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第9話 ジェラシーの円満解決法
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七月も半ばを過ぎて梅雨は明け、とたんに太陽から発せられる熱が否応なく地上に降りる。昼時のいま、それがコンクリート面に反射すればさらに温度が上昇する。
実那都は文系のキャンパスから離れた場所――理工系のキャンパスに歩いて向かった。
朝から念入りにしたメイクも溶けてしまいそうだ。そうなったら目も当てられない。もっとも、自分で自分の顔は見えないけれど――
と実那都は内心で自分の思考に自分で突っこみを入れた。
『急だけど、今日の昼は大丈夫だよ。二限目が終わってちょっと先生に報告あるけどそのあとなら。どう?』
バイト仲間の轟木からメッセージが来たのは一限目が終わってまもなくだった。
轟木は三年生になり、ドーナツカフェのバイトも休みがちになっている。就職活動で忙しくなったという。
そんななかで轟木には申し訳なかったが、まさにその就職のことで実那都は話を聞いてみたくて時間を割いてもらった。
二限目が終わってキャンパス間を移動し、実那都が待ち合わせの学生食堂に着いてメイクを整えるまで、それで待ち時間は相殺されるだろう。そう思ったとおり、実那都がお手洗いを出て食堂に出たのとほぼ同時に轟木も現れた。
航は轟木と同じキャンパスだからこの食堂は実那都にとってもおなじみだ。たまに航たちと待ち合わせをして、ここで食事を取る。
メニューをそれぞれに選ぶと、実那都は轟木と向かい合わせで席に着いた。
「就活のことで聞きたいことって?」
カツ丼を一口食べてしまうと、轟木はさっそく本題に入った。
「轟木さん、就職先……っていうか、就活する会社をどんなふうに選んでますか。車の設計士になりたいって云ってましたよね。そこだけに絞ってるんですか?」
「コネや自信があるなら絞るけどね、俺は普通に一般人だから設計士のほかにも挑戦するよ」
「車業界のほかにも?」
「そうだね。実那都ちゃん、もしかして車業界に関心あるとか?」
「――というわけではなくて、関心のあるところが見つからなくて困ってます。航について大学に入って、そしたらやりたいこと見つかるかなと思ってたんですけど。ほんとは高卒で就職しようと考えていたんです。そのときは行けるところにってくらいの気持ちで、ほかには何も考えてなかったんですよね」
「だったら、大卒だろうと行けるところにって割りきって就活するのもありだと思うけど」
「そういう気持ちって見透かされませんか? この子は熱心じゃないなとか」
実那都が云うと、轟木は可笑しそうにした。
「逆に、夢というか……なりたいこと、やりたいことが明確にあるって人のほうが圧倒的に少ないと思うよ。少なくとも俺の周りはそういう奴が多い。実那都ちゃんの周りは?」
轟木に訊ねられて実那都はあらためて気づいた。
自分の周りは夢を追っている人、夢を叶えた人が多い。そういう境遇にいる自分が自分で気の毒になり、実那都はため息をついた。
「考えたらわたしの周りは轟木さんと真逆でした。航は夢を追ってるし、高校時代の友だちは好きな分野に就職内定してるし、祐真くんや加純は夢を叶えてる。だから焦っちゃうのかな……」
「加純ちゃんて妹さんだよね? ドラマは見てないけど、主役をやるまでの俳優になるんだっていう夢を叶える人は希少かもしれないね。ちなみに、祐真くんて?」
「あ……シンガーソングライターのユーマです。中学からの友だちなんですけど知ってますよね?」
「え……」
と驚いた顔をした轟木は宙に視線を向けた。思考を巡らせているのだろう、ふと何かを思いついたかのように表情が静止した。
「もちろんユーマは知ってる。俺たちの年代では知らない人なんているのかな。けど、実那都ちゃんの友だちってことは驚きだ。ていうか、去年の文化祭でユーマがバンドで歌ったって聞いてたけど、藍岬くんはバンド組んでるんだよね。中学からの友だちって、実那都ちゃんは藍岬くんのこともそう云ってたし……つまり、ユーマは藍岬くんのバンドで歌ったってことだ?」
実那都がバイト中に話してきたことの点といま話したことの点を繋いだらしい。轟木は工学部にいるだけあって、筋道を立てて考えられる、頭のいい人だ。気も利くし、やさしいし、航からがさつさを取ったらこんな感じかもしれない。
「正解です。お母さんの夢から始まった妹と違って、祐真くんは本当に一から、だれにも頼らないで自力で夢を実現してる。すごいんです。だから……すごすぎてよけいに何か自分にできること探さなくちゃって思いこんでたんですね、きっと。轟木さんと話せてちょっと安心しました」
轟木は、そんな大したこと云ってないけど、と笑いながら――
「前向きになれるといいね。実那都ちゃんて確か文学部の社会心理学科だよね? 就活はそれを活かしたらどうだろう。その会社はどういう人材を求めているかリサーチして、熱心に見えるように考えてエントリーしたり面接を受けたりしてみる。その結果を卒論にするのもいいかも」
実那都は思いがけない助言も聞けて目を丸くした。それからくちびるがめいっぱい綻ぶ。
「わぁ、ありがとうございます。大学生としての悩み、一気に解決した感じです。ほんと、それもありですね。よかったです、轟木さんと知り合いになれて。わたしの周りで大学に行ってる人、航のお兄さんくらいで、でもお兄さんは福岡だし、お父さんの跡を継ぐつもりでお医者さんになるっていう目標がある人だから、やっぱり次元が違う感じで」
「へー、藍岬くんちは病院なんだ、それもすごいね」
「はい」
と、実那都が素直にうなずくと轟木は吹くように笑った。
「ところで、実那都ちゃんが社会心理学科を選んだ理由って?」
「単純です。いま話したとおりやりたいことがあったわけでもなくて、受験するって決めてから学科を見比べてみました。この人どんな思考回路でこういうこと云ったりやったりするんだろうって、そういうことが少しわかったらすっきりするかなと思って選びました」
ぼかして言ったけれど、実那都がそう思った相手は両親だ。
轟木は首をかしげて可笑しそうにした。
「すっきりっておもしろい表現だね。さすが文学部だ。確かに、人の感情の動きってそれぞれだし、個人の思考回路を解明することができれば、人付き合いをマニュアル化できるかも」
今度は実那都が笑う番で――
「マニュアル化? なんだかやっぱり轟木さんて理系ですよね」
と云っているうちに轟木の視線が浮いて、実那都の背後に伸びた。
近づいてくる足音に気づきながら、実那都が振り向いた直後、ほんの傍でそれが止まった。
「おれも同席していいっすか」
航だと認識したとたん聞いた声は、気のせいか少しぶっきらぼうだ。
航は轟木が返事をするまえに実那都の隣の椅子を引いた。
七月も半ばを過ぎて梅雨は明け、とたんに太陽から発せられる熱が否応なく地上に降りる。昼時のいま、それがコンクリート面に反射すればさらに温度が上昇する。
実那都は文系のキャンパスから離れた場所――理工系のキャンパスに歩いて向かった。
朝から念入りにしたメイクも溶けてしまいそうだ。そうなったら目も当てられない。もっとも、自分で自分の顔は見えないけれど――
と実那都は内心で自分の思考に自分で突っこみを入れた。
『急だけど、今日の昼は大丈夫だよ。二限目が終わってちょっと先生に報告あるけどそのあとなら。どう?』
バイト仲間の轟木からメッセージが来たのは一限目が終わってまもなくだった。
轟木は三年生になり、ドーナツカフェのバイトも休みがちになっている。就職活動で忙しくなったという。
そんななかで轟木には申し訳なかったが、まさにその就職のことで実那都は話を聞いてみたくて時間を割いてもらった。
二限目が終わってキャンパス間を移動し、実那都が待ち合わせの学生食堂に着いてメイクを整えるまで、それで待ち時間は相殺されるだろう。そう思ったとおり、実那都がお手洗いを出て食堂に出たのとほぼ同時に轟木も現れた。
航は轟木と同じキャンパスだからこの食堂は実那都にとってもおなじみだ。たまに航たちと待ち合わせをして、ここで食事を取る。
メニューをそれぞれに選ぶと、実那都は轟木と向かい合わせで席に着いた。
「就活のことで聞きたいことって?」
カツ丼を一口食べてしまうと、轟木はさっそく本題に入った。
「轟木さん、就職先……っていうか、就活する会社をどんなふうに選んでますか。車の設計士になりたいって云ってましたよね。そこだけに絞ってるんですか?」
「コネや自信があるなら絞るけどね、俺は普通に一般人だから設計士のほかにも挑戦するよ」
「車業界のほかにも?」
「そうだね。実那都ちゃん、もしかして車業界に関心あるとか?」
「――というわけではなくて、関心のあるところが見つからなくて困ってます。航について大学に入って、そしたらやりたいこと見つかるかなと思ってたんですけど。ほんとは高卒で就職しようと考えていたんです。そのときは行けるところにってくらいの気持ちで、ほかには何も考えてなかったんですよね」
「だったら、大卒だろうと行けるところにって割りきって就活するのもありだと思うけど」
「そういう気持ちって見透かされませんか? この子は熱心じゃないなとか」
実那都が云うと、轟木は可笑しそうにした。
「逆に、夢というか……なりたいこと、やりたいことが明確にあるって人のほうが圧倒的に少ないと思うよ。少なくとも俺の周りはそういう奴が多い。実那都ちゃんの周りは?」
轟木に訊ねられて実那都はあらためて気づいた。
自分の周りは夢を追っている人、夢を叶えた人が多い。そういう境遇にいる自分が自分で気の毒になり、実那都はため息をついた。
「考えたらわたしの周りは轟木さんと真逆でした。航は夢を追ってるし、高校時代の友だちは好きな分野に就職内定してるし、祐真くんや加純は夢を叶えてる。だから焦っちゃうのかな……」
「加純ちゃんて妹さんだよね? ドラマは見てないけど、主役をやるまでの俳優になるんだっていう夢を叶える人は希少かもしれないね。ちなみに、祐真くんて?」
「あ……シンガーソングライターのユーマです。中学からの友だちなんですけど知ってますよね?」
「え……」
と驚いた顔をした轟木は宙に視線を向けた。思考を巡らせているのだろう、ふと何かを思いついたかのように表情が静止した。
「もちろんユーマは知ってる。俺たちの年代では知らない人なんているのかな。けど、実那都ちゃんの友だちってことは驚きだ。ていうか、去年の文化祭でユーマがバンドで歌ったって聞いてたけど、藍岬くんはバンド組んでるんだよね。中学からの友だちって、実那都ちゃんは藍岬くんのこともそう云ってたし……つまり、ユーマは藍岬くんのバンドで歌ったってことだ?」
実那都がバイト中に話してきたことの点といま話したことの点を繋いだらしい。轟木は工学部にいるだけあって、筋道を立てて考えられる、頭のいい人だ。気も利くし、やさしいし、航からがさつさを取ったらこんな感じかもしれない。
「正解です。お母さんの夢から始まった妹と違って、祐真くんは本当に一から、だれにも頼らないで自力で夢を実現してる。すごいんです。だから……すごすぎてよけいに何か自分にできること探さなくちゃって思いこんでたんですね、きっと。轟木さんと話せてちょっと安心しました」
轟木は、そんな大したこと云ってないけど、と笑いながら――
「前向きになれるといいね。実那都ちゃんて確か文学部の社会心理学科だよね? 就活はそれを活かしたらどうだろう。その会社はどういう人材を求めているかリサーチして、熱心に見えるように考えてエントリーしたり面接を受けたりしてみる。その結果を卒論にするのもいいかも」
実那都は思いがけない助言も聞けて目を丸くした。それからくちびるがめいっぱい綻ぶ。
「わぁ、ありがとうございます。大学生としての悩み、一気に解決した感じです。ほんと、それもありですね。よかったです、轟木さんと知り合いになれて。わたしの周りで大学に行ってる人、航のお兄さんくらいで、でもお兄さんは福岡だし、お父さんの跡を継ぐつもりでお医者さんになるっていう目標がある人だから、やっぱり次元が違う感じで」
「へー、藍岬くんちは病院なんだ、それもすごいね」
「はい」
と、実那都が素直にうなずくと轟木は吹くように笑った。
「ところで、実那都ちゃんが社会心理学科を選んだ理由って?」
「単純です。いま話したとおりやりたいことがあったわけでもなくて、受験するって決めてから学科を見比べてみました。この人どんな思考回路でこういうこと云ったりやったりするんだろうって、そういうことが少しわかったらすっきりするかなと思って選びました」
ぼかして言ったけれど、実那都がそう思った相手は両親だ。
轟木は首をかしげて可笑しそうにした。
「すっきりっておもしろい表現だね。さすが文学部だ。確かに、人の感情の動きってそれぞれだし、個人の思考回路を解明することができれば、人付き合いをマニュアル化できるかも」
今度は実那都が笑う番で――
「マニュアル化? なんだかやっぱり轟木さんて理系ですよね」
と云っているうちに轟木の視線が浮いて、実那都の背後に伸びた。
近づいてくる足音に気づきながら、実那都が振り向いた直後、ほんの傍でそれが止まった。
「おれも同席していいっすか」
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