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6.依頼人の正体
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コージは確かに智奈よりもあとに入ってきたホストだ。それが目の前の男――キョウゴの差し金だったとは。
智奈は目を丸くした。信じがたいけれど、自分が危ない状況にあったことは、異様という曖昧な感覚に頼らずとも記憶がないことだけで証拠になっている。
自分が騙され、罠に嵌まりかけたことを思うとぞっとするし、愚かしい。智奈はぷるっと身ぶるいをした。
「寒い? 空調はきいてるはずだけど」
目ざとく智奈のしぐさに気づいたらしく、おもむろにキョウゴは立ちあがって、窓際のテーブルのところに行くと、椅子にかけてあった茶色いものを持って戻ってきた。それを広げながら智奈の肩にかけた。それはガウンだった。
そうわかって、智奈はハッとしながら自分の躰を見下ろした。
昨日、着ていたのは桜色のブラウスと、白をベースにラベンダー色の大きな花柄をちりばめた膝丈スカートだった。いまは、ビッグサイズのTシャツだけで、そのうえ智奈のものではない。下着を身に着けている感触はあるけれど、Tシャツは腿の半分までの丈しかなく、両足とも素足だ。着替えた憶えがなく、智奈はおずおずとキョウゴを見つめた。
再びベッドに腰をおろしたキョウゴは、智奈の無言の疑問を読みとったのか、潔白だと云いたそうに、両手を少し広げて手のひらを上に向けた。
「月並みの云い訳になるけど、服にしわが寄ったら困るだろうし、医者の診察もあったし、寝づらいだろうと思って着替えさせた。裸にしたわけじゃない。おれは寝込みを襲うほど女に飢えてないし、不自由もしていない。いい?」
もっともだ。キョウゴは襲う暇がないほど、職業柄、方々から誘われるタイプだ。加えて、わざわざ襲うほどの魅力が智奈にないことは自覚している。外見は、可愛いという形容詞を使われることはあっても、きれいとは決して云われないのだ。
もっと云えば、シンジが本当に悪人だとして、卑怯な犯罪手段に至ったのは、口説く時間を割くほどの魅力が智奈になかったことの証明だ。
「大丈夫です」
「気分は悪くない?」
「はい。ここは……」
智奈はあらためて部屋を見渡した。
「ホテルだ。如何わしいところじゃなく、高級の“ボンシャンホテル”だ。聞いたことある?」
「名前は知ってます。使ったことはないですけど……」
「ああ。シャワー浴びたいなら行ってくるといい。あっちだ。服はそこのクローゼットに入ってる。もう九時だ。朝食が来てるから、あったかいうちに食べたいならできるだけ早く」
キョウゴは促すように首をかしげ、智奈はこっくりとうなずいた。
ツインルームの部屋は、これまで利用したことのあるどのホテルよりも広く優雅な雰囲気がある。ただ泊まるというにはもったいない。けれど、いまは優雅な気分に浸っている心境でもなく、名と職業しか知らない男性とふたりきりで、助けてくれた人とはいえ安心しているとしたら、やはり智奈はどうかしている。
智奈はふと、『隙がありすぎる』とその言葉を思いだした。『安心していい』とも云ったその声の主はキョウゴだったのか。少し雰囲気が違う気がした。
違うとしたら、だれ?
そう疑問に思うと、キョウゴの言葉を思いだし、結びついた。キョウゴは、ある人に頼まれたと云っていた。ロマンチックナイトから連れだした人は、ひょっとしたらその依頼人なのかもしれない。
智奈は手早くシャワーを浴びた。躰には痣などなんの異変もなかったし、目眩などもない。
パウダールームを出て部屋に戻ると、キョウゴは椅子に座ってタブレットを触っていた。Tシャツの上にジャケットがわりにシャツを羽織り、ボトムはチノパンというカジュアルな恰好だ。こんな高級ホテルでも引け目を感じない雰囲気で、漂ってくるハーブティの香りとよく似合う。
外からの光で少し陰になった横顔もきれいで、思わず智奈が立ち止まったと同時に、キョウゴは顔を上げた。
「こっち来て。食べよう、腹へった」
「あ……先にどうぞって言っておくべきでした。すみません」
すると、キョウゴは嫋やかに笑った。
「気を遣って待ったわけじゃない。一緒に食べたくて待っていた。早く」
「はい」
窓際のテーブルに行くと、朝食なのに所狭しと料理が並んでいる。智奈は、生ハムサラダ、そしてフレンチトーストを半分まで食べて、ハーブティを一口飲んだ。
「贅沢なくらい美味しい」
智奈が感想を云うと、キョウゴは可笑しそうにした。
「そう云ってくれるなら、提供した本人も本望だろうな」
まるで手配したのはキョウゴではないような云い方だ。手配した人がだれなのか、それはきっとキョウゴに依頼したという未知の人なのだ。
「あの、さっき、ある人に頼まれたって云ってましたよね? ある人って……?」
智奈が訊ねると、キョウゴからわずかに緊張が漂ってくる。教えるわけにはいかないといった断固とした意志はなく、ただ返事を迷っているように見えた。
けれど一瞬後、それは気のせいだったかのように、キョウゴは屈託のない笑みを浮かべた。
「好奇心旺盛だな。聞かないほうがいいってこともあると思うけど?」
「……聞かないほうがいいんですか」
「いや、べつにかまわないと云われている。きみの面倒事は引き受けると約束したらしいし」
キョウゴの口から驚くことばかりが飛びだす。智奈の面倒をだれがだれと約束なんてするだろう。父以外にはまったく思い当たらない。
「わたしの面倒事? 引き受けるってだれとの約束ですか。父が頼んだんですか」
「だれでもない、きみ自身との約束だ」
「……わたし?」
「そう。堂貫からおれは頼まれた。堂貫京吾は知ってるだろう? それできみは助かったんだ」
智奈のびっくり眼がさらに大きくなった。
智奈は目を丸くした。信じがたいけれど、自分が危ない状況にあったことは、異様という曖昧な感覚に頼らずとも記憶がないことだけで証拠になっている。
自分が騙され、罠に嵌まりかけたことを思うとぞっとするし、愚かしい。智奈はぷるっと身ぶるいをした。
「寒い? 空調はきいてるはずだけど」
目ざとく智奈のしぐさに気づいたらしく、おもむろにキョウゴは立ちあがって、窓際のテーブルのところに行くと、椅子にかけてあった茶色いものを持って戻ってきた。それを広げながら智奈の肩にかけた。それはガウンだった。
そうわかって、智奈はハッとしながら自分の躰を見下ろした。
昨日、着ていたのは桜色のブラウスと、白をベースにラベンダー色の大きな花柄をちりばめた膝丈スカートだった。いまは、ビッグサイズのTシャツだけで、そのうえ智奈のものではない。下着を身に着けている感触はあるけれど、Tシャツは腿の半分までの丈しかなく、両足とも素足だ。着替えた憶えがなく、智奈はおずおずとキョウゴを見つめた。
再びベッドに腰をおろしたキョウゴは、智奈の無言の疑問を読みとったのか、潔白だと云いたそうに、両手を少し広げて手のひらを上に向けた。
「月並みの云い訳になるけど、服にしわが寄ったら困るだろうし、医者の診察もあったし、寝づらいだろうと思って着替えさせた。裸にしたわけじゃない。おれは寝込みを襲うほど女に飢えてないし、不自由もしていない。いい?」
もっともだ。キョウゴは襲う暇がないほど、職業柄、方々から誘われるタイプだ。加えて、わざわざ襲うほどの魅力が智奈にないことは自覚している。外見は、可愛いという形容詞を使われることはあっても、きれいとは決して云われないのだ。
もっと云えば、シンジが本当に悪人だとして、卑怯な犯罪手段に至ったのは、口説く時間を割くほどの魅力が智奈になかったことの証明だ。
「大丈夫です」
「気分は悪くない?」
「はい。ここは……」
智奈はあらためて部屋を見渡した。
「ホテルだ。如何わしいところじゃなく、高級の“ボンシャンホテル”だ。聞いたことある?」
「名前は知ってます。使ったことはないですけど……」
「ああ。シャワー浴びたいなら行ってくるといい。あっちだ。服はそこのクローゼットに入ってる。もう九時だ。朝食が来てるから、あったかいうちに食べたいならできるだけ早く」
キョウゴは促すように首をかしげ、智奈はこっくりとうなずいた。
ツインルームの部屋は、これまで利用したことのあるどのホテルよりも広く優雅な雰囲気がある。ただ泊まるというにはもったいない。けれど、いまは優雅な気分に浸っている心境でもなく、名と職業しか知らない男性とふたりきりで、助けてくれた人とはいえ安心しているとしたら、やはり智奈はどうかしている。
智奈はふと、『隙がありすぎる』とその言葉を思いだした。『安心していい』とも云ったその声の主はキョウゴだったのか。少し雰囲気が違う気がした。
違うとしたら、だれ?
そう疑問に思うと、キョウゴの言葉を思いだし、結びついた。キョウゴは、ある人に頼まれたと云っていた。ロマンチックナイトから連れだした人は、ひょっとしたらその依頼人なのかもしれない。
智奈は手早くシャワーを浴びた。躰には痣などなんの異変もなかったし、目眩などもない。
パウダールームを出て部屋に戻ると、キョウゴは椅子に座ってタブレットを触っていた。Tシャツの上にジャケットがわりにシャツを羽織り、ボトムはチノパンというカジュアルな恰好だ。こんな高級ホテルでも引け目を感じない雰囲気で、漂ってくるハーブティの香りとよく似合う。
外からの光で少し陰になった横顔もきれいで、思わず智奈が立ち止まったと同時に、キョウゴは顔を上げた。
「こっち来て。食べよう、腹へった」
「あ……先にどうぞって言っておくべきでした。すみません」
すると、キョウゴは嫋やかに笑った。
「気を遣って待ったわけじゃない。一緒に食べたくて待っていた。早く」
「はい」
窓際のテーブルに行くと、朝食なのに所狭しと料理が並んでいる。智奈は、生ハムサラダ、そしてフレンチトーストを半分まで食べて、ハーブティを一口飲んだ。
「贅沢なくらい美味しい」
智奈が感想を云うと、キョウゴは可笑しそうにした。
「そう云ってくれるなら、提供した本人も本望だろうな」
まるで手配したのはキョウゴではないような云い方だ。手配した人がだれなのか、それはきっとキョウゴに依頼したという未知の人なのだ。
「あの、さっき、ある人に頼まれたって云ってましたよね? ある人って……?」
智奈が訊ねると、キョウゴからわずかに緊張が漂ってくる。教えるわけにはいかないといった断固とした意志はなく、ただ返事を迷っているように見えた。
けれど一瞬後、それは気のせいだったかのように、キョウゴは屈託のない笑みを浮かべた。
「好奇心旺盛だな。聞かないほうがいいってこともあると思うけど?」
「……聞かないほうがいいんですか」
「いや、べつにかまわないと云われている。きみの面倒事は引き受けると約束したらしいし」
キョウゴの口から驚くことばかりが飛びだす。智奈の面倒をだれがだれと約束なんてするだろう。父以外にはまったく思い当たらない。
「わたしの面倒事? 引き受けるってだれとの約束ですか。父が頼んだんですか」
「だれでもない、きみ自身との約束だ」
「……わたし?」
「そう。堂貫からおれは頼まれた。堂貫京吾は知ってるだろう? それできみは助かったんだ」
智奈のびっくり眼がさらに大きくなった。
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