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夢の恋
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張り切って出発してから、どれくらい経っただろうか。今歩いている森の中は、モーディスが即席で作り上げた松明がなければ、最早何も見えぬ暗さだ。
束の間の休息で得た体力は消え去り、景色の変わらぬ中を動き回りすぎて、頭がぼうっとしてきた。
「まだ着かないのかよ」
苛立ち気味のクライドに問われ、モーディスは弛く首を振った。まだまだかかるようだ。
不満を隠しきれぬクライドの後ろで、女子二人もぐったりしていた。クライドは三人の総意を訴えたものなのだ。
無言で歩き続けるモーディスに、イリーシャは弱々しく声をかけた。
「ねえ、モーディスさん、あとどれくら、ひゃあっ」
頭の回らぬイリーシャは、足下で絡まっていた雑草に足を取られ、顔面から滑った。
なんとか顔は守ったが、腕がヒリヒリする。
「痛ったあ」
恥ずかしさと痛みと苛立ちで泣きたくなりながら体を起こし、直後にさあっと血の気が引いた。
今の一瞬で、周りから誰もいなくなってしまったのだ。皆足が速すぎはしないだろうか。
「嘘でしょ……」
こんな闇の中で迷子など、冗談ではない。
慌てて立ち上がり、大声で仲間を呼んだ。
「モーディスさん! フォルティカ!」
しかし、その声は虚しく闇にこだまするばかりだ。
混乱のあまり、目元に涙が滲んだ、そのときだった。
「――泣き虫だね、お前は」
低い男声が、どこからともなく、穏やかな調子で聞こえた。
咄嗟に身構えたイリーシャは首を廻らし、ふとして少し見上げた。
一本の樹の上から、人の気配がする。暗闇に閉ざされた中では顔も歳もよく判らないが、たしかに人がいるのは判った。
気配は音もなくイリーシャと同じ高さに降り、こちらに近づいた。
イリーシャは気配の動きに合わせ、ジリジリと後ずさった。
「誰なの?」
震え気味の声でイリーシャが問えば、彼は微かに笑い声を漏らした。
「誰、か。そうだね、お前とは初対面だった」
パチンと指を鳴らす音が聞こえた直後から、イリーシャの目の前は徐々に昼のように明るくなった。光源があるわけではなく、イリーシャの周りの空間そのものが明るい。見上げれば木々の隙間から星空が覗き、不思議な感覚だ。
視線を気配の方に戻すと、そこには同年くらいの少年が佇んでいた。
濃い蜜色の髪を殆ど揺れぬほど短く整え、耳元では緋色のピアスが輝いている。そして、イリーシャを見つめるサファイアの瞳は、イリーシャの心を瞬く間に奪った。
これが、一目惚れ……。
イリーシャは彼を見つめながら、胸の前で緩く片手を握りこんだ。胸の高鳴りが抑えられない。
「お前はたしか……イリーシャだね?」
いつの間にか目の前に迫っていた彼は、イリーシャの顔を覗き込んで微笑んだ。
胸の高鳴りに息を詰まらせながら、イリーシャは小さく頷いた。目を逸らせることが、できない。
イリーシャの肯定に、彼は笑みを深めた。
「私はリウスだ。よろしく、美しい人」
「う、美しい……? 私が、ですか……?」
卒倒してもいいだろうか。
「美しいとも。お前の母親と同じようにね。……ところでイリーシャ、今のお前は、俗に言う迷子の状態かな?」
辺りを見回した彼の言葉で、彼女はようやく我に返った。
危機的状況であることを忘れるとは、あまりにも気が緩んでいる。
「ま、迷子です!」
追い詰められた顔で叫んだイリーシャを楽しげに見つめ、彼は闇の先を指差した。
「あちらに行ってごらん。きっと仲間に会えるはずだ」
彼が道を知っているのが不可解だったが、イリーシャは構わず一礼して足を踏み出した。しかし、彼に腕を掴まれて駆け出すには至らなかった。
「言い忘れていた。イリーシャ、一つ約束をしてほしい」
「な、なんですか?」
彼の不意の行動に、イリーシャはついつい、ときめいてしまう。表情が真剣なのも格好いいと思った。
彼女の心中を知ってか知らずか、彼はイリーシャの耳元に顔を近づけ、そっと囁いた。
「私に会ったことは、誰にも話さないでほしい」
「え……?」
「イリーシャが他言すれば、私は二度とお前に会えなくなってしまう。 ……また会ってくれるね、イリーシャ?」
甘い声で言われ、優しい眼差しで見つめられては、首を縦に振るしかない。
イリーシャの反応に笑みを取り戻した彼は、手を離して彼女の背を押した。
「さあ、行って」
促されるままに駆け出し、イリーシャは闇の先を目指した。
暗闇を進み、唐突に閃光に包まれる。
「――イリーシャ!」
聞き慣れた声に、イリーシャがいつの間にか閉じていた目を開けると、フォルティカに青ざめた顔で見下ろされた。
「フォルティカ、私……」
「転んだと思ったら動かなくなって、打ち所が悪かったかと心配したのよ。もうっ、無事なら早く目を覚まして!」
「ご、ごめんなさい」
彼女の剣幕に、イリーシャは頭を下げて許しを乞うしかなかった。
「もういいわ。立てる、イリーシャ?」
フォルティカに差し出された手を握り、しょんぼりとして立ち上がると、ギルオスに鋭い視線を向けられた。
「気を失っている間、何か夢は見たか?」
「え、夢……?」
質問の意図が判らず、キョトンとすると、ギルオスは言葉を足した。
「悪夢は見なかったか? 魔物に追われたり、男に殺されかけたりといった類いのものを」
「……いいえ」
イリーシャの返答は、真実半分嘘半分だ。夢は見ていなかったわけではない。しかし、“悪夢”ではなかったから、完全な嘘ではないだろう。
ギルオスにイリーシャの嘘は伝わらなかったのか、彼は安心した様子で「そうか」とだけ返し、モーディスに進行を促した。
動き出した列の最後尾につき、イリーシャは何となく闇を振り返った。
自分と会ったことは他言するなと言った少年……妙に大人びていて、不思議な人だった。怪しさを感じる一方で、もう一度会いたいとも思う。
果たして彼は何者なのか。そんな疑問を密かに抱え、イリーシャは足を踏み出した。
光の浸入を許さぬほど木々の生い茂る森から、一際背の高い大木が一本、頭を出していた。
長く雲に隠れていた月が姿を現し、森の表面をうっすらと照らす。
その光に照らされ、大木の頂点近くで眠っていた彼はそっと目を開けた。
満月より幾分か欠けた月に目を細め、口許を微かに歪める。
「――会いたかったよ、イリーシャ」
愛しげに呟いたその声は、丁度吹いた風にそっと流されていった。
束の間の休息で得た体力は消え去り、景色の変わらぬ中を動き回りすぎて、頭がぼうっとしてきた。
「まだ着かないのかよ」
苛立ち気味のクライドに問われ、モーディスは弛く首を振った。まだまだかかるようだ。
不満を隠しきれぬクライドの後ろで、女子二人もぐったりしていた。クライドは三人の総意を訴えたものなのだ。
無言で歩き続けるモーディスに、イリーシャは弱々しく声をかけた。
「ねえ、モーディスさん、あとどれくら、ひゃあっ」
頭の回らぬイリーシャは、足下で絡まっていた雑草に足を取られ、顔面から滑った。
なんとか顔は守ったが、腕がヒリヒリする。
「痛ったあ」
恥ずかしさと痛みと苛立ちで泣きたくなりながら体を起こし、直後にさあっと血の気が引いた。
今の一瞬で、周りから誰もいなくなってしまったのだ。皆足が速すぎはしないだろうか。
「嘘でしょ……」
こんな闇の中で迷子など、冗談ではない。
慌てて立ち上がり、大声で仲間を呼んだ。
「モーディスさん! フォルティカ!」
しかし、その声は虚しく闇にこだまするばかりだ。
混乱のあまり、目元に涙が滲んだ、そのときだった。
「――泣き虫だね、お前は」
低い男声が、どこからともなく、穏やかな調子で聞こえた。
咄嗟に身構えたイリーシャは首を廻らし、ふとして少し見上げた。
一本の樹の上から、人の気配がする。暗闇に閉ざされた中では顔も歳もよく判らないが、たしかに人がいるのは判った。
気配は音もなくイリーシャと同じ高さに降り、こちらに近づいた。
イリーシャは気配の動きに合わせ、ジリジリと後ずさった。
「誰なの?」
震え気味の声でイリーシャが問えば、彼は微かに笑い声を漏らした。
「誰、か。そうだね、お前とは初対面だった」
パチンと指を鳴らす音が聞こえた直後から、イリーシャの目の前は徐々に昼のように明るくなった。光源があるわけではなく、イリーシャの周りの空間そのものが明るい。見上げれば木々の隙間から星空が覗き、不思議な感覚だ。
視線を気配の方に戻すと、そこには同年くらいの少年が佇んでいた。
濃い蜜色の髪を殆ど揺れぬほど短く整え、耳元では緋色のピアスが輝いている。そして、イリーシャを見つめるサファイアの瞳は、イリーシャの心を瞬く間に奪った。
これが、一目惚れ……。
イリーシャは彼を見つめながら、胸の前で緩く片手を握りこんだ。胸の高鳴りが抑えられない。
「お前はたしか……イリーシャだね?」
いつの間にか目の前に迫っていた彼は、イリーシャの顔を覗き込んで微笑んだ。
胸の高鳴りに息を詰まらせながら、イリーシャは小さく頷いた。目を逸らせることが、できない。
イリーシャの肯定に、彼は笑みを深めた。
「私はリウスだ。よろしく、美しい人」
「う、美しい……? 私が、ですか……?」
卒倒してもいいだろうか。
「美しいとも。お前の母親と同じようにね。……ところでイリーシャ、今のお前は、俗に言う迷子の状態かな?」
辺りを見回した彼の言葉で、彼女はようやく我に返った。
危機的状況であることを忘れるとは、あまりにも気が緩んでいる。
「ま、迷子です!」
追い詰められた顔で叫んだイリーシャを楽しげに見つめ、彼は闇の先を指差した。
「あちらに行ってごらん。きっと仲間に会えるはずだ」
彼が道を知っているのが不可解だったが、イリーシャは構わず一礼して足を踏み出した。しかし、彼に腕を掴まれて駆け出すには至らなかった。
「言い忘れていた。イリーシャ、一つ約束をしてほしい」
「な、なんですか?」
彼の不意の行動に、イリーシャはついつい、ときめいてしまう。表情が真剣なのも格好いいと思った。
彼女の心中を知ってか知らずか、彼はイリーシャの耳元に顔を近づけ、そっと囁いた。
「私に会ったことは、誰にも話さないでほしい」
「え……?」
「イリーシャが他言すれば、私は二度とお前に会えなくなってしまう。 ……また会ってくれるね、イリーシャ?」
甘い声で言われ、優しい眼差しで見つめられては、首を縦に振るしかない。
イリーシャの反応に笑みを取り戻した彼は、手を離して彼女の背を押した。
「さあ、行って」
促されるままに駆け出し、イリーシャは闇の先を目指した。
暗闇を進み、唐突に閃光に包まれる。
「――イリーシャ!」
聞き慣れた声に、イリーシャがいつの間にか閉じていた目を開けると、フォルティカに青ざめた顔で見下ろされた。
「フォルティカ、私……」
「転んだと思ったら動かなくなって、打ち所が悪かったかと心配したのよ。もうっ、無事なら早く目を覚まして!」
「ご、ごめんなさい」
彼女の剣幕に、イリーシャは頭を下げて許しを乞うしかなかった。
「もういいわ。立てる、イリーシャ?」
フォルティカに差し出された手を握り、しょんぼりとして立ち上がると、ギルオスに鋭い視線を向けられた。
「気を失っている間、何か夢は見たか?」
「え、夢……?」
質問の意図が判らず、キョトンとすると、ギルオスは言葉を足した。
「悪夢は見なかったか? 魔物に追われたり、男に殺されかけたりといった類いのものを」
「……いいえ」
イリーシャの返答は、真実半分嘘半分だ。夢は見ていなかったわけではない。しかし、“悪夢”ではなかったから、完全な嘘ではないだろう。
ギルオスにイリーシャの嘘は伝わらなかったのか、彼は安心した様子で「そうか」とだけ返し、モーディスに進行を促した。
動き出した列の最後尾につき、イリーシャは何となく闇を振り返った。
自分と会ったことは他言するなと言った少年……妙に大人びていて、不思議な人だった。怪しさを感じる一方で、もう一度会いたいとも思う。
果たして彼は何者なのか。そんな疑問を密かに抱え、イリーシャは足を踏み出した。
光の浸入を許さぬほど木々の生い茂る森から、一際背の高い大木が一本、頭を出していた。
長く雲に隠れていた月が姿を現し、森の表面をうっすらと照らす。
その光に照らされ、大木の頂点近くで眠っていた彼はそっと目を開けた。
満月より幾分か欠けた月に目を細め、口許を微かに歪める。
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