悪い男は愛したがりで?甘すぎてクセになる

奏井れゆな

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51.悪魔は食欲不振(1)

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 智奈なら五歩かかるところを三歩でやって来た京吾は、智奈の腕を取って強引に出入り口に向かった。
「京吾、傘っ」
 そのまま外に出ようとした京吾を引きとめると、京吾は振り向いて顎をしゃくった。許可してやるといった尊大な様で、なお且つ早くしろといわんばかりだ。
 京吾は持ち帰りの紙袋を智奈から取りあげて、腕をつかんだまま智奈が傘を取るのを待った。
「役に立ちましたか」
 店内から出て傘を広げる寸前、横から声がして智奈はハッと振り向いた。カフェの軒先に北村がいた。
「え……?」
「いい仕事だった。礼を云いたいところだが、おまえを楽しませたようだ。チャラでいいだろう?」
 智奈が呆けている間に、京吾が北村に応じた。
「見返りを求めていたわけではありませんが、そのとおり、楽しみました。お疲れさまです」
「お疲れさま」
 おもしろがった北村に応えつつ京吾は手を振ってあしらい、傘、と智奈を促した。
 云われたとおりに傘を差すなり京吾は歩道に出た。智奈は北村に、お疲れさまです、と急いで声をかけてついていく。京吾は傘を持たず、頭もスーツも濡れっぱなしだ。智奈は手を上げて京吾にかざす。
 そうしたのもつかの間、腕が放されたと同時に傘が取りあげられた。
「乗って」
 京吾の陰になって見えなかったけれど、歩道沿いに京吾の車が止まっていた。助手席に乗りこむと、紙袋が智奈の腿の上にのせられる。傘を後部座席に放ってから京吾は運転席のほうにまわった。
 京吾からいつもの雄弁さが消え、移動中はずっと沈黙していた。智奈が気詰まりすることはないけれど、何が原因かは察せられて反省しつつ、沈黙に付き合った。
「夕食は?」
 キッチンのカウンターに紙袋を置いていると、京吾は二階へとのぼりながら、ぶっきらぼうに訊ねた。
「まだ。サンドイッチもらったからそれですまそうと思って。京吾は……」
 智奈が云いかけている途中、階段をのぼる足音がぴたりと止まった。京吾がゆっくりと振り向く。
「もらった、ってだれに?」
「え……っと、シンジくんにもらったんだけど……」
 云いながら智奈はまずいと思った。
「まさか、それを、食べるつもりか?」
 京吾は当てつけるように云う。冷たくあしらうのも無理はない。懸念するのも当然だった。
「お店で買ったものだし……」
「それを傍でずっと見てた?」
 京吾が畳み掛けて、智奈の弁解は逃げ口上にしかならない。智奈が首を横に振ると、京吾はのぼりかけていた階段を逆行しておりてきた。
 目の前に立った京吾を見上げると、刹那、顎が人差し指で持ちあげられた。京吾は顔をおろして、智奈のくちびるに咬みつく。キスではなく、獲物に喰いつくようで、くちびるが自分の歯と京吾の歯にぶつかってちょっとした痛みを伴う。
 んっ。
 京吾はすぐにくちびるを離したけれど、かすかな痛みの余韻が続く。
「食事はクラブから持ってこさせる。その間にシャワーを浴びてろ」
 有無を云わせない命令口調ははじめてだ。驚きながらも怖さはなく、ただ、云うことに従ったほうがいいという判断はついて、智奈はうなずいて二階に上がった。
 京吾が怒っていることははっきりしている。なぜ怒っているのかも、およそわかっているつもりだ。その怒りが少しでもおさまるように、智奈は時間をかけてシャワーを浴びた。買ってきたコーヒーを淹れたら、少しくらいは機嫌が直るかもしれない。
 カットソーとショートパンツを着て下におりると、京吾もまたラフな恰好に着替えてキッチンにいた。髪が濡れているところを見ると、一階の裏口から入ったところにあるバスルームを使ったのだろう。
 一緒にバスルームを使うことは多々あるのに、京吾があえて違う場所を使ったのは怒りを冷まそうとしてのことかもしれない。その効果なのか――
「座って食べて」
 コーヒーを淹れて機嫌を取るまでもなく京吾の声は普通に戻っていた。
 智奈はほっとした。その安堵は智奈のためではなく、京吾のためだ。
 キッチンカウンターには大皿がのっていて、そこにはサラダから肉料理、パン、そしてデザートまで美味しそうに盛り付けられている。ヘラートはいったいどういうところだろう。
 智奈がいつもの場所に座ると、京吾は用意した二つのグラスにワインを注ぎ、智奈の前に置いたあともうひとつのグラスを手に取って、カウンターの向こうで立ったまま飲み始めた。
「京吾は食べないの? 独りでこんなに食べられないんだけど」
「食事は途中で切りあげてきた。いまは昂奮していて食欲がない」
 智奈はパンをちぎって口に持っていきかけていた手を止めた。
「その……京吾が怒ってるってことはわかってるの。……わたし、海に捨てられそう?」
 智奈はおずおずと訊ねてみた。
 京吾はそんな智奈の瞳をじっと見つめ、少し視線を落としてくちびるに目を留め、するとふっと広い肩から力が抜けたように見えた。それを裏付けるように、大きくため息をついたあと、そのくちびるに微笑が浮かんだ。
「そんなもったいないことはしない。智奈が溺れるのはおれの腕の中で充分だろう?」
 おまけに云ったこともその声音も、京吾らしく嫌らしい。
 けれど、安心したのはつかの間、ただし、と京吾は悪魔が試しの場を与えるような様で首をひねると――
「どういうことか、一部始終、ちゃんと、話してくれ」
 一言一句を区切り、脅すように要求した。
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