もうひとりの自分が訴える。
 耳が痛くなるような静寂の中、ゆっくりと、先輩が口を開いた――。

「――っ!」

 そこで目が覚めた。
 木崎はゆっくりと身体を起こした。頭に痛みを感じ、額を手で押さえる。うっすらとだが、汗をかいていた。
 いつもと同じ場面だ。普段夢はほとんど見ないが、見る時は決まってこの夢だった。
 何の繋がりもない、現実味もない、ちぐはぐな夢。
 ただ、少しの事実が混ざるだけで、全ての夢が、実際に起こった出来事のように色を帯びる。
 いや、もう自分の知らないところで実際に起こっているのかもしれない。

(誓いのキスは、永遠の愛の言葉を封じ込めるんだったっけ)

 考えて、自嘲した笑みを浮かべる。
 時計を見ると、アラームを設定している時刻より三十分ほど前だった。軽くシャワーでも浴びようとベッドから出る。

「……いつまでこの夢を見続ければいいんだ」

 熱めの湯を頭から浴びながら、木崎は眉間に皺を寄せ、ひとり呟く。
 先輩――小野塚が今更どうなっていようと知ったことではない。綺麗で優しい奥さんと結婚し、可愛い子どもに囲まれ、仕事もプライベートも順調であろうと、自分には何の関係もない。
 夢で見た昔の記憶を思い出し、木崎は無意識に奥歯を強く噛んでいた。

(先輩と僕には、もう何の関係もない。だから……どうしても会わなければ。この記憶も感情も、さっさと捨て去ってしまいたい)

 小野塚に会って過去をすべてぶちまけて、その結果、彼の幸せが壊れたとしても知ったことではない。
 シャワーを止め、濡れた身体を拭く。下は下着とスラックスを身につけ、上は白いワイシャツだけを羽織る。コーヒーをいれ、そのまま口に運んだ。口内にじわりと苦味が広がる。
 昨日のうちに買っておいたサンドウィッチも開け、口にくわえながら会社に行く準備をする。
 苦味も眠気も次第に薄まり、いつもと変わらない日常のスタートを切る。前日に鞄に入れておいた書類をチェックし、ネクタイとハンカチを選ぶ。シャツのボタンも留め、身だしなみを整える。そのルーティンのうちに、夢のことは頭の片隅に隠れていく。
 サンドウィッチの袋を綺麗に折りたたんでいると、いつも使っているペンを机の上に置いてきたことを思い出した。たたんだ袋を小さな三角形の形にして、ペンを取りにいく。
 机の上、ペンはあった。それよりも、その横に無造作に置いてある写真が目に入った。
 引き出しの奥に仕舞っていたはずなのに、いつの間に出していたのだろう。晴れた日のグラウンドを背景に、サッカーボールを脇に抱えたジャージ姿の男と、その隣でぎこちない笑みを浮かべる制服姿の、顔にまだ幼さの残る少年が立っている。

「…………」

 木崎はしばらくその写真を見つめた。
 まだ何も始まっていない頃の、まっさらな二人だ。憧れの先輩を横に、緊張でうまく笑えてない少年が、他人事のように初々しく、哀れに思う。

(馬鹿だな、これから起こることなど何も知らないで……)

 先輩との幸せだった日々を思い返してみた。些細なことまで全てが鮮明に思い出されると同時に、あの言葉も思い出してしまう。何度も夢に見た光景だ。自然と、眉の間に皺が寄っていた。
 木崎は写真を引き出しの中に戻し、身支度を済ませると、会社へと出かけた。
 小野塚に会いたいと思ってはいたが、木崎は自分から会いに行こうとは思っていなかった。
 本気で探そうと思えば方法はいくらでもある。ただ、出会わなければそれまでなのだ、という思いもあった。
 だからといって、過去のことがどうでもよくなったというわけではない。
 小野塚のことを考えない日はないし、無意識のうちに彼のことを夢に見る。矛盾した女々しい感情。別れて十年近く経つというのに、脳と心に癒着し、離れることはない。
 先輩のことを未だに愛しているのではない。

(許せないんだ、復讐するまでは)
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