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第1話 家族との別れ
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* * *
優しい春の空には、綿のような雲がゆったりと浮かび、小鳥たちが楽しげに歌いながら飛んでいた。
色とりどりの草花が生い茂る草原を、小さな女の子と男の子が笑いながら走っている。そして、その二人の様子を温かい眼差しで見つめる、少女が一人。
「おねーちゃん」
小さな男女が声をあげながら少女に走り寄る。そして明るく微笑みながら両手を広げる少女。
――見つけた。
馬車の中から三人の様子を伺っていた紳士が、口元に小さな笑みを浮かべた。
* * *
インドラは細い背に太さもバラバラな枝を入れた大籠を背負い、右手で弟の手を引き、左手で妹の手を引いていた。
朝から山へ枝を拾いに出かけて、もう夕方にさしかかろうとしている。三人ともくたくたで、お腹もぺこぺこだった。
「たくさん枝拾えたね、おねーちゃん」
泥汚れを顔にいっぱいつけた弟が、にっこりと見上げてきた。
「そうね。明日はこれを町へ持って行って売りましょう」
「そしたらおっきなパン買えるかな?」
左側から妹がパッと顔を明るくして身を乗り出した。
「ええ、1個くらいきっと買えるわ」
やったーと、弟妹が大はしゃぎで飛び跳ねた。
そんな様子を見て、インドラは嬉しそうに微笑んだ。
大きなパンは無理でも、弟と妹に1個ずつならパンが買えるかもしれない。
昨年から薪や木炭の値段がとても高くなって、こうした枝もまとめるとそこそこの値段で売れるようになった。薪も木炭も、半分以上は上流階級や貴族のお屋敷に流れていってしまうからだ。
枯れ枝でも燃料として十分役に立つ。なるべく太めの枝をまとめておけば、いくらかのパンや野菜を買うことが出来るのだ。
インドラの家は貧しい木こりだ。家名すらなく、町でも村でもない、山の麓に小さな小屋をかまえているだけ。
学校へも行ったことがない15歳のインドラにとって、毎日こうして山に枝を取りに行ったり、小さな畑を耕して家計を支えることで精一杯だ。幼い弟と妹の面倒をみるのもインドラの仕事である。
それを不幸だの不運だのと考えたことはない。
毎日満足に食べられなくても、綺麗な着物を着られなくても、父母と弟妹に囲まれて幸せだ。そうインドラは心から思っていた。
「ただいま」
家に帰ると暖炉の前の粗末なテーブルの前に、沈んだような面持ちの父母が座っていた。
「ああ…おかえり」
顔を上げた母親は、どこか疲れたように薄く笑った。
インドラは枯れ枝を入れた大籠を部屋の隅に置いて、粗い織りの布をかぶせた。そして洗い場で鍋に水を汲んでいると、父親に呼ばれた。
「インドラ、お前ももう15歳だ。……貴族のお城へ奉公へ上がってみる気はないか?」
「え?」
なるべくインドラと目を合わせないようにして、父親は不機嫌そうに言った。
「でも父さん、あたし、満足に読み書きもできないし、弟や妹たちのめんどうだって」
「あちらさんは、それでも構わないと言っている」
おどおどと顔も上げずにいた母親は、チラリとテーブルの上に置かれた袋に目をやった。それに気づいてインドラも視線を向ける。
模様はなかったが、綺麗な青い布袋はゴツゴツとした凹凸作って膨らんでいる。それが3つもあった。インドラはその一つを引き寄せ中を開いて目を見張った。
見たこともない眩いばかりの金貨がギッシリと詰まっている。
「父さんこれ……」
呆然としたインドラの声に、父親は渋面を作って顔を背けた。母親はこらえきれず、エプロンで目を覆って嗚咽を漏らす。
インドラは袋の中の金貨を黙って見つめた。
これだけのお金があれば、家族みんなが一生食うに困らず暮らしていける。
もっといい家に住めるし、毎日お腹を空かせなくてもいい。あまり身体が丈夫でない母親も苦労せずに済む。
なにより、食い扶持一つ減るだけでも大きな違いがあるのだ。
インドラはにっこりと父母に微笑んだ。
「あたし、ご奉公へ行ってみるね」
父親はハッとして顔を上げ、力なくうな垂れると小さく頷いた。そして母親は今度こそ大声を上げて泣いた。
インドラがあがることになっている貴族のお城は、この辺りを領地として治めているメイズリーク伯爵家だった。
巨万の富と広大な領地を有する、国内では有力な貴族の家柄らしい。それ以外のことをインドラは知らない。
奉公へあがることを決めてから一週間後、メイズリーク伯爵家から迎えの馬車が到着した。
四頭だての立派な馬車で、ワニスが塗られた光沢のある木彫に、黄金細工が施されている。窓には天鵞絨のカーテンがかかり、磨きぬかれた玻璃が埋め込まれていた。
インドラは迎えに来た伯爵家の使用人が持ってきた質素なドレスに着替え、あらためて外に出た。
「元気でね……」
涙に暮れる母親と抱き合い、そして幼い弟と妹を抱きしめる。
「お父さんと、お母さんを、よろしくね」
そう言って立ち上がると、むっすりと黙りこくった父親の頬にキスをして、インドラは扉の開かれた馬車に乗り込んだ。
そつなく一礼して使用人も馬車へ乗り込むと、御者は轡を軽く叩いて馬車を出した。
泣きながら馬車を追いかける弟妹たちの声が聞こえてくる。
(振り向いてはダメ)
もし振り向いて、弟妹たちの姿を見たら、胸がつぶれるほどの悲しみに包まれて泣いてしまう。
今生の別れというわけではないが、当分会うことは出来ないだろう。
自分は大金でメイズリーク伯爵家に買われたのだということを、インドラは理解していた。買われたその家で、自分がどんな仕事をすることになるのかまでは想像できない。
しかし。自分がその運命を受け入れることで、家族が豊かになる。
――一生懸命働こう。
期待と不安を胸に、インドラは毅然と頭を上げた。
第1話 家族との別れ つづく
優しい春の空には、綿のような雲がゆったりと浮かび、小鳥たちが楽しげに歌いながら飛んでいた。
色とりどりの草花が生い茂る草原を、小さな女の子と男の子が笑いながら走っている。そして、その二人の様子を温かい眼差しで見つめる、少女が一人。
「おねーちゃん」
小さな男女が声をあげながら少女に走り寄る。そして明るく微笑みながら両手を広げる少女。
――見つけた。
馬車の中から三人の様子を伺っていた紳士が、口元に小さな笑みを浮かべた。
* * *
インドラは細い背に太さもバラバラな枝を入れた大籠を背負い、右手で弟の手を引き、左手で妹の手を引いていた。
朝から山へ枝を拾いに出かけて、もう夕方にさしかかろうとしている。三人ともくたくたで、お腹もぺこぺこだった。
「たくさん枝拾えたね、おねーちゃん」
泥汚れを顔にいっぱいつけた弟が、にっこりと見上げてきた。
「そうね。明日はこれを町へ持って行って売りましょう」
「そしたらおっきなパン買えるかな?」
左側から妹がパッと顔を明るくして身を乗り出した。
「ええ、1個くらいきっと買えるわ」
やったーと、弟妹が大はしゃぎで飛び跳ねた。
そんな様子を見て、インドラは嬉しそうに微笑んだ。
大きなパンは無理でも、弟と妹に1個ずつならパンが買えるかもしれない。
昨年から薪や木炭の値段がとても高くなって、こうした枝もまとめるとそこそこの値段で売れるようになった。薪も木炭も、半分以上は上流階級や貴族のお屋敷に流れていってしまうからだ。
枯れ枝でも燃料として十分役に立つ。なるべく太めの枝をまとめておけば、いくらかのパンや野菜を買うことが出来るのだ。
インドラの家は貧しい木こりだ。家名すらなく、町でも村でもない、山の麓に小さな小屋をかまえているだけ。
学校へも行ったことがない15歳のインドラにとって、毎日こうして山に枝を取りに行ったり、小さな畑を耕して家計を支えることで精一杯だ。幼い弟と妹の面倒をみるのもインドラの仕事である。
それを不幸だの不運だのと考えたことはない。
毎日満足に食べられなくても、綺麗な着物を着られなくても、父母と弟妹に囲まれて幸せだ。そうインドラは心から思っていた。
「ただいま」
家に帰ると暖炉の前の粗末なテーブルの前に、沈んだような面持ちの父母が座っていた。
「ああ…おかえり」
顔を上げた母親は、どこか疲れたように薄く笑った。
インドラは枯れ枝を入れた大籠を部屋の隅に置いて、粗い織りの布をかぶせた。そして洗い場で鍋に水を汲んでいると、父親に呼ばれた。
「インドラ、お前ももう15歳だ。……貴族のお城へ奉公へ上がってみる気はないか?」
「え?」
なるべくインドラと目を合わせないようにして、父親は不機嫌そうに言った。
「でも父さん、あたし、満足に読み書きもできないし、弟や妹たちのめんどうだって」
「あちらさんは、それでも構わないと言っている」
おどおどと顔も上げずにいた母親は、チラリとテーブルの上に置かれた袋に目をやった。それに気づいてインドラも視線を向ける。
模様はなかったが、綺麗な青い布袋はゴツゴツとした凹凸作って膨らんでいる。それが3つもあった。インドラはその一つを引き寄せ中を開いて目を見張った。
見たこともない眩いばかりの金貨がギッシリと詰まっている。
「父さんこれ……」
呆然としたインドラの声に、父親は渋面を作って顔を背けた。母親はこらえきれず、エプロンで目を覆って嗚咽を漏らす。
インドラは袋の中の金貨を黙って見つめた。
これだけのお金があれば、家族みんなが一生食うに困らず暮らしていける。
もっといい家に住めるし、毎日お腹を空かせなくてもいい。あまり身体が丈夫でない母親も苦労せずに済む。
なにより、食い扶持一つ減るだけでも大きな違いがあるのだ。
インドラはにっこりと父母に微笑んだ。
「あたし、ご奉公へ行ってみるね」
父親はハッとして顔を上げ、力なくうな垂れると小さく頷いた。そして母親は今度こそ大声を上げて泣いた。
インドラがあがることになっている貴族のお城は、この辺りを領地として治めているメイズリーク伯爵家だった。
巨万の富と広大な領地を有する、国内では有力な貴族の家柄らしい。それ以外のことをインドラは知らない。
奉公へあがることを決めてから一週間後、メイズリーク伯爵家から迎えの馬車が到着した。
四頭だての立派な馬車で、ワニスが塗られた光沢のある木彫に、黄金細工が施されている。窓には天鵞絨のカーテンがかかり、磨きぬかれた玻璃が埋め込まれていた。
インドラは迎えに来た伯爵家の使用人が持ってきた質素なドレスに着替え、あらためて外に出た。
「元気でね……」
涙に暮れる母親と抱き合い、そして幼い弟と妹を抱きしめる。
「お父さんと、お母さんを、よろしくね」
そう言って立ち上がると、むっすりと黙りこくった父親の頬にキスをして、インドラは扉の開かれた馬車に乗り込んだ。
そつなく一礼して使用人も馬車へ乗り込むと、御者は轡を軽く叩いて馬車を出した。
泣きながら馬車を追いかける弟妹たちの声が聞こえてくる。
(振り向いてはダメ)
もし振り向いて、弟妹たちの姿を見たら、胸がつぶれるほどの悲しみに包まれて泣いてしまう。
今生の別れというわけではないが、当分会うことは出来ないだろう。
自分は大金でメイズリーク伯爵家に買われたのだということを、インドラは理解していた。買われたその家で、自分がどんな仕事をすることになるのかまでは想像できない。
しかし。自分がその運命を受け入れることで、家族が豊かになる。
――一生懸命働こう。
期待と不安を胸に、インドラは毅然と頭を上げた。
第1話 家族との別れ つづく
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