画家と天使の溺愛生活

秋草

文字の大きさ
上 下
29 / 39
すれ違いの章

天女に微笑みを

しおりを挟む
 伊澄悠貴の誘いを受けたパーティーの当日。陽は頂点を過ぎ、西に傾こうとしている。
 そんな刻限に、佐成家のリビングでは……真静が溺愛者二名に挟まれ、ひたすら小言を聞かされていた。
「いいか真静、間違っても男と二人きりになるなよ! あと、家元のパーティーってことは、きっとかなり格式ばったものだから、粗相のないようにな」
「真静が嫌味を言われるようなことするわけないでしょう! まあ、この子は存在するだけで妬みを買うくらい可愛いから、それは心配だけれど。真静、少しでもセクハラとか嫌がらせをされたら、すぐに110番を押しなさい!」
「……大丈夫よ、二人とも。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、いつも心配してくれてありがとう。でも、今日は大丈夫」
 一瞬の物憂げな表情の後、そう言って笑った真静に、両者の不安げな目が向く。
「真静、」
 巧が言いかけたところでチャイムが鳴り、真静は「行ってきます!」とだけ言うとあっという間に二人の前から消えてしまった。
 玄関のドアが閉まる音を聞き、二人は顔を見合わせた。

「「本当に大丈夫かな……」」


***************


「っはあ……」
 いつものラフな格好ではなく、紺色の背広に同系色のネクタイを締めた要真。彼は今、緊張した面持ちで真静宅のインターホンに手を伸ばしていた。何度深呼吸をしても気持ちが落ち着かず、数分前からこの状況だ。理由は当然、彼女にある。
 彼女の正装……ドレス姿は初めて見るから。そして、前回出掛けてから今日まで、彼女とはギクシャクしたままだから。これはそれ故の緊張に他ならない。
 しばしの躊躇ののち、意を決してインターホンを押す。と、音からさほど経たずに、ドアが爽快な音と共に開け放たれた。
 門の外に佇む要真と視線が交わった直後、ドアの向こうから飛び出た彼女が目を丸くしたのが分かった。だが、それは要真も同じだ。彼女の想像を絶する愛らしさに、思わず言葉を失っていたのだ。
「……こんにちは」
 なんとか絞り出した挨拶に、彼女は頬を赤く染め、小さく頭を下げた。
「こ、こんにちは」
「そのドレス、すごく似合ってる」
 要真がそう言った瞬間彼女から溢れた笑みに、要真も口元を緩ませた。
 彼女が身にまとっているのは、光沢を帯びた水色のパーティードレスだ。丈が膝までしかないのが要真としては落ち着かないが、色合いや落ち着いたデザインは、彼女にぴったりと言える。
「……このまま、俺の家に連れて行きたい」
 彼の何気ない一言は、聞き様によっては充分恋愛イベント的な側面を有するだろう。
 しかし悲しいかな、二人の脳内には、そのような意味は微塵も浮かんでいなかった。
「だ、だめです。今日は伊澄さんに招待されたパーティーが優先です。……デッサンのモデルなら、また別の日にお引き受けしますから」
 そう。彼らにとっては、家に連れて行きたい、イコール、絵のモデルにしたい、でしかない。
「あいつのパーティーよりも、俺にとっては優先するべきことなんだけどな。まあいいや、モデルの件、約束だよ?」
「はい。別の日であれば、喜んで」
「よし。……それでは参りましょうか、我が姫」
 そんな言葉と共に、門をくぐった彼女に、そっと片手を差し出す。彼女ははにかみながらも要真の手を取り、要真が引き寄せるのにも逆らわず、彼に肩を寄せた。
 こんなに近い距離感、要真には至福のひとときでしかない。
 ということで、本当は近くに待機させていた赤浜(覚えているだろうか。彼のマネージャーである。今日はなぜか、午前の仕事から引き続き、パーティー会場までの運転手を任されている。残業手当は暮坂颯人の絵画一枚らしい。)を、手元の端末からの連絡で駅方面に車ごと移動させ、駅までの道のりをたっぷり楽しむことにした。
「今日家を出てくるの、大変じゃなかった?」
「大変でした。兄と姉に挟まれて……」
 そんな雑談が始まり、いつも通りの雰囲気に包まれたことに、要真は内心、胸をなでおろしていた。そして同時に、決意を新たに。

 彼女との日常を、彼に邪魔させるわけにはいかない。彼には今日、彼女のことは諦めてもらおう。
しおりを挟む

処理中です...