魔法帝国の守護伝説

秋草

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不意討ち

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「もーっ! まだなの!?」
 疲労と退屈に堪えきれず、イリーシャは大声で文句を言った。
 木漏れ日が森の中を照らし出し、生き物の声がちらほらと聞こえるようになっても、目的のものは見つからなかった。モーディスが首を傾げている時点で、発見が困難であることは間違いない。
「おかしいなぁ。たしかにこの辺りなのだけど……」
 モーディスは冷や汗を流し、笑みをひきつらせている。
 彼のそばでは、殺意をはらんでいそうな目で、ギルオスがモーディスを睨んでいた。
「この間抜けが」
「み、道に迷ったわけではないはずだよ。そんなことは、今まで一度もないのだからね」
 普段は能天気な性格に思えるモーディスが必死になっているのを見ていると、ギルオスが相当恐ろしい相手なのだということがよくわかる。きっと、過去に首を絞められでもしたのだろう。
 彼の憐れな程の必死さに、ギルオスの口からは長い溜め息が漏れた。
「……お前が迷ったのでないなら、残る可能性は一つか」
 ギルオスが先刻以上に殺気立ち、明らかな臨戦態勢になる。
 モーディスも表情を引き締めて身構えた。
 訪れる、束の間の静寂。
 ――刹那、ギルオスの身が翻ったかと思うと、地面に何かが叩きつけられた。
 うめき声を上げる、黒衣の男だ。彼の顔は一度見たことがある。街から脱出したときに、イリーシャ達を追ってきた男だ。
「なぜ、あなたがここに?」
 イリーシャが眉を寄せると、モーディスが答えた。
「僕が迷うなど、高度の撹乱系魔術でも使われない限りは有り得ない。つまり、今扉を見つけられないのは、バイゼル達魔王側の奴らに仕組まれたからということだ」
 魔術の系統は、幻覚による空間の誤認を引き起こすものだ。
 魔王側は何らかの手によって扉の場所を知り、帰国のために開けに来たモーディス達を一網打尽にするつもりで、この魔術を展開した。そして、こちらが咄嗟に把握出来ない“本来の空間”から、この男が最初に攻撃を仕掛けた……。
 そんなところなのだろう。
 ギルオスは男を気絶させたあとで、モーディスの方を見た。
 既に呪文を唱え出していたモーディスは小さく頷き、ナイフを逆手に持って顔の前に掲げた。
 呪文の終わりと同時に、ナイフが宙を真一文字に切り裂いた。
 ナイフが通った空間にぐらりと歪みが生じ、直後に金属のぶつかる音が響いた。
 反射的に頭を庇い俯いたイリーシャが恐る恐る顔を上げると、ギルオスの脇に立つフィラーナが短剣を構え、突如として向けられた斬撃を受け止めていた。
「あなたも、腕は落ちていないようね」
 心が凍りそうな声でそう言ったのは、仕掛けた方だ。名前はたしか、キュリテミア。
「如何なる時もこの子達を護るのが、私の役目。身体を鈍らせてはいられないわ」
 フィラーナの短剣がキュリテミアのものを弾き、キュリテミアの懐に斬り込む。
 キュリテミアは素早く間をとり、休むことなく再び距離を詰めた。
 ところが、キュリテミアが剣に魔力を込めたと見た瞬間に、両者の間にギルオスが割って入った。
 彼が放った風の刃を間一髪でかわし、キュリテミアはギルオスに憎しみの滲む目を向けた。
「っ、なぜ割り込むの!? ギルオスは引っ込んでいて!」
「妻に殺意を向けられてもじっとしていられるほど、私は能天気ではないのでな。来るなら来い。さっさと片を付けてやる」
「――その言葉、そのまま返そう」
 森に落ち着き払った男の声が響き、木々の影が盛り上った。
 影は虎の形をとり、瞬く間に獣の軍団が現れた。
 そして、軍団の中心で空間が歪み、バイゼルが姿を見せた。随分と気合いの入った様子だ。
「貴様達はここで潰す。陛下の加護があるうちにな」
「陛下、か。やはり、先程の高等幻術は魔王のものだったのだな」
 厄介な……。
 ギルオスが呟くと、バイゼルはニヤリと口を歪めた。
「現在扉は、我らが陛下の魔術が封じている。内から応援を呼ぶことも、内に逃げ込むこともできまい。――一騎討ちだ。剣をとれ、ギルオス」
 バイゼル兄妹を振り切れるはずもなく、扉を塞がれたとあっては挑発に乗る他ない。
 ギルオスは手元に武器を召喚しながら、背後と脇に声をかけた。
「フィラーナ、少しの間キュリテミアを抑えられるか?」
「はい、ギルオス様」
 心配そうに問われたフィラーナは軽く頷いた。
「モーディス、子供達と獣どもを頼む。それと、転移の魔術を展開してくれ」
「承知した」
 子供三人の前に立ったモーディスは早速獣達に向かって呪文を唱え始めた。
「クライド、フォルティカ、そしてイリーシャ、お前達は自衛のことだけを考えろ」
 言い終えるなり、ギルオスはバイゼルに仕掛けた。攻勢に出続けることで、少しずつイリーシャ達と距離をおいていく。巻き添えを懸念しているのだろう。
 フィラーナも同様に離れていき、イリーシャ達のそばにはモーディスだけが残った。
 影から生まれた獣達が、じわじわと距離を詰めてくる。
 と、モーディスが両腕を斜め前方に突きだし、掌を獣達に向けた。
 人間四人を食い殺そうと、獣が立て続けに飛び掛かる。
 小さく悲鳴をあげ、思わずイリーシャとフォルティカは頭を抱えて俯いた。
 ところが、それらは全て、バチンという鋭い音と共に弾かれ、地面に叩きつけられた。
 モーディスの両腕が、白い線状の光を纏っている。バチバチと不規則に光っているということは、雷の類いだろう。
 それにしても、一撃で大半の獣を仕留めるとは驚きだ。
「すげえ……」
 クライドが感嘆の声を漏らし、モーディスに羨望の眼差しを向ける。イリーシャとフォルティカも瞳をキラキラと輝かせた。
 モーディスは四人の周りに透明な防御壁を築き、懐から取り出した紙切れを地面に置いた。紙切れには、青いインクで掌サイズの魔法陣が書かれているようだ。
 その魔法陣は、モーディスの短い呪文で忽ち六人が入れる大きさになった。
「君達はこの中にいて」
 残りの獣を殲滅すべく、モーディスは陣内から出た。
 そして、防御壁があれば安全と考えた彼は、先程よりもイリーシャ達から離れた。距離を置く分、より強力な魔術を使えるからだ。
 適当な位置で足を止め、展開した魔術は、魔術のことなど殆ど知らないイリーシャにも分かるような大魔術だった。防御壁をも越えて空気が張り詰めるほどの圧だ。
「魔術監査役、モーディス・ウラウディの名において、悪法に制裁を」
 彼が呟き、片手で宙を薙いだ。
 たったそれだけで、霧が晴れるように獣は消え去った。
 ひとまず助かった、とイリーシャ達は肩を撫で下ろした。
 ――その直後、背筋に悪寒が走り、イリーシャは身を震わせた。
 モーディスも何かを感じたらしく、こちらを振り向いた。緊張と恐れが表情に滲んでいる。
「一体何、っ!」
 イリーシャが呟いたそばからモーディスの防御壁が崩れ、イリーシャ達を守るものがなくなる。そして、足元の魔法陣が独りでに輝き始めた。
「っ、三人共、早くそこを退いて!」
 モーディスの叫び声に、フォルティカとクライドは直ぐ様飛び退いた。しかし、イリーシャは留まった。
「早くしろ、イリーシャ!」
 クライドが手を引いても、彼女の足は動かなかった。
「あ、足が、動かないの……」
 イリーシャは、足がすくんでいるわけではない。それなのに、足は地面に縫い止められたようだった。
 魔法陣が輝きを増す。
 イリーシャは咄嗟に、手を引くクライドを突き飛ばした。
「イリーシャ!」
 クライドの手が再びのばされる。その彼に、「大丈夫」と微笑んだのを最後に、イリーシャの姿はどこかに消えてしまった。
 彼女がいた所の木の葉が風に揺れ、静かに風に飛ばされた。


 イリーシャが姿を消してまもなく、戦闘中のはずの二人が続けて戻ってきた。
 その場に一人いないことに早速気がつき、怪訝な顔になる。
「モーディス、イリーシャはどこに行った?」
 ギルオスの這うように低い声に、モーディスは自身の命を諦めて白状した。
「僕の移動魔術が発動して、どこかに行ってしまった」
「なんだと?」
 ギルオスが殺気立ち、モーディスは目を閉じて俯いた。死ぬ覚悟はできている。やるなら一思いに……。
 しかし、ギルオスはまったく剣を抜く素振りを見せなかった。ただ静かに殺気を放っているだけだ。
「……あの男共」
 言霊の殺意で人を殺せるならば、今の一言で間違いなく“男共”は死んでいるだろう。
「突然、勝ち誇ったにやけ顔で消えたと思ったら、イリーシャを捕らえていたのか」
 にやけていたのは、言うまでもなくバイゼルだ。そしてギルオスが思うに、モーディスの魔術を発動させてイリーシャを拐ったのは、魔王である。彼以外が他人の魔術に干渉できるだけの実力を有するとは考えられないからだ。
 魔術の痕跡を辿ろうにも、相手が魔王では何の手がかりも残さないに決まっている。現に痕跡を探しているモーディスの表情は暗い。
 打つ手はなしか。
 そう思い、ギルオスは固く目を閉じた。
 彼女の居場所が分からない今、彼らに出来ることはただ一つ……彼女の無事を祈ることだけだ。
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