夏のお弁当係

いとま子

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31.日焼けの跡※

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 再び母さんの実家に戻ってきた。以前賢治くんと一緒に来たのが、ほんの数日前だとは信じられない。
 ポケットの中から鍵を取り出そうとし、落っことした。玄関の扉の鍵穴に鍵を差し込んで回すだけなのに、手が震えてなかなか入らなかった。緊張と焦りで、首筋がかっと熱くなる。賢治くんが軽く笑っているのが、繋いでいる手から伝わってきた。年下なのに余裕がある素振りを見せる賢治くんを怨みがましくさえ思う。
 ようやく扉が開き、賢治くんが握る手に力を込めた。

「シャワー、先に浴びますか?」
「う、うん。汗、かいたね。じゃあ、先に」

 しどろもどろになりながら、手を離す。それだけでもう寂しいと感じる。さっきまで、手を繋いでいることでさえ、信じられないくらい幸せだったのに。
 ぬるいお湯を頭から浴びた。シャワーで汗は流れているのに、身体の火照りは引かない。前にも同じシチュエーションがあったというのに、そのときとはまるで違う。
 賢治くんも僕のことが好きで、今からほんとに……。
 しばらくお湯に打たれながらぼうっとしていたら、賢治くんに呼ばれて、急いで浴室を出た。賢治くんと交代して、僕は布団を敷いた、のだと思う。気づいたら布団の上に正座していた。別にこういうことをするのは初めてというわけではないのに、初めてのときぐらい緊張しているのでは……?

「雨恵さん? どうかしました?」

 賢治くんの声にはっとして振り返る。
 濡れた髪を雑にタオルで拭きながら、賢治くんはいつも通り、上半身裸だった。日焼け跡が残るたくましい身体に、僕は慌てて目を逸らす。今からなにをするのかわかっているのに、見てはいけないもののような気がする。
 賢治くんはフッと笑った。

「裸は見慣れたんじゃなかったんですか?」
「み、見慣れてはないよ。見てなかったから」
「じゃあ見てくださいよ。いや、見せてください。雨恵さんの、見たい」

 賢治くんが僕の前にしゃがみ、瞳を覗き込んだ。唇が触れあうだけで幸せな気持ちになれる。キスをしながら、賢治くんが僕のシャツに手をかける。

「――っ、ま、待って」

 僕は慌ててそれを止めた。ここまで愛してもらっても、僕はまだ不安で仕方がない。今なら賢治くんだって、引き返せるんじゃないか。

「ほ、ほんとにいいの? 抱きたいって思う?」
「そう思ってるんだから、キスしたんだし、触ったんだし、こうやって剥ぎ取ろうとしてるんですよ」

 賢治くんは再び僕のシャツの裾を掴んでめくり上げた。僕はそれを反射的に押し留める。「そもそもなんで今から脱ぐのに、シャツ着てるんですか」と賢治くんは笑った。本気を出されれば賢治くんの力にはかなうはずもないので、こんな不毛なやりとりさえも、賢治くんは楽しんでいるのかもしれない。

「雨恵さんは、こいつ両想いだとわかってから手出すの早いなって、思ってるかもしれませんけど、俺だってずっと我慢してたんですからね。あのときもおさえるのに必死だったんですから。おあずけ食らうし」
「あのとき……?」

 少し考えて、あのときが、砂浜に寝ころび、シャワーを浴びにいこうと僕が誘ったときのことだと思い当たる。僕自身ですら考えられないほど大胆なことをしたものだと、今更ながら恥ずかしくなる。

「えっ、じゃあ、あの時はもう、僕のこと……好きだったの……?」
「好きでしたよ」

 賢治くんは即答する。

「い、いつから?」
「んー、いつからですかね? でも、井村のやつが来たときは頭にきましたし、雨恵さんがまだあいつのこと好きかもって言ったときは、結構ショックでしたよ。『賢治くんは、いつも頑張ってるよ』って励ましてくれたのも嬉しかったな。朝起きたら雨恵さんが料理つくってるのもいいなって思いましたし、寝顔も可愛いなって思ってました。笑った顔をも可愛いし、一緒にいたら落ち着くし、細くて白い身体だって色っぽいなって――」
「もっ、もういい! お腹いっぱいです……」

 真っ赤になって賢治くんの口を手で塞ぐ。僕の手のひらの中で、賢治くんが柔らかく笑って僕の手を取った。

「でも、はっきり好きだなって思ったのはいつですかね? 自分でも分かりません」

 手を重ね、指を絡ませる。それだけで幸せが溢れて、胸がいっぱいに満たされる。

「こんなに誰かに夢中になったのは初めてなんです。でも雨恵さん男だし、下手に動いて今の関係壊したくないなって、怖くもあった。……正直、かっこ悪いけど、今だって戸惑ってますよ。どうやっていいかわからないし」

 気持ちを聞けたことが嬉しくて、胸が切なく締め付けられた。僕と同じ気持ちだったんだ。
 ぎゅっと賢治くんの手を握った。

「け、賢治くんの、……好きにやったらいいと思うよ」

 言うや否や、僕は布団の上に押し倒された。賢治くんが上から覗き込む。真剣な表情と熱い視線。覗き込まれることは何度かあったのに、見つめるその瞳も表情も、別人みたいだと感じた。

「ちょ、ちょっとだけ……まって」
「嫌?」
「嫌じゃないんだけど……」

 僕は目を逸らす。

「……恥ずかしい」

 賢治くんは軽く笑った。かわいい、と呟くので、僕は照れながらもムッとする。

「賢治くん、なんでそんな余裕なの。ずるい。僕はいっぱいいっぱいなのに」
「そう見せてるだけです。余裕なんてあるわけないでしょ。好きな人に、ようやく触れるのに。ほら」

 賢治くんに手をとられ、そのまま彼の胸元へと持っていかれる。確かな弾力を持つ胸板は、肌が僅かに汗ばんでいる。触れた指先から、激しく高鳴る心臓の音が伝わった。共鳴するように、僕の心音も速まる。

「ね? 余裕なんてないでしょ。雨恵さん、俺も触っていいですか?」
「……やり方、わかるの?」
「一応、調べましたよ」

 大浦家は携帯の電波も入らないし、ネットも繋がっていないはずだけど。

「どうやって?」
「兄貴に聞きました」
「……え、えっ? 兄貴って……ゆ、幸久さんに聞いたのっ!?」
「はい。兄貴を頼るのは恥ずかしいとか、言ってる場合でもなかったですし」

 恥ずかしがるとこはそこなの?

「でも実際にやったことはないんで、上手く出来るかわかりませんけど。駄目なところあったら言ってください」
「けっ、賢治くんは女の子が好きなんでしょう? 大丈夫――」
 
 賢治くんはいい加減痺れを切らしたのか、何も言わずに僕に覆いかぶさった。

「っ、ん、……んっ」
 
 荒々しい口づけを繰り返し、ぐっと腰を押し付けられる。高ぶり、熱くなったものが僕の下腹部と触れあい、ドキリとする。
 口を離し、息をつくと、賢治くんは早口で言った。

「分かります? 俺も雨恵さんと同じですよ」
「――っ」

 僕もすでに反応していることを指摘されて、全身が熱くなった。それ以上に、賢治くんが僕を、そういう対象として見てくれたことが嬉しくて仕方がない。
 まだ喜びを飲み込みきれない間に服を脱がされ、賢治くんが僕の首元を吸い上げた。刺すような痛みが、何度も夢ではないと教えてくれる。

「ねえ雨恵さん。まだ、はっきり聞いてませんでしたね。――雨恵さん、俺と付き合ってください。俺を、選んでくれますか」

 好きだといって欲しいし、抱いてほしいとも思う。でも本当にいいのか。相反する気持ちが未だ心の中に渦巻き、いまこのときが夢ではないと理解してはいても、戸惑いはある。
 それでも僕は、

「賢治くんじゃないと駄目だよ。僕も、賢治くんと付き合いたい。恋人に、なりたいです」

 正直な気持ちを伝えた。自分から賢治くんに告白しに駆け出した瞬間から僕は変わった。
 僕は賢治くんを選びたい。いや、賢治くんが僕を選んでくれた。僕はそれに正直に応えていきたい。

「ははっ……嬉しい。すげー嬉しい。雨恵さん、大好きです」

 賢治くんは顔をほころばせると、再び僕の首筋に唇を落とした。

「雨恵さん、ほんと細いですね」
「賢治くんが鍛えられてるんだって、ふふ」

 僕の薄い腹に触れ、じゃれつく犬のように何度もキスするので、くすぐったくて身じろぎする。賢治くんがそっと僕の襟足に触れた。

「雨恵さん、うなじ、ちょっと日焼けしてる」
「ん……、ほんと?」
「この夏、たくさん遊びましたもんね。なんか嬉しい」

 日焼けの跡、自分では気づかないままだった。この夏の思い出として身体に残っているのは僕も嬉しい。

「でも、肌白い方が跡つくから、俺は好き」
「賢治く……あっ、ん……」

 賢治くんは赤い跡を残しながら下へと移動していき、やがて、胸元へとたどりついた。

「じゃあ、俺がもう雨恵さんじゃなきゃ駄目だってこと、ちゃんと覚えてください」

 胸の尖りを大きな口で食まれ、ビクリと身体が跳ねた。舌で転がされるたび、甘い疼きがそのまま下肢へと集まっていく。
 いつも僕のつくったご飯を食べてくれる口が、僕を食べているなんて……。
 
「――ひあっ!」

 賢治くんの手がそこに触れ、僕は思わず声を上げた。慌てて口元をおさえる。待ちきれないとでも言いたげに先端が濡れていて、大きくて熱い手のひらに包み込まれた。僅かな刺激にも腰が揺れ、鼻にかかる甘い声が漏れた。あっという間に絶頂の寸前まで追い詰められる。

「んっ、ふ……あっ、け……賢治くん、ちょ……」

 僕は賢治くんの胸元を押した。たくましい胸板は汗に濡れ、熱を持っていた。

「一回出したほうが楽ですか?」
「や……っ、あ、……おねがい、んっ……まって」

 ようやく賢治くんは手を止めた。弾んだ息を整えながら言う。

「……僕も、賢治くんにしたい」
「えっ? わ、雨恵さん」

 僕は身を起こした賢治くんの下肢に顔をうずめ、反応している中心を口に含んだ。自分がこんなにも大胆な行動が出来るなんて思わなかった。苦くて熱い、少し苦しい。ここまでしてしまったら、引かれるかもしれない。でも賢治くんをもっと感じていたい。賢治くんにも気持ちいいって思ってほしい。

「ん……、んっ、ふ……ぅ」

 気持ちいいって思ってくれているんだろうか。
 確かめたくて顔を上げると、眉を寄せる賢治くんと目があった。上気した頬で、ふっと賢治くんが口元を緩める。

「すごい……気持ちいいです、雨恵さん……」
「――ん」

 僕は慌てて目を逸らした。僕のほうが気持ちよくなっている気がする。

「もう、いいです、口離して」

 賢治くんが優しく僕の髪を梳いた。張り詰めた下腹部から口を離すと、賢治くんは僕の濡れた唇を親指でなぞる。

「俺以外もこの顔知ってると思うと焼けますね」
「もう賢治くんだけだよ」

 知って欲しくない。できれば賢治くんのこんな顔だって誰にも見られたくない。

「……賢治くん?」

 賢治くんは笑いを堪えているのか困惑しているのか、複雑な表情で口元をおさえた。

「俺も雨恵さんにやっていいですか?」
「い、いやだめ!」

 僕は賢治くんの申し出を必死に断わった。今だっていっぱいいっぱいなのに、これ以上もらったらパンクする。そう思ってもらえただけでも十分すぎるほど嬉しい。

「じゃあ、別のことしますね」

 と、賢治くんは再び僕を仰向けにすると、軽く口付け、耳元で囁いた。

「嫌だったら言ってくださいね」

 賢治くんの手が僕の腰をなぞる。身体を強張らせると、賢治くんはいたわるように僕の額に優しくキスをした。そして探るようにゆっくりと中に入ってくる。
 賢治くんの表情からも指の動きからも、戸惑っているのがわかった。本当に初めてなんだ。それでも行為は止まらない。僕の表情を確かめながら、いたわるようにキスをし、ゆっくりと指を動かしていた。すべてから一生懸命さが伝わり、大事にされていると、愛されていると実感できた。痛みさえも愛おしく思った。
 喜びは次第に甘い快感へと変わり、波のように襲ってきた。やがて賢治くんが探り当てた場所に、僕の腰がビクリと跳ねた。

「んっ――ぁ、あっ、賢治くん、そこ……っ」
「すみません、痛かったですか?」

 僕は真っ赤になって首を振った。
 賢治くんが喉を鳴らし、同じ場所を攻める。そのたびに身体が反応した。自然と漏れる声は上擦っている。

「あ、あ……っ、も、もういい、からっ」

 指は引き抜かれ、僕の息が整う間もなく、すぐに張り詰めた先端をあてがわれた。

「いきますよ」
「ん……きて……――っ」

 賢治くんがゆっくりと僕の中に入ってくる。痛みを感じたのははじめだけで、あとはただ受け入れていくだけだった。
 くっ、と眉を寄せて、苦しそうに賢治くんがうめく。

「はあ……、すげえ……、」

 目を細め、賢治くんが深い息を吐く。

「全部入りましたけど……うけいさん、平気?」
「へいき、だよ」

 浅い息を繰り返し、目の前にいる愛しい人を見つめた。苦しいけれど、それ以上に胸がいっぱいだった。
 今僕と繋がっているのは、賢治くんだ。本当に賢治くんと恋人になれたんだと、実感がじわじわ湧いてくる。熱い体温に満たされて、このまま溶けてしまいそうだ。
 ぽたり、と水滴が落ちてきた。目の前には顔を上気させている賢治くんがいて、賢治くんの輪郭を伝う汗だと気づいた。シャワー浴びたのに、お互いもう汗だくだった。
 そういえば、エアコンを入れるの、忘れていた。賢治くんが微笑む。

「雨恵さんが慣れるまで、少し待ちますけど、……あついですね」
「……クーラー、つける?」
「え?」

 賢治くんは天井を見上げる。

「ああ、そういえばついてませんでしたね。そうじゃなくて……雨恵さんの中が、熱くて」

 どういう反応をしていいのかわからず、僕は視線を泳がせることしか出来ない。

「う、……そんなかわいい顔、しないでくださいよ。あと、ちょっと、動かないでください」

 そういわれても、動いているつもりはない。何も言えず、ただ首を振る。
 賢治くんは喉を上下させ、ぐっと拳で汗を拭った。覆い被さり、キスをして、しばらく舌を絡ませ合う。ゆっくりと口を離すと、眉を下げながら困ったように笑った。

「すみません、待つって言いましたけど、やっぱり無理です、」
「え、っあ、賢治くん……、んん……あ、あっ……っ」

 賢治くんが動くたびに、僕は上擦った声を上げた。あやすように耳元で「好きです」と言われるたびに、胸がぎゅっと掴まれる心地だった。自然と溢れた涙を、賢治くんが口で吸い取る。

「泣かせてごめん、雨恵さん。次はもう、泣かさないから」
「……つぎ、あるの?」
「あるよ。当たり前でしょう? これから先もずっと、俺は雨恵さんだけが好きだから」

 先の未来を想っていいんだ。もっと愛していいし、愛してもらっていいんだ。
 嬉しくて、幸せすぎて、また涙が溢れた。
 こんなにも近くにいて熱も痛みも感じているのに、本当は夢なんじゃないかと疑う自分がいて、消えてしまわないように、彼の汗ばんだ背中に爪を立てた。
 熱も感触も味も声も、与えられる全てが賢治くんのものなのだと確かめていたい。
 幾度となく遠のきそうになる意識のなかで、腕を回した首元にくっきりとついた日焼けの跡を見つけて、賢治くんと同じ夏を過ごせた幸せを改めて噛みしめた。
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