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第3章 恋は刹那の嵐のようで
3.
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カメラをおろした響生を見て環和は首をかしげた。
「人参を見つけたみたいな声だった」
やっぱり笑顔はお見通しだったのかという環和の無言の疑問に、響生はそんな返事をした。
「……人参ていったら……うさぎ?」
さっきうさぎみたいな反応をした自分を思いだしながら云ってみると、響生は小ばかにした笑い方をする。とはいえ、三カ月くらい一緒にいると、いまの笑い方が実際にはばかにしているのではなく興じているのだとわかってくる。
「自分がうさぎに見えるって思ってるのか」
せっかく横柄さを擁護したのに、響生はまるでずうずうしいと云わんばかりだ。
環和は口を尖らせ――
「じゃあ何?」
と、すぐさま問い返したが、響生は口を歪めただけで答える気はなさそうだ。背中を向けてまた歩きだした。ついていきながら、意味がわかったのはその一分後だ。
人参に関連してうさぎの次に思いだすのは馬で、ぶらさがった人参を追いかけるなんていう、つまり環和が単純、簡単だと云っているのに違いない。
「わたし、“馬鹿”じゃないし!」
広い背中に向かって叫ぶと、響生は顔だけ振り向いて流し目を向ける。
「そうわかってるんならいいんじゃないか。馬面じゃないのは確かだ」
響生はのらりくらりとしてからかう。
むっとしながらも環和はあとを追って、さっきまで京香がいた場所に来ると響生は立ち止まった。
「気をつけろよ」
響生は環和の手を引き、水流に削られていろんな形をした石の上を渡り歩く。
石の間は水が流れていて、落ちたとしても流される心配はない程度のすき間しかないけれどやっぱり濡れるのは嫌で、環和は慎重に足を運んだ。響生はそんな環和に合わせてくれているのだろう、歩調はゆっくりしている。
仕事に同行するに当たって響生からスニーカーを履いてくるように通達され、環和は言い付けを守ってワイドパンツ型のオールインワンにスニーカーという恰好で来た。川での撮影ということはわかっていたし、ヒールを履いていこうなどとは思っていなかったが、響生がちゃんと気遣っていたことには素直にうれしくなる。
まもなく、平べったく大きな石の上に来て立たされた。
「怖くないか?」
響生が訊ねた瞬間、カメラは、驚くこと半分、不思議そうに目を開いた環和を捕らえた。
「全然! 晴れてるし」
響生は鼻先で笑う。
何が怖いか、肝心な部分を抜かした質問へ答えたことが即ち、環和のこだわりを表している。つまり、強がりにほかならず、響生はそれを見抜いている。
つんと顎を上げたところでまたシャッター音がする。
「プールの授業はどうしてたんだ?」
「軽い薬品アレルギーで長く入れませんってママが云ってくれたから、やったことない」
すると響生は、瞬間を逃さないようかまえていたカメラをおろした。
「泳げないまんまか?」
「泳いだことないから泳げないなんてわからないでしょ」
響生は呆れたように天を仰ぐ。環和に目を戻せば声を立てて笑ったが、やはり呆れきった笑い方で、しかも唐突にやんだ。
「そう云い返す根性があるんだったら、水泳をちゃんと習うべきだったな。苦手だからこそ、本当に危ない目に遭ったとき萎縮しないですむし、助かる術になる」
響生の声も面持ちも生真面目すぎて、環和は首をかしげた。
「響生も怖いものある?」
「ああ」
あっても認めないだろうと思いきや、響生はためらわずに認めた。そうしてまたカメラをかまえる。
「何が怖いの?」
「おまえには教えない」
おまえには、という言葉はその云い方どおりに環和に限定されたことなのか。むすっとした表情は逃さず捕らえられた。こんなふうにほんの間近で撮影されることにやっと慣れてきた。
きっぱりとした響生の口調を聞けば、問いつめても無駄に終わりそうであきらめるしかない。環和は間近にあるレンズも気にすることなく、気持ちを切り替えるべく川に目を向けた。
所々で川は色を変え、水の流れに陽の光が反射している。ダイヤモンドよりもきらきらしているかもしれない。濡れるのは嫌いだけれど、風景はきれいだと感じる。
「響生は、こういう川とか海とか、水の風景を撮るのが好きだよね。わたしと正反対」
「闘ってるんだ。おれは水の風景のすべてを写しているわけじゃない」
思いがけない言葉が二つ発せられた。環和にはさっぱり意味が理解できない。響生に目を戻すと、特段、変わったところはなく淡々としている。
「どういうこと?」
「答えはさきに云ってる」
さっきの人参の話がそうだったけれど、響生はよく謎かけをしているみたいに云う。いままで時間に差はあれ、理解に至らなかったことはない。響生の言葉を思い返してちょっと考えてみた。けれど、いますぐにはわかりそうもなく、環和はため息をついた。
「さきにっていつ云ったの?」
「大事なところだ。自分でわかれ。そうしないとおまえは真剣に受けとらない」
受け流したり、笑い飛ばしたり、そんな強がりは常備していて、響生はそんなふうに環和がちゃかしてしまうことを云っているのだろう。
「……わたしのこと、丸わかり?」
答えが得られなかったという不満顔で、なお且つ、そんなはずはないと挑むように首をかしげると、響生は二度シャッターを切ってからカメラを横にやって顔を覗かせた。
「だれだって丸わかりなんてない。一緒に住んでたときだっておまえはお母さんのことがわからなかったんだろう?」
「普通の答えすぎて詰まんない」
「はっ。どんな答えを期待してたんだ」
「わかろうとしてる、だったらベストだったのに」
環和はごく真剣な気持ちで云ったのに、響生は首を横に振ってあっさりと退けた。
響生といるのはもう三カ月になる。そろそろ引き際だと考えているのか否か、響生からはどっちも感じとれない。環和のことをわかろうとしているのだったらまだ終わらないと思えるのに、響生はどっちの返事も怠った。
「写真、もういい?」
こんなことで拗ねるのは大人げない。響生に釣り合うためにはもっと大人になるべきなのに正反対のことをしている。わかっていても機嫌を直す気にはなれない。止めてくれないのが怖いから、響生が反応するまえに環和はさっさと来たとおりに石の上を移動した。
「人参を見つけたみたいな声だった」
やっぱり笑顔はお見通しだったのかという環和の無言の疑問に、響生はそんな返事をした。
「……人参ていったら……うさぎ?」
さっきうさぎみたいな反応をした自分を思いだしながら云ってみると、響生は小ばかにした笑い方をする。とはいえ、三カ月くらい一緒にいると、いまの笑い方が実際にはばかにしているのではなく興じているのだとわかってくる。
「自分がうさぎに見えるって思ってるのか」
せっかく横柄さを擁護したのに、響生はまるでずうずうしいと云わんばかりだ。
環和は口を尖らせ――
「じゃあ何?」
と、すぐさま問い返したが、響生は口を歪めただけで答える気はなさそうだ。背中を向けてまた歩きだした。ついていきながら、意味がわかったのはその一分後だ。
人参に関連してうさぎの次に思いだすのは馬で、ぶらさがった人参を追いかけるなんていう、つまり環和が単純、簡単だと云っているのに違いない。
「わたし、“馬鹿”じゃないし!」
広い背中に向かって叫ぶと、響生は顔だけ振り向いて流し目を向ける。
「そうわかってるんならいいんじゃないか。馬面じゃないのは確かだ」
響生はのらりくらりとしてからかう。
むっとしながらも環和はあとを追って、さっきまで京香がいた場所に来ると響生は立ち止まった。
「気をつけろよ」
響生は環和の手を引き、水流に削られていろんな形をした石の上を渡り歩く。
石の間は水が流れていて、落ちたとしても流される心配はない程度のすき間しかないけれどやっぱり濡れるのは嫌で、環和は慎重に足を運んだ。響生はそんな環和に合わせてくれているのだろう、歩調はゆっくりしている。
仕事に同行するに当たって響生からスニーカーを履いてくるように通達され、環和は言い付けを守ってワイドパンツ型のオールインワンにスニーカーという恰好で来た。川での撮影ということはわかっていたし、ヒールを履いていこうなどとは思っていなかったが、響生がちゃんと気遣っていたことには素直にうれしくなる。
まもなく、平べったく大きな石の上に来て立たされた。
「怖くないか?」
響生が訊ねた瞬間、カメラは、驚くこと半分、不思議そうに目を開いた環和を捕らえた。
「全然! 晴れてるし」
響生は鼻先で笑う。
何が怖いか、肝心な部分を抜かした質問へ答えたことが即ち、環和のこだわりを表している。つまり、強がりにほかならず、響生はそれを見抜いている。
つんと顎を上げたところでまたシャッター音がする。
「プールの授業はどうしてたんだ?」
「軽い薬品アレルギーで長く入れませんってママが云ってくれたから、やったことない」
すると響生は、瞬間を逃さないようかまえていたカメラをおろした。
「泳げないまんまか?」
「泳いだことないから泳げないなんてわからないでしょ」
響生は呆れたように天を仰ぐ。環和に目を戻せば声を立てて笑ったが、やはり呆れきった笑い方で、しかも唐突にやんだ。
「そう云い返す根性があるんだったら、水泳をちゃんと習うべきだったな。苦手だからこそ、本当に危ない目に遭ったとき萎縮しないですむし、助かる術になる」
響生の声も面持ちも生真面目すぎて、環和は首をかしげた。
「響生も怖いものある?」
「ああ」
あっても認めないだろうと思いきや、響生はためらわずに認めた。そうしてまたカメラをかまえる。
「何が怖いの?」
「おまえには教えない」
おまえには、という言葉はその云い方どおりに環和に限定されたことなのか。むすっとした表情は逃さず捕らえられた。こんなふうにほんの間近で撮影されることにやっと慣れてきた。
きっぱりとした響生の口調を聞けば、問いつめても無駄に終わりそうであきらめるしかない。環和は間近にあるレンズも気にすることなく、気持ちを切り替えるべく川に目を向けた。
所々で川は色を変え、水の流れに陽の光が反射している。ダイヤモンドよりもきらきらしているかもしれない。濡れるのは嫌いだけれど、風景はきれいだと感じる。
「響生は、こういう川とか海とか、水の風景を撮るのが好きだよね。わたしと正反対」
「闘ってるんだ。おれは水の風景のすべてを写しているわけじゃない」
思いがけない言葉が二つ発せられた。環和にはさっぱり意味が理解できない。響生に目を戻すと、特段、変わったところはなく淡々としている。
「どういうこと?」
「答えはさきに云ってる」
さっきの人参の話がそうだったけれど、響生はよく謎かけをしているみたいに云う。いままで時間に差はあれ、理解に至らなかったことはない。響生の言葉を思い返してちょっと考えてみた。けれど、いますぐにはわかりそうもなく、環和はため息をついた。
「さきにっていつ云ったの?」
「大事なところだ。自分でわかれ。そうしないとおまえは真剣に受けとらない」
受け流したり、笑い飛ばしたり、そんな強がりは常備していて、響生はそんなふうに環和がちゃかしてしまうことを云っているのだろう。
「……わたしのこと、丸わかり?」
答えが得られなかったという不満顔で、なお且つ、そんなはずはないと挑むように首をかしげると、響生は二度シャッターを切ってからカメラを横にやって顔を覗かせた。
「だれだって丸わかりなんてない。一緒に住んでたときだっておまえはお母さんのことがわからなかったんだろう?」
「普通の答えすぎて詰まんない」
「はっ。どんな答えを期待してたんだ」
「わかろうとしてる、だったらベストだったのに」
環和はごく真剣な気持ちで云ったのに、響生は首を横に振ってあっさりと退けた。
響生といるのはもう三カ月になる。そろそろ引き際だと考えているのか否か、響生からはどっちも感じとれない。環和のことをわかろうとしているのだったらまだ終わらないと思えるのに、響生はどっちの返事も怠った。
「写真、もういい?」
こんなことで拗ねるのは大人げない。響生に釣り合うためにはもっと大人になるべきなのに正反対のことをしている。わかっていても機嫌を直す気にはなれない。止めてくれないのが怖いから、響生が反応するまえに環和はさっさと来たとおりに石の上を移動した。
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