記憶の先に復讐を

秋草

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第三章

貴族と令嬢

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 夜が更けていくのとともに、夜会は一層騒々しくなっていった。酒が入ると腹黒い談義にも興が乗ってくるらしい。そして今、ただでさえ反吐が出るこの空間からすっかり逃げそびれた俺は更に追い打ちをかける事態に見舞われていた。

「アドレイ様、突っ立っているだけではお相手は見つかりませんよ?」
「うるさいぞゲイル、俺は踊る気など全くない。このまま壁に張り付いて時が過ぎるのを待っていれば良いだろう」
「しかし、この衆目の煩さもなかなかでは? アドレイ様が誰かに声をかけない限りは、多方面から突き刺さる視線もそのままですが」

 そう、この夜会のメインとも言えるイベント、つまりダンスの時間になってしまったのだ。俺は誰かを連れて参加するわけでもないため、地位目当ての貴族たちから毎回痛いほどの視線を向けられる。だが、自分がダンスが得意だと思ったことが一度たりともないほど苦手なので、できれば踊ることなく終わらせたい。

「なぜ軍人が踊らなければならない」
「あなたが貴族だからです、決まっているでしょう。悪あがきはやめてさっさと誰か誘ってください。俺はその間外の空気を吸ってきます」
「堂々と主人を置いて逃げようとするな」

 とはいえ、こうも大人数から居心地の悪い目を向けられては耐えかねるのも確かだ。仕方ない、誰かと一度踊っておくか。
 誰がいいかと場内を見渡せば、何人かと目が合った。しかし、物事はそううまくいかないものだ。あの人とは去年踊ったので、また声をかけると面倒な勘違いをされかねない。あの人は一昨年踊ってあとが面倒だった。……そんな具合で選別していくと、恐ろしいことに候補は一人しかいなくなってしまった。
 気は進まないものの、他よりはマシだと自分に言い聞かせてその令嬢の方に足を向ける。多くの視線が後を追い、令嬢のもとに着くと同時に動揺が広がった。

「私と踊っていただけますか?」

 手を差し出した相手は、社交界であまり評判の良くない令嬢だった。見目こそ整っているが、一切の交流を望まず常に冷え切った目をしている無情の姫……だそうだ。社交界の事情に疎く会ったこともなかったので、それが事実かは知らない。ただ、誰も周りにおらず声をかけられそうな唯一だったから声をかけた、それだけだ。我ながら不純である。
 この令嬢が俺の手を無視するかどうか、ささやかな笑みと共に様子を伺う。と、彼女は予想外だという反応を隠すこともなく、少し戸惑ったように俺と目を合わせた。

「あの……わたくしで、よろしいのですか?」
「ええ、もちろんです。貴女さえよろしければ、ぜひ一曲」
「……はい、喜んで」

 喜んで、と言うわりには気の進まなそうな顔で手を取る彼女に、俺の笑みも崩れかける。俺も踊りたくて誘ったわけではないんだ、少しの間くらい我慢してくれ。

「私はダンスが苦手なもので、動きづらかったら申し訳ございません」
「いいえ、わたくしこそ、見苦しい姿をお見せしてしまうかも」

 俺の事前の謝罪に、彼女は和んだように少しだけ眉尻を下げた。やはり彼女も苦手なのか、安心した。……そう思ったのも束の間、曲が始まりいざ動き出すと、彼女の言葉は大した謙遜であったと分かった。
 蝶のように舞うとは、彼女のように美しい身のこなしを言うのだろう。俺のぎこちないリードに何の不自由もなく応え、滑るようにステップを踏んでいく姿、そして優雅にくるくると回るその姿に、気がつけば周りの貴族達も注目していた。

「これほどダンスがお上手だとは、失礼ながら存じ上げませんでした。私の相手をしていただけて光栄です」
「ノーリス様にお褒めいただけるなど、それこそ身に余る光栄でございます」

 思わず口をついて出た賞賛には、彼女の口元にふわりと笑みが浮かんだ。噂とも先程までの表情とも違う自然な綻びに、周りがさらにざわついている気がする。
 一曲終わり一礼した後は、他の令嬢からの視線を無視して彼女をバルコニーに連れ出した。彼女となら他愛ない会話ができそうだ、時間を潰すのにちょうど良い。そのような不純な理由で連れ出すのも失礼かもしれないが、他とダンスをさせられないためにもう少し付き合ってもらいたい。
 バルコニーはランプの灯りこそないものの、月がちょうどよく彼女を照らしているので表情はよく分かる。

「普段はあまり踊ることがないと聞いていましたが、あまりに美しく優雅なダンスで驚きました」
「買い被りすぎですわ。わたくしのダンスなど、あの方と比べれば雛が羽をばたつかせているようなものですもの」
「あの方とは?」
「今は亡きお方です。わたくしはその方に憧れ、少しでも近づきたいという想いでダンスを磨きましたの」

 ダンスが得意だった、今は亡き令嬢……といえば、俺の脳裏に浮かぶのは一人だ。当時、しつこいくらいに殿下に自慢されたのでよく覚えている。

「もしや、そのご令嬢とはフィリア様ですか?」

 俺から出たその名前に、彼女は一瞬泣きそうに目を細めて笑みを深めた。

「ええ、おっしゃる通りですわ。さすがは殿下のご友人、フィリア様のこともよくご存知ですのね」

 フィリア様のことをファーストネームで呼ぶあたり、存命の頃はさぞ仲が良かったのだろう。

「それならば、彼女に代わって貴女が社交界の華になれば良かったのに」
「いいえ、わたくしにはフィリア様のような華やかさはございませんので。それに、フィリア様がいないこの社交界でなど、笑顔でいられるわけがございません」
「それほどまでにフィリア様を慕っていたのですね。たしかに、彼女を失ってからのこの世界はどうにも色褪せて見える」

 いや、よりどんよりと翳ったと言うべきか、と頭で考えるその間が気になったのか、彼女が俺の名を呼ぶ。そしてちょうどその時、複数の貴族と言葉を交わしながらこちらに近づいてくる忌々しい声が聞こえ、俺たちは揃ってホールの方に目をやった。
 取り巻きに囲まれて談笑しながら、確実にこちらへと歩みを進める男。その姿を目に映した時、彼女は俺に身を寄せて呟いた。

「ラガルド、レア・ノーリス」

 たった一言、名前を呟くだけのその声に滲んだのは、突然沸いた憎しみと恐れだった。
 ああ、月が翳る。一瞬の本心をあの男から隠したその翳りが、今だけは少しありがたかった。
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