心の癒し手メイブ

ユズキ

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ヴォルプリエの夜編

65話:ダーシー・スライ物語

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 アディンセル王国はとってもとっても寒い国。
 冬になると、夜はマイナス20度まで下がる。
 一日中暖炉を焚いてないと、寒くて凍えちゃうの。
 物心ついたとき、私はお母さんと暖炉のない狭い部屋で2人暮らしをしていた。お仕えするロナガン伯爵家のお屋敷の地下に作られた、粗末で暗い部屋。
 窓もなくて暗いけど、でもちょっとだけ地上よりは温かいの。

「他の人には内緒よ?」

 お母さんは悪戯っぽくそう言っていた。
 使用人たちは屋敷の天井裏に部屋を与えられていたから、かえって寒いみたい。隙間風とか、修繕してくれないんだって。
 身を寄せ合っていれば、お互いの体温であったかい。お母さんも私も痩せこけていたけど、でも、温かかった。



 お母さんはかつて奥様のレディーズ・メイドをしていたんだって。使用人の中でも別格なんだそう。
 でもね、今のお母さんは皿洗いスカラリー・メイドなの。このお屋敷のメイドの中では一番の下っ端。
 一日中冷たい水で、お皿や鍋を洗って、安い御給金しかもらえなかった。手はふやけて”あかぎれ”になったりして、痛々しいお手てしてた。
 私は荷物を運んだり、洗濯を手伝ったり、色んな手伝いをさせられた。でもお給金は出なかった。
 ある日ね、野菜係のエイミーさんに訊いたの。

「私のお母さんは、どうして皿洗いスカラリー・メイドになったの?」

 エイミーさんは使用人たちの中でも一番の”お喋り”だから、声を顰めて教えてくれた。

「伯爵様が手を出したからなのよ」

 なんだか嫌な笑い方をして、そう教えてくれた。でも、手を出した、って意味が判らず訊いたら、

「浮気よ、浮気。あんたの母さんと伯爵様が浮気をして、んで、あんたが生まれたってわけ」
「え?じゃあ、私のお父さんは伯爵様なの?」
「そうさそうさ。あんたの母さんの身分が低いばっかりに、こうしてあんたも働かされてるけど。世が世なら、あんたは”お嬢様”だよ。だって、伯爵様のお子様なんだもの」

 浮気、というのがよく判らなかったけど、でも私にもお父さんがいたんだ。
 ロナガン伯爵様は、私のお父さんだった!
 だから私、庭に居た伯爵様に駆け寄って、胸をワクワクさせて言ったの。

「お父さん!」

 お父さんがいると判って嬉しかったから、ロナガン伯爵様おとうさんって。でも、足がすくむほど怒鳴られて、ぶたれて、蹴られた。

「ふざけるな!卑しい下賤のウジ虫が!」

 そうして唾を吐かれただけだった。
 私は悲しくなって、いっぱい泣いたけど、庭師につまみ出されてしまった。
 その晩お母さんに話したら、

「ごめんね…」

 私を抱きしめて、お母さんは泣きながら謝った。
 どうして私は認めてもらえてないのか、理由は教えてもらえなかった。



 あの日から、私とお母さんは奥様とお子様たちに苛められるようになった。
 お母さんは奥様に毎日罵倒され、心も身体も傷つけられ、暴力を振るわれる。
 私はお子様たち――異母兄様パトリック異母姉様ヘレン――に執拗に苛められた。
 暴力は当たり前だし、暴言の数々もいつものこと。目の前で自慢されたり、髪の毛や服をハサミで切られたりした。
 髪の毛を切られるのは、すごく嫌だった。ちょっと伸びると、異母兄様パトリックはすぐにハサミを持って追いかけてくるの。
 そんな私たちの様子を、異母姉様ヘレンは面白がって見ていたな。



 私が7歳の時、お母さんが病気で倒れちゃったの。
 過酷な労働、執拗な苛め、栄養の少ない食事。そしてアディンセル王国の酷薄な気温。それらがお母さんを苦しめた。
 お医者も呼んでくれないし、薬ももらえない。他の使用人たちも助けてくれなかった。
 暗い地下の部屋で、お母さんは日に日に病気を悪化させた。
 お水も飲めなくなって、ある朝、お母さんは起きなかった。何度ゆさぶっても起きなくて、もう二度と私を見てくれなかった。
 お母さんの亡骸は汚れたシーツにくるまれ、他の使用人たちに集団墓地に連れていかれて、掘られた穴に捨てるように放り込まれた。
 そこはお母さんや私のように、身寄りを無くした引き取り手のない亡骸を葬る場所だと教えられた。



 お母さんはなんでお屋敷から逃げなかったんだろう。
 あんな意地悪な人たちのところにいたって、良いこと一つもなかった。
 私は逃げようとしたことがあった。でも、雑役夫ヤード・ボーイのコリーさんに止められたの。

「どんなに辛くても、逃げたらすぐに死んでしまうよ。ここは寒い国だから」

 別のお家で雇ってもらうためには、”紹介状”というものを、雇い主に書いてもらわないといけないんだって。
 でも当然そんなもの、伯爵様が書いてくれるわけがない。

「そっか…、だからお母さん、逃げたくても出来なかったんだね」
「堪えなさい。耐えて耐えて、大人になるまで。大人になれば、別の働き口が見つかるかもしれない。子供の今は、耐えるんだ。いいね?」

 コリーさんにそう言われて、私は耐えることにした。



「あらあなた、凄い力を持っているんじゃなくって?」

 ある日、庭の雑草を抜いていたら、女の人に話しかけられた。

「わたくしの名前はリリー・キャボット。世間での通り名は”不平等を愛する魔女”って言われてるわ」

 もうすぐ『六花の聖夜りっかのせいや』が来るから、とても寒くなってきている。なのにリリーは、お腹丸出しの寒そうなかっこうをしてた。大丈夫なのかな?鳥肌はたってないみたい。

「お近づきのしるしに、これを差し上げるわ」

 リリーは色とりどりのキャンディーの入った袋をくれた。
 甘い匂いが凄くする。

「あの、これ」
「食べてみて、わたくしのお手製なのよ」

 オレンジ色のキャンディーを口に放り込む。
 今まで味わったことがない甘さが、口いっぱいにジュワーって広がった。

「気に入った?」
「うん!」
「そう、良かった。あなたいくつ?」
「多分、10歳くらい」
「お名前は?」
「ダーシー・スライ」
「ダーシーね。ねえダーシー、あなた辛いことはない?」

 リリーはしゃがみこんで、私を見上げてきた。

「……辛いことしかない」
「そうなの。じゃあ、辛いこと、無くしたいと思わない?不平等な今の立場を、変えてみたいって思わない?
 不平等って良くないことなの。平等に幸せを享受している人たちがたくさんいるのに、ダーシーだけが不平等を被っているのだから」

 私は目をぱちくりさせた。
 不平等ってなんだろう、私のことなのかな。
 それは、良くないことなんだね。

「なくしたい」

 本音がぽろっと口からこぼれた。
 今まで辛いことだらけ。お母さんが死んじゃってからは特に。
 それを思い返すと、私だけ不平等は良くない。

「わたくしが手伝って差し上げるわ。あなたには、それが出来るだけの力が備わっているんだもの」
「力…」
「そうよ。わたくしが見たところ、本当に凄い力だわ。魔女でこのくらいの力と言ったらグリゼルダくらいなものよ…。
 さあダーシー・スライ、わたくしと一緒にやりましょう!」

 立ち上がったリリーが、手を差し伸べてきた。
 私はリリーの手と顔を交互に見た。
 なんだか難しいことは考えられなくなっていたけど、辛いこと、なくしたかったから。
 私は服で手を拭いて、リリーの手を握った。

「わたくしの計画を話しますわね。その力の使い方も教えて差し上げるわ」



 私はリリーに指示されて、伯爵様と奥様とお子様たちを、偽名を使ってダンスルームに呼び出した。だって、私の名前を出したら、呼び出す前に怒られるもの。
 4人は夕食の後、ダンスルームに集まった。
 何故こんなところに呼び出されたのか、見当もつかないってぼやいてる。
 もうすぐ、私も平等になるの。ロナガン伯爵一家と言う名の不平等を消してしまうの!
 私がダンスルームに入ると、伯爵様が怒鳴り散らしてきた。奥様も、お子様たちも。

「ギャー、ギャー、ギャー」
「ワー、ワー、ワー」
「キー、キー、キー」
「ガミ、ガミ、ガミ」

 何を言ってるのか判らないけど、喧しいな、って思った。
 ダンスルームの中は、『六花の聖夜りっかのせいや』のための大きなツリーや、オーナメントが奇麗に飾られていた。
 私はお屋敷の飾り付けは、初めて見たんだよ。
 町に飾られているのも奇麗だけど、お屋敷の飾りはもっとすごくて奇麗だった。キラキラしてて夢の様。
 それなのに、この人たちは喧しくて、なんだかとっても嫌な気分になる。
 『六花の聖夜りっかのせいや』ではね、ジンジャークッキーを食べきれない程作るの。私もよくお手伝いして、そして黙ってくすねちゃってた。
 数えきれないほど作るから、ちょっとだけ減っても気づかれないの。
 町でもタダで配ってるんだよ。私はそれをもらうのが楽しみなんだあ。
 こんがり焼いて、お砂糖で顔や模様を描く。ツリーやトナカイの形をしたものまであるの。
 ショウガをたっぷり練り込んであるから、食べると身体がポカポカする。
 甘くて美味しい。
 大好きなジンジャークッキー!
 いっぱい、いっぱいあると嬉しいな。大きくて、大きくて、人間よりも大きなジンジャークッキーがあれば、お腹もいっぱいになる。
 ツリーのジンジャークッキーには、お砂糖で色を塗るから、もっと甘くて美味しい。
 トナカイは角のぶん、量が増えて大好き。
 そんなことを考えてたらね、ジンジャークッキーたちがいっぱい現れたの。伯爵様たちはびっくりしてる。
 私もびっくりしたけど「うわあっ…」て思った。美味しそうな甘い匂いとショウガの匂いが、ダンスルームに満ちていく。
 どこからか、陽気な音楽が鳴りだした。音楽に合わせて、ジンジャークッキーたちが輪を作って踊り始めたの。
 部屋の燈が音楽に合わせるように、強くなったり弱くなったりした。
 黒い大きな影が、伸びたり縮んだりしながら蠢いている。

「こ、これは一体、なんなんだ!」

 伯爵様が叫んだ。あんな表情かお、見たことがない。いつも威張り散らしているのに、恐怖で歪んでる。

「…バカみたい」

 なんであんな人に怯えていたんだろう。
 そう思ったらね、お母さんの死んじゃった時の顔が頭に浮かんだの。そしたらお腹の辺りが熱くなってきて、ムカムカしてきた。
 お母さんと私を、不平等にした人たち。
 私だって伯爵様の子供なのに。それなのに、毎日毎日辛く当たって…

「私だけ不平等なのは、イヤ…」

 私の中で何かが膨らんで、大きくなって「バアアン!」って弾けた。

「あなたたち、もうイラナイ」
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