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誓約の章
画家の不満
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眩しいくらいに太陽が輝く、日曜の朝。
要真は真静を待たせないため、彼女の家の最寄り駅で待機をしていた。
待ち合わせの時間までは、まだ二時間程ある。どんな遅延でも決して遅れないように、と張り切るあまりの、いつも通りの結果だ。とはいえ、一度遅延に巻き込まれたせいで悠貴に真静との接触を許してしまってから、早めの到着が益々度を越したものになっている気がする。
まあいいか、と駅前のベンチに腰掛け、彼はスケッチブックを取り出した。
真静が来るまで、次の依頼品の構想でも練っていよう。
そうしてスケッチブックとの睨めっこを開始した要真だが、彼女の気配は敏感に感じ取った。
彼女の足音が聞こえた瞬間、意識はスケッチブックからそちらに向く。絵を描いている時の要真が存在を素早く察知できるのは、前にも後にも真静だけだ。
「おはよう、真静ちゃん」
「お、おはようございます……」
要真としては、彼女のことはなんでも気になる。そう、挨拶一つを取っても。
「真静ちゃん、どうかした?」
変に言葉に詰まった真静に問えば、彼女は「なんでもないです!」と首を振った。
「そう? ……まあいいや」
今日はまだまだ時間がある。どこかで上手く聞き出そう。
「じゃあ、早速行こうか」
今日は真静と二人で横浜まで買い物だ。何を買う、とは特に決まっていないが、楽しくなることは間違いないのだから、別にどうでもいい。
……と、朝の時点では思っていた。
**********
思った通り、楽しい時間となった横浜散策だが、昼時を過ぎたあたりから、要真の顔は険しさを増していった。
「真静ちゃん、本当に何もない?」
朝から挙動不審な様子が続く真静の顔を覗き込めば、彼女は顔を真っ赤にして要真と距離を取った。
「な、なんでもないです。すみません、なんか今日は、落ち着かなくて……」
そう言う間も、真静は要真と目を合わせようとしない。
「……ねえ」
原因を探る要真の脳裏に浮かんだのは、着物姿が様になるあの男だ。
「まさか、あいつに何か言われた?」
そう問うた瞬間、真静が肩を跳ねさせ、視線を彷徨わせた。
可能性が確信に変わり、要真の眉間に皺が刻まれる。
「何を言われたか、聞かせてもらえる?」
「な、何も、言われていません」
「言われたんでしょ? お願い、教えて」
否定を続ける真静に、一歩も引かず食い下がる。
しばしの攻防の末に軍配が上がったのは、当然のように要真だった。
「……実は、伊澄さんからパーティーに誘われまして……」
「パーティー?」
その単語を耳にして、要真の脳裏に銀色の封筒が浮かぶ。要真のもとにも、伊澄家のパーティーの招待状が来ていたのだ。
「ああ、そのパーティーなら、俺も行くよ」
行く気は無かったが、真静が誘われたなら話は別だ。
「せっかくだから、俺と行かない?」
「えっ」
その時に彼女が見せた顔は、ただの驚きや喜びのものではなかった。言うならば、不都合が生じた時の気まずそうな顔。
「く、倉瀬さんと一緒に、ですか?」
「うん。駄目かな?」
「ええと……」
「何かあるの? あいつに何か言われた?」
「……伊澄さんに、お返事をしなくてはならなくて」
「返事?」
水面に墨を垂らしたように、要真の胸に不安が広がる。
彼女の兄との誓いゆえ、自分は彼女に何もできない、言えない。それなのに、まさかあの男は……。
「伊澄さんに、その、付き合ってほしい、と、言われて……」
真静の告白は、要真の心臓を鋭く貫いた。
「それで、なんて返すつもりなの?」
震えないように意識した声は、いつもより一段低いものだった。
それを敏感に察知した真静の顔に焦りが浮かぶ。怒らせたとでも思っているのだろう。
「も、もちろんお断りします! 私は好きにはなれませんと、はっきり伝えます!」
「でも、あいつは華道の家元の嫡男だよ。惜しくないの?」
「惜しくなんかないです! だって私は、……」
耐えきれず口をついて出た嫌味に、真静が必死の否定を返し、言葉を切った。
真静の目が、要真を戸惑い気味に見つめる。
「私、は……」
自分の答えを見失った、迷子のような目が、ゆらゆらと宙をさまよう。そんな彼女に、要真が先を促すことはできない。もしも要真にとって喜ばしいものでも、返事をすることが、今はまだできないから。
「……とりあえず、パーティーには俺と行こう? そういう事情なら尚更、あいつと二人きりにはしたくないんだ」
ね、と要真が顔を覗き込めば、彼女は瞳を揺らしながらも小さく頷いた。
「よし、それじゃあ、当日は俺が家まで迎えに行くね」
彼女を迎えに行くまでに、あの男に真静を攫われてはたまったものではない。それと、本音を言えば、パーティーに行くために着飾った真静を、誰よりも早く目にしたい。
真静は再度黙ったままの頷きを返し、物言いたげに要真を見上げた。その目の意味を薄々ながら勘付いていた要真だったが、結局は気がつかないふりをして、真静の手を取った。
流れる年月が、ひどく長く感じる。
要真は真静を待たせないため、彼女の家の最寄り駅で待機をしていた。
待ち合わせの時間までは、まだ二時間程ある。どんな遅延でも決して遅れないように、と張り切るあまりの、いつも通りの結果だ。とはいえ、一度遅延に巻き込まれたせいで悠貴に真静との接触を許してしまってから、早めの到着が益々度を越したものになっている気がする。
まあいいか、と駅前のベンチに腰掛け、彼はスケッチブックを取り出した。
真静が来るまで、次の依頼品の構想でも練っていよう。
そうしてスケッチブックとの睨めっこを開始した要真だが、彼女の気配は敏感に感じ取った。
彼女の足音が聞こえた瞬間、意識はスケッチブックからそちらに向く。絵を描いている時の要真が存在を素早く察知できるのは、前にも後にも真静だけだ。
「おはよう、真静ちゃん」
「お、おはようございます……」
要真としては、彼女のことはなんでも気になる。そう、挨拶一つを取っても。
「真静ちゃん、どうかした?」
変に言葉に詰まった真静に問えば、彼女は「なんでもないです!」と首を振った。
「そう? ……まあいいや」
今日はまだまだ時間がある。どこかで上手く聞き出そう。
「じゃあ、早速行こうか」
今日は真静と二人で横浜まで買い物だ。何を買う、とは特に決まっていないが、楽しくなることは間違いないのだから、別にどうでもいい。
……と、朝の時点では思っていた。
**********
思った通り、楽しい時間となった横浜散策だが、昼時を過ぎたあたりから、要真の顔は険しさを増していった。
「真静ちゃん、本当に何もない?」
朝から挙動不審な様子が続く真静の顔を覗き込めば、彼女は顔を真っ赤にして要真と距離を取った。
「な、なんでもないです。すみません、なんか今日は、落ち着かなくて……」
そう言う間も、真静は要真と目を合わせようとしない。
「……ねえ」
原因を探る要真の脳裏に浮かんだのは、着物姿が様になるあの男だ。
「まさか、あいつに何か言われた?」
そう問うた瞬間、真静が肩を跳ねさせ、視線を彷徨わせた。
可能性が確信に変わり、要真の眉間に皺が刻まれる。
「何を言われたか、聞かせてもらえる?」
「な、何も、言われていません」
「言われたんでしょ? お願い、教えて」
否定を続ける真静に、一歩も引かず食い下がる。
しばしの攻防の末に軍配が上がったのは、当然のように要真だった。
「……実は、伊澄さんからパーティーに誘われまして……」
「パーティー?」
その単語を耳にして、要真の脳裏に銀色の封筒が浮かぶ。要真のもとにも、伊澄家のパーティーの招待状が来ていたのだ。
「ああ、そのパーティーなら、俺も行くよ」
行く気は無かったが、真静が誘われたなら話は別だ。
「せっかくだから、俺と行かない?」
「えっ」
その時に彼女が見せた顔は、ただの驚きや喜びのものではなかった。言うならば、不都合が生じた時の気まずそうな顔。
「く、倉瀬さんと一緒に、ですか?」
「うん。駄目かな?」
「ええと……」
「何かあるの? あいつに何か言われた?」
「……伊澄さんに、お返事をしなくてはならなくて」
「返事?」
水面に墨を垂らしたように、要真の胸に不安が広がる。
彼女の兄との誓いゆえ、自分は彼女に何もできない、言えない。それなのに、まさかあの男は……。
「伊澄さんに、その、付き合ってほしい、と、言われて……」
真静の告白は、要真の心臓を鋭く貫いた。
「それで、なんて返すつもりなの?」
震えないように意識した声は、いつもより一段低いものだった。
それを敏感に察知した真静の顔に焦りが浮かぶ。怒らせたとでも思っているのだろう。
「も、もちろんお断りします! 私は好きにはなれませんと、はっきり伝えます!」
「でも、あいつは華道の家元の嫡男だよ。惜しくないの?」
「惜しくなんかないです! だって私は、……」
耐えきれず口をついて出た嫌味に、真静が必死の否定を返し、言葉を切った。
真静の目が、要真を戸惑い気味に見つめる。
「私、は……」
自分の答えを見失った、迷子のような目が、ゆらゆらと宙をさまよう。そんな彼女に、要真が先を促すことはできない。もしも要真にとって喜ばしいものでも、返事をすることが、今はまだできないから。
「……とりあえず、パーティーには俺と行こう? そういう事情なら尚更、あいつと二人きりにはしたくないんだ」
ね、と要真が顔を覗き込めば、彼女は瞳を揺らしながらも小さく頷いた。
「よし、それじゃあ、当日は俺が家まで迎えに行くね」
彼女を迎えに行くまでに、あの男に真静を攫われてはたまったものではない。それと、本音を言えば、パーティーに行くために着飾った真静を、誰よりも早く目にしたい。
真静は再度黙ったままの頷きを返し、物言いたげに要真を見上げた。その目の意味を薄々ながら勘付いていた要真だったが、結局は気がつかないふりをして、真静の手を取った。
流れる年月が、ひどく長く感じる。
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