魔法帝国の守護伝説

秋草

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対面

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 いざ狐についていってみると、そこは立派な小屋だった。
 川の傍に、透過の魔術で守られながら佇むのは、どう見ても人間が住むべき丸太小屋だ。
 狐は器用に扉を開け、五人を招き入れた。
 ぎっしりと本が詰まった棚、部屋の片隅に積まれた紙の束、そして、卓上に散らされたペンやインク壺、実験器具、水差し……。
「どうぞ座って。机の上は触らないでね」
 久々の客人に気分が高揚しているらしく、ひょこひょこと跳ねながら奥の部屋へと消えた。
「お、お父さん、あの狐さんは何者なの?」
 フォルティカの囁きの如き問いかけに、ギルオスはクスリと口元を緩めた。
「魔術師だよ。もちろん、人間のね」
 彼がそう返したそばから、奥の部屋への扉が開いた。
「お待たせ」
 本片手に姿を現したのは、まぎれもなく人間だった。
 赤土色の髪に鼈甲色の瞳、涼しい目元、好意的な微笑。好青年という印象が強い。
「あれ? もしかして、驚いているの?」
 青年は、唖然とするイリーシャの顔を覗きこみ、ギルオスに頭を叩かれた。
「痛いよ、ギルオス。相変わらず暴力的だね」
 恨めしげに睨んできた青年に向けるギルオスの目は据わっている。
「お前が叩かれるようなことばかりするからだ。イリーシャとフォルティカ、これの相手はしないでいいからな。一応言っておくが、こう見えてこいつは私のほんの一歳下だ」
「……え!?」
 今のは誰の声だったか。とにかく子供三人は、揃って目を剥いた。
 目の前にいるのは、多く見積もっても二十五六の青年に見える。
 ところが、ギルオスとほぼ同年ということは、実年齢は四十代後半だ。ギルオスも十分すぎる若々しさなのに、目の前の彼はさらに上の若々しさということだ。
「改めて自己紹介しようかな」
 彼は本を持った手を腰の後ろに回し、空いている手を胸に当てた。
「モーディス・ウラウディ、クレムル魔帝国の魔術監査役です。狐の姿の方が動きやすいから、普段はあの格好が多いと思う。何にせよよろしく、お姫様方」
 軽く頭を下げた彼に、クライドが役職の詳細を尋ねた。
 魔術監査役とは、一体何か。
 そう王子に問われ、彼は快くも少しつまらなそうに答えた。
「どうせなら姫に訊かれ……いや、何でもないよ。簡単に言えば、禁術を使う咎人や、古文書にしか存在しない魔術を使う者を探す役。そして、僕においてはもう一つ、王国と外国の通行仲介人の役目もある」
 手にしていた本を開き、五人に見せるが、一同は眉をひそめた。
「二重に暗号化された古代文字など、お前以外が読めるわけがないだろう」
 呆れと苛立ちが入り交じった顔のギルオスの言葉に、ひどく得意気な顔をした。ギルオスに「できない」と言わせるのが、彼の細やかな楽しみだ。
「だから見せているのだけどね。まあ、それはともかくとして。そうだな、まずは陛下と連絡を取ろうか。少し動いてもらえるかな」
 五人を部屋の角に追いやったモーディスは、卓上の水差しを手に取ってひっくり返した。
「えっ、ちょ、何やって……」
「零れていますから!」
 突如乱心したかと、イリーシャ達女子組が戸惑いをみせるが、モーディスは平然として肩をすくめた。
「わざとだから。さてと」
 次は卓上から筆をとり、腰を屈めると床に魔法陣を描き出した。その画材として使われたのが、先程溢した水だ。
 モーディスの手際はよく、ものの一分程で人一人が入れるほどの魔法陣が出来上がった。
 フィラーナが描くものよりも模様がずっと複雑だ。
「水が乾ききるまでが勝負だよ。魔術自体に水は吸収されていくから、もって五分」
 始めるよ。
 そう言い、呪文を唱え始めてから、モーディスの雰囲気がガラリと変わった。
 彼特有の柔らかく軽い雰囲気が、張り詰めて荘厳なものになったのだ。
「王家との通信は、他の通信魔術とはわけが違う。モーディスですら、あそこまで集中しなければならない曲者なのだ」
 ギルオスは、子供三人が辛うじて聞き取れる声で言った。
 禁術を監視する者である以上は、当然魔力も並みのそれではないのだろう。そして、高位の魔術師たるギルオスに評価される、目の前の男は、魔術監査役の中でも群を抜いているとみて間違いない。
 イリーシャがそうこう考えているうちに、モーディスの声が止まった。彼が息をつくのと同時に、床に溜まっていた水が宙を舞い、しゃがんだモーディスの目の前で集った。
 一瞬安定を見せた楕円の水溜まりが、表面をぐにゃりと不自然に歪める。
 歪みがなくなったとき、水面に人の姿が現れた。濃い蜜色の髪で端正な顔を縁取った、そこはかとなく不機嫌な紳士だ。
「政務に追われ忙しい刻限にどうした? そなたはこちらの状況を考慮して動く者と思っていたが」
「常時でございましたら、確かに私は、夕方前のご連絡など致しません。しかし、此度は急を要するものでございますれば」
 頭を垂れ、緩みのない表情で告げたモーディスに、紳士は眉を寄せた。
「それは、そなたの後ろにいる者達に関することか」
 じっとモーディスの背後を見つめ、ふと表情を緩めた。
「……まさかとは思うが、そこにいるのは、長年連絡の一つも寄越さぬ我が旧友ではあるまいな?」
 喜びの滲んだ声。
 彼の問いかけに、ギルオスは顔を見せることで応じた。
 モーディスが脇に逸れ、ギルオスが水溜まりの前にひざまづく。
「お久し振りでございます」
「なんだ、やはりそなたか」
 紳士は嬉しそうに微笑んだ。
 その表情に、自然とギルオスの顔も綻ぶ。
「お変わりないようで何よりです、陛下」
 ギルオスは紳士のことを陛下と呼んだ。即ち彼はクレムルの王であり、フォルティカとクライドの父親だ。
 ギルオスの後ろに緊張が走ったのを、紳士は察したらしい。
「視野が狭いと不便だな」
 そう彼が呟いた瞬間、水溜まりが倍の幅に広がった。
 視界が広くなり、彼の目にクライド達が映ったらしい。
 紳士は目を見開き、横を見て叫んだ。
「ルーシェア、こちらへ!」
 彼の呼び掛けに、女性の柔らかな声が返った。
「どうなさったの? 叫ぶなど珍しいわね」
 優雅な物腰で紳士の脇に現れたのは、アメジストの瞳の女性だ。王の様子を心配しているものの、通信相手の存在を承知している彼女は、にこやかにこちらを見やり……目を見張った。
 フォルティカとクライドを見つめ、両手で口を覆う。
「……っ!」
 何かを叫ぼうとしたが、沸き上がった感情は言葉にならなかった。
 脱力しかけた妃を支え、王も瞳を潤ませる。
「早く、もっと近くで顔を見せてくれ。……帰りを待っているぞ、我が子達よ」
 王がそう言った直後、プツリと通信が途切れた。
 こちらが水不足になってしまったようだ。
 本当の親子の、ほんの少しの面会を目にして、イリーシャはそっと目元を拭った。まるで我がことのように感動してしまったのだ。さりげなく隣を見ると、クライドは険しい顔で唇を噛んでいた。泣くのを我慢しているのだろう。
 子供達の様子を静観していたモーディスは、にこりと笑って五人に声を掛けた。
「さて、どうやら休む暇がないらしいから、早く国へ帰ってしまおうか」
 五人を急き立てて家の外へと追い出し、次いで自分も家を出た。彼の手には、いつの間にかナイフが握られている。
 モーディスはナイフを鞘から抜くと、勢いよく扉に突き立てた。
 またも狂ったかとイリーシャ達女子組が慌てるが、モーディスの口が呪文を紡ぎ始めたため胸を撫で下ろした。モーディスの魔術は始まりが心臓に悪い。
 一方のモーディスは早々に呪文を唱え終え、扉から離れた。
 刹那、小屋から強烈な閃光が放たれ、光の残滓があるうちに小屋が崩壊を始めた。
 ……いや、崩壊ではない。
 小屋が、パタパタと折り畳まれている。
 異様な光景にイリーシャとフォルティカが呆けているうちに、小屋は掌に乗るほどの大きさの物体に形を変えた。
 モーディスが歩み寄り、そっと拾い上げる。
「それは、何ですか?」
 戻ってきたモーディスにイリーシャが尋ねると、彼は手の内のものを見せてくれた。
 そこにあったのは、銅製の鍵だ。輪型の持ち手で先の方に凹凸がある。イリーシャ達にとっては一般的なものだ。
「これはね、クレムルへの扉を開ける鍵なんだよ。出入り口の場所は度々変わるけれど、鍵は変わらない。つまり、一番大切なものというわけだ」
 モーディスによれば、大切なものを隠すために、鍵をより大きいもの、つまり小屋に変えていたということだ。たしかに鍵を狙う悪党がいたとしても、まさか家そのものが探し物だとは思いにくいだろう。
「判っているとは思うけど、鍵を手にした今が、一番危険だよ。早く入口に着くに限る」
 要は急げということだ。
 既に厳戒態勢に入ったギルオスの前で、イリーシャ達子供三人は黙って頷いた。
 一番護るべきは自分。しかし、イリーシャは王家を護る立場の存在だ。ギルオスには制止されたが、万が一のときは、イリーシャは命に代えてもフォルティカを護るつもりだ。
 男のクライドは自分でなんとかするはずだから、気にしないでおく。
 そんな決意を胸に、イリーシャはクレムルまでの油断ならぬ道のりを思い、気を引き締め直した。
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