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機転の章
画家の嫉妬
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二人が上野駅に到着したのは、国立博物館開館の少し前の時間だった。
「カフェに入って少し時間を潰そうか」
そんな要真の提案でカフェを探すとすぐに見つかり、空いていたため席にもすぐに案内された。
そうして二人はテーブル席に向かい合って座り、メニューを開いた末にコーヒーと紅茶を注文した。
店員が遠ざかるのを見届け、要真の目が真静に向く。
「今日はどんな絵を観たい?」
「そうですね……ちょうど特別展をやっているようですから、それを観たいです」
「特別展か……佐成さんは西洋画が好きなの?」
今開催中の特別展は、西洋の画匠の作品が集ったものだ。ここに来るまでにも何回か広告を見たほど、大々的に催されている。
真静はしばし宙を見つめてから要真に視線を戻した。
「西洋画でも日本画でも、心惹かれるものなら何でも好きです。絵の種類に拘りはありません」
そう言い切ってから「あ、でも……」と言葉を継ぎかけ、はっとした様子で押し黙ってしまった。心なしか、俯いても隠せない耳が赤い。
「でも、なに?」
彼女が続けようとした言葉を催促する問いかけに、彼女は少しだけ視線を上げた。そしてぼそりと。
「でも、好きな画家を挙げるなら……絶対に暮坂颯人さん、です……」
「……そっか、ありがとう」
こんな一言のためにここまで照れる真静が可愛くて仕方がない、と思う要真は別におかしくないはずだ。
「ケーキでも食べる?」
甘やかしたいがために再びメニューを開き、真静の方に差し出す。彼女はそれをおずおずと受け取り、ほぼ即決でモンブランを注文した。
「実はさっきから食べたくて……」
はにかんで告白した彼女を見つめる要真の目が自然眩しげに細まる。そして、胸の内では白旗を揚げた。
佐成真静という存在が愛しくて仕方がない。恋愛としての愛しいなのかはまだ分からないが、ただただ愛しいのだ。真静の姉が過保護になる気持ちが分かるほどに。
しばらくしてコーヒーや紅茶と共にモンブランが運ばれてくると、真静は嬉しそうに口に運び始めた。
「美味しい……」
よほど甘いものが好きなのか、顔が蕩けきっている。その顔を見ていて何もせずにいるのは妙に落ち着かない。幸いというべきか、彼女はじっくりと味わっているため、まだ食べ終えるまでは時間がありそうだ。
要真は黙って自分のバッグを弄り、B5版大のスケッチブックと鉛筆を取り出した。
せっかくだ、甘味を堪能する真静を描き留めておこう。
真静は絵を描き出したらしい要真にすぐ気がついたが、それをじっと見ていると要真と目が合ってしまうため、俯きがちに食事を続けていた。
*****
カフェを出てから博物館での特別展の列に並んでいる間、要真はこの上なく上機嫌だった。
「そ、そんなに楽しかったのですか?」
ケーキに夢中になる自分を描かれていた恥ずかしさと彼が上機嫌な嬉しさで複雑な表情を浮かべる真静に、要真は曇りのない笑みを向けた。
「もちろん。佐成さんが俯き気味にケーキを見つめている姿、とても綺麗だったからね」
「き、綺麗だなんて……」
あいも変わらず、要真の言葉は直球以外を知らない。
返す言葉を探していると、ニコニコしながら真静を見つめていた要真の目が後方の行列に向き、一瞬で笑顔が引いた。
「倉瀬さん?」
何があるのか、と真静も首を巡らし、その先に一人の男性を捉えた。行列の一部でパラパラと博物館のパンフレットを捲る、長身の和装男子だ。その髪は紺にも思える黒で、青みがかったグレーの着物に藍色の羽織、という出で立ちの彼には、着物を着慣れた人が持つ堂々たる雰囲気がある。
彼は紙を捲る手を止めたかと思うと、ゆっくりと目をこちらに向けた。所謂流し目、というものに、真静は心臓がキュッと締め付けられるのを感じた。視線一つに、とんでもない色気がある人だ。
ほうっ、と惚けてしまった彼女は、軽く肩を叩かれて我に返った。
隣の要真が珍しく険しい表情になっている。
「あ、の、どうかしましたか……?」
「いや、君があいつに見惚れていたのが気に食わなかっただけだよ」
「っ!」
見惚れていたのはたしかだ。しかし、そのことで要真の機嫌を損ねるとは思いもしなかった。
「ごめん、特別展は後回しにしよう」
そう言うなり、要真は真静の返事を待たずに彼女の手を取ってさっさと列から外れてしまった。
もうすぐ入場、というところでの離脱、そして後方には長蛇の列……。
もったいない、と少しばかり残念だったものの、それよりも要真の行動の意図を図りかねて困惑してしまった。
「倉瀬さん…?」
呼びかけてみても彼は構わず歩みを進めてしまう。そしてそのまま、一般展示の建物に足を踏み入れた。
建物に入ったところで、ようやく真静は解放された。
「ごめん、無断で列を外れて」
要真にぺこりと頭を下げられては何も言えない。いや、そもそも責める気も無かったのだが。
「気にしないで顔を上げてください。一般展示を先に見るか後に見るか、それが変わっただけですから」
さ、見て回りましょう? と彼の腕を引き、仏像エリアに足を進める。先程の着物の男について何も訊かず、何事も無かったかのように振る舞う彼女の微笑みが、要真にはいつも以上に輝いて見えた。
「カフェに入って少し時間を潰そうか」
そんな要真の提案でカフェを探すとすぐに見つかり、空いていたため席にもすぐに案内された。
そうして二人はテーブル席に向かい合って座り、メニューを開いた末にコーヒーと紅茶を注文した。
店員が遠ざかるのを見届け、要真の目が真静に向く。
「今日はどんな絵を観たい?」
「そうですね……ちょうど特別展をやっているようですから、それを観たいです」
「特別展か……佐成さんは西洋画が好きなの?」
今開催中の特別展は、西洋の画匠の作品が集ったものだ。ここに来るまでにも何回か広告を見たほど、大々的に催されている。
真静はしばし宙を見つめてから要真に視線を戻した。
「西洋画でも日本画でも、心惹かれるものなら何でも好きです。絵の種類に拘りはありません」
そう言い切ってから「あ、でも……」と言葉を継ぎかけ、はっとした様子で押し黙ってしまった。心なしか、俯いても隠せない耳が赤い。
「でも、なに?」
彼女が続けようとした言葉を催促する問いかけに、彼女は少しだけ視線を上げた。そしてぼそりと。
「でも、好きな画家を挙げるなら……絶対に暮坂颯人さん、です……」
「……そっか、ありがとう」
こんな一言のためにここまで照れる真静が可愛くて仕方がない、と思う要真は別におかしくないはずだ。
「ケーキでも食べる?」
甘やかしたいがために再びメニューを開き、真静の方に差し出す。彼女はそれをおずおずと受け取り、ほぼ即決でモンブランを注文した。
「実はさっきから食べたくて……」
はにかんで告白した彼女を見つめる要真の目が自然眩しげに細まる。そして、胸の内では白旗を揚げた。
佐成真静という存在が愛しくて仕方がない。恋愛としての愛しいなのかはまだ分からないが、ただただ愛しいのだ。真静の姉が過保護になる気持ちが分かるほどに。
しばらくしてコーヒーや紅茶と共にモンブランが運ばれてくると、真静は嬉しそうに口に運び始めた。
「美味しい……」
よほど甘いものが好きなのか、顔が蕩けきっている。その顔を見ていて何もせずにいるのは妙に落ち着かない。幸いというべきか、彼女はじっくりと味わっているため、まだ食べ終えるまでは時間がありそうだ。
要真は黙って自分のバッグを弄り、B5版大のスケッチブックと鉛筆を取り出した。
せっかくだ、甘味を堪能する真静を描き留めておこう。
真静は絵を描き出したらしい要真にすぐ気がついたが、それをじっと見ていると要真と目が合ってしまうため、俯きがちに食事を続けていた。
*****
カフェを出てから博物館での特別展の列に並んでいる間、要真はこの上なく上機嫌だった。
「そ、そんなに楽しかったのですか?」
ケーキに夢中になる自分を描かれていた恥ずかしさと彼が上機嫌な嬉しさで複雑な表情を浮かべる真静に、要真は曇りのない笑みを向けた。
「もちろん。佐成さんが俯き気味にケーキを見つめている姿、とても綺麗だったからね」
「き、綺麗だなんて……」
あいも変わらず、要真の言葉は直球以外を知らない。
返す言葉を探していると、ニコニコしながら真静を見つめていた要真の目が後方の行列に向き、一瞬で笑顔が引いた。
「倉瀬さん?」
何があるのか、と真静も首を巡らし、その先に一人の男性を捉えた。行列の一部でパラパラと博物館のパンフレットを捲る、長身の和装男子だ。その髪は紺にも思える黒で、青みがかったグレーの着物に藍色の羽織、という出で立ちの彼には、着物を着慣れた人が持つ堂々たる雰囲気がある。
彼は紙を捲る手を止めたかと思うと、ゆっくりと目をこちらに向けた。所謂流し目、というものに、真静は心臓がキュッと締め付けられるのを感じた。視線一つに、とんでもない色気がある人だ。
ほうっ、と惚けてしまった彼女は、軽く肩を叩かれて我に返った。
隣の要真が珍しく険しい表情になっている。
「あ、の、どうかしましたか……?」
「いや、君があいつに見惚れていたのが気に食わなかっただけだよ」
「っ!」
見惚れていたのはたしかだ。しかし、そのことで要真の機嫌を損ねるとは思いもしなかった。
「ごめん、特別展は後回しにしよう」
そう言うなり、要真は真静の返事を待たずに彼女の手を取ってさっさと列から外れてしまった。
もうすぐ入場、というところでの離脱、そして後方には長蛇の列……。
もったいない、と少しばかり残念だったものの、それよりも要真の行動の意図を図りかねて困惑してしまった。
「倉瀬さん…?」
呼びかけてみても彼は構わず歩みを進めてしまう。そしてそのまま、一般展示の建物に足を踏み入れた。
建物に入ったところで、ようやく真静は解放された。
「ごめん、無断で列を外れて」
要真にぺこりと頭を下げられては何も言えない。いや、そもそも責める気も無かったのだが。
「気にしないで顔を上げてください。一般展示を先に見るか後に見るか、それが変わっただけですから」
さ、見て回りましょう? と彼の腕を引き、仏像エリアに足を進める。先程の着物の男について何も訊かず、何事も無かったかのように振る舞う彼女の微笑みが、要真にはいつも以上に輝いて見えた。
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