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フリングホルニ編
episode749
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「アタシが…」
「貴女が助ければ、フェンリルが暴走することはないわ。巫女の命令は、フェンリルにとって絶対だもの」
確かに、召喚士の命令には絶対だ。この時代で呼び名は変わっていても、キュッリッキは紛れもなくアルケラの巫女なのだから。
「でも、アタシは……」
キュッリッキは俯いた。
ベルトルドに裏切られ、辱められて、死にたいと心の底から思っている。
汚れた自分は、もうメルヴィンに愛される資格などない、顔を見せることも憚られる、だからもう死んでもいい。
そう思っていた、はずなのに。
絶望している中、ユリディスと話し、過去の映像を見せられ、キュッリッキの心は少しずつ変わっていった。
裏切り汚れた自分を、メルヴィンに見せるのは抵抗がある。愛想を尽かしたメルヴィンが、自分を蔑んだ目で見てくるのは耐えられそうもない。それこそ、その場で自害してしまいそうだ。
――でも。
けっして多くはないが、今のキュッリッキには大切な仲間や友達、支えてくれる人々が出来ていた。ほんの少し前まで考えられなかったほどに。そして今も愛しているメルヴィンを、危険な目に遭わせるわけにはいかない。
たとえ嫌われても、蔑まれても、メルヴィンを助けなければ。
まだこんなにも愛している。
大切な人たちを助けなければ。
動かなければ、死ぬよりも辛い後悔に、一生蝕まれるだろう。
(それに、フェンリルだって傷ついたはずだもん…。人間なんて、とかいつも言ってるけど、暴走して世界を破壊しちゃったら、絶対また傷ついちゃう。フェンリルにも、もう同じ思いをさせたくない)
小さい頃からずっと、片時も離れずそばにいてくれた、大切な相棒。フェンリルがいてくれたから、これまで生きてこれたのだ。
(うん、アタシが死ぬのはとりあえず後回しにして、まずフェンリルを助けて、危険を回避しなくっちゃ!)
キュッリッキは握り拳を作ると、顔を上げた。
目の前には、全てを理解した表情のユリディスがいた。
「ありがとうユリディス。あなたのとっても辛い過去を見せてまで、アタシを立ち直らせてくれて。アタシ、フェンリルを助ける。あんなことにならないように」
「キュッリッキ…」
「ホントは今でもまだまだ辛い。ちょっとでも思い出すと気が狂いそうなくらい。でもね、ユリディスほどは強くはなれないけど、フェンリルを助けて、それから全力で落ち込むことにしたの」
「まあ、キュッリッキ」
ユリディスは優しく微笑むと、キュッリッキの手を取り、もう片方の手で上を示す。
「聞こえるでしょう、貴女を案じて、貴女を呼ぶ人の声が」
「えっ?」
ユリディスが示す方へ目を向ける。
ずっと高い位置は水面のようで、ユラユラと揺蕩う光の波が、穏やかに揺らいでいる。
「アタシを呼ぶ…声?」
キュッリッキの呟きに、ユリディスが深く頷く。
「耳を澄ませて。ずっと、ずっと、貴女を呼んでいる、あの声を聴いて」
それは、小さな音のようにしか聴こえなかった。ガラスが振動によって、小刻みに震えるような。
身を乗り出し、キュッリッキはもっとよく聴こうと目を閉じた。
やがて小さな音は小さな声となり、ゆっくりと大きくなって、キュッリッキはハッとなって目を見開いた。
「メルヴィン!!」
自分の名を必死に呼ぶ、低くてよく通る、聴き慣れたあの声。
全身が一瞬にして、歓喜に包まれた。しかし、すぐに翳るように沈んでいく。
「だめ……」
前歯で下唇を噛みながら、キュッリッキは俯いた。
ベルトルドに犯されたこと、アルカネットの嘲笑う顔が、瞬時に頭を過ぎって、前に進もうとする心を挫く。
ドレスを握り締める手が、ガタガタと震えた。
たとえ嫌われても蔑まれても、助けると誓ったはずなのに、メルヴィンの前に出る勇気が出ない。
こんなところで、もたもたしている場合ではないのに、心がすくんでしまう。
「キュッリッキ」
ユリディスの小さな手が、震える手の甲にそっと触れる。
「さっきからね、あの男の人は、貴女をずっと呼んでいるのよ。そして、貴女を助けて欲しいと、私に懇願している」
「貴女が助ければ、フェンリルが暴走することはないわ。巫女の命令は、フェンリルにとって絶対だもの」
確かに、召喚士の命令には絶対だ。この時代で呼び名は変わっていても、キュッリッキは紛れもなくアルケラの巫女なのだから。
「でも、アタシは……」
キュッリッキは俯いた。
ベルトルドに裏切られ、辱められて、死にたいと心の底から思っている。
汚れた自分は、もうメルヴィンに愛される資格などない、顔を見せることも憚られる、だからもう死んでもいい。
そう思っていた、はずなのに。
絶望している中、ユリディスと話し、過去の映像を見せられ、キュッリッキの心は少しずつ変わっていった。
裏切り汚れた自分を、メルヴィンに見せるのは抵抗がある。愛想を尽かしたメルヴィンが、自分を蔑んだ目で見てくるのは耐えられそうもない。それこそ、その場で自害してしまいそうだ。
――でも。
けっして多くはないが、今のキュッリッキには大切な仲間や友達、支えてくれる人々が出来ていた。ほんの少し前まで考えられなかったほどに。そして今も愛しているメルヴィンを、危険な目に遭わせるわけにはいかない。
たとえ嫌われても、蔑まれても、メルヴィンを助けなければ。
まだこんなにも愛している。
大切な人たちを助けなければ。
動かなければ、死ぬよりも辛い後悔に、一生蝕まれるだろう。
(それに、フェンリルだって傷ついたはずだもん…。人間なんて、とかいつも言ってるけど、暴走して世界を破壊しちゃったら、絶対また傷ついちゃう。フェンリルにも、もう同じ思いをさせたくない)
小さい頃からずっと、片時も離れずそばにいてくれた、大切な相棒。フェンリルがいてくれたから、これまで生きてこれたのだ。
(うん、アタシが死ぬのはとりあえず後回しにして、まずフェンリルを助けて、危険を回避しなくっちゃ!)
キュッリッキは握り拳を作ると、顔を上げた。
目の前には、全てを理解した表情のユリディスがいた。
「ありがとうユリディス。あなたのとっても辛い過去を見せてまで、アタシを立ち直らせてくれて。アタシ、フェンリルを助ける。あんなことにならないように」
「キュッリッキ…」
「ホントは今でもまだまだ辛い。ちょっとでも思い出すと気が狂いそうなくらい。でもね、ユリディスほどは強くはなれないけど、フェンリルを助けて、それから全力で落ち込むことにしたの」
「まあ、キュッリッキ」
ユリディスは優しく微笑むと、キュッリッキの手を取り、もう片方の手で上を示す。
「聞こえるでしょう、貴女を案じて、貴女を呼ぶ人の声が」
「えっ?」
ユリディスが示す方へ目を向ける。
ずっと高い位置は水面のようで、ユラユラと揺蕩う光の波が、穏やかに揺らいでいる。
「アタシを呼ぶ…声?」
キュッリッキの呟きに、ユリディスが深く頷く。
「耳を澄ませて。ずっと、ずっと、貴女を呼んでいる、あの声を聴いて」
それは、小さな音のようにしか聴こえなかった。ガラスが振動によって、小刻みに震えるような。
身を乗り出し、キュッリッキはもっとよく聴こうと目を閉じた。
やがて小さな音は小さな声となり、ゆっくりと大きくなって、キュッリッキはハッとなって目を見開いた。
「メルヴィン!!」
自分の名を必死に呼ぶ、低くてよく通る、聴き慣れたあの声。
全身が一瞬にして、歓喜に包まれた。しかし、すぐに翳るように沈んでいく。
「だめ……」
前歯で下唇を噛みながら、キュッリッキは俯いた。
ベルトルドに犯されたこと、アルカネットの嘲笑う顔が、瞬時に頭を過ぎって、前に進もうとする心を挫く。
ドレスを握り締める手が、ガタガタと震えた。
たとえ嫌われても蔑まれても、助けると誓ったはずなのに、メルヴィンの前に出る勇気が出ない。
こんなところで、もたもたしている場合ではないのに、心がすくんでしまう。
「キュッリッキ」
ユリディスの小さな手が、震える手の甲にそっと触れる。
「さっきからね、あの男の人は、貴女をずっと呼んでいるのよ。そして、貴女を助けて欲しいと、私に懇願している」
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